ピノの旅 ─rephycofagesp(レフィコファゲスプ)─
ESE細胞という万能細胞の発明により、人体のほとんどの器官を、再生、治療することができるようになった近未来。ESE細胞と時を同じくして発明された、ナノマシンと、ナノデバイスによって、どんな重症患者でも治療が可能になった。
それにより、遺伝子解析が急速に進み、冷凍マンモスの再生をはじめ、絶滅種の再現が可能になった。その副産物として、未知のウイルスが誕生。ESE細胞を持っている人間は発症しないが、それ以外の人間は、死滅していった。いつしか、ESE細胞によって治療を受けた人は、自らを新人類と呼び、死滅していく人間を旧人類と蔑んだ。
人類は衰退し、人口爆発によって、急激な温暖化へ向かっていた地球の気候は、急激な人口減と合わせ、振り子が元へ戻るかのように、急激に寒冷化した。
ウイルスの脅威は無くなったが、ESE細胞を持った人同士の間から生まれるのは、ESE細胞を持たない人間。つまり、旧人類だ。しかし、ESE細胞を持っているというだけで、自らを新人類と呼び、死滅していく人間を旧人類と蔑んだ歴史的軋轢から、お互い、相容れない存在となり、旧人類は、新人類をESE人類と逆に蔑んで、両者は争うようになった。
そして、数百年後。
空は、青く澄んでいる。大地は起伏に富み、遠くに山や丘、立ち枯れた木々は見えるが、今、ピノの歩いている雪原は平坦で、積もっている雪も浅く、砂のように滑らかだ。
ピノは、いわゆる女子高校の制服を着ている。吐く息は白いが、それより厚く下に着込んでいる様子は無い。背にリュックを背負っている以外に荷物は無く、黒く長いストレートヘアを、時々吹く風になびかせ、汗を流すわけでもなく、寒さに身震いするわけでもなく、淡々と歩みを進めていた。
遠くを、ケナガマンモス、十頭ほどの群れが、悠然と歩いていた。南へ向かっているようだ。訪れる冬に備え、南へ渡っているのだろう。
「ふう」
ピノは、ちょっとだけ息をついて、歩みを止めた。マンモスの群れが、雪原に反射する太陽の向こうへ去って行く様を見届けた。白く眩しい、普通の人間であれば、網膜を焼かれて失明する光景を、ピノは平然と見送った。
それから程なく、遠く山の峰に、たち昇る一筋の煙を見つけた。それは、数年ぶりに見る光景。人が住む証だ。山火事ではあのように、筋だって煙は昇らない。煙突からの排煙に違いない。ピノは歩みを速めた。
峠を越えると、渓谷を取り囲む、小さな街に出た。街の外れに、大きな煙突が立っていて、天辺からモクモクと黒煙を吐き出していた。街に点在する家屋は、風雪や極寒から耐えられる構造であり、痛みもなく、道の雪が均らされているところから、人が住んでいるのは間違いない。ピノは嬉しくなって、ほとんど崖のような峠を転げ落ちるように、降りて行った。
山肌を滑り降り、最初の民家の前に立った。遠慮ぎみにノックする。しかし、返事は無い。ドアや窓越しに中を覗きこむ。人の気配がする。
「こんにちは」
声を掛け、今一度、ノックをする。しかし、応答は無い。
他の家をめざし小走りにちかよって、同様にノックをする。
「こんにちは!」
さっきよりも大きな声で呼んでみる。しかし、返事は無い。しかし、人の気配はする。
民家の集まる、街の中心へ歩みを進めながら、ピノは人を呼び続けた。
「こんにちは! どなたか、いらっしゃいませんか?」
返事は無いが、彼女のカンが人の気配を察していた。
「ふう」
と、白い吐息を漏した瞬間、彼女の姿は地に消えた。
薄暗い部屋の上に、丸い穴が青く空いていた。痛みはあったが、大怪我はしていないようだと、ピノは自分の体を自己分析した。上から漏れる光りは、常人からすれば淡く儚いが、犬の様に光るピノの目には、満月より明るい。
部屋は、深さ十メートル、直径二メートルほどの筒状になっている。底は土。どうやら、昔の井戸跡らしい。
「落っこちたのか…」
しかし、ピノはその認識をすぐに改めた。井戸の底には、ピノと同時に落ちてきたと思われる、割れた薄い板が四散し、板は雪片でカモフラージュされていた。
おもむろに起きあがると、淡い光りに、蠢く影が差した。
穴を覗きこむ、数人の影があった。
「おい!」
野太い男の声が、古井戸の中に響く。
「おい! 生きてるか?」
「はい」
ピノは明瞭な声で答えた。
「ほほう。この高さから落ちて生きていたか」
意味のよくわからない問いかけだ。
「登ってこれるか?」
これまた、意味のよくわからない問いかけだったが、ピノは正直に答えた。
「はい」
言われるまま、ピノは壁に手をついた。凍ってはいるが、積み上げた煉瓦の凸凹がある。靴と靴下を脱ぎ、それをバッグにしまうと、凸凹に手と足の指を掛けた。指先の皮膚細胞を棘のように変化させ、ガラス面を登るヤモリのように、古井戸の壁を登って行った。
