13
前回のあとがきを読んでくださった方、予定よりも一時間ほど遅れてしまい申し訳ありませんでした。
「……申し訳ありません。勝手に話を進めてしまって」
オーウェさんが武器の買い出しに行き、こちらから少し距離を取ったルハが準備運動のストレッチ(ドレスでやることじゃない)を始めたところで、やや恥ずかしそうにミーアが言った。
「いや、それは別にいいけど……」
「判っています。一応貴族のようですからね。怪我をさせるような真似はしません。それくらいの手加減をしても、問題のない相手でしょうし」
特に力む様子もないところから見ても、その言葉は事実なんだろう。
相手の強さって見ただけで判るのものなんだなぁ、と我ながら気の抜けた感想を抱きつつ、俺は周囲に視線を流す。
決闘という娯楽を聞いて、結構な人数が輪を作ってこちらを囲んでいた。
第三者っていうのは、本当いい気なものだ。まあ、別段それに腹が立つわけでもないけど。
「それにしても、今になってまたこのような話が舞い込んでくるというのは、ヘキサフレアスの影響力もそれほどではないと言うことなのか、それとも――」
「オーウェ! 遅い!」
ミーアの言葉を遮るように、ルハが大きな声をあげた。
彼女の視線の先には、大量の武器を両手に抱え、小走りにこちらに戻ってくるオーウェさんの姿。思えば、こちらがどういう武器を使用するかの確認もなく使いに出されていたから、あるだけの種類を買ってきたということなんだろう。
かなり重たそうで、腰も曲がっているし、ご愁傷様としか言いようがない。
「さあ、待たせましたわね。買ってきたわ! どれがいいかしら?」
自分の手柄みたいに元気よく言って、ルハはミーアを見据える。
自信に満ちた眼差しだ。先程の言葉を疑うわけじゃないけど、戦いにはそれなりに覚えがあるということなんだろう。
「では、その細剣を」
「どうぞ」
ベンチに他の武器を全て置いたオーウェさんが、丁重に細剣を差し出してくる。
それを受け取り、三歩ほど後ろに下がってから、ミーアは軽く二、三度剣をふった。
風を切る音が耳を掠める。ただそれは、眉を顰めるほどに強烈な音じゃない。というか、普通の人が棒切れをふったときと大差のないもので、凄味のようなものは皆無だった。
「私は、これを使いますわ!」
意気込みを露わにルハが手にとったのは長剣だった。彼女の肩くらいまでの長さの得物だ。それを両手に構えて、彼女は横薙ぎに払い、袈裟懸けに振り抜く。
鋭い風切り音。人間の四肢なんてたちまちに両断してしまいそうな力強さだった。
オーウェさんが買ってきたものはどれも刃を落とした訓練用のものみたいだけど、これだけの力があれば、もはやそんなセーフティは無意味な気もした。……もっとも、即死さえしなければ大抵の怪我なら治せる世界なので、実際のところ意味はあるんだろうが。
「そちらの準備はいいのかしら?」
「ええ、いつでも構いません」
「じゃあ、行きますわよ!」
腰を低く沈めて、ルハが構えを取る。
対するミーアもややぎこちない動作で、正眼の構えを取った。
両者の魔力が体内から溢れてくる。完全な臨戦態勢。
その鋭い気配に合わせて、こちらのスイッチも入ったようだ。周囲の動きが緩慢に、全ての感覚が鋭敏に研ぎ澄まされていく。
自分が戦うわけでもないのに、こうなってしまうのは、まだまだ自己制御が甘い証拠なのか、レニ・ソルクラウが元々神経質だったのか……どちらでもあるような気もするし、どちらでもないような気もする。
最近夢を見ないから、未だにこの身体のオリジナルの事を、俺はまだそこまで深く理解出来てはいなかったのだ。
ともあれ、この状態なら見落としはないだろうし、万が一の場合に動くこともできるので問題はない。少し疲れるくらいだ。
「――ええい!」
あまり緊迫感のない掛け声と共に、ルハが地を蹴った。
思わず目を見開くほどの、圧倒的な杜撰さ。
彼女はなんと両目を瞑った状態で突っ込んで、体勢が崩れることもまったく厭わずに力の限り剣を振り下ろしたのだ。
素人目でもわかる。この子、絶対人と戦った事ない。
魔力の扱いはしっかりしているのか身体能力だけは高かったけど、それだけだった。
自分から勝負をふっかけておいて、この体たらくは一体どういうことなのか? もしかして隠し玉でも持っているのか或いは油断を誘うための罠なのか、色々と勘ぐってみたけれど、多分そんなものはなさそうだという直感が、全身に脱力を連れてくる。
これは、まず負けない。決着はあっけなくつきそうだ。…………と、思っていたんだけど、決闘は吃驚するくらいに長引いた。
