05
その戦いは驚くほどに早く幕を閉じた。
俺たちが駆けだして、多分十秒程度で衝突の気配が途絶えたのだ。
「……どうやら荷が重かったようですね」
善戦くらいはすると判断していたのか、ミーアの声には苦さがあった。
いずれにしても、すぐに追って――
「――っ!?」
それすら甘い認識だということを痛感させるように、目前にリッセが降り立った。
殆ど反射的に足を止めて身構えてしまったところで、それが幻影だという事を理解するが、すでに致命的なロスだったようだ。
「見えてるものって怖いでしょう? 頭で判ってても咄嗟に反応してしまう。大抵の人間ってのは情報の殆どを視覚から手に入れているから、まあ当然なんだろうけどね」
背後から気だるげなリッセの声がして、目の前にあった幻影が消える。
恐る恐る振り返ると、そこには汚れ一つ負っていない彼女の姿があった。声のした方向と足音からみても、これは本物だ。
けど、それにしても速すぎる。十秒のアドヴァンテージが潰れるほどの停滞ではなかったと思うが……だとするなら、戦いなんてそっちのけで俺たちを追いかけてきていたというのが妥当な線か。
「それにしても残念な援軍だったわね。あれがテトラなら、最低限足止めくらいは出来ただろうに」
……どうやら、あの仮面の人はゼベさんだったみたいだ、と俺はその言葉で気付いた。
プライドが高そうだったし、直情的な性格でもありそうだったから、そのあたりを綺麗に突かれたんだろう。
まあ、予期せぬ乱入者が数秒稼いでくれたと考えれば、別段状況が悪化したわけでもないので、大きな文句はない。
それよりも、やはり足を止めたのは失敗だったという後悔の方が重くのしかかっていた。
オーウェさんの気配が近付いてきている。リッセが目の前にいる以上、不用意に背中を向ける事も出来ない。
「まずはその邪魔な荷物でも捨てたら? もうすぐ仕切り直しよ?」
手にしていたナイフをくるくると回しながら、退屈そうにリッセが言う。
ここで、そうだね、と同意なんてして彼を手放せばそれこそ終わりだ。もちろん、そんな手に乗るつもりはない。
「――っ、離せ!」
が、気絶から回復した荷物の方は、その提案に乗ったようだった。
突然暴れだして、自ら地面に落ちる。
その所為で微かに崩れたこちらの体勢を見て、リッセは即座にナイフを放ってきていた。
速いが反応出来ないほどじゃない。けど、これが本物かどうかも定かではないのだ。音はあるからなにかを投げてはいるんだろうけど、正確な位置や距離が不明な以上、回避はかなり大きく取る必要がある。
ただ、それをすればロクサヌとの間に致命的な距離が生まれてしまう。だから、反射的に飛び退きそうになった身体をなんとか堪えさせて、俺は目の前に身の丈以上のサイズの大盾のようなものを顕現させた。
ナイフが甲高い音とともに弾かれて、地面に転がる。
やっぱりレニ・ソルクラウの護りは硬い。というより、本来この身体の戦いは避けるよりも受ける事に特化したものなんだろう。怖いから大抵は回避の方を優先してしまっているけど、リッセ相手にはこちらの方がやりやすいのかもしれない。
とはいえ、じゃあ全身を鎧で包めば解決というわけにもいかないのが、自身の未熟さでもあった。
夢の中で、或いはこの世界に来た当初に纏っていたそれは、強固なものなのかもしれないけど、その情報は断片的で、せいぜい外から見た形だけしか把握できていなかったのだ。
要は正確な構造が判らないから具現できない。
更にいうなら、俺にはそもそも鎧の適正がなかった。現代日本で生活してきたんだから当たり前といえば当たり前なんだけど、たとえ重さを除外できたとしても、不慣れたものを着込んで上手く動ける自信なんてない。
「……結構器用そうよね、あんたの魔法も。どれくらいの範囲、どれくらいの時間、そしてどれくらいの速度で、それは行使可能なのか」
多少は警戒をもったのか、リッセが半歩ほど後退したのが音で判った。
しばしの膠着状態。
だが、依然不利なのはこちらだ。足元の荷物が邪魔過ぎる。……そういえば、映画かなにかでSPを取り扱うものがあって、協力的じゃない警護対象がいれば、どれだけ優秀な護衛でも守りきれないなんて話があったっけ。
まあ、こっちが優秀かどうかは置いておくとしても、今の状況はまさにそれだろう。
「……ミーア、他に気配はある?」
「いえ、近くにあるのは二人だけです」
「そう……」
仮にいたとしても、彼女たちほどの手練れはいない筈。
なら、怪我をしている状態のロクサヌでも抵抗くらいは出来るだろう。少なくともここに置いておくよりは安全だ。そう判断し、俺はロクサヌのベルトを掴んで、
「私達が迎えに行くまで、上手く凌いでくださいね」
その身体を、後ろ(騎士団本部がある方向に)向かって放り投げた。
コントロールできるギリギリのラインまで力を込めたから、多分百メートルくらいは軽く飛んでいったかもしれない。それでも死ぬような事にはならないだろう。その確信があっての暴挙だ。
「……驚いた。ずいぶん乱暴に扱うんだな?」
「残念なことだけど、優しくする理由がそんなになくてね」
大盾を解除し、代わりに剣を顕しつつ、リッセに言葉を返す。
「そうかよ。……まあ悪くはない手よね。あたしたちをちゃんとここで潰せるのなら、だけど」
そこで、オーウェさんが到着した。
リッセの隣に並び、微かに眉を顰める。
「どうやら出し抜かれたようですな?」
「あれ一人がいなくても問題はないわ。娘の方さえ始末してやればね。それに……ええ、憎しみというものはやっぱり、当事者たちが晴らすべきものだとも思うしね」
「それは、どういう意味?」
嫌な予感を覚えたんだろう。微かに震える声でリリカが訪ねた。
するとリッセはなぜか視線をこちらに向けて、
「あんたが泊まっていた場所にも居たのよ。ロクサヌ・エインスフィートって極悪商人を殺したくて堪らないって、はるばるここまでやってきた、あたしの個人的な協力者がさ」
と、酷薄な笑みを浮かべてみせた。
……本当、清々しいくらいに徹底している。ただ、そこに自虐的な色を感じるのはどうしてだろう?
そんな自分にウンザリしているようにも見えるのは、リリカに対して罪悪感を彼女が抱いていると、俺が思っているからか。
「……居場所は今見せてやったから始まるのはすぐだろうけど、どれくらいもつだろうな? まあ、どっちにしても死ぬところは直に見たいしね。あんたらとのいざこざは、さっさと終わらせる事にするわ」
こちらの勝手な想像を唾棄するように、リッセは大きく前に踏み込んだ。
その一歩に波打つように魔力が広がり、周囲の街灯が途絶える。――いや、違う。途絶えたのは街灯じゃない。光そのものだ。
瞬きよりもずっと速く、彼女の魔力に触れた世界から光源が消える。
それは大規模な停電にも似ていたけれど、それよりもずっと不味い。
本当に、なにも視えないのだ。
真夜中の森すら見通せたレニの眼をもってしても、なに一つ映さない。……ただ一つの例外である、彼女の、禍々しいほどに艶やかな金色の双眸を除いて。
「あたしの本気、見せてやるよ」
次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。