登り切る直前。壁の頂上に手をかけようとした時、手がさしのべられた。ピノはその手を掴み、地上に引き上げられた。ピノを引き上げたのは、五十歳ぐらいの男だった。同時に、握った掌の細胞を通して、男の身体情報が伝わってきた。一瞬、男を見つめたが、男は目をそらした。
ピノの周りには、数人が輪を作ってピノを取り囲んでいた。
男は、ピノの手を振り払いながら言った。「ようこそ、ユウバリの街へ」
他の人たちが、こわばった笑顔で男の言葉に呼応する。
「どうも」
ピノは、軽くお辞儀をする。
「あんたが街に近づいて来たのは見えていたんだが、うちらはよそ者を嫌う。誰も住んでいないはずの、北からやって来たんだからなおさらだ。悪気は無かったんだが、ちょっと試させてもらった。許してくれ」
「はあ」
「とりあえず、中へどうぞ」
ピノは、男に案内されるまま、街の中心部へ入っていった。
街の中心には、比較的、大きな家が建ち並んでいる。その中でも一番大きな家に、ピノは招き入れられた。
暖炉で石炭が燃えるリビングは暖かく、部屋の調度品は色彩豊か。テーブルや椅子には、この緯度地域ではめずらしく、本物の木が使われている。
部屋に通されてから程なく、ピノと見た目、変わらない年齢の女の子が、メイド服姿にティーセットを持って入ってきた。彼女は黙々と紅茶を淹れ、カップをピノの前にさしだした。
「どうぞ」
ピノは、軽くお辞儀をした。
「どうもありがとう」
その時、大きな声で、さっきの男が入ってきた。
「たいへん、お待たせしました」
男はピノの前に悠然と座った。
「私はこのユウバリで長を務めているマサオと申します」
これは、自己紹介の流れかと、ピノは思った。
「ピノです」
「ピノさんは、どちらから?」
「ずっと北の、さらに北の、南からです」
「さらに北の、南からとは?」
「ロサンゼルスから太平洋を海岸沿いに歩いて来ました」
一瞬、あっけにとられたマサオだったが、次の瞬間、大笑いをした。
「まさか、旧アメリカ合衆国のロサンゼルスから、陸路を延々と歩いて来なすったと」
「はい」
「ははははっ! さすが新人類。それで、今回はどのようなご用件でこちらに?」
「偶然、行く先にこちらの街が見えたので」
「立ち寄ってみたと」
「はい」
「なるほど」
ふと、なにが考え事をして、男は言った。
「ユウコ」
「はい」
紅茶を運んできたメイドが応えた。
「妻のユウコという。旧人類だ。こいつに新人類であらせられるピノさんの案内をさせるのは、大変、心苦しいのだが、他に適任者もいなくてな。ユウコ!」
「はい」
「ピノさんに街を案内してさしあげなさい」
「かしこまりました」
ユウコは部屋のドアを開けた。
「どうぞ」
なんなことかわからないが、ここは流れに身をませるところかと、ピノは思って、ユウコの後について部屋を出て行った。
二人を見送ったマサオが、手にスティック状の機械を握り、ニヤリとほくそ笑んだ。
外に出れば、また凍てつく寒さに身を裂かれる。しかし、ピノは相変わらずの、女子高生の制服のままだ。ユウコは厚手のコートを羽織っている。
しばらくの間、なんの会話も無く、淡々と真っ白な街の中を歩いていた。家がまばらになると、先の巨大煙突を突きだした、大きな工場に入った。中は、外とは打って変わって、灼熱の暑さだった。ユウコはコートを脱いだ。
「ここがこの街の要。火力発電所よ」
石炭をくべる口が赤く光っている。その上に、何本ものレールが敷かれ、その上をトロッコが何両も走っている。炭鉱の奥から載せてきた石炭を、投入口の真上で開け、石炭を投入する。
「昔の火力発電所を、現代風に再生したの。昔の火力発電所は、火力で水を沸騰させ、その蒸気圧でタービンを回し発電していたわ。今は、熱エネルギーを直接、電気に変換する素子で発電しているから、発電効率も、当時とは段違いの良さよ」
ピノはぼーっと見ている。
「その石炭を掘削しているのが、こっち」
ユウコは、石炭を積んだトロッコが入って来る坑道を指した。
「ユウバリは昔、この国では有数の炭鉱だったんだって。やがてエネルギーの主流が石炭から石油に取って代わられると、ここは一度閉山された。でも、石油が輸入できなくなった今、また、石炭の発掘が盛んになったのよ」
ユウコは呆然と、石炭を積んだトロッコが坑道の坂から上がって来るのを見て、空になったトロッコが坑道を下っていく様を見ていた。
「あたしの友達が、この奥で石炭を掘っている。旧人類だから」
ユウコの目がかすかに潤んだ。
「なぜ?」
「なぜって、あたしと同じ旧人類だから」
「なぜ、旧人類が石炭を掘っている?」
「不思議なこと訊くのね。大概の新人類なら、旧人類って事だけで、納得するのに」
「納得できない」
