06
「三人かい?」
その宿の受付にいた男は、怪訝そうな表情を浮かべながら訊いてきた。
彼の中では、この三人である事がよほど不自然だったらしい。
「ええ、なにか問題が?」
と、俺は値段よりも少し多めのお金を差し出しながら言った。
「……いや、どうぞごゆっくり」
その金を受け取って、男は部屋番号のついた鍵を渡してくる。最上階である七階のものだった。
狭く段差のきつい階段を上って、俺たちは新しい拠点に足を向かわせていく。
「妙な反応でしたね。吐かせますか? 大した戦力でもなさそうですし、指の一、二本を切り落とせばすぐだと思いますが」
さらっとミーアが物騒な言葉を並べた。
俺はもう慣れてきているけど、列の真ん中にいるリリカにとっては軽い驚きだったようで、気配が少しだけ硬くなったのがわかる。
それに気付いたミーアが、今度はあからさまに戸惑いを見せたりして、全体的に居心地の悪い空気を提供してくれたところで、俺はため息交じりに言った。
「多分、必要ないよ。ただ珍しかっただけだと思うしね」
「珍しい、ですか?」
ミーアは本気で不可解だといった反応を見せてくる。
一方のリリカはそれでここがどういう施設なのかわかったのか、はっ、と息を呑んで、よりいっそうに気配を強張らせた。……つまりは、そういう事だ。
俺たちは長い階段を上り終えて、鍵を使い一階に二部屋しかない狭い宿の奥の方の扉を開け、中に入る。
通路やら階段やらを最小限にしている分、部屋は広い。そして室内には不必要に大きなベッドと、シャワールームがあり、枕元にはご丁寧に避妊具が用意されていた。
「……これは、なんでしょうか?」
不審なものを発見したと、ミーアはその避妊具を手にとってまじまじと観察する。
リリカの方も興味津々といった様子だったけど……まあ、そのあたりに触れるつもりはない。というか、ミーアは判って潜伏先にこの場所をチョイスしたのだとばかり思っていたんだけど、どうにも抜けているというか、色々と偏っている部分があるなと思えるワンシーンだった。
ともあれ、ここは女だけが使うとは考えにくい場所だし、もとより秘匿がマナーのような施設でもあるし、尾行などもされていなかったはずだから、しばらくはリッセの眼からも逃れる事が出来るだろう。
俺はひとまずベッドの端に腰を下ろして、一息つく。
「あ、あの、私をどうして……安全な場所についたら説明してくれるって、言いましたよね?」
あらかた部屋を把握し、そこまで変な所でもないと確信して多少は今置かれている状況にも慣れたのか、リリカが冷静な視線を向けてきた。
……こちらの都合で振り回すことになる以上、事情は全部話しておきたいところだけど、それはこのタイミングじゃない。
少し言葉を選んでから、俺は言った。
「リリカは、なにが原因でこんな事が起きていると思う?」
「それは、私が貴族になろうとしているのを、良く思ってない人達がいるからで……」
負い目を感じているのか、リリカは俯き加減にこたえる。
悪くない反応。
「そうだね。じゃあリリカは、あの屋敷にいて最後まで自分たちの身を守りきれると思う?」
「それは…………」
「オーウェさんは強い人だよ。ロクサヌさんも腕に覚えはあるんだろう。でも、リッセはそれ以上だ。私には、居場所が知られている状態でそれが出来るとは思えなかった」
「……だから、私を隠すってことですか? そうしたら、お父さんが怪我をする事もなくなるから?」
ここで父親が出てくるあたり、愛情はあるって事なんだろう。
だとしたら、あの印象の悪い男も、娘の前ではちゃんと良い父親をしている時があるのか。……なんにしても、その感情は良くも悪くも重要だった。
「そこは、申し訳ないけど絶対とはいえないかな。でも、少なくとも敵の優先事項はあの家を攻める事じゃなくなる。標的がいないわけだからね」
嫌な物言いをしているという自覚に嫌気を覚えながら、俺はリリカの様子を窺う。
迷いと不安と、不審を滲ませた曖昧な表情。
「……帰りたいなら、家まで送る。ああは言ったけど、無理にここに閉じ込めるつもりはない。まあ、こっちも色々と動く予定だから、そもそも監視できる人員がいないっていうのが理由ではあるけどね」
