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第二章/貴族というもの 01

 ルハ・ララノイアの屋敷は上地区の中心付近にあった。

 二階建てで、多分地下付き。当然庭も完備されていて、結構な面積を占めていた。中地区に近い屋敷に比べて、ずいぶんと立派に見える。

 ただ、庭の手入れはあまりされていないのか、雑草が目立った。

 それに、屋敷内に人の気配も感じられない。

 貴族の屋敷っていうのは大抵使用人がいるものみたいだし、常に何人かの気配があってもいい筈なんだけど……このあたりが、あまり高貴な身分ではないというギャラリーの話にも繋がっているのかもしれない。

「オーウェ、喉渇いたぁ。いつもの欲しい」

 屋敷の中に入った途端に、ルハが甘えた声で言った。

「……その前に、お嬢様はまず身体を清めてください。あぁ、でも長湯はダメですよ。お客様がいるのですから」

「はーい」

 どこまでも気の抜けた返事と共に、ルハは駆けだしていく。

 外での印象よりもさらに幼い振る舞いに少し戸惑いを覚えるが、同時にこれが彼女の本来の在り方なんだろうという納得もできた。

「お見苦しい場面を度々申し訳ありません。お嬢様はまだ貴族らしく振舞う事になれていないので、大目に見てやっていただけると助かります」

 苦笑気味にオーウェさんが言う。

 こちらも最初の印象からはずいぶんとズレ始めていたけれど、彼の場合はまだまだその本質がどういうものなのか、窺い知れないところにあった。

「それは問題ありませんが……慣れていないというのは、どういうことでしょうか?」

 と、ミーアが躊躇いがちに訪ねる。

 するとオーウェさんは数秒ほど思案するように間をおいてから、感情を抑えた声で答えた。

「お嬢様は、長女でしたから」

「そう、ですか……」

 俺にはその言葉の意味がよく判らなかったけど、ミーアには十分だったみたいだ。

 沈痛さを含んだ、複雑な表情。

「なにか口にされますか? といっても大したものは用意出来ませんが」

 俺たちを客間に案内してくれたところで、オーウェさんが口を開く。

「いえ、お構いなく」

 まだまだ信用できる相手というわけでもないからか、ミーアはやや硬い声でそれを拒んだ。……正直、ちょっと喉が渇いていたりしたんだけど、まあ、それは帰り際に解消すればいい話だ。

「では、少々お待ちください」

 ソファーに腰かけるように仕草で促してから、オーウェさんは主が腰かけるであろう対面のソファーの脇に、ピンと背筋を伸ばして佇んだ。

「……」

 ルハがお風呂から出てくるまで、どれだけの時間がかかるかはわからないけれど、ただじっとしているというのもあれなので、なんとなしに部屋を見渡してみる。

 といっても、特に惹かれるものはない。強いて気になる点をあげるとすれば、壁紙が最近張り替えらたみたいだ、といったところだろうか。

 どうにも急ごしらえな感じがする。今まで客間としてあまり利用されてこなかったんだろう。その証拠に、部屋の隅なんかには埃が残っていたりもした。……って、こんなの気にするとか、なんだか古いドラマに出てくる姑みたいだな、なんてどうでもいい事を思いつつ時間を潰していると、勢いよく廊下側のドアが開かれた。

 大体十分くらい待ったことになるのか、俺は戻ってきたルハに視線を向けて……少しだけ、反応に困ってしまった。

 彼女は寝間着姿だったのだ。完全にリラックスモードだった。

「……お嬢様、その格好はさすがにどうかと思います」

「え? だってもうすぐ夜だよ?」

「だってじゃありませんよ。お客様がいるんですからちゃんとしてください。それと、砕けた口調も控えてください。これから交渉をするのですから」

「そんなこと言われても、もう疲れたし、それに、あれだと上手く喋れない。そっちのことばっかり気になっちゃうんだもん。だから、もう止めたの。つまんない背伸び終わり!」

 これ以上の議論は必要ないと力強い口調で言ってから、ルハは不安そうにこちらに視線を向けた。

「……終わりでも、大丈夫だよね?」

「そうですね。特に問題はありません」

 と、俺は答えた。

 するとルハは花火のような弾ける笑顔を浮かべて、オーウェさんに視線をもどした。

「ほら、やっぱりそうじゃん! こういうのちゃんとしないと引き受けてもらえないってオーウェが言うから、あんなに頑張ったのにさ! ――あ、貴女たちもそういうのしなくていいからね! ルハだけそういうのされるのも、なんか嫌だし!」

「……わかった。それじゃあルハ、本題に入ってもらってもいいかな?」

 そう言うと、ルハは「うん!」と嬉しそうに頷いてから、

「あの、そのね、初めて友達が出来たの。それでね、ええと、その子がもうじき貴族になるんだけど、それが気に入らないって人達が嫌がらせをしてきてて、だから、どうにかしなきゃって思って、でも、ルハたちだけじゃ手が足りなくて――あ、ちょっと待ってね。オーウェ、二人で撮ったやつってどこにやったっけ?」

