6 確執の経緯
「父の死後、母や弟逹を護って良く尽くしてくれた。皆の者にまず礼を申す」
広間に集まった郎等逹を前に、小次郎が頭を下げる。
「いえ、我等の力が足りぬばかりに、お役を辞してご帰国頂かなければならなくなったこと、一同申し訳無く思っております」
多治経明が、一同を代表してそう述べた。
経明は、豊田郷に有る、来栖院の常羽御廐(現・茨城県結城郡八千代町栗山付近に有った官厩)の別当(管理者)の職に在る者だが、私的には、郎等として小次郎の父・良将に従っていた。
「いや、皆は良くやってくれていたものと思う。麿が心得違いをしておったのだ。幼い頃より上洛させて貰い、左大臣様の従者と成ったからには、それなりの出世をして、故郷に錦を飾るまでは戻れぬ。それが父の願いであったとすれば、尚更のこと。そう思っていて、葬儀にも帰れなかった。
だが、三郎からの文を読み考えてみると、それが己の心得違いであったことを悟った。父の遺領ばかりでなく、母や弟逹の暮らしも守れずして、都での出世など意味が無い。滝口武者の職は辞して来た。今後、都に戻るつもりはない。坂東に残り旧領を回復し、我が家の繁栄の為に力を尽くしたいと思う。
父同様、この小次郎将門に力を貸してくれるか?」
皆の顔を見渡し、小次郎がそう尋ねる。
「何を仰せか。我等一同、亡き将軍様には一方ならぬご恩を被っております。小次郎様がそのお覚悟であれば、一同、より一層力を尽くす所存です」
小次郎は、もう一度一同の顔を見回すが、異を唱えそうなものは見当たらない。
「済まぬ。麿が至らぬばかりに苦労を掛ける。有り難く思う。
ところで経明。此度のこと、少々合点が行かぬ。父上と伯父逹は元々仲が悪かったのか?」
そう聞いてみた。
「仲が悪かったということでは御座いません。言うならば、お立場の違いです
石田(国香)と水守(良正)のご両人は、元々、前・常陸大掾殿の娘御を妻とされています。しかし、将軍様と武射の殿(良兼)は違いました。ところが、武射の殿が前のお方様を亡くされた後、前・常陸大掾殿の三の姫を正室として娶られました。どうも、その辺りから風向きが変わったのではと思われます」
古参の郎等の一人がそう申し立てた。
「やはり、前・常陸大掾が後ろで糸を引いていると言うことか?」
と小次郎が質す。
「あの男、領地を巡って、長年、平真樹と言う者と小競り合いを続けておりますが、力が拮抗しております為、決着が着いておりません。
前のお方様が亡くなられたのを期に、石田か水守の殿を通して、三の姫を正室に迎えるよう、武射の殿に働き掛けたものと思われます。亡くなられたお方様は真樹殿の妹で御座いましたから。武射の殿を真樹から引き離して自陣に取り込もうとしたのではないかと思います」
「成る程。前常陸大掾、源護と申したな、退任した後も、尚権勢欲が盛んなものと見えるな。武射の伯父を自陣に取り込むことで、真樹に対して優位に立てるばかりで無く、常陸は元より、上総にまでも影響力を広げられると言うことか。分かったぞ。理由が!」
小次郎が叫ぶように言った。
「一字名源氏(*1)を鼻に掛け、その欲は、老いて尚盛んと言うことです」
経明がそう呟いた。
「実は、武射へも掛け合いに行ったのだが、けんもほろろに追い返されたわ」
「ほう」
「麿は武射の伯父の一の姫・君香殿を妻に迎えたいと思うておる。君香の亡き母は、真樹殿の妹。麿と君香殿が文のやり取りをしていることに、武射の伯父は気付いていたのかも知れぬ。真樹殿の姪に当たる君香と麿が夫婦になって真樹側に着いては不都合。きっと、そう思っているのだ。君香と会った後、郎等共が太刀まで抜いて、麿を追い返そうとして来おった」
経明が頷き、
「最早、話し合いは難しいようで御座いますな」
と言った。
「領地のことだが、荒れて来たので、伯父逹が手分けして管理することにしたのだと、石田の伯父が申しておった」
「確かに、亡き殿が鎮守府将軍として陸奥に赴任されてより後、草の生えた田畑が散見されるようになりました。農夫の中に、手を抜いている者が何人も居たと言うことです。そう命じられてのことでしょう。
今となってみれば、謀だったのではないかとの疑いが強いのですが、留守を守っていた者共が申すには、殿が多くの郎等を連れて陸奥に赴任している為人手が足りず、目が行き届かないのではないかと言って、親切にも、石田と武射が人手を貸してくれたと言うことです。石田や武射方の人手が徐々に増え、留守居の者が見回ろうとしても、『任せておいてくれ』と言って豊田の者の見回りを拒むようになり、将軍様が亡くなられた後は、はっきりと立ち入りを拒むようになりました。
腹が立ちましたが、我等が勝手に石田や武射のお身内に刃を向ける訳にも行かないので、三郎様にお願いし、小次郎様に文を送って頂いたと言う訳です」
「裏で伯父逹を操っていると思われる、前常陸大掾・源護とは、そのように力の有る者なのか?」
と小次郎が経明に尋ねた。
「ご無礼ながら、同じ皇孫とは言っても平氏より源氏の方が格上(*2)ですし、源氏の中でも一字名源氏(*1)は別格なのです」
小次郎は、腕組みをした。
「それで、伯父逹は競って護の婿となり、父はそれに与せず母上を妻としたと言うことか。坂東におった頃は童であったゆえ、麿には、そのような事情は分からなかった。
そんな伯父逹と上手くやって行く為に、父上は相当気配りをし、鎮守府将軍に任じられた際には、留守中に問題が起こらぬよう、伯父逹と誼を通じておこうと思って、何度も訪問していたと言う訳か。
幼い頃から麿を都に出し、出世させようとしたのも、麿に箔を着けさせ、伯父逹との関係を優位にする為だったのかも知れぬな。だとすれば、その期待に答えられなかった麿は、本当に親不孝者よな」
小次郎は自虐的にそう言って、笑った。
「何を仰せか。そのようなことは御座いません」
古参の郎等が強く否定する。
「事情は分かった。皆の気持ちも分かった。官位など無くとも、伯父逹と立派に渡り合って見せる。ここは都では無い。坂東だ。麿には、坂東で生きる自信と覚悟が有る」
「良う仰せ下された。一同、そのお言葉を聞いて安堵致しました。今日よりは、お舘としてお仕え申す所存。何なりと下知して下され」
「分かった。この小次郎が戻ったからには、相手が伯父逹であろうと、一歩も退くつもりは無い」
郎党達の言葉に小次郎が強く答えると、皆、笑顔となり、
「はっ」
と一斉に頭を下げた。
参考:
(*1)一字名源氏
嵯峨源氏の一流を指す。嵯峨源氏は、嵯峨天皇の皇子が臣籍降下して創設された最初の源氏。
源融の子孫が嵯峨源氏の主流として繁栄し、代々、一字名を守るようになり、源氏の中でも由緒正しき家柄とされた。
(*2)
源朝臣とは主に天皇の子や孫の世代が臣籍降下するときに与えられた姓であり、 平朝臣は主に天皇のひ孫の世代が臣籍降下する時に与えられた姓。
従って、平氏より源氏の方が天皇に近い為格上とされるが、何々天皇の何世の皇孫かということで格が決まる。