出来る軽い口調でそう言いながら、俺はベッドから腰を上げ外に続くドアを開けた。
リリカは十秒ほど押し黙って、ドアと俺の方を交互に見てから、
「一つだけ、条件というか、お願いがあります。それを聞いてくれるなら」
と、その場に佇んだまま、強張った声で言う。
「なに?」
「私のかわりに、お父さんの様子を見て、それでちゃんと無事なのかどうかを教えて欲しいんです。なにがあったとしても」
こちらの眼を真っ直ぐに見て……それは、どこまでも切実な面持ちだった。
嘘をつかれる可能性も、自分にそれを暴く術がない事も判った上での、あまりに無力な要求だ。
でも、だからこそ、嘘だけはつけないし、それには応えないといけないと思わせるだけの力が、そこにはあった。
「……今日はさすがに難しいから明日からになるけど、朝と夜の一回ずつ。それでいい?」
「ありがとうございます。お父さん、私がいないとほんと駄目だから、心配で」
安堵の息を零しながら、リリカは小さく笑った。
「そう、なんだ……?」
「はい。あんな偉そうにしてたりするけど、家事なんて全然できないし。料理とかだって酷くて、結局私が担当する事になって……まあ、今は家政婦さんとかいるから、大丈夫なのかもしれないけど」
懐かしむような微笑に、一転して暗い影が差し込む。
けど、それは出来るだけ他人に見せたくない痛みなんだろう。
彼女は明るさを拵えて、自分のお腹をさすってみせた。
「……そういえば、私、今日はまだ何も食べてないや。儀式の時にお腹の調子が悪くなったらどうするんだとか言ってきて。酷いですよね。夜もなかったら、むしろ痩せれそうだから、それはそれで悪くはないかもだけど」
ちらちらと、わざとらしい視線をこちらに向けてくる。
……利発な子だっていうのは判っていたつもりだけど、それ以上に、彼女は強い子だったみたいだ。その上、健気であざといとか、なかなかに凄いポテンシャルである。
そんな事を思いながら、俺は呆れるようなトーンで訪ねた。
「リリカは何食べたいの? ここで食べられるものなら、なんでもいいよ。選択は任せる」
「本当にいいんですか?」
「もちろん。今ここで一番偉いのはリリカだからね」
「……たしかに、そうですね。誘拐犯であるこちらには負い目もありますし。大抵の要求は呑むしかないでしょうね」
と、買い物を請け負うと決めたのか、今までのやりとりを避妊具を手にしながら固唾を呑んで見守っていたミーアが、場の空気を大事にするように言葉を躍らせる。
……うん、なんというか、それの正体を知った時の反応が酷く気になったけど、とりあえずその好奇心は後に取っておくのがいいだろう。リリカの注文を待つ。
「じゃ、じゃあ、広場で売っている、あの舌が可笑しくなるくらいに甘いっていう肉を食べてみたいです。トルフィネ名物なんですよね。私、まだ食べたことなくて」
「あぁ、あれか。……あれなんだ」
ファーストインプレッションで絶対に不味いって判断して、結局今の今まで口にする機会がなかった代物だが、どうやら味覚に支障が出るほどにヤバいらしい。
というか、そんなものを食べたいっていうのは、果たしてどういう心境なのか……いや、世の中には怖いもの見たさという言葉もあることだし、きっとそういう類のチャレンジ精神から来るなにかなんだろう。
なんか名物みたいだし、この機会に俺たちも一度くらいは試してみるのもいいのかもしれない。……しれないが、残念ながら今は夜である。
「でも、この時間はもうやってないかな。それに、やたらと並んでいたりする時があるから、ちょっと目立つし、ね」
「そうですか。そうなんだ……」
凄くがっかりした様子で、リリカは呟いた。
「あー、ええと、だから、この面倒事が片付いたら奢らせてもらう」
ちょっとした罪悪感に背中を突き飛ばされるように、俺はそうフォローの言葉を並べつつ、
「……うん、それも約束する。どっちも、必ず守るから」
と、彼女の父親の事についても出来るだけの事はしようって、胸の内で誓う。
大事な家族を失うのは、なによりも辛い事だから。その擦り切れても消えない苦しみを、好ましい知人が負う姿は見たくないから。
次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。




