科学と魔法
近年、科学はすさまじい速度で発展している。
それに対し、魔法はかなり遅れを取っているといえるだろう。
科学は、技術さえ確立してしまえば、専門知識のない人間でも容易に扱えるが、魔法は、扱えるようになるまでに、時間がかかる上に、全員が同じ能力を得るわけではなく、その能力は才能、性格に影響される部分が多く、自分の思い通りの能力がつくという保証はない。
つまり、極めて扱いづらく、不安定なものであるといえる。
しかし、その分ハイリターンでもある。
能力が型にはまれば、その力は科学の力を全く寄せ付けない絶大なものになる。
世界各地の紛争地域では、たった数名の魔法使いによって大量の最新兵器が撃破されたという例もある。
圧倒的な力を持つ個人というのは、残念ながら現代社会においてスーパーヒーローにはなり得ない。
人々は彼らを恐れて、一部の国では魔法使いを抹殺する動きがあるとも言われている。
しかし、彼らとて人間である以上は人権が保証されるべきである。
そのうえで我々は────────
少年は、大きくため息をつきながら読んでいた本を閉じた。
加賀 真帆 著 の『現代における魔法』という本だ。
少年の名は白波 龍斗、高校2年生であり、数少ない魔法使いの1人である。
魔法使いは、この本の通り社会的にはあまりいい印象をもたれておらず、この少年も自身が魔法使いであることは隠している。
少年は椅子から立ち上がると大きく伸びをした。
「さて、そろそろ帰ろうかな」
龍斗がいるのは、通っている高校の図書室だ。割と古くからある学校で、図書室の蔵書量も多い。
椅子の横に置いてあった鞄を手に取り、図書室の出口へ向かった時、後ろから声をかけられた。
「あら、あなたが図書室にいるなんて、珍しいわね」
振り向くと、そこには長い黒髪を揺らしながらこちらに歩いてくる女性がいる。
「珍しく今日は本が読みたい気分だったので。青島先輩こそ、なにか調べ物でも?」
「私はあなたと違って日ごろから読書する習慣があるのよ」
少し見下すような口調で、彼女は答えた。
彼女の名前は、青島 つぐみ、高校3年生で、生徒会長を務めている。
「リュート君も、もっと本を読んだ方がいいわ。成績も上がると思うわよ」
「......そうですね、まぁ考えときます」
目を合わせることなく答えた。
「......全く読むつもりないでしょ」
龍斗の顔を覗き込むようにして、彼女は答えた。
「うぅ......カンベンしてくださいよ。ちょっとこれから用事があるんですよ」
「あら、逃げるつもり?」
彼女は、少し笑みを浮かべながら言った。
「冗談よ。用事があるのはいいけど、ちゃんと宿題もやりなさいよ?」
「わかってますって」
龍斗は苦い顔を浮かべて、図書室をあとにした。
図書室前の廊下を歩きながら、龍斗はこんなことを考えていた。
(青島先輩が...俺が魔法使いだと知ったらどう思うだろうか......。今まで通りに接してはくれないだろうな......。)
魔法使いにとって、自身が魔法使いであるということは、社会的地位を守るために、絶対に守秘しなくてはならないものになっている。
そのため、魔法使いは人前では能力を使わないのが暗黙のルールだ。
しかし、己に与えられた能力を最大限に生かそうと考える者もいる。
「だから、わかったっつってんだろ!」
「いーえ! わかってません!」
さっきの高校から少し離れたところに建つビルの一室に、俺、白波 龍斗は来ていた。
今、俺の眼の前では男女が激しく口論しているが、まぁこんなことは日常茶飯事だ。
「まったく......二人とも、またケンカですか?」
わざと大きくため息をつきながら言う。
「ああ!? おおリュート! ちょうどいいや、ちょっと聞いてくれよ!」
「お断りします」
「でぇ!? なんでだよ!」
さっきからいちいちリアクションのデカイこの人の名前は、黒岩 玄蔵、無精ヒゲを生やした、筋肉質なおっさんだ。
「二人のケンカに関わるとロクなことがないので」
半分笑いながら答えた。
どうせまた、ものすごくしょうもないことでケンカしているのだろう。
