表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

改善案

現代物を作ろう

作者: とびうお君

 あまり分析的になりすぎてはいけないとは思う。それでも軽さ以外に捕らえるべき特徴があるとするとなろうは体験的なものが重視されてる。それはリアリズムではない。ゲームによるプレイもその1つだと思う。


 漫画を読むじゃなくて、漫画の中の世界を体験する。こうすると女性向けも似てると分かる。古典的な自己投影は単純にこれじゃない。ただこれは自己投影とかなり親和性が高い。女性向けでは平成初期のドリーム小説がこれにあたる。なろうの前身とも当たるだろう。


 何故なろうファンタジーはメシものとの親和性が高いのか?なら孤独のグルメが体験型物語だからになる。


 もちろん異世界食堂のツボはテルマエロマエと同じタイムトラベルの論理を使ったものになる。有名な話ではSBの孫正義氏のタイムマシン経営が現実的で有名だろう。国ごとの社会発展の違いを利用した進んだ国から遅れた国の経営を移入する事で遅れた国での先進的な会社経営を行う手法である。


 アイフォンがちょうどこれとは違う経営を見せた孫正義の先見性の高さを見せた部分。それまでしょーもない手法で詐欺師みたいに見られていたが、そもそもそういった時代の先取りのセンスがあるから、タイムマシン経営が容易に可能だと見せた。


 決して時間の違いだけがキーではなくて、場所の違いを利用したものはすでに孫氏がやってるので直接的に理解する事が可能だろう。


 ただそれなら孤独のグルメは面白くないと言う結論になる。それは違う。あくまでより効果的に魅せるのがキーで、そうじゃない根幹の面白さがキチンとある。それを使えば必ずしもハイファンタジーと言うジャンルじゃなくてもなろう読者が求めるものは提供する事が可能。


 何故分析的になりすぎてはいけないか?と言うと、これだけ的確だと自分では思ってるが、この理念の元作った4作品が全く受けてない…。分析の間違いなのでは無いか?それは無いと思うが、異世界食堂も複合的な要素でなりたっている。同じように足りない部分があるんだろうと思う。


 その足りない部分ですべてぶち壊しはありうる。その根拠として、軽い作品ってのは、様々な要素が中途半端に絡み合ってさながらコーヒーのブレンドのような独特の個性を生み。ラーメンのスープにも似ている。分析的になりすぎてはいけ無いと言うのは、ある程度は感覚的にブレンドを試みないとちょうど良い受けるものは出来ない。


 私はそういったセンスが多分無い。


 良くまどマギはパクリばかりとエロゲに詳しい人がしたり顔で偉そうに語るが、虚淵氏の能力は様々なものをブレンドして最終的に個性を出すセンスだと私は見ている。漫画は大体こういった要素を作り出すのではなくて、ブレンドによって作られた全体の個性を楽しむものである。アニメもしかりである。


 元ネタを知ってるとつい偉そうにこれは駄目だとなるのだが、そういったものを超えた所で楽しんでる私からすると楽しみ方がずれてるとしか言いようがない。そもそも知らない人の立場で楽しむのを想像できないのか?と私は思ってる。


 さてそのXはなんなのか?を語るわけじゃない。おそらく現代物で似たようなものを作れると思っている。何故ファンタジー一強なのか?を深く追求したものが無いと思う。私はこれは内容に対する結果ではなくて、以前から選択の部分が大きいと書いている。多くの人間が面白さについて無自覚なのが悪いと思ってる。


 だから私は想像的な意見になる。ただはっきり分かってるのは、頭を使わない物語を楽しむ時は意識して理解した要素を楽しんでるわけじゃないって点。多くの人間が結果として面白いと言う感情があるだけなんだ。だから私の言及は正しく無いかもしれないが、間違ってると否定は決して出来ない。何故なら多くの人間は何故面白いのか?を明確に答えることが出来ないからだ。