「この街の生活は、新人類が実権を握り、旧人類を奴隷同然に使って石炭を掘り、火力発電で得た電力を他の街に売ることで、成り立っているの。ま、新人類のあなたには、わからないでしょうけど」
「あたしは、新人類じゃない」
「え?」
「あたしはただの、人間」
その言葉を聞いて、ぽかーんとしていたユウコだったが、思わず吹き出し、大笑いした。
「人間って、大昔の2(ツー)D映像作品に出てくる人のこと? あなたちょっと、映画の見過ぎよ」
その時、マサオの持っていたスティックのスイッチが入れられた。同時に、坑道の奥で爆発音がした。
「なにかしら?」
ユウコは不安げな顔をした。と同時に、熱風と黒煙が炭坑から吹き出した。
「なにっ?!」
「人を呼んで」
そう言って、ピノは炭坑に飛びこんだ。
「待ってピノ! 危険よ!」
暗い坑道。点々と続く灯りを頼りに坑道を下り降りる。坑道の奥からたち昇ってくる黒煙に視界が悪くなる。目を犬のように光らせても、黒煙では見通す事ができない。
ピノは掌を掲げた。
「アブラコウモリ!」
ピノの掌から、掌サイズのコウモリが飛びたち、坑道の奥へ飛んで行った。
ピノは目を閉じ、アブラコウモリの超音波を追う。
音波は二百メートル先で、崩れた坑道を探知。数人が下敷きになり、数人が爆風で吹き飛んだ。残念だが、致命的な傷を負って、既に息をしていない人。崩れた瓦礫に埋もれ、息をすることすらできない人。多数が確認された。だた、四肢を裂傷しても息のある人がいる。全て男性である。
「ハイイログマ!」
ピノの体が分裂するように、ハイイログマが現れ、坑道の奥に走って行った。
坑道を駆け下りたハイイログマは、坑道の落盤で積み上がった瓦礫を、その大きな爪でかきだした。落盤の下敷きになった人は既に息をしていない。だが、積み上がった瓦礫は、人が通れるぐらいまで削り落とす事ができた。
「ゴリラ!」
ハイイログマが、ゴリラに変身した。ゴリラは、息のある人間を両脇に抱え、坑道の出口目がけ、走った。
ユウコの呼びかけで、坑道の入り口に来た人たちは驚いた。真っ黒に煤汚れた人が、息も絶え絶えながら、何人も横たわっているのだ。
その時、坑道から、人を抱えたゴリラと、人を背負ったピノが、真っ黒に煤汚れて出てきた。ユウコは駆けよる。
「どういうこと?」
「坑道で爆破による落盤があった」
「爆破? 落盤?」
「息のある者だけ、急ぎ救出した。病院は?」
「病院なんてないわ」
「怪我人を手当てできる場所は?」
「救護室ならあるけど」
「みなさん! 手分けしてここにいる人たちを救護室に運んでください」
ピノは人を背負ったまま、歩き出した。ゴリラもその後に続く。
「早く! ユウコは救護室まで案内して」
「ええ、わかった」
気のない返事のユウコ。集まった人たちも、手分けして怪我人を担ぐが、動作は緩慢だ。
街にひとつしかない救護室は、人が十人も入れば満杯なってしまう、小さな物だった。治療道具も包帯と消毒用アルコールの他、簡易レントゲン撮影装置ぐらいしかない。
重傷者を優先的にベッドや床に寝かせ、軽傷者は廊下で手当てさせられた。忙しく患者の間を飛び回って適切な手当を施すピノに対して、ユウコを含めた他の人たちは、非協力的だった。
「なにをしている? 手当を手伝って」
冷めた顔つきでユウコは言う。
「無駄よ」
「あきらめたらそこで試合終了。手当をすれば助かる」
「そういう意味じゃないのよ!」
「?」
そこに、マサオがやって来る。
「これはこれはピノさん。これはどういうことで?」
「怪我人の手当を」
「怪我人? 手当? ふはっはっはっは!」
「なにかおかしな事を言いましたか?」
「いやいや、新人類の手当ならまだしも、旧人類の手当など不要でしょう」
「同じ人間よ」
「まさか、新人類と旧人類はまったく別の人種です」
マサオの言葉を無視して、ピノは怪我人の手当を続ける。
「残念ですなあ。長旅でお疲れの新人類であらせられるピノさんに、旧人類の断末魔を馳走いたしましたのに。お気に召しませんでしたかな?」
「お気に召しませんでした」
「それは残念」
「怪我人を治療したい。一番近い病院のある街は?」
「ここから西へ五十キロほど離れた所に、サッポロという街がある」
「サッポロへの道は?」
「川が見えるだろう」
マサオは街の中心を流れる川を指した。
「川沿いに歩いて行けば着く」
救護室の奥で、ひとりの手をとって泣いているユウコがいた。ピノが駆けよった。ユウコが握っている手は既に冷たかった。
「彼が、お友達?」
ユウコはコクリとうなずいた。ピノは冷たくなった手をとって、胸に重ねた。
「ユウコ、ごめんなさい。つらいのはわかるけど、手伝って欲しい」
振り向けば、救護室の中は、足の踏み場が無いほど、人で埋めつくされていた。
