エピローグ/哀しい共有 01
早々に街を去ると告げていたロクサヌさんとリリカだが、シュノフで起きた大事件によってそれは延期される事になったらしい。
「……屋敷にいた貴族一人を含む七名が死亡。原因はヘキサフレアスという名の花によるもので、社交場に赴く前だったということもあり、外部からの犯行が強く疑われていて、現在シュノフは人の出入りを厳しく制限している、か」
新聞の記事を、キッチンで果てなき灰汁取りをしているミーアにも伝わるように声にだしつつ、俺は自宅のソファーに腰を下ろして、短く息を吐いた。
「やっぱり、リッセの仕業なのかな?」
まあ、それは別段どうでもいいというか、これが本当に自分と一切関わらない人間の死であったのなら、他人事よろしく気の毒にと思うだけだったんだけど、どうやらその貴族はリリカのお母さんが死ぬ原因になった人物でもあったらしい。
しかもかなりの外道で、権威を悪用して色々と好き放題していて、記事では死んで当然だとか、人間の面汚しだとか、本当にシュノフにはまともな奴がいないとか、好き放題書かれていた。
もしかすると、これも彼女の差し金なのかもしれない、と少し邪推したけど……多分、ここの新聞社からして、せいぜい情報のリーク程度しかしていないのだろう。
トルフィネにはゴシップ専門を除いて、三社ほど新聞社があるのだが、この記事を書いたところは結構な貴族嫌いとして有名だったのだ。
「今回ばかりは、彼女の行いを称えてもよいのかもしれませんね。記事が事実ならですが、貴族の恥を生かしておく理由などありませんし」
ずいぶんと物騒な事を、ミーアはつまらなげに言う。
言葉は本心だが、褒める事には激しく抵抗があるといった感じだろうか。そこにはもちろん、三日前の敗北が大きく影響しているんだろう。といっても、ラウの横槍(多分それをしなかったらリッセが死んでいた)があっての事だったらしいので、実質勝利みたいなものだとは思うのだけど。
「それはそうと……この灰汁取りというのはいつ終わればよいのでしょうか? 掬っても掬っても湧いてくるのですが」
「料理本にはなんて書いてあったの?」
「程々に、と」
心底忌々しげに、ミーアはその言葉を口にした。
「あぁ……」。
これはあれだ。『適量』と同じで、料理の素人には全く分からない匙加減という奴である。
「……レニさま、程々ってなんなんでしょうか? どうして正確な時間が示されていないのでしょうか? そもそもこんな内容でお金を取ることが何故まかり通っているのでしょうか? そして私のこの労力は、はたして僅かでもスープの味を向上させているのでしょうか?」
昏いトーンの声が、キッチンから聞こえてくる。
気分転換で始めた料理の筈だったのだが、どうやら負の連鎖に陥ってしまったようだった。
とりあえず、遊びで気が滅入るのは本末転倒だし少し休んだ方が良いのでは、と提案しようとしたところで――
「――むしろその逆でしょう? そもそもあんたが取ってるのもう灰汁じゃなくて旨味の部分だし」
と、俺の真横から声が響いた。
「え? ――ひゃ!?」
こちらが驚くよりも早く、ミーアがやけに可愛らしい悲鳴を上げる。
そして手に持っていたおたまを剣の切っ先のように突きだしながら、いつのまにかソファーの端に腰かけていたリッセに、どもった声を放った。
「あ、貴女、いつからそこに……?」
「そうね、誰かさんが愉快な新聞記事を読み上げている時にはもう、いた気がするわね」
投げやりなトーンで、リッセが言う。
「本当に、非常識な人ですね、貴女……!」
「そういうあんたは、苦手な事を前にするとずいぶんと無防備な人になるみたいね。三日前の夜とは別人みたい。結構可愛かったわよ。特に悲鳴が」
「……用件はなんですか?」
一瞬で人でも殺しそうな冷たい雰囲気を纏って、ミーアが訪ねた。
「刺々しいな。せっかく友好的に接してやってるっていうのに。……ねぇ?」
こちらに顔を向けて、悪戯っぽくリッセは笑う。
これが揉めていた時期だったなら嫌な予感しか覚えなかったんだろうけど、今の彼女の上機嫌さには特に含むものがないように感じられた。……まあ、俺だけが感じた事である。
「友好的? 一体どこにそんなものがあったというのか、是非とも教えていただきたいものですね」
ミーアはますます警戒を強め、ちらりと壁に立てかけてある細剣に視線を向けたりして、強行手段に訴える気満々だった。
「教えなくても判るもんだと思うんだけど。まあいいわ」
ため息交じりに呟きつつ、リッセはまず人差し指を立てて、
「じゃあ、まず一つ目。無断欠勤が酷かったあんたを、クビにしないでって騎士団にお願いしてあげたでしょう? 二つ目にあんた達のお友達である我儘姫の願いも聞いてやった。まあ、これは聞くも何も、あたしにはもう関係のない事だったけどね」
と、次に中指を立て右手でピースサインみたいな形をつくり、つまらなそうに語ってから、反動をつけてソファーから立ち上がった。
我儘姫というのは、多分ルハの事だろう。そして関係ない事というのは、リリカたちがこの街にしばらく残らないといけなくなった件についてだろうか。
そういうフォローをしてくれているあたり、今回の件に遺恨はなさそうで、こちらとしてはほっとするばかりだけど。
「あとは、そうだな、女の嗜み一つ満足にこなせない可哀想な奴の為に、料理を教えてあげてもいいと思ってる」
ネズミをいたぶる猫みたいに、短気な子を挑発するのはちょっとやめて欲しい。
いや、案外言葉通り友好の証として提案している可能性もありそうではあるんだけど、間違いなく火に油を注ぐ結果にしかならないし――
「ま、まさか、料理が出来るとでもいうのですか? 貴女のような人に?」
……と、思っていたんだけど、料理というものはこちらが想像している以上に、ミーアにとっては今、優先的な事項らしかった。
「現実は残酷よね」
「ありえない。信じられません」
「なら、今から証明してやるよ。……ということで、さっさと支度を済ませな。これからヘキサフレアスの打ち上げがあるの。特別にだけど、そこにあんたらも招待してあげるわ」
どうやら、それが此処に来た目的だったみたいだけど、ずいぶんと思いきった事をするものだ。
その話が本当だとするなら、リッセとラウ以外の顔が見えないからこそ恐ろしかった部分を、彼女は捨てると言っているのである。そこに、メリットなんてものはないだろう。あるのはリスクだけ。
「……私達は、リッセの仲間にはならないよ?」
「そんなの知ってるわよ。あんたとあたしじゃ行動理念が違いそうだものね。こちらとしても、そんな奴は組織に必要ない。……けど、対等な友人にはなれるかもしれない。少なくとも、あんたとはなれるんじゃないかって、そう思っただけよ」
それで、どうするのか? と金色の瞳は少しだけ不安そうに揺れていた。
その殊勝さをミーアも感じ取ったか、戸惑いを見せていたけれど、でも、だからこそ口を挟むつもりもなさそうで……
「……期待してもいいの? 私、舌の方は結構肥えてるよ?」
「驚かせてやるわよ。もちろん、いい意味でね」
こちらの軽口に、リッセは弾むような声を返し、花のように笑ったのだった。
次回は二日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。