「少々お待ちください」

 部屋の棚に赴いたオーウェさんが、中から手のひらサイズの石を取り出してこちらに戻ってくる。

 そして、その石に微量な魔力を込めて叩くと、立体映像のように等身大サイズの二人の少女の姿が浮かび上がった。

 一人はドレスを纏ったルカ。もう一人は、そばかすと三つ編みが特徴的な女の子だった。多分、同い年くらいだろうか。

 この写真に類似した機能を持つ器を使うのには慣れていないのか、三つ編みの子の表情にはやや戸惑いが見られた。

「リリカっていうんだけどね。凄く良い子なの。きっと貴女たちも好きになると思うな。だからね、助けて欲しいの」

 こちらを真っ直ぐに見て、ルハは言った。

 本当にその友達の事が好きなんだろう。言葉以上に、そこには強い想いが滲んで見えた。十分な誠意も感じられる。

 でも、さすがに心情だけで決めていい内容でもない。

「その方は、この都市の人間ですか?」

 多分、俺以上にこれが面倒な類だと理解しているミーアが、冷たいほど静かな声で訪ねた。

「ううん、シュノフから来た子だよ」

「では、先日潰えたレコン家の穴を埋めるべく召喚された人物ということですか?」

 ミーアの視線は、ルハには向けられていなかった。

 正しくその事態を把握しているであろうオーウェさんに向けて、彼女は問いかけたのだ。ルハでは話にならないと判断して。

「ええ、そうなります」

 と、オーウェさんは頷いた。

「そうですか。……他に、そちらが伝えるべき内容はありますか?」

「報酬について、くらいでしょうか」

「では、貴方の要求は果たされたということですね。我々は必要な情報を全て手にした」

「ええ、そうなりますかな」

 その肯定を聞いたところで、ミーアはこちらを横目に見た。

 条件を果たした以上、もうここにいる理由はない。早々に立ち去るべきだ……といったところだろうか。

 ただ、それを自分から切り出さないのは、こちらの意見を尊重してのことか。

 いずれにしても、今ここで決断するのは難しい話だ。

 これだってただの推測にすぎないわけで、ちゃんとミーアと話し合ってから決める必要がある。

「その依頼を受けるかどうか、少し時間を貰えないかな。正直、危険を伴うものだと思うし、すぐには決められない」

 椅子から立ち上がり、俺はルハに向かって言った。

「時間って、どれくらい?」

「それは、そうだね、三日ほど貰えると助かるかな」

 少し長い気もしたけれど、これだけであればしっかりと吟味した上で結論も出せるだろう。

「……」

「お嬢様」

 むすっと押し黙ってしまったルハを窘めるように、オーウェさんが口を開く。

 それが多分、凄く嫌だったのかもしれない。

「……わかった。じゃあそれでいいから、もう帰って」

 と、ルハは不貞腐れたように言って、そっぽを向いてしまった。その目には、うっすらと涙が滲んでいた。

 そこに罪悪感が湧かないでもなかったけど、だからとってそれだけで答えを変えるようなお人好しには、やっぱりなれそうもない。

「それじゃあ、また三日後に」

 それだけ告げて、俺たちは客間を後にした。


       §


「……ずいぶんと愚かな、許しがたい貴族だとお思いでしょうね」

玄関が見えてきたところで、外まで見送ってくれるらしいオーウェさんが言った。

「そんな事は――」

「よいのです。覆しようのない事実ですから」

俺の言葉を遮って、オーウェさんは苦々しく笑う。

「ただ、それはお嬢様の落ち度ではありません。あの方には、そういった最低限の教育も与えられなかったのです。生まれた瞬間から、望んだような血ではなかったという、ただそれだけの理由でララノイア家の汚点にされてしまった。その結果、屋敷から出る事も許されず、独りきりで過ごす事を強いられてきた。育むという行為を放棄されていたのです。そんな環境で、貴族としての教養など望める筈もない。あの方には何もないのです」

玄関が開かれる。

冷たい夜風が入り込み、身体に微かな震えをもたらした。

「だというのに、今やあの方がララノイア家の当主となってしまった。力もなく、知恵もなく、遺産だけしかない小娘が、貴族を背負う羽目になってしまった」

オーウェさんは、どこまでも穏やかに言葉を並べる。

憐憫に満ちた、優しい声。

「……どうして、そんな話を私たちに?」

躊躇いがちに俺は訪ねた。

すると彼は好々爺のような笑顔をみせて、

「それはもちろん、情に訴えるためでございます」

と、やけに流麗な口調で答えた。

夜風よりもずっと冷える、なにかが背筋を這う。

「……身も蓋もない言葉ですね」

「ですが、効く人には大変効果的です。御二方もそうであればよいのですが。……それでは、良き返事をお待ちしております」

最後に恭しく頭を垂れて、彼は玄関のドアを閉めた。

「……なかなかに、食えない人物でしたね」

正門をくぐり外に出たところでミーアが呟く。

「そうだね」

ルハの事も実際はどんな風に思っているのか、心が読みとりにくい相手なのは間違いなさそうだ。

そこに脅威のようなものでも感じたのか、

「明日は、少し帰りが遅くなると思います。仕事の後に寄りたい場所が出来ましたので」

と、ミーアはやや硬い声で言った。

もしかして、今の話の裏取りでもするつもりなのか……

「わかった。あまり遅くならないようにね」

当たり障りのない言葉を返しつつ、俺もまた明日は少し調べものをしようと心に決める。

ルハという存在を前にして、貴族というものが具体的にどういう存在なのか、興味はあれど差し迫った問題でもなかったから保留にしていた不足を、この機会に解消しておいた方がいいと、改めて思ったのだ。

ということで、明日はこのトルフィネの街で宿に次いで馴染み深い図書館に足を運ぶ事になりそうだった。


次回は三日後に投稿予定です。またよろしければ読んでやってください。

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