救護室から出てきてピノは言った。
「重傷者を優先してサッポロへ運ぶ。まず、内臓損傷で早急な治療を有する者を優先して…」
「ちょっと待ってください。ピノさん」
マサオが言葉をさえぎる。
「なんでしょう?」
「この街の掟で、怪我人はすべからく、街を出て行ってもらうことになっているんです」
「重傷者を優先して運ぶだけ。後から、手当の必要な者を迎えに来る」
「ダメだ。怪我人は全員、即刻、この街から出て行ってもらう」
「今すぐ手当てしなければ、重傷者は半日も持ちません」
「サッポロまでは、常人の足でも十時間以上かかる」
ほくそ笑むマサオ。しかし、冷静な表情のピノ。
「どうしても?」
「街ができてからの、古い掟です」
「わかりました」
ピノが、ゴリラを呼ぶ。ピノが手をかざす。「ステゴザウルス!」
そのとたん、ゴリラは、それよりもさらに大きなステゴザウルスに変身した。ピノは街の人に言った。
「棘が見えると思います。あの棘に歩行困難な方を結び固定してください。歩ける人はなるべく歩いて。途中、苦しくなった時は、すぐに申し出てください」
それまで緩慢だった人たちが、ピノの指示に従い、手早く救急隊を編成した。ピノは、重傷者を救護室に並べ、ひとりひとり、首筋に手を当てた。重傷者は静かに息を引き取った。ピノはその両手を胸の上に重ねた。
怪我人を固定したステゴザウルスと、歩いてサッポロをめざす一団が、救護室の前にできた。
「ユウコ。協力ありがとう。あとはあたしに任せて」
「あたしも行くわ」
一団に加わろうとしたユウコの手を、マサオがつかんだ。
「待て」
「なに?」
「おまえは怪我をしていないだろう」
ニヤリとして、ユウコは腕をまくった。肘から血が出ていた。
「さっき、手伝っている時に怪我したみたい。怪我人はすべからく、出て行くのが掟なんでしょう?」
マサオは、苦虫をかみ潰したような顔をした。
ユウコはピノに声をかけた。
「行きましょう」
ユウコは、一団の先頭に立って歩き出した。一同もそれに続いて歩き出した。
ピノがステゴザウルスの小さな頭を撫でる。ステゴザウルスは、その巨体をゆっくりと起き上げ、ユウコに続いて歩き出した。
遠ざかる一団を見送りながら、マサオはユウコに声をかけた。
「電気代の支払時期だと、サッポロの長に言っておけ!」
しばらく歩いて、ピノはユウコに近づいた。
「その程度の怪我なら、清流で洗い流せば自然治癒する。無理について来る必要はない」
「あなたについて行きたくなったの」
「それは、友人を失ったからか?」
「それもあるけど…」
「旦那さんを置いてきて良いのか?」
ユウコは怒り気味に言い捨てた。
「あの街は、一夫多妻制でね。あたしなんか何号目かわかったもんじゃないわ」
「そう」
しばらく、一団は無言でステゴザウルスの歩みと共に、川沿いの道を歩いて行った。時々、川で給水の休憩を取りながら、歩みを進めたが、さすがに疲労する人が出始めた。テーピングやマッサージで回復する者にはなるべく歩いてもらい、それでも歩けなくなった者を、ピノとユウコや、歩くのには支障が無い程度の怪我人が背負い、歩みを進めた。
おもむろに、ピノはユウコに訊いた。
「皆、家の中にこもって出てこなかったが、ユウバリは、女性が多いようだけど?」
「そうよ。男はこうして、定期的に間引かれるからね」
日が暮れ始め、あたりが薄暗くなりはじめた頃、遠くに電気の明かりによる街並みが見えた。
「あれがサッポロの街よ」
灯が明るく連なっている。街はすぐそこだ。その時、ピノとステゴザウルスが足を止めた。疑問に思ったユウコが言った。
「どうしたの?」
暮れなずむ街並みを凝視してピノは言った。
「なにかいる」
ピノがステゴザウルスの頭を撫でる。ステゴザウルスはゆっくりと腰を降ろす。
「ここから先へは一旦、あたしひとりで行きます。皆さんは、安全が確認できたら、改めて迎えに来ます。それまで待っていてください」
ステゴザウルスに結ばれていた怪我人を卸し、ピノはステゴザウルスを連れて、サッポロの街並みに向かった。
街は大小の家屋とビルからなっていた。打ち棄てられ、風化した廃屋と、まるで線引きをするように、ある一角から、突然、明かりの灯る建物が並ぶ。その境界から、百メートル手前まで接近した時、ピノより若干、幼い感じの女の子が立っているのが見えた。ピノと同じように、防寒具も着けずに。
ピノは歩みをそのまま進めた。動じることなく、女の子も立っている。
互いの距離が、間合いを詰めた時、女の子が叫んだ。
「サーベルタイガー!」
女の子から分裂するように、サーベルタイガーが具現化すると、ピノを目がけて駆け、跳ねた。サーベルタイガーの長い牙が、ピノを捕らえようとする瞬間、ピノは瞬きもせず、軽く体を屈めた。その屈んだ死角から、ステゴザウルスの尾がムチのようにしなり、先端のスパイクが、サーベルタイガーを一蹴した。
