04
「そうかい、もうじき出ていっていまうのか。それは寂しいねぇ」
部屋にて今日の分の支払いを済ませたところで切り出した内容に、女将のミザリーさんは長々と息を吐いた。
「……すみません」
「いやいや、謝ることなんてないさ。あんたらが、この街を気に入ってくれたってことなんだろうしね」
苦笑を浮かべながら、ミザリーさんは肩をすくめる。
「そうですね。ここは良い街だと思います」
「ムカつく貴族を除けばだけどねぇ」
「はは」
今度はこちらが微苦笑を返すことになったが、それ以上の悪口に発展しないところが、この人のさっぱりした性格を物語っていて。
「――よし、決めた。今日はあたしの奢りだ。好きなもんなんでも頼みな」
「え? ですが――」
「遠慮はなしだよ、ミーアちゃん。これは門出のお祝いって奴さ。なんせ、あんたらは上客だったからね。部屋をあんまり汚さなかったし、壊しもしなかったし。下の階の奴なんて風呂場で糞しやがってさ、ブッ飛ばしてやろうかと思ったよ。ほんと、新しい客もあんたらみたいにまともならいいんだけどねぇ」
「……そういえば、隣に人に気配がありますね」
ちらりと、ミーアの視線が左の壁の方に流れる。
そっちは昨日まで空き部屋の筈だった。
「あぁ、今日の昼ごろやってきた新顔でね。なんでもシュノフから来たらしいよ」
「シュノフ……たしか、貴族至上主義の都市でしたか」
微かに目を細めて、ミーアは呟いた。
「みたいだねぇ。あたしはあんまり知らないけど。多分、あたしみたいなのは生きていけない場所なんだろうね。まあ、なんにしても新しい客は歓迎さ。特に商人の類はどんなのでもこっちの儲けにもつながるし――って、そんな事より、食う準備が出来たら降りてきなよ。あたしの気が変わらないうちにさ」
だっ、だっ、と決して軽くとは言えない力で俺の肩を叩きつつ、ミザリーさんは一瞬覗かせた強い嫌悪を仕舞いこんで、こちらに背を向けた。
「はい、ありがとうございます」
その背中にお礼を言いつつ、ドアがけして大きくない音で閉まるのを待つ。
豪快に見えて、こういうところは粗雑じゃないあたり、さすが接客を生業にしている人物といったところなのかもしれない。
「……せっかくですから、あのやけに高いお酒でも頼んでみましょうか?」
静けさが過ぎったところで、ぽつりとミーアが言った。
それはなんということもない軽口のようではあったけれど、なぜか少しだけ彼女の声色は上擦っていた。ちょっとした冒険をしたような、緊張感とでもいうべきか。
「ミーアってお酒飲めるの?」
「……一口くらいなら」
心なし照れたように、ミーアは視線を逸らしながら答えた。
つまり飲んだことはないようだ。だからこその好奇心であり、冒険心から来る緊張だったのかもしれない。或いは、俺に対して少しずつでも素の自分を出そうとしていくれているのか……まあ、この辺りはただの想像だ。それでも、そうだったら嬉しいなと勝手に期待しながら、俺は笑って言った。
「まあ、お互い一口くらいなら、渋い顔はされないかもね」