大振りかつ見当違いなルハの攻撃が当たらないのは当然として、ミーアの動きもまた酷いの一言だったのだ。
ほんのちょっとだけ、ルハよりはマシというくらいに攻撃の予備動作は大きかったし、なにより動き自体が鈍重だった。
結果、お互いの攻撃がまったく当たらないという事態に陥ってしまい、見事なまでの泥仕合になっていた。
「酷いお遊戯だな」
「学校の授業でやる訓練の方がマシなんじゃない?」
「あれで貴族かよ?」
ひそひそとギャラリーたちが白けた反応を届けてくる。
それで、どうしてこんな事態になったのか理解できた。……ミーアも、ずいぶんとエグイことをするものだ。
俺はまだ彼女の戦いを直接見た事はないから、彼女が実際どれくらいなのかは知らないけど、あの辛辣そうなラウが凄腕と評価していたのだ。当然、こんな動きが本来のものであるはずがない。
つまり、ミーアは相当に手加減をしている。それも、この前情報が無ければワザとだとは絶対に気付かないくらいに自然な拙さを纏って。
おかげで貴族であるルハは、本当にただの小娘を相手に接戦をするような存在だという認識を、ギャラリーに与える羽目になっていた。
それはきっと、実はとても強かった相手に負けるなんて事よりずっと屈辱的な内容だし、貴族としての面子にも泥を塗る行為になったことだろう。
もちろん、人が見ている前で自分の底を見せるわけにはいかない、という計算も働いての行いだとは思うけど……
「――あっ!?」
強く握り過ぎていた所為で握力が弱まっていたのか、ルハの剣がすっぽ抜けた。
そこに、やや遅れて、慌てたようにミーアの細剣が差し込まれる。
「これで、勝負ありですね」
「……」
喉元に突きつけられた得物を前に、ルハは息を呑んだ。
そしてじわじわと瞳に涙をためていく。集中が途切れてギャラリーの声が聞こえてしまったんだろう。
さすがにちょっとやり過ぎだ。
相手の自業自得だとしても、これは後味が悪い。
それを少しでも解消するために、どうにかしてフォローしないと、なんて考え出した矢先に、
「まだ終わってないもん!」
と、ルハは醜態を重ねた。
「私、負けたなんて言ってないし! 一本勝負とも言ってないし!」
「……どうぞ、何度でも」
額に汗を滲ませながら、ミーアはあっさりと了承する。
せいぜいあと一回か二回、現実を知らしめてやれば少女の心は簡単に潰せる、と考えていたんだろう。すぐに泣きそうになった場面なんかも、その認識に拍車をかけていたに違いない。
けど、それは大きな間違いだった。
髪を振り乱し、ドレスを惨めなほど汚し、自身の無様さで何度も地面を這う事になっても、ルハはまったくもって折れなかったのだ。
二度三度どころの話ではない。日が傾きはじめても彼女は「まだ負けていない。次やれば勝てるもん!」と食い下がるのを止めなかった。
信じられない執念。
そして「次やれば勝てる」というその言葉もまた、時間を追うごとに真実味を増してきていて、
「……はぁ、はぁ」
ミーアの息は、明らかに乱れはじめていた。
これは演技の類じゃない。はっきりとした疲労の表れだ。なまじ手加減をして戦っている事も、大きな負担になっていたんだろう。実際問題、拙く見せるということは無駄な動作を増やすという事でもあるわけだし。
「今の、ちょっと惜しかったよな?」
「あぁ、もう少し踏み込みが早ければ或いは」
長時間の観戦を楽しんでいた数人のギャラリーが、ルハ寄りの感想を零す。
当初は愚かな貴族という認識で固まっていた周りの空気も、今やガッツあふれる少女の応援へと傾きだしていた。
まあ、その気持ちは判らなくもないんだけど、少しよろしくない流れだ。
この決闘が続いているのは、もちろんルハが頑張っているからというのもあるが、それ以上にミーアがルハに傷を負わせていないというのが大きかった。
逆を言えば、決定的なダメージを与えて終わらせるという選択肢もミーアの中には残っているのだ。今はそれをしていないだけで、これ以上長引くようであれば話は変わってくる。
なにせミーアは見た目からくる印象と違って、実は結構短気だからだ。それに敵には容赦がない。
しかも、ギャラリーから漏れた情報によって、ルハが貴族ではあれどそれほど高貴な立場でもないっていうのも解ってしまっていた。
つまり、それほど大きな問題にはならないという事だ。
今更露骨に実力を発揮して打ちのめすという事は周囲の目がある以上しないとは思うけど、不幸な事故を誘発させる事は多分簡単だろうし――
「――ここまで、ですな」
何十回目かの敗北を突き付けられてなお、懲りることなく再挑戦をルハが口にしようとしたところで、オーウェさんが横槍を入れた。
