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06

 扉を開けた瞬間に、飛びだしてきたのは耳を劈くような大音量だった。

 まったく予期していなかったこともあり一瞬面食らったが、それがこちらの害になる類じゃないのはすぐに判ったので、少しだけ早まった自身の心音を感じつつ、俺は扉をゆっくりと閉めて、リッセの店の中に踏み入る。

「すごい盛り上がりだね」

 以前来た時と違って、店内にはかなりの客が入っていた。百人くらいはいそうだ。

 この店は、他の建物と違って相当に広い作りをしているけれど、それでも狭さを覚えるほどの埋まり具合で、リッセの姿をすぐに見つける事は出来そうになかった。

「……ここ、酒場ではなくて騒音会場だったのですね」

 店の真ん中で高らかに響いているエレキギターっぽい弦楽器の音に眉を顰めながら、ミーアが呟く。

 どうやら彼女の琴線にはあまり響かなかったようだけど、それは俺にとってそれなりに馴染み深い音楽だった。

 といっても、そこまでジャンルとかに詳しいわけじゃないから、多分ロック系だというくらいの認識しかないんだけど、この世界で自分がいた世界に近いものに触れると、どうしても嬉しさのようなものが込み上げてくる。これも一種の郷愁という奴なのかもしれない。

 なんにしても好ましい感触なので、リッセ探しは片手間に、初めて体験するライブというものをちょっとだけ味わう事にする。

 そのついでに、どんな人が弾いているのかを確かめるべく背伸びなんかもしてみた。

 椅子に座った無精髭を生やした赤ら顔のおじさんが、片足を太腿に乗せて楽器をガンガン弾いている姿がなんとか視界に入る。不思議なもので、だらしない格好なんかも、こういう場だと妙にかっこよく見えたりした。場の愉しそうな喧噪もまた、それを助長しているんだろう。

 まあ、客の殆どは適当に声を張り上げて踊ったりしていて、あんまりおじさんの曲に合わせている感じでもなかったけど。

「じゃあ、次の曲に行ってみようかぁ!」

「――いかないわよ。あんたの持ち時間もう終わりだから」

 静かな癖にやけに耳に刺さるリッセの声が、店内に響いた。

 大声を出したわけでもないのに客全員に届いた様子からして、どうやらラウの魔法が効いているようだ。

「? いや、まだ一分あるよ?」

「その曲十分かかるんだろう? で、あたしは中途半端に終わるのって好きじゃないの」

「だったらやらせてくれてもいいじゃない?」

「次がうちの歌姫じゃなかったら、それでもよかったんだけどね」

 リッセの姿は見えないが、声の調子から肩を竦めているのが想像出来た。

「どうする? あたしは別にあんたの九分、あの子の時間から引いてもいいけど?」

 瞬間、店内の空気が変わる

 即座に肌で感じられるくらいの剣呑さ。

「……リッセ、怖い提案するなよ。そんなことしたら、この場の奴等に殺されちまいそうじゃないか」

「わかってんなら、さっさと舞台から降りな。ほら、あんたらも拍手と金!」

 ぱんぱん、と手を叩く音がおじさんの左側から響く。どうやらそこにリッセはいるようだ。

 そのリッセの催促に従うように拍手が続き、さらにおじさんの足元に置かれていた楽器ケースに向かって硬貨が投げ入れられた。

 ただそのうちの二割くらいはギターケースの中には入らなかったので、おじさんはしゃがみ込んでそれらを拾いながら、

「投げやりにたたむねぇ。せめてそこはもう少し盛り上げてくれてもいいんじゃないか? 皆の本命のためにもさ」

 と、苦笑を浮かべる。

 楽しませてもらった以上、俺もお金を投げるべきか少し迷ったが、迷っている間におじさんはお金を全部拾ってしまっていた。

 にやついた表情を浮かべている当たり、今日は結構稼げたという感じなんだろう。

 ケースの蓋を閉じて、おじさんは店の中心である舞台からはける。

 それと入れ替わるように、波を割るように開かれた人混みから出てきたのは、ラウと一人の女性だった。

 褐色の肌に銀髪が特徴的な、妖艶たる美人だ。

 赤いドレスを纏った彼女が件の歌姫なんだろう。そしてラウは彼女の歌を彩る奏者のようだった。

 チェロほどではないけど、バイオリンよりは確実に大きい弦楽器をもって、ラウは先程までおじさんが使っていた椅子に腰かける。

 その隣に佇んで、銀髪の女性はちらりとラウを横目に見た。

 それが開始の合図だったのか、切り裂くように鋭い響きが店内に広がる。

 途端に、観衆の喧噪が一瞬で途切れた。

 音の暴力が全てを呑み込むような、圧倒的な演奏の始まり。

 激しくも繊細な調律にはなにかしらの魔力が込められているようにも感じられたけれど、そんなものを抜きにしても、ラウの奏でる音には魔法が宿っていた。

 けど、この舞台の主役は彼ではないのだ。

 リッセが歌姫と謳った女性が短く息を吸い歌声を披露すると、たちまちに主役はラウから彼女に移行する。

 力強くも嫋やかで透き通った響きに、心地の良いリズム。

 歌や楽器だけじゃない、それを扱う二人の姿すらも完璧で、視覚的にも魅入られてしまう。

 ……こういうのを、きっと感動というんだろう。あんまり感じた事がないから、すぐに言葉に出来なかったけど、これはきっとそういうものなんだと、半ば呆然とした状態で理解する。

