幕間2
ヘキサフレアスが首輪を繋いだ貴族の数は二十を超える。
その内の一人の屋敷の、ラウンジのソファーに我が物顔で凭れながら、リッセは今しがた届いた報せに眉を顰めた。
「攫えなかったって、どういうわけ?」
「は、はい、どうやら邪魔が入ったようでして」
と、目の前で直立不動している執事服を着た男が答える。
彼はこの家の貴族の従僕であり、リッセの部下ではないが、だからこそ絶対に逆らえない事を自覚している人間だった。
まあ、自覚していようが、どうしようもない奴はどうしようもないわけだが。
「邪魔ってさ、当たり前でしょう? なにもなくて失敗してるんだったら笑い話にもならない。あたしはその邪魔者が誰だったのかを聞いてるんだけど?」
「ふ、不明です」
「それって、こっちより先に仕掛けられたって事? それとも見ることも出来ずに不意打ちでやられたって事?」
「それも、不明です」
「へぇ、全員殺されたんだ? まあ、死人はなにも報告出来ないものね。それならあんたの酷い説明にも納得してやれるんだけど……じゃあ、死体の状態は?」
そこにしか情報がないのなら、真っ先にそれを口にするのが道理だろうに、そんな事すら出来ない。
無能な貴族は少ないが、どうしてか秘書であったり執事であったりには度し難いのが多いのは、反面教師的な意味合いでもあるのだろうか。それとも、望まぬ従属に対するせめてもの反抗のつもりか。
「ふ、不明です」
「不明、不明、不明って、そればっかりね」
うんざりした気持ちでため息を吐きつつ、リッセはこちらが誘拐するより先に、誰かに誘拐されたらしいリリカの事を考える。
この件に関しては、概ねヘキサフレアスがやることで話が通っていた。それ故に貴族が関与している可能性は低い。利害関係絡みは考えにくかった。
妥当な線は怨恨だ。ロクサヌの素行を考えれば、むしろそれ以外を考える方が難しい。だが、それはそれで、どうもしっくりこない。
なんというか、いくらなんでもこちらに届く情報がくだらなすぎる気がしたのだ。
「……ねぇ、ラウはどうしてる?」
この屋敷の連中の管理は、基本的に奴がやっていた。
だからこそ、こうしてリッセが手綱を握っている今も、奴の影響力が働いていることは十分にあり得る。
そう考えている時点で、もう結論は出ているようなものでもあったが――
「俺に、なにか用か?」
突然、背後のキッチンの方から声がした。
なにかが外から入ってきた様子はない。つまり、リッセが足を踏み入れる前から、そいつはこの室内にいたということだ。
舌打ちをしながらソファーから立ち上がり振り返ると、そこには案の定ラウの姿があった。
「感知対策までして潜んでんじゃねぇよ。気持ち悪い。大体、どうして此処にいるわけ?」
「お前が余計な殺しをしそうだったから、だろうな」
ずいぶんな物言いだ。いくら機嫌が悪いからって、こんな無害な莫迦を殺すほど見境が無くなった覚えはない。……まあ、これ以上不快なやりとりをされていたら、舌の一枚くらいは切り落としていたかもしれないが、せいぜいそれくらいである。
「……もう下がっていいわよ。そいつが隠れていた事も知らなかったみたいだし、無罪放免。よかったわね? あたしに殺されなくて」
「は、はい。あ、ありがとうございます。で、では、失礼させていただきますね」
とんちんかんに思える言葉を並べたて、頭をぺこぺこ下げて、執事の男は逃げるように部屋を出ていく。
そうして家族水入らずになったところで、
「殺ったのはお前か?」
と、リッセは刺すようなトーンで訪ねた。
死体の状態まで不明ということは、肉片すら残らないような暴力に晒されたという事だ。それが可能で、今回の奇襲を把握している者はかなり限定される。
目の前の奴は、その中の最有力候補だった。
「お前の予定より早く始末してやっただけだ。別に問題はないだろう?」
「じゃあ、当然、あんたは邪魔者が誰か知っているわけよね?」
「……あぁ、そういえば、死体からは聞けなかったな」
相変わらずの無表情で、ラウはとぼけてみせる。
瞬間、真っ赤に染まりそうなくらいに血液が滾りをみせた。それは衝動的に殺してしまいそうなほどの激情だ。
だが、それとほぼ同時に、冷たい冴えというものが思考を浸す。
昔からそうなのだが、こう、感情というものが制御できないくらいに膨れ上がると、不思議とそれを客観視する自分というものが顔をだして、冷静な視点というものを与えてくれるのだ。
その所為で、不思議なことにリッセは怒り狂っている時が一番、頭が回るという矛盾のようなものを抱えていた。まあ、毎度というわけでもないので、決定的なウィークポイントになったりする事も多かったが。
「別に、もう訊く必要なんてないわ。見当はついた。でも、どうしてあんたが余所者の肩をもつのかしらね?」
……殆ど直感めいた読みだったけど、どうやら当たりだったようだ。
ラウは動揺したりする時、わずかに重心が左後方に傾く。本当に僅かな変化だが、視覚情報に関しては誰よりも細部まで把握していると自負しているリッセからすれば、それは決定的なものだった。
そしてラウもまた、そんな姉を知っているからこそ、核心を突かれたとしてもその動揺を引き摺ることはない。
「腑抜けた音がでるようになった。あれはそろそろ寿命だったな」
「は? いきなりなにいって――」
