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 瞬き一つの間に、チャンネルが変わっていた。

 目前にあったオーウェさんの姿はどこにもなく、この視界は今、途方もなく巨大な孔を映している。

 眼を逸らす事が困難に思えるほどに、禍々しくも艶やかに輝く漆黒の太陽。それは空を焦がすほどの熱をばら撒き、周囲にある幾つかの星々すらも燃やしていた。

 距離に関係なく、燃えている星と燃えていない星があるのはどうしてだろうか、という疑問が浮かんだが、残念な事に答えてくれるものは存在しない。

 ここにあるのは、灼熱に晒され赤く染まった罅割れた大地と、世界の終わりを示すような空だけ。

 もちろん、こんなものは現実じゃないだろう。

 夢を見ている。戦いの最中に? 

「……あぁ」

 そういう事かと、当たり前のように納得する。

 どうやら失神させられたようだ。その先で見るものとしては、あまりに関連性がない気もするが、まあ夢に理屈を求めても仕方がない。

 そんな事よりも、一刻も早く目覚める方法を探すべきだ。既に手遅れかもしれないが、間に合う可能性もある以上、急がなければならない。


『――その必要はないわ』


 身震いがした。

 聞き覚えのある……いや、忘れようがない聲。

 錆びついた人形のようにぎこちなく振り返り、思わず目を見開く。

「……母さん?」

 いつだったか、二人で遊園地に行った時に着ていた、フェミニンな感じの服を纏った、あまりに場違いな彼女がそこにはいた。

 どことなく冷たさを感じる亜麻色の髪も、切れ長の二重の瞳も、霞のように消えてしまいそうな佇まいも、俺がよく知っている母のものだ。

 夢なら、そんな事だってあるだろう。

 だけど違う。これはただの夢じゃないし、なにより俺を見ているその表情や視線が、決定的に彼女が母でない事も示していて――

「お前、誰だ……?」

 自分でも信じられないくらいに、憎悪を孕んだ声で出た。

 目の前の紛い物を、八つ裂きにしてやりたい衝動が溢れてくる。


『――怯える必要もない。貴方には、なにも出来ないのだから。それはとても無駄なこと』


 どこまでも優しい聲。

 母の姿から紡がれる、おぞましいほどに美しい誰かの聲。

 寒気が、憎悪の火を無残なくらいに容易く吹き消してしまう。代わりに、凄まじい虚無感が胸を埋め尽くしていく。

 まともに立っていられない。両膝から力が抜け落ちる。……憎悪という、恐怖への抗いを失った結果が、この有様なんだろうか。


『――大事な話をしましょう』


 硝子のように感情のない瞳で、それは言葉を続ける。

 ゆっくりとした足取りで、こちらに近づいてくる。

 そして、白魚のような手が頬に触れてきた。

 死体だってもう少し温かいだろうと思わせるような、冷ややかさ。


『――安全装置は無事に定着した。レニ・ソルクラウは正しく機能する。貴方が誰かに殺されることは難しくなった。けれど、油断をしてはいけない。それが表に出るという事は、貴方を裏に追いやるという事なのだから。繰り返せば繰り返すほど、どちらが主権を握っているのか、器の方が分からなくなってしまう。それは望ましくないこと。……だから、強くなって。その器のためにも、彼女の為にも』


 ……お前は、一体なんなんだ?

 もはや声すら出せない状態だったが、まだ少しだけ自由な頭がもう一度問いかける。

 すると、彼女は人形めいた無機質な表情に仄かな色を付けて――そこで、世界は再び現実へと切り替わった。


       §


 覚醒と同時に、全身に痛みが駆け巡る。

 鼻をつく濃厚な血の匂いと、荒く乱れた自身の呼吸。……手足の感覚は、幸いなことにまだ生きているようだが、果たして自分はどの程度気絶していたのか。

 いや、それ以前に今はどういう状況なのか。

 考えを巡らせる間もなく、右の足首に激痛が走った。まだ血も乾いていなかった傷口を的確に開き、アキレス健を裂いて、骨まで届く刃の感触。

「――」

 声を殺すように奥歯を強く噛みながら、俺は視線を右に走らせる。

 側面からの襲撃。相手はオーウェさんだ。

 両足が地面に着く前に逆手にもった剣でこちらの片足を潰してきた彼の行動は、すでに次の段階に移行されている。

 俺の左足の外側に着地すると同時に放たれた刺突。回避は間に合わない。容赦なく、左太腿に剣が半ばほどまで突き刺さる。

 反撃も届かない。咄嗟に右手にもっていたなにかを振り回したが、それは空を切るだけで、闇雲に振ったエネルギーを支えるはずの土台を壊していた俺は、そのまま地面に倒れ込む羽目になった。