砕かれたサーベルタイガーは、血を流すことなく、粉々になって、女の子に戻っていった。あっけにとられ、呆然とする女の子。
「いやあ、たいしたもんです」
女の子の後ろから、ユウバリの街の長と同じ年頃の男が歩みよってきた。
「マンモスを仕留めるサーベルタイガーが、たったの一撃でやられるとは。その生物はなんですか?」
「ステゴザウルス」
「ステゴザウルス? さて、聞いたことがありませんな」
「中生代ジュラ紀後期に栄えた草食恐竜」
「ほう。恐竜を操る新人類とは。噂には聞いていましたが…」
男は一瞬、狼狽の表情を露にしたが、すぐに平静を取り戻した。
「ユウバリから来なすったかな?」
「はい」
「怪我人を連れて?」
「はい」
ピノはじっと男を見つめる。
「そのご質問から推察して、こちらの事情は既にご存じのようですが?」
「ええ」
「早速、手当を願えますか?」
男は一瞬、間を開ける。
「おい! 皆の者」
後ろから、男ばかりの集団がやって来た。
「ユウバリから客人の到着だ。手当てしてやれ」
「「「はい!」」」
男たちは、離れて待っていたユウバリの怪我人を、担架に乗せたり、背負ったりして、街の中まで運んだ。その様子に異常が無いか、ピノは見届けた。
全ての怪我人が運びこまれるのを見送りながら、ユウコと一緒に、男に近づいた。男の隣には、さっきの女の子もいる。
「先ほどの無礼はお詫びします。なにせ、ユウバリからの来客には乱暴者が多くって。大変失礼しました。私はサッポロの街を束ねている、ショウと申します。こちらの女性は、既にご覧のとおり、あなたと同類。新人類でナノデバイス保有者です」
「アルファです」
「あたしはピノ」
ショウがユウコを見る。
「女性はひとりだけですか? 早速、手当を」
「あたしは大丈夫よ」
「そうですか。日も暮れました。ここは寒い。中へどうぞ」
「ちょっと待って」
「なんでしょう?」
「ユウバリの長から伝言よ。そろそろ電気代の支払時期だ」
「そうですか…。了解しました」
一同は建物の中に入った。
風呂で炭を洗い流し、この街の衣服を借りたピノは、アルファの部屋に案内された。アルファの部屋は、いろいろな生き物のぬいぐるみで埋めつくされ、色鮮やかだった。
入って来たピノの手を取って、アルファは言った。
「あの、その、はじめまして」
「はじめまして」
「あたし、自分以外のナノデバイス保有者と会ったの初めてで…。しかも、突然、あんな巨大で未知の生き物を具現化できちゃうなんて、なんか、すごい…」
「ここは?」
「あたしの部屋」
「いろんな生き物がいる」
「そう! みんなあたしの友達。具現化はできないけど…」
「あたしも、こんなにはできない」
「ねえ、教えて欲しいの」
「?」
「あれの出し方」
「それは、人に教えられてできるものじゃない」
「じゃあ、あなたはどうやってできるようになったの?」
「自分DNAに問いかけた」
「DNAに問いかける?」
「あなたが、サーベルタイガーを出した時と同じ事をすればいい」
「よくわからない」
「サーベルタイガー以外に出せる生き物は?」
アルファは、フルフルと首を振った。
「じゃあ、それで良い」
「え?」
「サーベルタイガーだけ出せば良い」
「それは嫌。今まで、いろんな生き物を出そうとしたけど、できない。あなたは、ステゴ…、なんだっけ?」
「ステゴザウルス」
「そう、それ以外にも出せるんでしょう?」
「ええ」
「あたしも出せるようになりたい!」
「なぜ?」
「なぜって、ナノデバイスを持っているのに、もったいないじゃん」
「もったいない?」
「そう! ESE細胞とナノデバイスを組みあわせれば、過去から現在まで、全ての生き物を具現化できるのよ。理論的には。すばらしいことじゃない! あなたも、そう思うでしょう?」
「…」
「思わない?」
「よくわからない」
その頃、怪我の治療を終えたユウコは、子供から大人まで、女性ばかりが一堂に会する広間に案内された。その中からひとり、年配の女性がユウコの前に立った。
「ようこそ、大奥へ」
「へ?」
「ここは、ショウが自分のお気に入りばかりを集めた側室。あなたもショウに見初められたのよ。うらやましいこと」
「ちょ、ちょっと待ってください。大奥とか、側室とか、つまり、その、そういうこと?」
「当たり。そういうこと」
「かんべんしてよ。あたしはユウバリでの愛人生活が嫌で抜け出して来たのに」
「元の木阿弥ね」
「そういえば、あたしと一緒に来た、ピノはどうしたの?」
「あの子はESE人類であり、ナノデバイス保有者。アルファと同じ扱いになったわ」
「ええ!?」
同じ頃、ショウは傷の手当てを受けている、ユウバリの男たちの話を聞いていた。
