御機嫌よう、転生
(推しカプの為なら悪役令嬢にだってなります1)
ヴァネッサ・マンダレイ。
父に蜂蜜のように甘く育てられ、母にお人形のように愛され、兄二人に蝶々のように大事にされた侯爵家のご令嬢。
麗しい眼差しは蜂蜜色。
麗しい御髪は夜の帳のような深い藤色。
すっと通った鼻筋に、優しく微笑む形の良い唇。頬はうっすらと薔薇色に染まっている。まつ毛は瞳を伏せれば影を落とすほど美しい。
少女人形のような体躯は、触ると手折れてしまうほど細く儚い。白魚のような手は、手荒れなど知らないかのようにしっとりときめ細かい。
誰もが羨むような可憐で麗しいお嬢様。
そして、ヴァネッサには誰もが羨むような婚約者がいる。
セウス・アルヴァレイ。
アルヴァレイ公爵家の嫡男にして、次期当主。子爵以上の当主にしか名乗ることを許されない、「フォン」を名乗れる身分のお方。
ミルクティー色の髪に、薄い昼の空のような色の瞳。瞬きをすると、まるで星が流れたように錯覚する。
瞳と同じ色のリボンで髪を結ったり結んでいるお姿は、まさに童話の中から出てきた王子様のよう。ヴァネッサの一歳年上。そんな彼にヴァネッサはメロメロだった。そして、セウスもヴァネッサを大層可愛がっていた。
まだわたくし、ヴァネッサが当時6歳になった頃のお話。
月に一回のセウス様との逢瀬を朝から心待ちにしており、お稽古や家庭教師の先生方の授業が終わると、一目散にお部屋まで駆け上がって訪問用の可愛いドレスに着替え、馬車に乗り込んだ。
いつもの様にセウス様を訪ねて、アルヴァレイ家の別邸にお邪魔したのです。
アルヴァレイ家の別邸は、それはもう見事なまでの薔薇園が広がっていてここでセウス様と遊ぶのが何より愛おしい記憶だった。
メイドを一人だけ連れ、門をくぐり広がる薔薇園を眺めていると、馬車の中まで聞こえる女の子の泣き声が耳に入った。
急いでメイドに馬車を止めるように指示して、泣き声が聞こえる方へ歩いて行くと、ひとりの女の子がしゃがみこんでいるのを見つけた。
まさしく運命。この時の衝撃は、忘れもしません。今でも鮮明に、色鮮やかに脳裏に焼き付いて離れない。
艶やかで真っ白な髪は紡がれた糸のよう。
その幼くまあるい頬。
赤く熟れた果実の色をした瞳からは大きな飴玉くらいの涙がほろほろと流れ落ちていた。あぁ、ぬぐって差し上げたい、と思い出しては手が疼く。
ふにふにの膝からは瞳よりも真っ赤な血が流れており、転けて怪我をしたのだと悟った。
鉄臭い血が、とても甘いお菓子の匂いに感じ取れた。
「お、おみぐるしいところをおみせしました。…あの、あなたさまは、だれですか?」
「ぁ、…いえ、えっとその、わ、わたくくし、は」
声まで、仕草までが天使と見紛うほどの愛らしさにマンダレイ家の淑女たるわたくしが口ごもり噛んでしまうなんて。冷や汗が止まらない。
そう、この声を一言聞いて、わたくしの奥に眠るナニかがどくんと脈打った。顔に熱が集まってきて、心臓がいたい。わたくし、どうしてしまったの?
己の体調の変化と、思考回路の変化に驚き身を固めていると、背後から聞き覚えのある声変わり前のソプラノ声が聞こえた。
「フィーナ!大丈夫かい!?」
「あ、え、セウスさまっ」
「かくれんぼをしていたらおまえの声が聞こえてね、…あ、ヴァネッサ来ていたのか」
「………セ、セ、セウス様、今こちらの方を、なんとお呼びしましたか?」
「?あぁ、ヴァネッサは初めて見るのか。
この前うちの養子として、正式に僕の妹となった、フィーナ・アルヴァレイだ。ヴァネッサの一歳下で5才。女性同士、良くしてやってくれ」
「ヴァネッサさまって…!
