鋼の精神
俺はコンクリートむき出しの床をへこむほど強く蹴り、敵に向かって走り出した。
それとほぼ同時に、三人の敵の内、二人が前へ出る。
一人がナイフで切りかかってきた。それを、俺は左腕で受け止めた。
ナイフの刃を生身で受け止めれば、重傷を負うことは免れない。だが、俺の左手に当たったナイフの刃は、俺の手を切り裂くどころか、鈍い金属音を響かせながら、五メートル程先へ飛んで行った。
「......なんだ!? このガキ......!?」
ナイフを持っていた男が、驚きの声を上げる。
そこで初めて、彼らは俺の手に起こっている異変に気づいたようだった。
俺の両手は、血の気のある肌の色ではなく、冷たい金属のような黒い色をしていた。
そう、これが俺の能力、鋼の精神 、自分の体の一部を金属のように硬くすることができる能力だ。
「くそっ! こいつ、魔法使いか!」
ナイフを持っていた男がそう叫んだ。この反応には違和感を感じる。
明らかに、理解するのが早すぎる。普通の人間は魔法を直接見ることなんて経験がないはず。だから急に魔法を見せられても瞬時にそれが魔法だと判断できるとは思えない。
普段から、魔法を身近で見ていなくては、ここまで瞬時に理解することはできないはずだ。
やはりこいつら、ただの宗教団体じゃない、と確信した。
ナイフを持っていた男の方に気をとられている内に、もう一人の男が、金属バットを振り上げて、突進してきた。
男は俺の頭をめがけて躊躇なくバットを振った。
振り下ろされたバットを、両腕で受け止める。足の指先までビリビリと痺れるような衝撃が走る。
「ぐ......っ!!」
歯をくいしばってこらえ、バットをはじき返す。
「ぬぉっ......!?」
男は大きく仰け反り、その手からバットは離れ、飛んでいき、ビルの窓を突き破って行った。
大きくスキをみせた状態となった男の腹に、金属の腕で、全力のパンチを叩き込む。
「ぐぁっふっ!!」
もろにパンチをくらった男は、その場に崩れ落ちていく。
「こ......この野郎!」
ナイフを持っていた方の男が飛びかかってきた。
俺はその男の腕を掴み、飛びかかってきた勢いそのまま投げ飛ばした。
金属化している腕の重みで反動をつけられ、男は大きく投げ飛ばされた。
勢いよく床に激突した男は、そのまま気絶したらしく、起き上がることはなかった。
「ほぉ......まさか魔法使いとはな、それになかなか戦闘力の高い能力だ」
残り一人となった敵が言った。黒のワイシャツを着て、腰には日本刀のようなものを携えている。
こいつは明らかにチンピラみたいな他の二人とは違う雰囲気だ。
(刀か......うかつに間合いに入ると危険だな)
そう思いつつ、間合いを図りながら、ジリジリと距離を詰めていく。
「腕を硬質化できる能力なのか」
敵は、棒立ちしたままそう言った。
その瞬間であった。決してよそ見をしたわけでも、油断していたわけでもない。
やつの動きに全神経を集中させていた。にもかかわらず、気づいた瞬間には、やつの刀は、俺の体を両断しようと、右脇腹のすぐ近くまで迫っていた。
「......!?」
驚いている暇はない、このままでは、次の瞬間、俺の上半身と下半身がバラバラになることになる。
「鋼の精神ッ!!!」
俺の左手が黒から、赤みのある肌色へと戻る。そして、右脇腹付近を瞬時に硬質化させた。
ガキン、と鈍い金属音が鳴り響き、俺は五メートル近く吹っ飛ばされた。
「ガフッ......!」