もしかして、ミーアの我慢の限界でも感じ取ったのか? 或いはボロボロな格好の主をこれ以上見ていられなかったのか、どちらにしてもそれは救いの手だった。
「ここまでって、なに?」
むしろここからが本番とでも言いたげな闘志を抱えながら、ルハが眉を顰める。
「もういい時間ですし。この条件はいくらなんでもお嬢様に有利すぎます。ですから、これで終わりにしましょう」
「終わりにって、そんな事出来る筈ないでしょう! 私は遊びでやってるんじゃないんだよ!」
「それは、もちろん存じておりますし、此処にいる皆さんにも伝わっていると思います」
「だったら――!」
と、そこで、ルハの身体がよろめいた。
精神力だけで奮い立っていたけれど、身体の方はとっくに限界だったようだ。そしてそれを自覚してしまったからか、途端に両足が痙攣をはじめた。
そんな彼女をひょいと抱き上げてベンチに降ろしてから、オーウェさんはこちらに向き直り、深々と頭を下げる。
「長い時間、お嬢様のワガガマにお付き合い頂き、ありがとうございました」
不思議な話だけど、頭を下げるという行為がこうも立派に映ったのは初めての事だった。
それほどまでに、彼の所作には気品があったのだ。
「まあ、なんだ、泥仕合だったけど、悪くなかったぜ!」
「このままあと二十戦くらいしたら勝てたかもな」
娯楽の終わりを理解したギャラリーたちが好き勝手な言葉をのこして散っていく。
そうして注目が完全に失われたところで、オーウェさんは僅かに顔を上げ静かな声で言った。
「ですが、このまま終わりではお嬢様も納得できないでしょうし、熱意が空回りしたおかげで詳細も何一つ伝えられておりません。ですから、一度だけ機会を頂けませんか? レニ・ソルクラウ様と戦う機会を……」
その眼差しには、懇願の色が強かった。
主の為に、恥を忍んでといった感じだ。
「それで、その、もしこちらが勝利出来たなら、せめて最後まで話だけも聞いて頂けると助かるのですが、どうでしょうか?」
「……一度だけですか?」
少し考えた上で、俺は確認をとった。
もし、本当にそれで終わってくれるのなら、悪い条件じゃないと思ったからだ。というか、そこを落としどころにしてもらわないと困るというのが本音だったわけだけど。
「はい、もちろんでございます。再挑戦などはありませんし、今後一切干渉しない事も約束します」
「わかりました。それなら構いません。ですが――」
ルハは限界っぽいし、後日改めてということにした方がいいのではないか、と提案をしようとした刹那――喉元に冷たいものが触れていた。
驚くという暇すらない早業。
「これで、こちらの勝ちですかな?」
ナイフの冷たい感触を俺に突きつけながら、瞬き一つの間に肉薄していたオーウェさんが、穏やかな笑みと共に言った。
「貴方――!」
俺と違って反応は出来ていたんだろう、咄嗟に細剣を握っていたミーアが低い声を漏らす。
「どうか動かないでください。余計な騒ぎがようやく終わったばかりなのです。貴女様もまた見世物になるのは避けたいでしょう?」
真っ直ぐに俺の方を見据えながら、オーウェさんは言った。
絶妙な立ち位置だ。ここからだと、彼がナイフを人に向けている姿を見る事が出来るのは、突き付けられている俺だけで、現に広場にいる人たちは誰もこの事態に気付いていなかった。
「こちらの条件は先程の言葉通りです。ただ最後までお嬢様の話を聞いたうえで、お嬢様の願いを引き受けるかどうかを決めていただきたい。それ以上は何も望んでおりません。……それすら嫌だというのなら、この先に移行するしかありませんが、どうしますかな?」
物騒な言葉を並べながら、しかしオーウェさんはナイフを俺の皮膚から離していた。
元より奇襲から脅迫に繋げるつもりはなかったんだろう。これは、ただただ一つの条件を徹すためだけの無茶だったのだ。
ここまでされたら断れない。
断るには小さすぎる要求というのも、それを後押ししていた。
きっと、そこまで込みの狙いだったんだろう。あとを考えたらけして利口な手とはいえないけど、今だけを切り取ればそれは確かに有効な手段だと思うし……まあ、なんにしても、どこか頼りなさそうに見えた執事の実態は、なかなかに食えない人物だったというわけである。
「……ここで話しますか?」
「いえ、さすがにお嬢様をこのままにはしておけませんので。ララノイアの屋敷まで御足労願います」
そう言ってナイフを手品のようにしまい、老人は再び深々と頭を下げてみせた。
次の投稿は二日後の予定です。またよろしければ読んでやってください。




