5 決心
君香が居室に戻ると、まだ公雅がいるうちに、良兼が慌ただしく表れた。
二人は、床に手を着いて頭を下げる。良兼は、まず、公雅を睨み付け、
「太郎、貴様、何処へ行っておった」
と問い掛ける。
「は? 父上のお言い付けで、姉上の供をしておりましたが」
と惚ける公雅を、じっと見て良兼は、
「君香が、小次郎と二人で語らっているのを、郎等が見たと申しておる。貴様は何処に居たのかと聞いておる」
と詰めて来た。
「そうですか。小用(小便)を足しに離れたことは有りますが、麿は見ておりませんが……」
良兼が、今度は君香を見据えた。
「出掛ける時、小次郎に会いに行くなどとは申さなかったな」
「小次郎様が見えられていると郎等が伝えに来た時、父上が、会わぬ、追い返せと命じられているのを漏れ聞きましたので、敢えて申しませんでした。
童の頃、良う遊んで頂いた方です。十数年振りに帰られたとあっては、一言ご挨拶申し上げたいと言うのが私の気持ちでした」
君香は平然とそう答えた。
「何故麿を欺き、隠れるようにして会いに行った」
と、良兼は更に追及する。
「父上は、小次郎様を追い返せと命じられておいででした。何故、そう命じられたのか、理由は存じませんが、そんな遣り取りを聞いていれば、お願いしてもお許し頂けまいと思うのは、当然で御座いましょう」
「麿が追い返せと言っているのを知っていて、尚、会わねばならぬ理由は何じゃ」
「小次郎様に父上が会われないのは、父上のご事情。理由を問い質すようなことでも無いと思いました。
ですが、麿が一言ご挨拶したいと思うのも、父上のご存念とは、関わり無きことと思うてのことです」
君香がこのように言い返すなど、かつて無い事であった。
「何時から、その様に口の減らぬ女子に成った。間も無く嫁ぐ身であることを考えよ」
君香は一瞬黙り、やがて、思い切ったような表情となり、
「父上。そのお話、今からご辞退させて頂く訳には参りませんでしょうか?」
と言った。
「何い! あれこれと理屈を並べおったが、結局、そう言うことか。今更、破談になどできると思うか! 前・常陸大掾殿のお骨折りが有って纏まった縁談だ。相手方だけで無く、前・常陸大掾殿の顔まで潰すことになるのだぞ。分っておるのか」
良兼は、怒りを顕にしたが、君香は怯まなかった。
「父上が小次郎様を嫌われる理由は何で御座いますか? それも、前・常陸大掾様と関わりの有ることなので御座いましょうか」
問われたく無いことだったのか、良兼は君香から視線を外し、
「そなたが知る必要の無いこと」
語調を弱めて、そう言った。
「いえ、麿の生涯に関わることで御座います。麿に取っては大いに関わりの有ること」
「黙れ。そなたのことを一番案じておるのは、この父じゃ。悪いようにはせぬ。黙って父に従え」
寧ろ、訴え掛けるような語調になっている。一方の君香は、毅然として尚も言い返す。
「父上。申し訳御座いませんが、お心に添い兼ねます」
二人のやり取りを聞いていた公雅は、父と姉の関係が最悪になるのではないかと案じた。
「父上」
見かねて、公雅が口を挟もうとする。それを切っ掛けにするかのように、一度怯んだかに見えた良兼の態度が変わった。
「太郎。婚礼の日まて、その方も次郎も、この部屋に近付くことを禁じる。
萩女も君香付きを外し、他の侍女を付けることにする。良いな」
反論を許さぬ厳しい口調である。公雅は、大きくため息を突き、君香は『最早何を言っても無駄』と悟った。
一方、小次郎であるが、一応林の中に入って隠れようとしてみたが、馬を連れていては、所詮、隠れるのは無理と直ぐに悟った。かと言って、駆けて逃げるような真似はしたく無かった。
『こそこそするのは面倒だ。成り行きに任せるとするか』
そう思い直して、切り株を見付けて腰を下ろした。
ざわめきと共に良兼の郎等逹が六人表れ、直ぐに小次郎に気付いた。
「姫は何処へ行かれましたか」
丁寧な口調ではあるが、語調は鋭く問い詰める。
『ああ、わざわざ挨拶に来てくれたが、太郎殿と直に帰った』
小次郎は、ことさらのんびりした口調で、そう答える。
「何を話しておった」
郎等の口調が上から見下すものに変わる。
「挨拶に来てくれたと申したであろう」
小次郎の口調も、鋭いものに変わっている。郎等逹は、少しの間、周りを探したが、居ないと分かると、戻って小次郎を取り囲んだ。
「どうした。伯父上のところに案内してくれようとでも言うのか?」
立ち上がって小次郎が挑発する。
「するか! 殿は汝などと話す気は無いと仰せだ。さっさと立ち去れ。以後、この辺りには近寄るな。見掛けたら只では済まさぬ」
最早郎党野口調に、小次郎に対する遠慮の欠片も無い。
「それは、伯父上の命か? 何とも無体な言い種だな。そちらに用が無くとも、こちらには話さねばならぬことが有る。申されたきこと有らば承る。互いに腹を割ってお話ししようでは御座いませんかと、伯父上にお伝えせよ」
郎等は太刀に手を掛けた。
「寝言は寝て言え。立ち去らぬとあらば、容赦はせぬぞ」
郎等逹は太刀を抜き放った。
慌てて太刀の柄に手を掛けることも無く、小次郎は、鋭い視線で郎等逹の顔をひと渡り見回す。
「どけー!」
と一喝すると、良兼の郎等逹は怯んで囲みを解いた。太刀を抜いたものの、そのまま切り掛かるまでの覚悟は無かったものと見える。
左手で馬の轡を取ると、小次郎は郎等逹の間を悠然と進み、五、六歩進んだところでひらりと乗馬した。
ニ、三步馬を歩ませると、左手で手綱を引いて馬を振り向かせ、
「また、見参する。伯父上にそうお伝えせよ」
と馬上から宣言した。そして、言うなり再び馬首を返し、小次郎は駆け去った。
館に戻った小次郎は少々不機嫌だった。君香のことは、三郎には話していない。
「如何でしたか?」
不安そうに三郎が尋ねた。
「石田以上に話にならんわ」
小次郎はそう言い捨てた。
「では、次は水守に?」
「無駄だろう。それよりも、数日中に三人が武射で会するようだ。その結果を聞ききに来たと言って、もう一度、石田に行ってみることにする。どうせ本音は語るまいがな」
「なら、無駄なことでは」
「無駄と分かっても、一応、手順は踏まぬとな。手順を踏むことこそが大事だ。もう、腹は決めておる」
「と言いますと……」
「腕ずくででも取り返す」と小次郎は言い切った。そして、
「明日、郎等どもを集めてくれ。陸奥に行っていた者も、留守を預かっていた者も、全てだ。陸奥に赴く前に、父上と伯父逹の間に有ったことを存じている者がいるかも知れぬ」
そう命じると、
「心得ました」
と三郎も強く応じた。