「夕張の人口は?」
手当を受けている男が答える。
「多くても千人。そのうち、七割が女性で、男の半数は子供だ」
「新人類。いわゆる、ESE人類の数は?」
「全体の八割ぐらいだが、皆、ここから流された者ばかりだ」
「ナノデバイスは保有していないな?」
「蟻の子一匹、具現化することもできないよ」
「ピノとかいう、ナノデバイス保有者は?」
「流れ者だ」
「流れ者? どこから」
「詳しくは知らない。なんでも、北から来たとか」
「そうか。情報ありがとう。今夜はゆっくり休んでくれ」
ショウは自室に戻ると、マイクのスイッチを入れた。
「全員に告ぐ。明朝0(ゼロ)6(ロク)0(ゼロ)0(ゼロ)時より、狩りに出発する。各自、明日に備えよ」
ショウの声は街中に轟いた。それを聞いた男も女も、慌ただしく働き出したが、ユウコもピノも、なんのことかわからなかった。
「今のはなんのこと?」
「明日の朝、マンモスの狩りに出発するって」
「狩りはいつも、こうして始まるの?」
「今日はちょっと急かな。いつもはマンモスの群れの動向を追って、事前に計画が通達されるけど。それより、あたしも早く寝なくっちゃ」
「なぜ?」
「だって、あたしのサーベルタイガーがマンモス狩りの要だし」
「そう」
「ねえ、お願いがあるの」
「なに?」
「一緒に寝て欲しい」
「いいわ」
ピノとアルファがひとつのベッドで寝る。
「ねえ、ピノ」
「なに?」
「ピノはどこから来たの?」
「ずっと北の、さらに北の、南から」
「ずっと北の、北の、南?」
「地球は丸いから、歩き続けたらそうなった」
「ふーん。どうして、そんな遠くから来たの?」
「お母さんを探して来た」
「お母さんを探して、旅をしてるの?」
「そう」
「そうなんだ…」
「あたしからも訊きたいことがある」
「なに?」
「あなたはいつ、移植手術を?」
「三年前。人工農場で作業中、農機具に巻きこまれて。右上腕開放骨折に、右肺、右腎臓、肝臓その他、骨と内臓のいろんなところが損傷したらしいです。目が覚めた時は、移植手術の後で、結果だけ後から知らされたんですけどね」
「そう…」
「会ったばかりでいきなり、デリケートなところ、突っこんで訊いてくるんですね」
「ごめんなさい」
「べつに、いいですけど」
「…」
「あたし、もう寝ます。明日早いし」
アルファは、ピノの反対側を向いて、寝てしまった。かける言葉も無く、ピノもそのまま寝た。
翌朝、目を覚ましたピノは、隣で寝ていたはずのアルファがいないことに気がついた。部屋の時計は午前七時を指そうとしていた。空調が整い、暖かなベッドで寝たのは年をさかのぼるほど前になる。普段、生き物の気配には敏感なはずのピノが、自分の隣で寝ていた生き物の動きを把握できなかった。窓からは朝日が眩しい。しかし、陽の暖かさを感じない。こんな感覚もひさしぶりだった。
ドアが開き、ピノが両手に食器の載ったトレイを持って入って来た。
「おはようピノ。目が覚めた?」
「おはよう」
「朝食を持ってきたわ。一緒に食べましょ」
ニコニコしながら、アルファはテーブルにトレイを置いた。
「あなたは…」
アルファが語をさえぎる。
「あたしのことは、アルファって呼んで」
「そう。じゃあ、アルファ」
「はい」
「狩りのメンバーじゃなかったの?」
「そう思って、集合時刻に集合場所へ行ったんだけど、長から、おまえはピノから、ナノデバイスの扱い方を学んでこいって、帰された」
「そう…」
ふたりはしばらく、無言のまま、朝食を食べていた。昨夜の事が気になっていたピノが言った。
「あの、昨夜の事なんだけど…」
「今日はご教授のほど、よろしくお願いします。師匠」
「師匠?」
「ナノデバイスの師匠ですから」
「師匠なんてできない」
「教えてくれないと困ります」
「ナノデバイスの扱い方は、教わるんじゃない。感じるもの」
「じゃあ、その感じ方を教えてください。師匠」
「いままでどおり、ピノでいい」
「それじゃあたしのことも、アルファって呼んでください」
「わかった」
「それでピノ。ナノデバイスの感じ方を教えてくれる?」
「もちろん。喜んで。アルファ」
二人は微笑んだ。
ショウを先頭にした「狩り」のメンバーは、成人男性ばかり、三千の数がユウバリをめざし行軍していた。中のひとりがつぶやいた。
「マンモスなら北だ。こっちは東。進行方向を間違えちゃいないか?」
隣の男が言った。
「バカ! まだわからないのか。今回の進軍にアルファはいない。なにより、マンモス狩りに、こんな大人数は編成しない」
「つーと、どういう意味だ?」
「ユウバリを落とすつもりさ」
「戦争か!」
「シッ! 声が大きい」
「しかし、なんでまた、そんなことを」
