04
短い夕刻が終わり、街に灯りがともっていく。
今日の夜空には銀色と金色の二つの星が顔を出していた。どちらも不吉な色合いをしている。
でも、目の前で冷たい風によって微かに揺れる朱色よりは、きっとずっと縁起のいい色だった。
「本当に宣戦布告だったわけね。こうして堂々とやってくるなんてさ」
ララノイア家の玄関の前に、リッセ・ベルノーウが佇んでいる。
黒い革製のジャケットに、鉄板でも入っていそうな厚底のブーツ。彼女を象徴する朱い髪は、後頭部の高い位置でまとめられていて、髪を簡単に掴まれないように工夫されているのが見て取れた。
完全に、荒事を目的とした格好だ。
「まあいいわ。今日は最高の日だしね。少しくらいの目障りは、半殺し程度で許してやるよ」
「出来もしない事を口にしない方が良いですよ。貴女、弱いんですから」
隣のミーアが冷え切った視線と共に言い放つ。
その手は、すでに腰の細剣に伸ばされていた。
「あぁ、そうね。あたしはラウみたいな純粋な戦闘要員じゃない。だから、ちゃんと助っ人は用意してある」
言葉の直後、リッセの隣にオーウェさんの姿が現れる。
どうやら魔法によって姿を隠されていたようだ。まあ、少し妙な気配があるとは感じていたので、特に驚きはなかった。その相手にしてもそうだ。
「私は何もしないだけ、だった筈なのですがね?」
面倒そうにオーウェさんが言う。
狙われてもおかしくない筈のルハの護りがぞんざいだった理由は、それだったみたいだ。まあ、手を組んだのが最初からなのか途中からなのかは不明だが。
「主の尻拭いは大変よね。元ルーゼの騎士団長様でも、簡単にはいかない」
「……申し訳ありませんが、そういうことなので、出来れば大人しく諦めていただきたいものですな。そうすれば死ぬのは一人で済みます」
愉しげなリッセの言葉にため息を一つ零してから、オーウェさんは腰の剣に手をかけた。
それに合わせて、俺も右手に剣を顕現させる。
どんな形であれ、一度は敗北した相手だ。ただでさえ人相手は苦手というのもあって、否応にも気は重くなる。
だけど、後ろにいるリリカが怯えながらもこの場で踏ん張っているのだ。そんな軟弱さに溺れている暇なんてない。
「……彼等が貴族に成ったところで、貴女たちに得られるものがあるとも思えませんが。まあ、仕方がありませんな。老体に鞭をうつのは避けたかったのですが」
こちらの覚悟を捉えてか、オーウェさんがため息交じりに言う。
彼の視点からすれば、それが俺たちの目的に見えているようだ。そこに付け入る隙があればいいが……リッセは、どうなんだろう? 彼女も同じように認識しているんだろうか?
