05
「……貴女、ここがどこか理解していないのですか? それとも自分がどれだけ脆弱なのかを自覚していないのですか? まあ、どちらにしても致命傷ですが」
苛立ちを押し殺した声で表現しながら、ミーアは路地裏に引きずり込まれ三人の男たちに組み伏せられていたルハを冷たく見下ろした。
乱れた髪に、ボタンの大半を失った寝間着。片方だけの靴。抵抗したのか右の頬には青痣も出来ている。
強姦される一歩手前といったところか、概ね彼女の自業自得ではあるけど、それでもさすがに、胸糞の悪い気持ちにならずにはいられない。
「あぁ? なんだ、てめぇ――」
こちらに振り返った男の言葉を遮るように、冷たい銀色が飛来した。
けして速くはない。だがあまりに流麗でなにより見事な、間隙をつく一投。
男は防衛反応のなに一つも見せることなく、右の眼球にナイフを突き刺されて即死した。
「静かにしてください。貴方たちと口をきいているわけではないのです」
どこまでも昏い瞳で、ミーアは言う。
と同時に、もう一人の身体も地面に崩れ落ちた。仰向けに倒れたそいつの右目には黒塗りのナイフが刺さっている。どうやら、同時に二本投げていたようだ。
まったく見えなかったのは、ナイフの色による効果でもあるんだろうけど……それにしても、本当に躊躇がない。人を殺すという行為に、あまりに慣れすぎていると感じてしまうほどに。
そこに、少しだけ怖気を覚えながらも、でも忌避に到る事はなかった。
この世界にきて、そういう類に慣れてきた所為なのか、或いは元々そういったものに抵抗がない性質だったのか、どちらにしても表に出るほど重度じゃなかったのは幸いだ。
そんなくだらない倫理観で、せっかく築いた関係性に罅が入るような事態にでもなったら、笑い話にもならない。
「こ、こんな事をして、ただで済むと思ってんのか? ああ!」
一瞬で自分が不利になったと悟った最後の一人が、ルハの喉元にナイフを突きつけながら叫んだ。
どうやら人質に使えると判断したらしい。それ自体は迅速だったし適切でもあったけど、多分相手が悪かった。
「ただでは済まないのは、貴方でしょう?」
下地区に住むようになってからは常に持参するようになったらしい三本目のナイフを懐から取り出しつつ、ミーアは悠々とした足取りで男に近づいていく。
「く、来るんじゃねぇ!」
男のナイフが、ルハの喉に紅い線を生み出した。
けど、それでもミーアは止まらない。
「私の後ろにある建物が見えますか? 紫色の建物です。ここに住んでいるのなら知らない筈がないとは思いますが。私たちはあそこに住んでいます。こちらの身なりをみれば莫迦でも想像がつくとは思うのですが、つまり、ゼルマインドとヘキサフレアスの客人に、貴方たちは手を出した」
「――」
男の双眸が、大きく見開かれた。
それから二秒ほどの間をおいて、男はルハからとび退く。
「よかった、最低限の常識はあったようですね。では、貴方が楽に死ねる事を祈りましょう。この手の業界は、苦しめて殺すなんて無駄な事に精を出すのが好きなようですしね」
優しい口調でミーアは言った。
男の顔色はもはや真っ青で、身体は震え始めている。
「ま、待ってくれ、知らなかったんだ! そ、そう、こいつらが勝手に始めたことで――だって、仕方がないだろう? こんな襲ってくれって言ってるような奴前にしたら、誰だって!」
薬でもやっているのか、男の言葉は無茶苦茶だ。
まあ、そんな人間だからこそ、安易な行動に出たんだろうけど……ここで彼まで殺すつもりは、ミーアにはなかったようだった。
彼女は男の元に到着すると、その口の中に水平にしたナイフを押し入れて、
「死体は自分で処理してください。貴方たちがもって来た面倒なのですから、当然ですが。……よろしいですか?」
「……あ、ぁあ」
かちかちと痙攣する歯でナイフを噛みながら、男は小さく頷いた。
「では、早々に消えなさい。私の気が変わる前に」
ミーアが右腕を横薙ぎに払い、男の左頬を口裂け女のような有様に変える。
「――ぎぃ、ひ、あ、あああああ!」
呑み込みきれなかった恐怖と痛みを絶叫と共に吐きだしながら、男は逃げていった。
死体は放置されたままだけど、まあ、あれだけ脅されたら後で処理しにくるだろう。
とりあえず、目下のトラブルは解決した。ただ、負った傷は取り返しがつくものなのかどうか……
「……大丈夫?」
躊躇いがちに、俺は訪ねた。
するとルハはよろよろと立ち上がり、ぺっぺ、と異物になってしまった自分の奥歯を吐き捨ててから、
「そんな事、どうでもいいのよ! それよりも、契約の話!」
と、真っ直ぐに俺の方を見て叫んだ。
さすがに絶句する。もし俺たちが来なかったら自分がどういう目に合っていたのか、想像できていないわけでもないだろうに。