「ユウバリの人口減は激しい。今、攻め落とすことができれば、火力発電所はサッポロのものだ。電気代として、食料を渡す必要もなくなる」
「ユウバリの人はどうなる?」
「長のマサオさえ殺っちまえば、戦はそれで終わり。新人類は、そのまま石炭掘りとして生かされるだろうが、抵抗するなら殺すことになるだろう」
「そうか…」
ユウバリに向かう行軍は、雪に足跡を残した。
朝食後、作業着を着せられ、農園に出されたユウコ。農園は、天井が透明の人工ドームになっていて、気温は高く日差しは眩しいくらい燦々と射しこんでいる。園内には一面、茶色く色づいた米が頭を垂れていた。
「ここはなに?」
ユウコ世話係の女性が言う。
「人工農場よ」
「ここでなにをするの?」
「収穫よ」
女性がクワを渡した。
「もしかして、昼は農作業。夜は長のお相手。というパターンの繰り返しですか?」
「だいたいあってる」
「はあ」
ユウコは大きく肩を落とした。
その時、遠い先、ドームのドアが開き、中からピノと、アルファが出てきた。ユウコは思わず手を振った。
「ピノ!」
しかし、気がつかない。ユウコは、ピノに向かって駆け出した。世話係の女が言った。
「おい待て。おまえの仕事はこっちだ」
ユウコは彼女の言葉を無視して駆けて行った。
農園に出てきたピノとアルファ。
「ピノ。言われたとおり、広いところに来たわよ」
「じゃあ、生き物を具現化する練習をする。いきなり大きな生き物は難しいから、小さい生き物から」
「それで、どうするの?」
「まず、基本から復習。あたしたちは失った器官を、ESE細胞を移植して再生した。ESE細胞は、原始的なシアノバクテリアのDNAを元に創られた。原始のDNAを組み込んだことで、あらゆる生き物のDNAになじむ。その特性から"Earth Stage Everybady Cell(地球上に登場した全ての生物細胞)" 、いわゆるESE細胞と名付けられた。ESE細胞は万能細胞だけど、それだけでは、どの器官に再生するかわからない。ナノマシンで正確性を補う。ナノデバイスは、ナノマシン制御装置。ここまではわかった?」
「はい」
「ナノマシンは、あくまでも機械だから、生きている細胞と違って、自己複製能力は無い。ESE細胞治療中は、デバイスと一緒に、外部から供給され続け、治療が終われば供給を止める。普通、この時点でナノマシン、ナノデバイスは、体内から消滅する。あたしたちは、消滅していない状態」
「原因は?」
「わからない。ナノデバイス自身が、細胞の自己複製機能を獲得した、という説があった。真偽は不明」
「そうなんだ…」
「ここからが本題。無意識にやっている、原始DNAの検索と、そこから発生するDNAの予測変換。イメージした生き物を、ESE細胞上に再現すること。あなたが、サーベルタイガーを出す時にしていること」
「意識したことないけど」
「無意識にやっていること。それを意識的にできるようになれば、どんな生き物も具現化できる」
「ホント!?」
「少なくとも、あたしはそうやってる」
「そう」
「まず、無意識にやっているDNA検索を意識するところからはじめてみる。目を閉じて」
「はい」
「サーベルタイガーを出す時と同じように、DNAを検索してみて」
「はい」
「DNAは見つかった?」
「はい。見つかりました」
「今回は、サーベルタイガーとは違うDNAを予測して」
「なにがいいですか?」
「なんでもいい」
「なんでもいいと、何が何だかわかりません」
「じゃあ、ニホンノウサギ」
「ニホンノウサギ?」
「ウサギの姿、形は知ってるでしょう。そのとおりDNAをトレースして」
「ウサギ。ウサギ。ウサギ…」
そこに、ユウコがやって来た。
「ピノ!」
ピノは人差し指を口に当てて、静かにしてと、合図を送った。
「どう? うまくウサギのDNAをトレースできた?」
アルファは、両手を広げ叫んだ。
「ニホンノウサギ!」
掌から、茶色い野ウサギが跳びだした。
「やった! できたよピノ!」
「良かった」
ユウコが近づいてくる。
「すごい。これが噂に聞いた、ナノデバイス・テクノロジーって奴?」
「そう」
「ユウバリで見た、生き物を具現化する能力」
「現化した生き物は、あたしたちのESE細胞をナノデバイスで一時的に具現化しただけだから、長時間、具現化しているのは、かなり疲れる。アルファ、ウサギを戻して、別の生き物に挑戦してみて」
ウサギは霧のようになって、アルファの掌に帰った。再び目を閉じ、ゴニョゴニョ呟く。
「カワラバト!」
アルファの手からハトが飛びたった。
「良い。その調子」
そこに、ユウコの教育係が歩いて来る。
「お気楽なこった」
「ユウバリからの友人を見つけたので、つい。すいません。今、農作業に戻ります」
ユウコは頭をさげた。
「違うよ」
「はい?」
