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『土壌と血の関係について』
『色格の歴史』
『他国から見る貴族社会』
『継承と変異』
というタイトルの本をテーブルの上に重ねて置いて、俺はさっそく調べものを始める事にした。(ちなみにこれらは、貴族について知りたい事があると司書さんに訪ねたら見繕ってくれた)
自分の知識がいかに浅かったのかが分かる、専門的な用語の数々にちょっと辟易しそうにはなったけど、まあ別にこういうのは嫌いじゃないしと入門書やら辞書などを追加し、なんとか噛み砕きつつ、時間を消化していく。
その結果新たに知った事は、魔力の色というものは血筋だけではなく生まれた場所によっても影響する事であったり。色格というものが蒼という色を除いて需要によって変動する事であったり。トルフィネという都市が余所に比べて貴族同士の関係やら連携がかなり悪いこと。そして、継承という名の貴族の代名詞についてだった。
一番知りたいと思っていた部分が、まさにこの継承だ。
なぜ、ネクゥア・スクイリズとターカス・エレジーがあのような凶行に及んだのかという興味の発端を埋めてくれる要素が、そこにはあった。
継承とは言葉通り、次の世代に貴族としての価値――つまりは、特別な魔法を確実に引き継がせる技法なのだが、引き継がせるのはそれだけではなくて、先人の思想や経験なども含まれるらしい。
その所為か幼少期の貴族は精神的に不安定になりやすく、自傷や奇行を行うものも多かったみたいだ。特に長い歴史を持つ血筋の場合は、その度合いがさらに強くなり、常に自分が他人に支配されているような感覚に襲われたりもする。
つまりは自分が自分であるという自由すら損なわれているということだ。もちろん、貴族がその事実を理解していない筈もない。それでも継承は続けられてきた。……というより、そもそも継承を行わなければそれはもはや貴族ではないのだ。
都市にとって必要な能力を維持するからこそ彼等は貴族であって、一過性の存在はけして認められないのである。以前、リッセがミーアの事を「くだらない歯車女」と吐き捨てた事があったけれど、その言葉はこういう部分から来ていたんだろう。
彼等には等しく名声と地位と富が与えられるけれど、引き換えに未来への選択肢が一切ない。
生まれたその時からするべき事が決められていて、恋人を作る権利もなければ、仕事を選ぶ権利もなく、自分よりも優れた子供を産むためだけに家族を作り、それが済めば今度はその子供に何かがあった時の保険としての延命を義務付けられる。
先人の聲が強く強くそうあることを強要して、人間味を削ぎ落していくのだ。
周囲の環境すらそれを後押しするのだから、大抵は屈服するしかないんだろう。だから、反発を起こす貴族は極めて少ない。
まあ、それでも皆無じゃないのは、ある意味とても恐ろしいことであり、同時に救いなのかもしれないけど……ともかく、それがこの世界の貴族という存在の実態だった。
俺がいた世界で似ているものを挙げるとすれば、競走馬だろうか。
より速い馬を生み出すために配合を繰り返して、走るためだけの存在として扱われて……でも、この世界は彼等がいなければ都市機能が回らないわけだから、反吐の出る娯楽とは全然違うんだけど、それでもそれが一番近い存在のように思えた。
「――継承とは呪いである」
「え?」
こちらに向けられた突然の言葉に、俺は思わず振り返る。
振り返って、息を呑んだ。
喪服の如き黒衣に散りばめられた等身大の頭蓋骨たち。苦悶を上げているようにすら感じられる、リアリティな刺繍だった。
それを怖いくらい見事に着こなす長身の女性は、美しい刃物のような切れ長の瞳を細めながら、ぞっとするくらいに優艶な笑みを湛え、こちらを見据えている。
初対面の相手だ。だが、それが誰なのかは、そのあまりに目立つ要素ですぐに理解出来た。
髑髏の女。おそらくは、ゼベさんが口にしていたヴァネッサという名の彼等の頭目。
衣装もそうだが、彼女自身もなかなかに特徴的だった。
墨で描かれたような腰まで届く黒髪。それとは対照的に雪のように真っ白な肌。
眉の下で横一文字に切りそろえられた前髪から覗く瞳はどこまでも冷たい蒼で、そこには光がまったく篭っていない。
そして左手に持っている杖は、彼女の足が不自由である事を示していた。
一歩こちらに踏み出した際に、膝のあたりから、かちゃ、と金属めいた音がしたので、多分義足なんだろう。
「ネクゥア・スクイリズとターカス・エレジーはその呪いに抗い、そして敗北した。君にとってそれは他人事だったか、それとも身に詰まされるものだったか」
まるでこちらの行動原理を覗いていたとでも言わんばかりに、彼女はそんな言葉を口にして、俺の隣の席に腰を下ろし、脇に抱えていた数冊の本をテーブルの上に置く。
それから、そのうちに一冊をこちらに差し出してきた。
タイトルは『継承という名の呪い』。
「どちらにせよ、参考資料はこちらにした方がいい。主観がかなり混じっているが、こちらは貴族の長男が書いた代物だ」
硬い声質に反した、柔らかな口調。
「あぁ、それと、帰りは傘を買うといい。じきに、雨が襲ってくるからね」
彼女はどこか悪戯っぽい微笑と共にそんな事をいって、読書を開始した。
……さすがに、これだけ存在感がある人物が隣にいるというのは気が散る大きな要因だったけど、それを理由に席を立つのも失礼だろう。
それに勧めてもらった本に興味がないわけでもない。
これを読んで今日の調べものは終わりにしようと決めつつ、俺は内容を確認する。
「……」
貴族にとっての、長男や長女というものの意味。
それは一言にしてしまえば失敗作だった。
貴族は基本的に一人っ子だ。その大きな理由の一つに、継承に必要な対価の存在がある。
継承は親の核を削る事によって行われるのである。核とは心臓の中にある魔力の根源のようなものだ。それを削るということは当然、親の魔力の減退を意味する。更に言えば、二人目以降は核が欠けた影響か、継承を行った際に高確率で流産になるというリスクもあった。
つまり最初の子供に問題でもない限り、貴族は次の子供を生むことなど絶対にしないのだ。
だからこその失敗作。
この本の著者は、求められている基準の魔力に達していなかったことから兄になり、使用人にも劣る扱いを受けるようになった。
そのくせ、次男が死んだ途端にまた貴族としての扱いを受けるようになって……と、どうやらルハに近い境遇にあったようだ。
『貴族は子供を愛さない。貴族が愛するのは優れた血だけだ』
と、怨嗟のように繰り返された文章が、なんとも皮肉なのは、それでも彼が貴族として今も役割を果たしているという事実だろうか。
なんにしても、得るものの多い書物だった。
その事にお礼くらいはしておいた方がいいかもと顔をあげた時、しかし隣にはもう彼女の姿はなかった。周りの動きに気付かないほど読書に集中していたのか、或いは彼女の存在が朧のようなものだったのか……
「……まあ、いいか」
こういう気持ちを言葉にして処理しないのは、少し気持ちが悪くて嫌なんだけど、いない相手に言ったところで自己満足にもなりはしない。
俺は階段を下りて司書さんのいる一階に赴き、読んだ本を返して図書館を出る。
時刻は夕刻前。眩しいほどの白陽の日差しが肌を刺していて、とてもじゃないけど雨が降る気配はなかった。
次回は二日後に投稿予定です。よろしければまた読んでやってください。




