遺跡
一方、アイシャはバリケードを正面に見て右手側の森を迂回し、遺跡へとたどり着いていた。
途中、巨大な蟻を見かけた。
戦斧を胸元に引き寄せ、しばらく木の陰で息を潜めていたら通り過ぎていった。
それが彼女が森の中で出会った唯一の魔物だ。
木立の中から遺跡の様子をうかがう。
開けた広場には、テントがいくつも張ってあった。
辺りは窪地になっていて、石畳が見られない。
森の切れ目と広場の間には6mほどの段差があり、段差の下の広場自体も中央に向けてすり鉢状の段々になっている。
巨大な円形闘技場のようだ。
傾きの緩やかなところを選んで、テントは設営されていた。
面積は町の広場よりもずっと大きいので、水が入っていた当時、中央はそれなりの水深になっていたことだろう。
所々に、積み上がった石壁の残骸がある。
そして数年前の地震が引き起こしたという大きな地割れが走っていた。
人影は無い。
(こんなところにも野営地が?)
普段はないものだが、事情を知らないアイシャはすごいのねぇ、と感心する。
彼女は人に見られずに下へと降りられそうな場所を探した。
程なくして段差の傍にテントが立ち、他からは死角になっている場所を見つける。
(早速ロープが役に立つなぁ。えっと……)
バスケットのふたを開き、中からロープを取り出す。
それを木の根元に結びつけ、テントと段差の間に垂らした。
(わ、結構高い? そうでもないかな……)
下は土なので、万が一落ちてもそれほど痛くはなさそうに見える。
アイシャは勇気を奮い起こした。
まず斧を落とし、バスケットを片腕に掛けてロープを握る。
幸い段差は完全な垂直ではなく、底に向けてやや斜めになっていたので、足を掛けつつゆっくりと降りた。
それでも足が底についたときには、彼女は心底ほっとした。
テントの影からも様子をうかがうが、聞こえるのは風の音と木々のざわめきと小鳥の鳴き声くらいで平和なものだ。
(んーと……。遺跡って、地面の上には出てないのだったよね)
地下に広がる町、というのは彼女もよく引き上げ屋たちから耳にしている。
正確には、表出している遺跡の一部は石積みの残骸として残ってはいたが、アイシャのイメージする遺跡の姿からはほど遠かったのだ。
(どこかに階段があるのかな?)
アイシャはテントとテントの間をゆっくり移動しながら、下り階段らしきものを探しはじめた。
階段は見当たらなかった。
その代わり、窪地の中央辺りで石碑を見つけた。
高さはアイシャの身長を頭一つ二つ分超える。厚みは手のひらをめいっぱい広げたくらいの板状だ。
綺麗な長方形ではなく、上の角二つが自然に削れたような三角形をしていた。
全体としては縦に伸びた五角形、ということになろうか。
石碑の表面に文字が書かれている。アイシャには読めないが、独特の形状から魔法文字ということは分かった。
石碑の周囲にだけ円形にタイルが敷かれている。
様々な材質の石を使っているようで、カラフルに幾何学模様を描いていた。そこにも魔法文字が刻まれている。
(あれ……? これだけ……?)
そんなはずはない。地下への遺跡に入れる階段か何かがあるはず、と周囲を見回すが、それらしいものは見当たらない。
(テントのどれかに隠されているのかな?)
石碑に背を向けた時、間近にあるテントの入り口が動き、中から男が這い出してきた。
黒い軍服を着ている。
男は頭を振って立ち上がり、そこでアイシャに気づいた。
驚いたように目を剝く。
彼女もまた、固まっていた。
「誰だ! そこで何をしている!」
突然大きな声を出され、こちらに駆けてこようとする姿を見て、アイシャは恐怖で後ろに下がった。
背中に堅い感触が触れる。
男が大きな口を開け何かを叫んだように見えた瞬間、アイシャの身体から重力が消え失せた。
◇
シャイードが森を迂回して遺跡にたどり着いたとき、広場には5,6人ほどの人間が集まっていた。
石碑の傍でゆるい輪になって話しているが、距離があるため内容までは聞こえない。
彼は広場をざっと見渡したものの、アイシャの姿を見つけられなかった。
(あれだけ人がいれば、あきらめて帰っただろうな)
やれやれ、とため息をつく。
森を迂回する間にはすれ違わなかったが、別のルートをたどったのだろう、と考えた。
(にしても、遺跡を封鎖してまでの学術調査って一体何を……、……ん?)
