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03

 降ってきた。

 容赦なく突然に、それは熱帯雨林で発生するスコールの如き勢いで、トルフィネの街を雨音に沈めていく。

 ……忠告に従って正解だった。

 図書館からの帰り道、近くにあった店で傘を購入しておいた俺は、その内の一本をさしながら帰路につく。

 周りで傘をさしているのは俺だけだった。変な話だけど、おかげで微妙に周囲から浮いている。

 とはいえ、傘を持っているのに傘をささないというのも変な話だし、別段悪目立ちというわけでもないだろう。気にしても仕方がない。

「あぁ、もう最悪! なんで今日雨が降ってんのよ!」

 駆け足で横切っていった女性が、忌々しそうに吐き捨てる。

 若干こっちに対する恨めしさが入っていた気もしたけど、それも気にはしない。

「……どうしたもんかね?」

「まあ、しばらくすれば止むでしょ。しかし、まさか雨が降るなんてねぇ」

 飲食店の軒先に避難していた二人組の話が、ノイズ越しに聞こえてくる。

 突発的な雨なんてそんなに珍しくもないだろう、と俺が生きていた世界の人なら思うのかもしれないけど、ここでは違うのだ。

 トルフィネでは雨というものは定期的にしか降らない。水を扱えるものたちが、浄化作用をもった液体を頭上から降らせて街の清潔を保つという目的以外では、基本的に雨は許容されていないのである。

 だから多くの人にとって雨は一月に二度だけ降る現象で、傘を使ったことすらない人間だっているというのがこの街の現状だった。

 つまり、今起きているのは間違いなく異常事態ということだ。

 この雨には殆ど魔力は感じないけど、微妙に甘い匂いがする。どんな効能なのかはわからないが、触れないに越したことはないだろう。

 といっても、これだけ激しい雨を前に靴すら濡らさないというのは困難なわけで……俺もどこかで雨宿りするべきかな、なんて考え始めたところで、妙な気配を捉えた。

 まあ、それだけなら見過ごしてしまえばよかったんだけど、その場所には少し縁があった。

 契約の反故を喰らった例の物件だったのだ。神経をとがらせる事によって、複数人がその中にいる事も把握できた。

 普通に考えれば、問題を解決するための作業を業者がしているといったところなんだろうけど、モヤモヤしている部分もあったので、ちょっと確認してみようという気分に促されるまま、俺はそちらに向かって足をのばすことにした。

 それが功を奏したのかどうかは判らないが、ある程度まで近づいたところで奇妙な気配は明確な悪意へと変貌を遂げる。

 そして「なんだ、貴様らは!」という男の叫び声。

 続けて窓が割れる音が響いた。間違いなく剣呑な状況だ。しかも周りに人はいない。そういった状況で、今更無関係だと踵を返すのはさすがに躊躇われた。

 俺はため息交じりに傘を放棄して、そちらに向かって駆けだす。

 臨戦態勢と共に感覚が切り替わる。……相手の魔力はそれほど大きくない。よほどの手練でもない限りは問題ない筈だ。

 けど、その見積りが適当だという自信があるわけでもないので、一応頭の中に剣を描き、レニ・ソルクラウの魔法の準備だけはしておく。

「逃げられると思うなよ!」

 角を曲がったところで、反故物件の前で身なりのいい男が長剣を構え、腰を沈めている場面に出くわした。

 その対面にいるのは短剣を構えた襤褸姿の男だ。顔を覆面で隠していて、どちらが賊なのかは実にわかりやすかった。

 一見すると優勢なのは身なりのいい方だけど……どうやら、彼は背後の伏兵に気付いていないようだ。そこを埋めてしまえば、状況は片付くだろう。

 そう判断して、俺は屋根の上の潜んでいた伏兵の奇襲に合わせて地を蹴った。

「――な!?」

 こちらの存在にまったく気づいていなかったのか、伏兵が驚きを声に漏らす。

 その決定的な隙をついて、俺は着地したばかりのそいつに足払いを喰らわせた。

 加減はしたつもりだけど、それでもやっぱり過大な威力が出てしまったのか、伏兵は二回転も廻って地面に叩きつけられる。まあ、肩から落ちてくれたので大事には至らないだろう。足首は折ってしまったかもしれないが、動きを潰す上では妥当な一撃だ。これも特に問題はない。

「――ちっ! 退くぞっ!」

 少し離れたところに構えていた一人が声を張り上げると共に、ナイフをこちらに向けて投げつけてきた。

 反応が出来ないような速度じゃないし、当てる事が目的でもなさそうだ。

 ここは彼等の意図に乗ってしまったほうがいいだろうと、軽くバックステップをしてそれを躱し、ついでに伏兵からも距離を取る。

 すると、それ幸いにと伏兵は即座に姿勢を整えて、片足だけで大きく後方に跳躍した。

 家の屋根を越えて視界から消えていく。他の賊たちも合わせて逃げ出した。

 ……周囲に危険な気配はもうなさそうだ。俺は短く息を吐く。

 と、そこで、玄関から一人の少女が出てきた。

 ルハが見せてくれた、あの写真のような器に写っていた少女。

「お父さん!」

「私が戻るまで隠れていろと言っただろう!」

 苛立ちを露わに、身なりのいい男が怒鳴る。

「ごめんなさい、でも心配で……あの、この人は?」

 さして委縮した様子もなく、その怒りを受け流した少女の視線が俺の方に流れた。

「……くだらんお人好しだ」

 不機嫌そうに男は言う。

 まあ、別段感謝が欲しくてやったわけでもないから、それくらいなら流せたんだけど、

「一応の報酬だ。もういいだろう? さっさと消えろ」

 と言って、硬貨をこちらの足元に投げつけてきた時は、さすがにカチンときた。

「――っ、お父さん!」

 非難を露わに彼女――たしかリリカだったか、が言う。

「私一人でもどうとでもなった。薄汚い賊を捕まえたというならいざ知らず、ただ追い払っただけの輩にこれ以上与えるものなどない。そんな事より早く家に戻れ。風邪でも引いたらどうする? 中の片づけもあるんだ。余計なものに無駄な意識を向けるな」

 うんざりしたような表情で言って、男はリリカの手を掴んで家の中へと戻っていく。

「……ご、ごめんなさい。あ、ありがとうございました」

 その大人の力に微かな抵抗を見せつつ、彼女は小さな声でそう言ってこちらに背を向けた。

 なんだか非常に複雑な気分だけど、まあ、ひとまず娘の方がまともだっただけでも良しとするべきだろう。少なくとも、これでルハの人格まで疑う必要はなくなったわけだし、助けた事に後悔するようなことにもならなかったわけだし。

「……帰るか」

 地面で溺れている硬貨を一瞥して、俺もまた彼等の住居に背を向けて帰路に戻った。



次回は二日後に投稿予定です。よろしければまた読んでやってください。

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