セウスさまのこんやくしゃの!?ご、ごきげんよう!先ほどはたいへんおみぐるしいところをっ…」
ぺこぺこと頭を下げる精巧な人形のような女の子。フィーナ・アルヴァレイ。
セウス・フォン・アルヴァレイの義妹。白く神々しい髪に、柘榴のような赤い瞳。
鈴のような声、笑顔が眩しいヒロイン。
珍しい光属性の魔法を使う。まさに聖女。
わたくしは…否、あたしは思い出した。
もう一つの、あたしの中に眠っていた人生を。掛け替えのない、保存フォルダがパンパンになっても消すわけにはいかない記憶を。
その容量の大きな記憶の衝撃で、わたくしの意識はそこで途絶えた。
ーーーーーーーー
前世、というものは本当に存在するらしい。
それは私が、夢とは思えない程の別の人生の膨大な記憶が脳へ流れ込んできて気がついた。
あたしは、ヴァネッサ・マンダレイが。
フィーナ・アルヴァレイが。
セウス・フォン・アルヴァレイが。
描かれた世界を知っている。
その物語を、ゲームを愛してた。
『セント・ザ・クロス』
乙女向けゲームで、大手企業が満を持して出した王道学園ファンタジー恋愛シミュレーションゲーム。アイドル、ヴァンパイア、天使、色々なジャンルで乙女ゲーを出していた企業だが、ここで原点回帰。王道の学園ファンタジーを出すとは、と一部界隈で盛り上がりを見せた。
最初こそ、金にモノを言わせたスチルの多さと声優の豪華さが持て囃されてた。
物見遊山でやってみたらすごかった。
フラグの分岐がえげつないほど多くて、何パーセントの確率で、好感度をどこまでて留めてたら見れる限定的な希少エンド。
誰がわかるんだ?セウスの髪紐がターコイズブルーかサファイアブルーで決まるなんて。
せめて分かりやすい色で見分けつくようにして!
同系色は見過ごすって分かっててそうした無駄な企業努力が見える!と制作者サイドの悪意が見え見えな仕様。当時は荒れに荒れた。
しかも、こんなに手込んだ悪戯みたいな仕様なのに、無理くり取ってつけたようなキャラクターのバックボーン。なんでもかんでも激重過去つければいいってもんじゃない。
こんなに文句ばっかり垂れているが、私は熱心なユーザーだと、自分でも思う。
1キャラ5個以上あるエンディングを一つ残らず集め倒して、スチルを眺めて、BGMを目覚ましにしてたくらい。
東にコラボカフェが開かれれば、行ってドリンクを飲み干し。
西に同人即売会があれば、行って推しカプの薄い本を買い漁る。
推しカプのイメージカラーのアクセサリーを自分で作っては、ニヤニヤしながら着けてた熱狂的なキモオタだった。
そんな私が今やヴァネッサ・マンダレイ。
このゲームの悪役ポジのご令嬢。
彼女が白だといえば、カラスは白になり。
薔薇は赤しか認めないと言えば、赤以外の薔薇はペンキを塗って赤く染め上げられるだろう。
そんな悪役令嬢ヴァネッサは、事あるごとにヒロインの邪魔をしてくる。どのルートに進んでもヒロインの恋の邪魔ばっかり。
推しカプの幸せに割って入るような奴、絶許マンのあたしとしてはそれこそ排除したいキャラクターの一人。イチャイチャしてるのが見たい。
それなのに私は今はヴァネッサ・マンダレイ。
私が何か悪いことでもした??
絶望の淵に突っ立っているところ、ばちりと目が覚めた。
「あっ、セウスさま!
ヴァネッサさまおきましたよ!」
「よかった、ヴァネッサ心配したんだよ?
お稽古が厳しいようだったら、無理に遊びに来なくてもいいんだからね?」
ベッドサイドから覗く二つの丸い頭。
あぁ、本物だ、と心が叫ぶ。そして、ひらめきがわたくしを襲った。
お邪魔虫のヴァネッサは、ヒロインの邪魔しかできない。ってことは、推しカプ以外のルートに入ることも阻止できるのでは?
あたしの推しカプ。
フィーナとセウスの仲を、義兄妹から恋仲にする。そしてあの伝説の名エンデング『999本の薔薇、結婚式エンド』を間近で見る。
それがあたしに課せられた宿命。
「ご心配をおかけして、申し訳ございません。セウス様、あとフィーナ様もありがとうございます」
ゆっくりと微笑むわたくしは、今最高に悪役令嬢の顔をしているに違いない。