「何度も言ってるじゃないですか! いい加減この山積みの書類をなんとかしてくださいよ!」
「わかってるって! 今やろうとしたんだよ!」
「またそんなこと言って! 昨日も同じこと言いましたよ!」
この二人はいつだってケンカしている。
さっきから、怒っている女性は、緑川 栗、[栗]と書いて[リツ]と読むらしい。
メガネをかけた、いかにも仕事できます、って雰囲気の人だ。
ケンカするほど仲がいいっていうし、なんだかんだ二人は長い付き合いのようだ。
「やれやれ......これは......あの時のやつか」
どうやらゲンゾーさんの方が折れたらしい。おとなしく書類整理を始めたようだ。
ゲンゾーさんは、リツさんと二人で探偵事務所を営んでいる。
俺はそれをたまにバイト感覚で手伝っているのだ。
ただし、探偵事務所といってもただの探偵事務所ではない。
実はこの二人、俺と同じ魔法使いなのである。自分たちの能力を最大限生かすためにこの仕事を始めたらしい。
俺も、ここでなら自分の正体を明かすことができて、気が楽だ。
とはいえ、これは非常にリスクの高い仕事でもある。自分たちが魔法使いだということが知れれば、依頼も激減してしまうだろう。
そうなれば、この二人は仕事を失ってしまう。そのリスクを承知の上で、二人はこの仕事を選んでいるのだ。
そう思うと、眼の前でウダウダ言いながら書類整理しているおじさんも、尊敬できる人物だと思う。
その時、事務所のインターホンが鳴った。
「ん、客が来たみたいだ。そういやもうこんな時間か。リツ、中に入れてやれ」
リツさんがお客さんの対応をしに行った。その間にゲンゾーさんは、書類の山を机の後ろに押し込めた。
「これ、そっちから見えないよな?」
「大丈夫です、ほとんど見えません」
いくらなんでも机の上の書類の山を見れば、誰だって依頼したいとは思わないだろう。
「どうぞ、こちらへ」
入ってきたのは、メガネをかけたサラリーマン風の男だ。
背がスラッと高くて顔には営業的な笑みを浮かべている。
リツさんがお客さんを通し、チラリとゲンゾーさんの方を見た。
書類の山が消えているのを確認すると、お客さんをソファーに座らせ、お茶を入れに行った。
「さて、あなたが昨日電話をくださった坂本さんですか?」
「はい、どうぞよろしくお願いします」
なんだか奇妙な感じだ。
探偵事務所に依頼に来る人というのは、たいていどこか落ち着かない雰囲気を漂わせている。
探偵に依頼しなきゃならない心配事があるわけだから、まぁ当然だろう。
でも、この人は妙に落ち着いている。
「さて、さっそく本題に入ってよろしいですか?」
坂本という依頼人が言った。ゲンゾーさんはうなずく。
「あなた方に依頼したいのは、ある団体の調査です」
「団体......と、言いますと?」
「こちらです」
坂本さんが、なにやら書類を取り出し、ゲンゾーさんの前に置いた。
それを見たゲンゾーさんの目が鋭くなった。俺も横から書類を覗き込む。
「その団体について、ご存知ですか?」
坂本さんが訪ねた。
「いや、まったく、聞いたことがないですな」
ゲンゾーさんが答えた。嘘をついていることが、横からでもわかった。
「では、ご説明しましょう」
坂本さんは、かけているメガネを触りながら言った。
「そちらに記載した、【キルケ】という団体は、表向きには、ただの宗教団体ですが、裏では暴力団や汚職政治家との繋がりをもつ犯罪集団であるとの噂があります」
坂本さんは、ゲンゾーさんの目を見ることなく、少し早口で言った。
「私の友人がそれに参加しているのですが、彼は騙されているのではないかと心配になりまして、脱退することを勧めたんですが、確かな証拠もないので説得することが出来ませんでした」
「それで我々にその証拠を掴んでほしい、と?」
「その通りです」
「警察に相談した方がよろしいのでは?」
「噂だけでは、警察は動いてはくれないのです」
「なるほど、それで我々に......」
リツさんがお茶を入れて戻ってきた。
坂本さんの前にお茶を置くと、俺とゲンゾーさんの後ろで立ち止まり、さっき坂本さんが見せてきた書類を覗いていた。
俺の後ろにいるので、表情はわからない。