シャイードはもう一度、話をしている人間たちに目を凝らす。
はっと息をのんだ。
(あれは……、帝国の軍服じゃないか?)
黒っぽい上に遠目なので、確信は持てない。木の陰から身を乗り出し、目を細めた。
(……少し、調べてみるか)
この辺境の地で帝国兵が何をしているか、シャイードは気になった。
そもそも彼は、今回の学術調査に関しては引っかかるものを感じていたのだ。
彼は身をかがめながら灌木の影を移動し、気づかれずに近づける場所を探した。
段差を飛び降り、テントからテントへと死角を伝いながら人影に近づく。
その頃には彼らは散開してしまっていた。
ただ、二人だけはそのまま石碑の傍に残っている。
近づいたことで、彼らの衣服が帝国の軍服だと確信できた。
二の腕に縫い込まれているはずの帝国記章は、深紅の腕章で隠蔽されている。
(怪しすぎるだろ)
シャイードは眉根を寄せ、彼らの立つすぐ近くのテント際に移動して聞き耳を立てた。
「……しかし、まずいことになったな」
「ゲートの見張りは何をしていたんだか」
「いやそれが、ゲートには来なかったらしいぞ。さっき確認が取れて……」
アイシャのことを話しているのはすぐに分かった。
(アイツ……、まさか見つかったのか?)
心音が早まる。あきらめて帰ったのではなかったのか。
「捕獲の妨げにならなければ良いが」
「俺たちが続けて飛び込むわけにも行かないしな……。困った」
(捕獲? 飛び込む……?)
シャイードは目を細める。
(学術調査と偽り、帝国兵が遺跡で一体何をしようとしている? 石碑と関係があることなのか?)
広場の石碑については、以前から様々な調査隊や引き上げ屋が解明しようとしていた。
表面に記されている文字から、ポータルストーンであることは分かっている。
しかし、起動方法が分からない。
キーワードが必要なパターンなのか、転移先が消失、或いは水没しているせいなのか。
様々な推測と検討がなされ、現在でも不明のままだった。
また、おかしな点も指摘されている。
遺跡の推定年代より、明らかに新しい。石碑については数十年以内に設置されたものと分析されている。
辺りに転がっているのと同じ、風雨にさらされた古い石を使っているが、専門家によると、魔法文字の文法が1000年前のそれとは違うらしい。
しかしそうなると奇妙なのが、遺跡の発見時期との齟齬だ。
この遺跡はごく最近まで水没していたわけであり、数十年前に誰が、どうやって、何の目的で水底にポータルストーンなどを設置したのか。
ギルドが近隣の住民にも確認したが、湖が地震以前のここ数十年以内に枯渇した記録も記憶も残っていない。
(! ……もしかして、まさか……)
シャイードは石碑に視線を移した。それはいつもと変わらない様相でそこに立っている。
(起動、したのか? ポータルストーンを!?)
だとしたら、と、シャイードは唇を舐める。
(この2年間、探すことが出来なかった新たな区画につながっているかも知れない。目的のものがそこにあるかも――いや、……きっとそこにしかない。なんとかして、あそこに触れられれば……)
テントから身を乗り出し、両足に力を込める。自分の俊足なら或いは、二人の一瞬の隙を突いて石碑にたどり着けるだろう。
シャイードは呼吸を計る。神経を前方の二人に集中し、彼らの気がそがれる瞬間を待ち――。
集中が深かったため、背後に気配を感じたときには遅かった。
後頭部に強い衝撃を感じ、シャイードの視界は暗転した。




