3 君香
小次郎と三郎が国香の舘前に姿を表すと、門番は一瞬二人を見たが、直ぐに無視して、有らぬ方向に視線を移す。
小次郎は、乗馬のまま歩み寄って、目の前で下馬した。
「豊田小次郎が参ったと、伯父上にお伝え願いたい」
門番の間近まで迫って、そう告げる。
「お出掛けでござる」
門番は、素っ気なくそう答えた。
「いや、おいでになるはず。お取次をお願いしたい」
自信たっぷりに言い切る小次郎の態度に気圧された門番は、
『さては、何処かで見張らせていたのか』
と勝手に思い込み、
「ご多忙で御座る」
と、自ら嘘を認める返事をしてしまった。
「この小次郎、伯父上にお伺いしたい大事な用件が有り、都からわざわざ帰郷した。お手間は取らせぬゆえ、是非ともお目に掛かりたい」
小次郎の声は、どんどん大きなものとなって行く。
「だから、ご多忙と伝えたで御座ろうが……」
門番は如何にも苦しい言い訳をした。
「お主の判断を聞いてはおらん。小次郎がお目に掛かりたいと来ている、と伝えて欲しいと申しておるのだ。伝えられぬか? 汝の判断で追い返すと申すか?」
小次郎に睨み付けられて、門番はたじたじとなった。どうすべきかと、もぞもぞしている時、郎等が一人、舘より出て来た。小次郎とは顔見知りの男である。
「何やら騒々しいので見に参ったが、小次郎殿ではないか。入られよ」
そう言われてしまっては門番の立つ瀬は無い。
『小次郎の奴め、騒々しい。一度会ってやらねば、何度でも押し掛けて来るであろう。やむを得ぬ、入れろ』
郎等は、国香にそう命じられて出て来たのだ。門番ひとり悪者にされたことになる。
一応は伯父に対する最低限の挨拶を済ますと、
「所領のことで、お伺いしたいこと有って参上致しました」
と小次郎が切り出す。
「所領? ああ、高望候が開発された土地のことか?」
と国香は応じた。件の所領は良将が開発したものではなく、その父・高望王が開発したものだと強調しているのだ。
「はい。我が父・良将が祖父から引き継いだ所領のことです」
と小次郎は、父・良将が正当に相続した土地であることを強調する。
「誤解が有ると思うので申して置く。まず、その方の申しておる『所領』とは、高望候が開発された土地で、そなたの父が開発した土地では無い」
「しかし、父が爺様から引き継いだものです」
そう簡単に言い包められてたまるかとばかり、小次郎が反論する。
「まあ、待て。成る程、高望候の遺領は、我等兄弟がそれぞれ手分けして管理することにした。だが、そなたの父が鎮守府将軍として、主な郎等達を引き連れて陸奥に赴任してよりの後、残った郎等、妻と幼い童達では管理が行き届かぬところが出て来ていた。そして、突然身罷ってより後は尚のこと。汝が葬儀にも帰らぬとあっては、土地も荒れ、ともすれば他の土豪逹に奪われかねない状況であった。
もし、そんなことにでもなれば、我等兄弟、亡き高望候にあの世で会わせる顔が無くなる。だから、手分けして管理することにしたのじゃ」
小次郎の意気込みは、少し萎えた。
「葬儀に際して戻らなかったこと。真に申し訳御座いませんでした。滝口武者の職も辞して参りましたので、これよりは、領地の経営に専念する所存です」
そう強く言った。
「そうか。ならば、そう致せ。後は、追々話し合って行く事に致そう」
国香が肩透かしを食らわせようとしているのが分かった。これで引き下がれば、後はのらりくらりと返事を引き伸ばして、既成事実を作ってしまおうと言う魂胆が見え見えである。
「どうか、速やかにお引き渡し頂くよう、お願い致します。彼の土地からの上がりは、我が家に取って大事な身入りとなっておりますれば」
と小次郎は即時返還を求めだ。
「だから、考えて置くと申しておる」
国香は、尚も返事を引き延ばそうとする。
「父が受け継いだ所領。元の形に戻して頂きたいと申し上げておるだけ。ご検討頂くようなことでは無いと思っております」