「どうです、引き受けてもらえますかな」
坂本さんは、リツさんが運んできたお茶をチラリと見たが、手をつけることなく話を続けた。
「......いいでしょう、報酬に関しては、掴んだ証拠の内容によって、また相談しましょう」
「よろしくお願いします」
そういうと、坂本さんは、足早に事務所を去っていった。
「リツ、どう思う?」
ゲンゾーさんが、書類を見たまま、後ろのリツさんに訪ねた。
「正直、怪しいですね。明らかに彼は嘘をついていると思います」
「お前もそう思うか、しかし断れば、どう動くかわからんからな......」
二人とも、【キルケ】という団体について、思い当たる節があるらしい。
「キルケってのは、さっきあいつが説明した通り、かなり怪しい宗教団体だ」
ゲンゾーさんは、困惑する俺に向かって説明を始めた。
「ただし、あいつが言ってた噂の他に、もう一つ、キルケには怪しい噂がある」
「怪しい噂......?」
「魔法使いで構成された犯罪組織ではないか、という噂だ」
「魔法使い......!?」
魔法使いで構成された犯罪組織、もしそれが本当なら驚くべきことだが、もっと危惧するべきなのは......。
「問題は、その調査を俺たちに依頼したということだ」
ゲンゾーさんが厳しい顔をして言った。
そう、問題はそこだ。
相手が魔法使い集団なら、ただの探偵事務所の手に負える案件ではない。
しかし、ウチは魔法使いによって構成された探偵事務所。ウチならなにか情報を掴めるかもしれない。
しかし、坂本さんがそれを知った上でウチに依頼してきたとするなら、俺たちが魔法使いであるということを、坂本さんが知っていたことになる。
「彼がどこまで私達のことを知っているのかはわかりませんが、この依頼に裏があることは間違いなさそうです」
リツさんが不安そうな表情を浮かべながら言った。
「さて、どうするべきか......」
ゲンゾーさんはアゴに手を当て、悩み始めた。
考えられるパターンはいくつかある。
まず、坂本さんが、俺たちが魔法使いであるということをどこかで知って、純粋に俺たちに頼ってきたとするパターン。
これだとするなら、どこから情報が漏れたのか、という疑問は残るが、この依頼自体には裏がなく、坂本さんは純粋に友人を助けたいだけであるということになる。
次に、坂本さんは俺たちが魔法使いであることなど全く知らず、ただ、たまたま俺たちに依頼してきただけだというパターン。
これなら問題はないだろう。
問題は次のパターン、坂本さんは俺たちのことを知っていて、魔法使い集団同士をぶつけることで、何かを企んでいるとするパターン。
これだとするならかなり危険だ。坂本さんがキルケと繋がっているという可能性も出てくる。
「どちらにせよ、キルケの情報を集める必要がある」
「情報収集なら、私の出番ですね」
リツさんがゲンゾーさんの方を見ながら言った。
「ああ、よろしく頼む。それと、あいつも招集してくれ、情報収集ならあいつを使うのが手っ取り早い」
それを聞くと、リツさんは少し複雑な表情を浮かべた。
「わかってるよ、お前はあいつが苦手だったな。結構変わったやつだからな。リュートは、初めて会うことになるだろう」
「どんな人なんです?」
「リツと同じく、情報収集に長けた魔法使いだ。けど、ちょっとクセのあるやつでな」
そう言ってる間もリツさんはものすごく嫌そうな顔をしている。よっぽどクセのある人なんだろう。
「そいつには、リュートと一緒に行動してもらう、次の日曜日、予定を開けておいてくれ」
「次の日曜日......わかりました」
俺も今、複雑な表情を浮かべていることだろう。
あれだけクセがあると言われてた人と一緒に行動しろと言われれば、誰だってこんな顔をするはずだ。
「それと、リュート、一応覚悟しておけ。お前が能力を使うことにもなるかもしれん」
そう言われた瞬間、ピリっとした緊張感を感じた。
次の仕事は今までのようなバイト感覚ではない、覚悟を持って臨まなければならない。
事務所を出てからも、その緊張感は続いた。
色々なことを考えながら、数日間を過ごし、ついに日曜日がやってきた。