強い衝撃が全身を走ったが、すぐに体勢を立て直す。
「なるほど、手以外も硬質化できるのか。だが、左手の硬質化を解いたところを見ると、同時に2カ所までしか硬質化できないようだな」
恐ろしく冷静な分析、今の一撃で俺の能力の特性は、ほぼ完璧に見切られた。
「ふぅ......」
深く息を吸い、右脇腹の硬質化を解除し、左手を再び硬質化する。
おそらく、やつのさっきの斬撃は、様子見といったところだろう。スピードもパワーもまだまだ全力では無さそうだった。
考えたくはないが、戦闘開始からまだ一分ほどしかたっていない。レガールが、キルケの活動記録のデータを全てコピーするまでかかる時間は五分。
つまり、あと四分、俺はあのスーツ姿に日本刀という不釣り合いな格好をした悪人ヅラの男を、相手にしなくてはならない。
「今時日本刀で戦うやつがいるとはな」
話しかけて時間を稼ぐことを試みる。
「日本刀は武器として非常に合理的だ。俺のスタイルにも合う」
俺の話には答えながらも、やつは一切のスキをみせない。
こちらがスキをみせれば、会話中だろうがなんだろうが容赦なく叩き切ってくるだろう。そうだとすれば、やつに話しかけ続けるのは俺にとって、自分にスキができるきっかけでしかない。
のこり三分三十秒、やつと真っ向勝負するしかない。
俺は、まくっていた袖を下ろした。
さっきまでは、服が切れることを少し気にしていたが、右脇腹の部分が大きく裂け、もうそんなことを気にしている余裕もなくなった。
実質まだビルの中に侵入しただけの俺を、さっきの二人含め、完全に殺す気で攻撃してきている。こちらの目的を把握した上でのことだろう。
それはつまり、レガールがコピーしようとしているデータは相当知られたくないものだという事になる。
「ここでやられるわけにはいかねぇな......」
思わず口に出してしまった。
やつにも聞こえただろうが、特になんの反応も示さなかった。
おそらくやつは、こっちの目的が時間稼ぎであることに気づいている。このまま何分も睨み合いを続けることはできないだろう。
ならば、あの超高速斬撃を受ける前に、先手を取るべきだろう。
その考えに至ったと同時に、地面を蹴り、やつへと一直線に突っ込んだ。やつは顔色一つ変えず、刀を構える。
その間合いに入る直前、急ブレーキをかけて止まる。それと同時に、被っていた帽子をやつに向かって投げた。
俺とやつの間の空間に、ふわりと帽子が漂う。
そこで生まれた死角を利用し、やつの間合いに滑り込む。
やつは帽子を左手で振り払った。いくら帽子で死角を作ったとはいえ、やつの刀をくぐり抜け、拳を叩き込めるほどのスキを作れたわけではない。
どうしても斬撃一発分、こればっかりは防ぎきるしかない。
やつは、刀を振り上げ、斬撃の構えを作る。俺も、右手を振りかぶり、攻撃の構えを作った。
「鋼の精神ッ!!!!」
やつが俺の体のどこを攻撃してくるのか、その読みを外せば、間違いなく致命傷を負う。
さっきのように、相手の斬撃を見てから瞬時に硬質化する、なんてことをするヒマは与えてくれないだろう。
俺は今、右拳で打撃を繰り出すために、大きく右半身を引いている。そのため、右半身を切られる可能性は低い。
とすると、やつが攻撃してくる可能性が高いのは、首、もしくは左脇腹あたりだろうか。
同時に硬質化できる箇所は二箇所。打撃する右腕を硬質化するなら防御に使えるのは一箇所だけ......。
(左脇腹に賭けるか......? いや......それで防ぎきれるか......?)