 と、同時に、これは自分だけの衝撃なのかどうかが気になった。

 なんというか、急に共感が欲しくなったのだ。

 その衝動に従ってちらりと視線を隣に流すと、不快を表情に装着していたミーアが息を止めて聞き入っている姿が手に入った。

 ほっとすると同時に少し嬉しくなる。彼女がどんな反応をしていくのかという点まで気になってしまう。

 おかげで、どちらにも翻弄されながら、俺は濃厚な三曲を堪能することになった。

 歌が終わると、聴衆からため息が零れる。感嘆と、もう終わってしまった事に対する落胆を含んだ吐露。

 それからすぐに万雷の拍手と歓声が殺到する。

 三十秒ほど続いたそれが収束し、歌姫とラウが場を後にして、聴衆たちが各々に感想やらなんやらを吐きだし始めたところで、

「――凄いもんだろう? セラの歌はさ」

 と、耳元にリッセの声が届いた。

 俺はともかくミーアもその接近には気付いていなかったのか、ビクッと身体を震わせる。

 そんな彼女を見て、リッセは嘲るような調子で続けた。

「見ての通り、凄腕らしい女も骨抜きだ。隙だらけだったわよ? あんた」

「……」

 否定できない事実を突き付けられてか、ミーアは若干顔を赤らめながらリッセを睨みつけるが、さすがに迫力は感じられなかった。

「あたしに用があって来たんだろう? 来な。ここはさすがに煩いしね」

 颯爽と背中を向けて、リッセは人混みを縫うように歩き出す。

 その後を追いかけるとカウンターの前に辿りついた。

 リッセは鍵を取り出して奥にある扉を開き、そこで舌打ちをつく。

 なぜかと気になって彼女の視線の先を追いかけると、ラウと歌姫さんが熱い抱擁とキスを交わしていて――

「――な、な、な」

 信じられないものでも見たと言わんばかりの驚愕をもって、ミーアが硬直した。

 ほのかに赤かった頬が、熱を疑うほどに強い色合いになっていく。それを隠すみたいに両手で顔を覆って、あげくその場にしゃがみ込んでしまった。

 ちょっと意外な反応……でもないのか。

 この世界は俺が居た世界みたいに性関係の情報が氾濫しているというわけでもないし、更に言うならミーアは貴族だったみたいだから、その手のものに触れる機会がないのは、考えてみれば自然な事なのかもしれない。

 まあ、それにしても少し過剰な気はするけど……幸いというべきかなんというべきか、リッセはそこをつつくよりも、弟の行為に方が看過できなかったようで、

「酔っ払い共が、余所でやれ」

 開けた扉の下の方を蹴飛ばして大きな音を立てながら、彼女は不機嫌そうにそう吐き捨てた。

 見られているとは思っていなかったみたいな歌姫のセラさんは動揺を顔に出していたが、ラウの方は堂々としたものだ。

「先に居たのはこちらだ。余所に行くべきはお前だろう?」

 虫でも追い払うみたいにしっしと左手首を動かして、一切気にせずにキスを再開させる。

 なんとも冷たい対応。とりつくしまもなさそうだ。

「……」

 それが嫌というほど判っているのだろう、リッセは拳をわなわなとふる合わせながらノブに手を伸ばして、力の限り勢いよくドアを閉めた。

 喧騒の中でも注目を浴びるほどの音が飛び出る。が、多分二人の喧嘩はここでは日常茶飯事なのか、何人かがこちらに視線を向けただけで、いつもの事ね、と言った空気感と共にすぐに流されてしまった。

 リッセはどかどかと盛大に足音を立てながら店の入り口に向かって進んでいく。俺たちは人混みに苦労しながら、それをなんとか追いかけて、

「……あの色ボケ莫迦。腑抜けた音晒してたうえに、十日かそこら会わなかったくらいで盛りやがって」

 外に出たところで、リッセがぼやいた。

 そして長々とため息をついてから、こちらに向き直る。

「で、なんだっけ? あぁ、そうそう、引っ越しが難航してるんだったわよね。上手く漕ぎ着けたと思ったのに直前で反故にされたりして」

 なんでそれを、と聞くのは不毛というものなんだろうけど、さすがにこんな風に見透かされているというのは、あまりいい気はしない。

「そんな顔しないで喜びなさいよ。あんたらには調べるだけの価値があるって、教えてやってるんだから」

「つくづく不愉快ですね。貴女は」

 俺が心の中にとどめた言葉を、ミーアが躊躇なく吐き捨てる。

「そんな相手に頼まないといけないくらいには追い込まれてるんだろう? 間抜けな余所者は」 

 嘲るような微笑を返しながら、リッセは上着のポケットから封筒を取り出して、それをこちらに投げつけてきた。

 なかに宝石でも入っているのか、中心の部分が少し膨らんでいる。

「これは?」

「ちょっとした贈り物よ。でも、今はそいつとあまり会いたい気分じゃなくてね。他に手が空いてる奴もいないし、ちょうどいいでしょう? 子供でも出来る簡単なお使いだ。それが済んだら、手を貸してやるわ。……ほら、早く行ったほうがいいわよ? 夜は物騒だしね」

 たしかに彼女の言う通り、下地区の夜は物騒だろうし、すでに空は茜色に染まろうとしていた。

 それに、元々リスク覚悟でここに来た身だ。

 俺はため息とともに、封筒を自身の上着のポケットに仕舞い込み、

「それで、行くってどこに行けば?」

「心配しなくてもちゃんと教えてやるわよ」

 その言葉を裏付けるように、視界に蛍のような白い光が横切ってきた。

 感覚を研ぎ澄ませば、それがリッセの魔力によって構築された道標である事が理解できる。

「ほどほどの速度で飛ばすから、置いて行かれないようにしろ。あと、入口にいる奴に、貴族飼いが髑髏の女に贈りものだって伝えなさい。それで全部よ」

「……わかった」

 頷き、俺たちは動き出した光を追って足を踏みだした。

 向かう先に嫌な予感しかないという、共通の認識を抱えながら。


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