実際、彼女の足は震えていたし、安堵が過ぎった所為か涙と鼻水だってボロボロと溢れだしている。にも拘らず、彼女は自分の事よりも、その用件の事で頭がいっぱいのようだった。
「今すぐ契約して。リリカを助けて!」
……どうして彼女がこんなに焦っているのかは、まあ察しがつく。
十中八九、リリカ・エインスフィートの屋敷に賊が押し入った件を知っての事だろう。それでいてもたっても居られなくなって、服もろくに着替えずにここまでやってきたのだ。
「契約の件はまだ先の筈です。お引き取りください」
その背景を前にしてなお、ミーアは突き放すように言う。
「そんな悠長なことは言ってられない状況になったの! だから――」
「それは貴女の都合でしょう? 私たちには関係のない話です。それでも自分の道理を徹したいのであれば、最低限それに見合う対価を提示するべきではありませんか?」
「それは、ええと、あ、うぅ……」
冷たい正論を前にルハは狼狽を露わにするが、
「じゃ、じゃあ、何でも欲しいのあげるから! ルハのあげられるもの、全部あげるから!」
開き直ったようにそう言いかえした。
「全部って、貴女……」
あまりに安易な言動に、ミーアの表情はかなり引き攣っている。
それが怒りから来るものなのか、嘆きから来るものなのかは読み取れなかったけど、冷静さを奪われているのは明白で、気分を落ち着けようとしてか、彼女はため息を一つ吐くと共にその意識を意図的にルハから外した。
その隙を狙ったついたのかどうかは、それこそ不明だけど、見事なタイミングでルハがミーアの右足にしがみつく。
「――なっ!?」
「いいって言うまで離さないから! 何があったって、絶対離さないんだから!」
驚愕するミーアに、ルハは叫んだ。
これだけ愚直な相手と関わった事は今までなかったんだろう。ミーアの腰が引けている。
それでも相手に呑まれるわけにはいかないと、彼女はナイフを握る手に力を込めて、表情を引き締めた。
「……では、死にますか? そこの二人と同じように」
怖い声。そして首筋に突きつけたナイフ。
それは、本気である事を抱かせるには十分な脅しだった。
けど、ルハは怯まない。
「いいよ! それで言う事聞いてくれるなら、あげる!」
石にでもなったみたいに、しがみつく身体に力を込める。
或いはそれは、殺されるかもしれないという恐怖に抗うための術でもあったのかもしれない。
どちらにしても、ルハは最後まで有言実行することだろう。そういう人間だということは先日の件でもうよくわかっている。……いや、今回の件で嫌というほど痛感させられたというべきか。
「……いい加減にしてください。見苦しい。貴女は貴族でしょう? どんな背景があったにせよ、家を継いだ人間でしょう? それがどうしてこんな……」
これ以上の罵詈雑言を口に出せなかったのか、ミーアはまるで迷子みたいな表情でこちらを見た。
両者の勝負に決着がついた瞬間だ。
俺はため息をついて、
「わかった。引き受けるよ」
と、答えた。
正直、未だに乗り気ではない話だけど、でもそれ以上に彼女との我慢比べの方がしんどい事になりそうだし。
「ほ、ほんとに!?」
矢のような速度でこちらに振り向いたルハが、ややどもった声で言った。
彼女自身、これがどれだけ強引な行為かという自覚はあったようだ。
「うん。ただし、いくつか条件がある。まず、こちらがするのは護衛だけ。犯人探しはしない。次に、護衛の期間は一週間。延長の類は認めない。もし破れば……」
そこで少しの間をおいて、自分がこれから吐く言葉にちょっとした自己嫌悪を覚えながら、俺は淡々とした口調で言った。
「そうだね。私がリリカを殺そう」
「――え? な、えぇ、そ、そんなことっ!」
「もちろん破ればの話だよ。貴女が誠実な人間ならなんの問題もない。違う?」
こう言っておけば、あとになってごねられる心配はなくなる。
仮に俺がそんな事をしないと判断できたとしても、絶対に実行しないなんて保証はどこにもないのだから、その危険を孕む行為はそのまま友人への裏切りにもなるためだ。
「それで、この条件を呑むのか呑まないのか」
「……呑むよ。ルハ、嘘吐きなんかじゃないもん!」
「わかった」
と、俺が頷いたところで、こちらに近づいてくる気配があった。
オーウェさんだ。物凄く乱雑な魔力を纏っているのが判る。途中で少し速度が落ちたのも感じられた。なにかに躓いたのだ。これらの焦りは、とても演技には見えなかった。
不明瞭な点が多い人物ではあるけど、ルハを大事に思っているのは嘘じゃないのかもしれない。そんな事を思いながら、俺は言った。
「じゃあ、報酬とかの話は明日、ルハの屋敷でしようか。じゃないと、振り回された人も大変だろうしね」
次回は二日後に投稿予定です。よろしければまた読んでやってください。