考えている時間はない、コンマ数秒にも満たない一瞬の後に超高速で刀が振り下ろされる。
その刹那、俺にはやつがニヤリと笑ったように見えた。俺を馬鹿にするような、勝ち誇ったような笑み。
次の瞬間、意識がかろうじて、俺の左足に迫る刃を視界に捉えた。
右半身を大きく引き、右手でパンチをする体勢をとっているため、左足を引くことはできない。
やつの刀が俺の左足に当たり、膝から下を完全に切り落とした。
......かと思われた。少なくともやつは完全にそう確信していたはずだ。
だが、やつの刀は、俺の左足に当たり、金属音を響かせながら、大きく弾かれた。
「......足を、硬質化しているだと!?」
やつが驚きの表情を浮かべた。
このスキを逃さず、俺は大きく引いた右半身を、勢いよく前に引き寄せ、渾身のパンチを繰り出した。
俺の右拳は、無防備になったやつの脇腹をとらえた。
「ぐっ......!?」
すぐに、やつが体勢を立て直すので、刀の間合いの外まで後退する。
やつは息を乱しながらも、すぐに刀を構え直した。
「このパンチ......なるほど、そういうことか」
やつがニヤリと笑った。
「随分と軽いな、このパンチ。腕を硬質化せず、その分を防御にまわしたというわけか」
やはり、硬質化せずにする打撃では、あまりダメージを与えることはできなかったようだ。
「さっき、袖を下ろしたのは、腕を硬質化していないのを隠すためか。腕を硬質化していると見せかけ、俺の攻撃が下半身に行くように仕向けたのか。そして、右半身を引くことで、攻撃を左半身のみに限定させ、二箇所の硬質化を全てそこに使うことで、ダメージを受ける確率を限りなくゼロに近づけたというわけか」
全て正確に分析されている。二度と同じ手は通用しないだろう。
「しかしどうする? それでは、攻撃力が大幅に下がるぞ? それともまだ何か秘策でもあるのか?」
やつが俺を挑発するように言った。
「さあ、どうしようかね」
なるべく、落ち着いて、余裕を見せられるように言った。
もうやつの刀をかいくぐって攻撃できる方法が思いつかない。
次のやつの斬撃を回避できるかどうかもわからない。
その時だった。
「貴様ら! そこで何をしている!」
階段の方から男の声がした。
やつが声のした方に顔を向ける。
しかし、そこには誰もいない。
俺は両手で強く耳を押さえた。
その次の瞬間、ビルの全ての窓ガラスにヒビが入るほどの、破壊的な音が炸裂した。
やつも両手で耳をふさがずにはいられない。
そのスキに、ヒビが入った窓ガラスを蹴破り、外へ飛び出した。
外に停めてあった車の上に着地して、衝撃をやわらげる。
「こっちだ、リュート!」
そこには、レガールがすでに待機していた。
俺はレガールにつづいて、そのビルから離れた。
チラリと後ろを振り向いたが、どうやら人目につくのを避けたのか追っては来なかった。
「危なかったね、リュート。まさかあんなやばいやつがいるとはね」
レガールはニコニコしながら言った。
「さっきの、階段から聞こえた声はお前か?」
「うん、ボクの能力は、声も自由に変えられるからね」
「万能だな、それでデータは?」
「うふふ、バッチリにゃ!」
奇妙な喋り方をしながら、レガールはポケットからチップのようなものを取り出した。
「これに全部コピーしたよ、ゲンゾーの事務所に行って確認しよう」
レガールはニコニコして、軽くスキップしながら進む。
こっちは命がけで戦った直後だというのに、あのテンションで喋られるとこっちの調子が狂う。
しかし、あの刀使い、それに他の二人も、明らかに魔法を見慣れているようだった。
「ヤバイ組織にケンカうっちゃったんじゃないかなぁ」
ため息まじりに言う。
「それも、全部このデータを見ればわかるにゃぁぁ」
「......お前、その喋り方どうしたんだ?」
「嬉しい時は、語尾が緩むと言うか、気が抜けてそういう風になっちゃうんだよ」
「嬉しい時って、こっちは死にかけてるんだけど!?」
「まぁまぁとにかく、早くデータの確認をしよう」
命がけの戦いの直後だというのに、レガールの能天気さには調子が狂わされる。
まぁ結果的にはレガールに助けられたし、なんだかんだ言っても仕事はキッチリこなしているから文句は言えない。
そうして俺たち二人は、データの確認をするため、ゲンゾーさんの探偵事務所へ向かった。