国香は、ムッとした表情を見せた。
「己の都合ばかり述べるな。我等にも都合が有る。人手も手間も掛かっておるのじゃ。
そもそもこの問題は、良将とその方に責が有ることではないか」
国香が、小次郎の追及を躱し、論旨をすり替えようとしているのが見えた。
「何卒」
と小次郎が楔を打ち込む。
「何卒」
国香の目を見詰めて、小次郎は繰り返した。
「直ぐには出来ぬ。水守(良正)や武射(良兼)とも話さねばならぬことじゃ」
国香が苦しい言い逃れを始めた。
「では、ここ七日以内にご返事頂けますでしょうか?」
小次郎も最後の追い込みを掛けた。国香の目を見据えて、小次郎が詰める。
国香の顔色が変わった。
「何だと? 甥の分際で、伯父である麿に指図しようと言うのか。無礼であろう。最早聞く耳持たん。帰れ!」
そう言うと、国香は居室を出て行ってしまった。
「石田の伯父は、返すつもりは無いと吾は見ました。そうで御座いましょう。どうするつもりですか?」
帰りの道すがら、馬を寄せて来て三郎が言った。
「水守と武射の伯父逹にも訴えてみるつもりだ」
そう小次郎が答える。無駄な事とは思ったが、三郎は、
「では、次は水守に?」
と聞いた。
「いや、武射を先にする」
小次郎の答には、まるで最初からそう決めていたかのような感が有った。
「お供します」
と三郎が言うと、
「いや、こたびは、一人で参る」
と。答えた。
何故か、小次郎は三郎の同行を拒んで、翌日ひとり上総国・武射郡に向かった。小者を一人連れている。
三郎の同行を断ったのも、小者一人を連れているのにも、実は、理由が有った。上洛前、時々父に付いて武射の伯父の舘に行ったが、そこに、八つほど年下の君香と言う幼い娘が居た。
君香の母は、その頃、病に伏せっていた。その為君香は、侍女が見守る中、中庭で一人遊びをしていることが多かった。
その頃の良兼には男子が居なかった。小次郎は遊ぶ相手も無く、父達が話している間、縁に座り、君香のひとり遊ぶ姿を見ていた。
初めて君香と会ったその時、自分を見ている小次郎に気付いた君香が走り寄って来た。人懐っこい子である。
「遊ぼ」
君香は、小次郎を見詰めて言った。そう言われても小次郎は、女童とどう遊んでやれば良いのか分からない。
手を出して来たので、繋いでやって庭を歩き回る。花を指して、何か一所懸命話して来るが、花に付いてどうこうなどは小次郎の関心の有る話ではないので、適当に聞いていた。
その後、武射の伯父の舘に行くと、小次郎の姿を見付けた君香は。いつも走り寄って来るようになった。数年の間に君香は幼女から少女と言う印象に変わって行き、小次郎も何時か、君香に会えることを楽しみにするようになっていた。
上洛して五年ほど経った頃、小次郎の許に、君香の母に付いていた侍女から文が届き、君香の母が亡くなったことを報せて来た。
だか、その文は、それだけでは無かった。君香からの文が封じ込まれていたのだ。内容は、母の死は悲しいが、自分は大丈夫であるということ。都での暮らしは大変と思うが、立派に成って戻って来るのを楽しみにしている、と言うものだった。
その後、二人は、侍女を通して時々文のやり取りを続けた。君香が少女から大人の女に変わって行くのを、小次郎は、その文の中から感じ取っていた。これは、都での暮らしに打ちのめされそうになっている小次郎に勇気を与えるものでは有ったが、父の葬儀にも帰れなかったことの一因ともなった。
その後、小次郎は君香の文に返事を出すことが苦しくなり、やり取りは途絶えてしまった。
『まずは、君香から伯父の考えを聞き出し、策を練るのが上策』
それが、小次郎が己に言い聞かせる言い訳である。『だか、考えてみれば君香はもう十七になるはず。とっくに嫁いでいることだろう』
そう思ったが、それをも含めて君香の消息を確かめずにはいられなかった。