その線は、意外とありえそうな気がした。
ただ、どちらであったとしても好転する要素にはならないだろう。そんな情報一つで、彼女がロクサヌへの憎悪を流してくれるとは思えない。
「世話話してるところ悪いけど、主役の登場よ。気付くのが遅すぎて嗤えるけど」
リッセが不用意とも取れるほど堂々と、こちらに背を向ける。
すると、玄関のドアが開きロクサヌが顔を出した。
「な、こ、これはどういうことだ……?」
「見ての通りだよ、お父さん?」
悪意に満ち満ちた言葉。
それで、ロクサヌにはリッセが娘に見えているというのが理解出来た。
つまり彼の目には今、二人のリリカがいるのだ。
だからこその困惑。
「自分の娘と他人すら区別つかないんだね、あんたって」
そしてそれが解かれた時に生まれたものは、驚愕と、焦燥と、憤怒。
「き、貴様ぁ! 許さんぞ! 絶対にっ! 絶対に!」
おそらくは弄ばれていたという事実に気付いてのものだと思うけど、いかんせん迫力はなかった。……というより、嗤っているリッセの空気が怖すぎて霞んでしまっていたというのが正解か。
「……今日が審査の日になったのは予定外だったけど、まあ、結果は変わらないわ。あたしが最後まであんたの娘をやって、全部ぶち壊してあげるだけだしね」
「そんな事、私が許すとでも思うのか?」
剣を抜き放ち、ロクサヌは腰を落とす。
完全な臨戦態勢だ。けれど、リッセは無防備のまま、
「あぁ、そうだ、最後に選ばせてあげるわ。大人しくあたしと一緒に行くか、娘と一緒に死ぬか」
と、優しい声でそう言った。
それが引き金となったか、ロクサヌが地を蹴る。
こちらが思っていたよりはずっと速く、鋭い踏み込み。
だが、横一線に降り抜かれた斬撃がリッセに届くことはなかった。……いや、届くはずもなかった。
完全に間合いの外だったのだ。あまりに遠い位置からロクサヌは剣を振り抜いていた。盛大な空振りだ。リッセは回避も防御もしていない。
もちろん、これは滑稽極まりないミスというのではなく、リッセの魔法による結果だろう。お互いの相対距離を誤認させられていたのだ。
そして、目の前で感情任せな大振りという隙を晒した相手に、リッセは悠然と踏み込んで、逆手に持ったナイフを右太腿の根元辺りに深々と突き立てた。
「――ぐぅ、がぁあ!」
苦悶をまき散らしながら、ロクサヌが歯を負食いしばって再び剣を振り抜く。
リッセは上体を逸らしてそれを躱しつつ、突き立てたナイフの柄に回し蹴りを打ちこんだ。
「ぎぃ、があああああ、あ、あああああ!」
悶絶必至の一撃だ。見ているこっちまで痛くなってきそうな、容赦のなさ。
ズボンが瞬く間に真っ赤に染まり、地面に血だまりを作っていく。
その液の伝う音を掻き消すように、乾いた金属音が響いた。ロクサヌが剣を落としたのだ。もはや立っている事など出来る筈もなく、彼は地面に膝に着く。
リッセは、その髪を鷲掴みにし、無理矢理顔をあげさせて、
「もう一度だけ、聞いてあげる。その惨めな足で、避けられない未来を噛みしめながらあたしと行くか。娘も同じような目に合うのを見てから先に死ぬか。さあ、どっちがいいかしら?」
「き、貴様のような下賤な輩の言う事を、私が聞くとでも思うのか……?」
涙をため、脂汗を掻きながら、それでもロクサヌは屈さない。
「だとさ。……ねえ、あんたはどうなのかしらね? これと心中する? それとも一人で生きていく?」
こちらを振り返ったリッセが、リリカを見据えながらそう言った。
驚くほどに醒めきった表情に、押し殺された声。
「お金の事とかは考えなくていい。あたしが必要なもの全部、あんたにあげる。今ここで選べば」
これが本気だというのは、多分この場にいる全員に伝わるものだった。
それくらい、そこには真剣な空気が流れていたし、祈りにも似た切実さがあった。
「……」
今までの事やこれからの事がちらつかないわけがないから、さすがに即決は出来なかったんだろう。リリカは数秒ほど黙り込んで、だけど、意を決したように口を開いた。
「お父さんを殺させはしない。貴女には負けない」