 そこで選択する事がすでに内容の面白さに対して不可分になって切り離せないと思っている。以前から書いてる失望するリスクを避けてくれるものを面白いと感じるようになっている。これは良かった時を無視してる事になる。


 だがいやな事が多数でほんの少しだけまあ悪くなかったって程度なら、いやな事があまりなくて、あまり良くないなってものなら、保守的な人間は後者を選ぶ。軽い内容は失望が少ない。そこにプラス体験型物語はたいしたレベルじゃなくても楽しめるものが多い。この2つが組み合わさると高い破壊力となる。


 ここでシリアスに対する忌避まで繋がってくる。楽しみ方の違いが大きい。体験型で楽しむ時はつらいシーンや嫌なシーンが面白いだろうか?これを単純に登場人物に対する共感で見るから、過去までのシリアスとコメディの対比でしか見れない。真実は違うと思っている。自己投影と言うのはこの共感の延長として捕らえられている。


 だが実際は根本的な物語の構造がもっと違うんじゃないか?と私は見ている。ゲームのプレイヤー感覚になる。漫画の世界に入る女性向けも似たようなもの。


 そもそも女性向けの乙女ゲーも男性向けのエロゲーも物語性が強くゲームとは呼べない。物語に分岐というゲーム性が組み込まれてるだけで、あれをゲームとして見るのは勘違いする元だと思う。その点リゼロは、女性向けの乙女ゲーに対する男性向けのエロゲのゲームそのものの構造で作られている。


 どうしてリゼロが異質なのか?これで分かると思う。体験型ゲームより古典的な物語に近いので異質だという事だと私は見ている。


 こうしてエッセイを書く事で自分の小説に興味を持ってもらおうって気はさっぱり無い。多分今のままじゃ受けない。私は私より、この理念を上手く表現できる人間を探している。その人に作ってもらいたいから書いてる。なろうファンタジーの多くの部分は、現代物で可能だ。


 じゃ何故異世界でそれをやったら行けないのか?それがテンプレと言う印象の問題になる。やってる事は全く同じで良い。大事なのは印象の違い。次に異世界物は正直私から見ると回りくどいんだ。かなりの数の作品が、異世界食堂の様に洗練されたタイムマシン経営的な面白さが足りない。その部分が薄くなるほど、根っこの孤独のグルメの体験型物語の方が強くなってくる。


 結局先入観でファンタジーってジャンルがブランド化してるため、最初から選択し無い読者によってそういった質の低さを避けようとする動きが全く無いのが問題だと思っている。


 現代物でメシモノをやれと書いてるわけじゃない。そんなものは溢れかえっていて飽き飽きしてるから同じロジックで作れるものが多分あるだろう?と見ている。何故これが軽いのか?で体験型や自己投影が絡む物語は、勝手に嫌な事を避けるのが面白くなるように出来てるんだ。


 確かに今シリアス忌避は時代の流れだと思うし、陳腐化してるのが一番の問題だと思っている。だが、なろう作品がアニメで受けずに、異質なリゼロがアニメで受けるのは、多分アニメ側の目の肥えた評価者は、見てしまってるんだと思う。なろう作品は見るじゃなくて、やるの面白さのものになる。


 なろうの多くの作品は、単純な孤独のグルメではない。数多くのブログネタである、やってみた系のDASH村に似た構造を持ってるものが多数ある。


 さてここでゲームを後ろから見てるようなつまらなさと言う批評がなろうファンタジーにはある。いかにも自分はなろうが分かってるように書いてるが、これも嘘八百である。実際何も分かってない馬鹿な言及。なろうファンタジーはだからってゲーム直接ではない。ゲームと物語が綺麗な形で融合している。


 なろうファンタジーはプログラムできない。ここにキーがある。なろうファンタジーは良い意味で嘘なんだ。その嘘を巧に物語ベースに落としこんで面白さにしている。否定的な言及に的外れの底の浅い知ったかぶりばかりで、ろくなものがほとんど無い。これが私がテンプレ批判を馬鹿にしてる理由になる。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