言葉の途中で、リッセはその意味を理解した。
店でやっていたライブでの一幕だ。楽器の調子が悪かった事を物語っていた音。それを解消するためにレニ達に依頼を出したという事なんだろう。
ラウが使う楽器には特殊な木材が使用されていて外で確保する必要があるから、荒事に長けているレニを使うのは間違っていない。ただし、当たり前の話だが専門家に頼んだ方が確実だ。それをせずに、わざわざ彼女に話を振った理由はなにか……そんなもの、一つしかなかった。
「その報酬として、手を貸してるってわけ? 口実もいいところね。でも、だったら目撃者を始末する羽目にならないように、もっと上手くやらせなさいよ。莫迦らしい」
「そこまで加担しているわけでもない俺に言われても困るが。おおかた、その必要がなかったということだろう。仮に足がつかないように上手く攫ったとしても、奴等は明日には身を隠していたただろうしな。そうなれば、どの道すぐに勘付ける」
「それは、この件にもうヘキサフレアスは関与していないって、あんたが教えたからでしょう? だからあいつらは潜伏って方法をとった。さすがにあたしでも、一人じゃ隠れてる奴を見つけ出すのには時間がかかるものね。でも、それは下手をする理由にはならないわ。だって、それだったら、あの家で知らん顔をして匿ってればいいだけなんだから。あんたが嘘でもついてやれば、しばらくはそこでもよかった筈よ。どういう条件をつけたわけ?」
「別に、他に条件など付けていない。奴等が度し難いほどに迂闊なのでなければ、そこにある意図は、おそらく宣戦布告だろう。あぁ、俺も今思い当った理由ではあるがな」
「宣戦布告?」
そんな方針を、あのレニが取るだろうか?
無用なトラブルに好き好んで顔を突っ込むような類ではないと思うが……
「どちらにしても、これはお前の落ち度だ。余計な事さえしなければ、奴等は傍観者のままでいただろうに」
「あれは必要経費よ。あたしは、どんな事情があろうと、やられたままにする事は出来ないの。だから、相応のお返しは絶対にする。その結果、どう転がろうがね」
昔からずっと、そうやって生きてきたのだ。
そうしなければ、今なんてなかった。
「だから、それは別にいいのよ。あいつらと揉めるのも、ちょっと愉しそうだし、あたし一人だっていうのも丁度いいわ。そうじゃなかったら、勝負にもならなかっただろうしね。……そんな事より、あんたはどうなの?」
ヘキサフレアスはすでに用件を果たしている。
最終的にどう転んだとしても、リリカが貴族になることはない。そこから先に変化があるのは、その結果がどのようなタイミングで、どのような状況で突き付けられるかという、痛みの度合いだけだ。
それこそがなにより重要だったリッセにとっては、レニ達の横槍は我慢ならないものだったが、組織にとってはなんに痛手でもない。それはリッセも理解しているし、だからこそ組織抜きに、こうして勝手にやっているのだ。
許せないものを許さないという、個人的な都合を解消している。
ゆえに、そこに文句を言われる筋合いはないし、邪魔をされる謂れもない。
「あたしのやることに、どうして干渉する気になった? リリカ・エインスフィートに昔の自分でも重ねたか?」
「……」
ラウは無言だ。
半分くらいは図星だということだろう。
「はっ、まったく、どこまでも胸糞の悪い手紙だったわね。本当に、余計な感情ばかり抱かせて……」
今思い出しただけでも、視界が真っ赤に染まりそうだ。
反吐の出る理由で貴族に関わろうとする糞共を、グチャグチャに潰したくて仕方がない。
たとえ元凶を根絶やしにしても、その憎悪はけして消えないのだ。それこそ、貴族にならずに生きていく道を選んだ代わりに刻まれた、忌むべき呪いのように。
「……ラウ、今選びな。この場であたしを殺すか、この件から降りるか、どっちかをさ」
左手に握ったナイフの切っ先を向けて、リッセは凄絶に微笑む。
戦闘ではラウには勝てないという前提で、それでも邪魔をするなら殺し合いをしても構わないという意志を示した言葉。
もちろん、そこにブラフなんてものは存在しない。そして、それが分らない奴が、彼女の弟をやれるはずもなく。
「……お前が死んだら、ヘキサフレアスは終わりだな。俺にそこまでする理由はない。それに、どのみち奴等に手を貸すのは一度きりだ。不快な音は、もうないからな」
「そう、それはよかったわ」
ナイフを仕舞い、リッセはソファーに再び腰を下ろす。
これで一番厄介な敵は始末した。
あとは、レニ達を黙らせて、貴族なんてものに傾倒している不快の元を蹂躪し、それから……
「……あぁ、でも残念ね。あんたの所為で、リリカ・エインスフィートは大きな損失を被ることになってしまった」
蔑みを込めた眼差しをラウに向けて、リッセは嗤う。
「せっかく、特等席で見せてあげようと思っていたのにね。素晴らしい親心って奴をさ」
「……悪趣味だな」
珍しく、本気で嫌そうな声。
それに気をよくしつつ、リッセはいつかの仕返しを果たせた事に愉しげな笑い声をあげた。
「ふふ、血の繋がりを感じるでしょう? もうあたしと、あんたの二人しかいなくなった血の、ね」
次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。