 ……こうして、悪夢から覚めた途端に泣きたくなるくらい酷い目にあったわけだけど、どうやら悪夢に襲われていたのは俺だけではなかったようだ。

 両足を潰した相手に即座にトドメも刺さず、俺以上に荒い呼吸をしているオーウェさんの身体は、満身創痍もいいところだった。

 まず、右腕の三分の一ほどが失われている。次に、左の脇腹もずいぶんとスリムになっていた。臓器が顔を出しそうなくらいの大怪我だ。

 目に付く欠損以外にも、いたるところから看過できないほどの傷痕が確認できる。

 本当に、俺が気を失っている間になにがあったのか。

 なんにしたって、最悪のタイミングで起こされたものだ。あとちょっと眠っていれば、この身体に宿っているなにかが、勝手に決着をつけてくれていたかもしれないというのに。

 間違いなく、こうなる事がわかっていて、あの女は俺を戻したんだろう。

 ……強くなれ、か。

 じゃないと、こんな風に酷い目に合うと言いたいらしい。

 この上なく性質が悪い、まるで神話の神様のような存在。

 吐き気がしそうだ。すでに眩暈もしている。まあ、これは度重なる落雷被害が原因のような気もするが……。

「このあたりで退いてもらえませんか? もう十分でしょう?」

 なんとか身体を起こした俺に、労わるような声でオーウェさんが言った。

 ここで言葉を挟む? なんのために?

 答えはすぐに出た。息を整えているのだ。痙攣している足を立て直そうとしている。そのあたりの箇所は生命線故に大きな怪我こそしていなかったが、その分相当に酷使していたんだろう。

「同じ言葉を返しますよ」

 適当な言いながら、俺は頭の中に武器を創りあげていく。

 足が使えない以上、必要なのは長物だ。逃げの一手を取られるかもしれないから、あの死肉の塊を切り裂いた時以上のリーチが欲しい。

「状況が見えての発言ですか? 貴方の足はもう満足に動かない。躱せませんよ。絶対に」

 微かに目を細めて、オーウェさんは言う。

 と同時に、頭上に魔力を感じた。

 雷雲だ。それも、今までで一番強烈な気配がする。乾坤一擲といったところか。

「このように、すでに決着はついているのです。ですから、是非とも私の慈悲を受け取ってもらいたいものですな」

 肩を軽く竦めながら、オーウェさんは語る。

 逃げるのか、撃ってくるのか、果たしてどちらが彼にとって勝算の高い選択なのか……

「……その程度で足りますか? もし私を殺せなかったら、貴方はもう一度悪夢を見ることになる」

 五分に近いと思ったから、揺さぶりをかける事にした。

 これまで何度も彼の攻撃を耐えてきたレニ・ソルクラウの身体だ。殺せる確信はない筈だし、これで雷は使いにくくなると思うが、念のために防壁も用意するべきか……いや、二つ以上を同時に具現化することを確立できているわけでもない現状、ここで守りに入るのは愚策だ。

 そもそも相手の攻撃の方が速いのだから、どうせ防御は間に合わない。

 大体、ここまでカメみたいに守りを固めなかったのは、それをすればこちらの身動きも取れなくなるのが判りきっていたからだ。今更大きな一発にビビるなんて、くだらないにも程がある。

 僅かかもしれないけど、今、有利なのはこっちなんだ。弱気になる理由なんて、どこにもない。

 そう自分に言い聞かせ、俺は相手が動いた瞬間に合わせて仕掛けると心に決めて、

「ところで、気付いておりますかな? リリカさんたちの状況に」

 酷薄な微笑が、どうしようもなく不吉に映った。

 否応なく、リリカの方に意識が流れる。

 そこを的確について、オーウェさんはこちらに向かって地を蹴った。

 落雷でも、逃走でもなく、踏み込んできたのだ。

 意表を突かれた所為で、どうしても反応が遅れてしまう。頭の中に用意していた武器も、不要なものになってしまった。

 だが、右手にはまだ消していない武器があるし、そこまで大きく崩されたわけじゃない。

 俺は痛む左足を無理矢理立たせながらオーウェさんを迎え撃え討とうとして――そこで、再び予期せぬ事態に出くわす事になった。

 お互いの武器が交錯する寸前に横から飛び込んできた人影が、オーウェさんに組みついて決定的な衝突を回避してみせたのだ。

 もろに不意打ちをくらったオーウェさんの驚きは、俺の比ではなかったんだろう。咄嗟に剣の柄を使ってその人影に一撃を喰らわせて、

「――な!?」

 それがルハだと気付いた時の彼の表情は、驚愕に満ちていた。

 どうやら、ここには絶対に来ないという確信があったようだ。

「ど、どうして、ここに……?」

「リリカを守って! ここはルハがなんとかするから!」

 動揺に震えるオーウェさんの呟きを遮る強い声で、ルハが俺に向かって叫ぶ。

 オーウェさんの身体に、より一層強くしがみつきながら「早く行って!」と、叫ぶ。

 こめかみに喰らったのか、だらだらとそこから血を流しながらも自分の心配なんて微塵もせずに、相変わらず友人の事だけを考えている。

 そんな彼女の言葉は当然真実で、リリカの周囲には不穏な気配が漂っていた。ロクサヌとは合流できたようだが、とてもじゃないが説得できる状況にはないようだ。

 なら、ここはルハに任せるのが妥当……というよりは、それ以外の全てがきっと不正解で、

「……こっちの状態見てから、言って欲しいものなんだけど、ね」

 思わず苦笑を零しながら、俺は激痛を噛みしめ、なんとか動く左足をつかって跳躍し、リリカの元に向かうことにした。



次回の投稿は三日後の予定です。よろしければ、また読んでやってください。

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