「……そう、やっぱりお膳立てが足りなかったか。それとも、元々糞みたいな歯車だったか。まあ、いいわ。そんなに死にたいってんなら、殺してやるよ、お前」
金色の瞳が爛々と輝くを増していく。
魔力が広がり、周囲の気配に不気味に溶けていく。
そして、リッセはゆったりとこちらに向かって右足を踏み出そうとして――
「――ちっ!」
甲高い金属音が鳴り響いた。
上空から飛来した短剣を、リッセが新しく取り出していたナイフで切り払ったのだ。
次いで、近場の屋根の上に降り立つ複数の気配。
「……あんたらが呼んだわけでもなさそうね。なら、イル・レコンノルンか。あの糞貴族。使い捨ての駒なんて寄越してどういうつもりなのか……って、聞いてもどうせ誰も知らないんだろうけど。オーウェ、そいつらの始末が先だ。任せるわよ?」
「まったく、人使いが荒い事ですな」
「それ以上に愚かだ。そのような老いぼれ一人で、我々を止めるなんてね」
ララノイア家の屋根の上から、声が降り注いだ。
その声を聞くまで、完全にノーマークだった気配。
リッセとオーウェさんもそうだったのか、一瞬反応が遅れて、その遅れを取り戻すようにロクサヌを無視してその場から距離を取る。
そこに、魔力の塊のようなものが叩きつけられた。
当たりはしないが、飛び散った粉塵が数秒ほど視界を遮り――
「――っ」
砲弾のようにこちらに飛んできたロクサヌの身体を、俺はなんとか受け止めた。
粉塵が潰えて、巨大な一つ目が描かれた仮面をかぶった男の姿が露わになる。屋根にいる者達も一様に同じ仮面(よく見れば、目の中に家門のような紋章が描かれている)をつけていた。
「さっさと連れていってくれないかな? 足手纏いが居てはさすがに不利なんでね」
「……感謝します。そちらもどうかご無事で」
あまり使い慣れていないけど、適切だと思った言葉を並べながら気絶した様子のロクサヌを肩に担ぎ、俺は地を蹴った。
殆ど遅れることなく、リリカを抱き上げたミーアもついてくる。
ひとまず本命は確保できた、あとは安全な場所で説得をするだけだが、それが簡単になるのか変わらず困難なのかは、イル・レコンノルンの私兵らしい彼等の実力次第だろう。
まあ、間違いなく力をもっているとは思うけど、リッセとオーウェさん二人相手にやり合えるほどなのかと問われれば、正直疑問だ。
ミーアに確認すればより正確な情報が手に入るんだろうけど、今取るべき行動でもない。
彼女がついてこられる限界まで速度をあげて、俺達は出来る限り彼等から遠ざかって――
二人の足音が完全に聞こえなくなったところで、リッセは短いため息をついた。
「……やっぱりそうか。あんた、ゼベでしょう? 一人だけどっかで覚えのある気配だと思ってたけど、なにやってんの? 貴族なんぞの側についてさ」
「そんな奴は知らないね」
仮面の奥から中性的な声が響く。
御託はいいからさっさと死ねと、左手に短剣を、右手に長剣を構えてみせる。
「そういや、あんたって真正の莫迦だったっけ? 三人組の中で一番印象になかったから、忘れてたわ。仕方ないから教えてあげるけど、人の声って結構特徴が出るのよ? まあ、それ以上に放出された魔力は特徴的なんだけどね」
「……どうせ皆殺しだよ。露見したところでなんの問題がある?」
どうやら本気でバレないと思っていたらしい。
その事実に憐憫を覚えながらも、リッセは可笑しそうにわらい、
「要はあたしが目障りで仕方がないから、そんな下手くそな偽装までしてヴァネッサの意向に逆らってるって事? 本当、幼稚よね。でも好きよ。そういうのって。……オーウェ、周りは十秒で片付けろ。こいつの相手はあたしがする。……来な、少しだけ遊んであげるわ。ええ、今日は最高の日ですもの。あたしにとっても、今日死ぬあいつらにとってもね。だから寛大になってあげる。感謝しなさいよ、天才坊や」
どこまでも甘い毒の花のような声を紡ぎながら、舞うような動作と共に手にしたナイフをゼベ目掛けて投擲し――そうして、戦闘の火蓋は切って落とされた。
四章02にて、アダラの名前がゼベになっているというミスが何か所かありました。真に申し訳ありませんでした。
次回は三日後に投稿予定です。また読んでいただけると幸いです。