「私は、そっちのESE人類に言ったのさ」
女は顎でピノを指した。
「なんのことでしょう?」
「あんた、ユウバリから来た流れ者だって?」
「そうですが?」
「今朝、起ったのは、ユウバリ討伐隊さ」
「戦ですか」
「そう。今、ユウバリの人口は少ないからね。あんたみたいなナノデバイス保有のESE人類もいないし、発電所を奪うチャンスなのさ」
ピノは弾かれたように、ドームのドアに向かって走った。ドアに手を着くが、開かない。ドアの開閉スイッチに手をかざすが、開かない。
「無駄よ、ピノ」
背後からユウコが声をかける。
「ここの出入りは厳しく制限されてる。認められた者しか出入りできないわ」
「あたしなら、出入り自由ですけどね」
アルファが得意気にほくそ笑む。
「アルファ。お願い。開けて」
「良いですよ」
「ありがとう」
「あたしもユウバリに連れて行ってくれるなら。ですけど」
「それは無理」
「なんで!?」
「危険な場所に、アルファは連れて行けない」
「じゃあ、このドアは開けられませんね」
「アルファ、だっけ?」
「はい」
「そのままピノを止めといて」
ユウコは元、来た場所へ走って行った。防寒具を持って戻ってきたユウコを見て、アルファはドアに手をかざした。ドアは静かに開いた。
外に出たとたん、三人の息が白くなる。ユウコは持ってきた防寒具を着込む。
「ひゃー。外は寒いね」
ピノは冷静に雪原の跡を追う。
「東へ向かっている」
「マンモスを狩るなら、北の水場へ行くはず。東のユウバリに向かったのね」
「歩いていたんじゃ、追いつけない」
ピノは大きく手を広げた。
「エクウス・カバッルス!」
手から黒毛の馬が現れた。ピノは跳び乗る。
「ふたりはドームに戻って」
アルファも、手を振るわせ大声をあげた。
「エクウス・カバッルス!」
アルファは、現れた馬に跳び乗ると、ユウコの手をとって後ろに乗せた。
「さあ! 行きましょう」
雪原を蹴って、二頭の馬が東に向かって走り出した。
ユウバリの街は、いつもどおり静かだった。やがて遠くから、軍勢の足音が、かすかに響いてくる。部屋で酒を飲んでいたマサオは、飲んでいたグラスをテーブルに叩きつけた。「やっと来たか」
部屋のマイクを手にし、スイッチを入れた。
「敵襲! 敵襲!」
外に出ていた女、子供は家に逃げ戸に鍵をかけた。男たちは、手に弓矢や剣などの武器を携えて出て来た。街の入り口に構えるユウバリの男たち。その先頭にマサオの姿がある。
攻め入るサッポロ一団は、陣の中心にショウを置き、槍の前哨。剣と弓の中堅。
ショウが威勢良く言い放つ。
「今こそ、忌々しいESE人類を殲滅する時だ!」
一団が怒号をあげる。
「おー!」
それを合図に、ショウの一団から、弓が放たれる。弓は大きく弧を描いて、ユウバリの一団に降りかかる。マサオが声をあげる。
「我に続け!」
「おー!」
マサオを先頭に、ユウバリの一団が、降りそそぐ弓矢の中を突破して、サッポロの前哨に突進する。
足跡を追って、東に馬を走らせた。途中から足跡は、川の手前から南へ進路を変えている。ピノとユウコが、ユウバリから来た道だ。正面の小高い山を川沿いに迂回すれば、ユウバリに着く。ピノは馬を止めた。
「あたしは山を越えていく。その方が早い。アルファは足跡を追って」
「じゃあ、あたしも山を越えて行く」
「アルファはダメ」
「なんで!?」
「雪の斜面は足下が悪い。正確なナノデバイスの制御が必要」
「それなら、あたしにだって」
「ダメ。あなたは今さっき、馬を具現化できたばかり」
「これより小さなサーベルタイガーを制御できたわ」
「滑落してもアルファなら助かる」
「なら…」
「ユウコは助からない」
「!」
「ユウコは任せた」
ピノは馬を蹴って、川を一気に跳び越すと、山の斜面を登っていった。
落ち込んでいるアルファに、一瞬、同情しそうになったが、ユウコはアルファの肩を叩いた。
「任せたよ。アルファ」
覇気を取り戻し、アルファは足跡を追って馬を蹴った。
雪の斜面を駆け上がり、峠に近づくと、その向こうから、大勢の怒声が響いてきた。峠を越え、ユウバリの街を見下ろした時、怒声が戦闘のそれであることに気がつく。
ピノは冷静に戦況を分析する。想像はしていたが、大群のサッポロ一団に、少数のユウバリ一団は劣勢だった。それにしても、一方的すぎると、戦況の違和感はすぐに納得した。このような白兵戦では普通、大将を中心に陣を敷く。ユウバリ側は大将のマサオ自信が、先頭に立って、敵の前哨と剣を交わしていた。
ピノは馬から跳び降りて、手を高くかざす。
「プテラノドン!」
馬は、翼竜のプテラノドンに変わり、峠を滑空して下る。ピノはその足をつかんだ。
戦場で、ひとりの男が、空から舞い降りてくる大きな鳥の姿を見て、絶叫した。
「なんだ! あれは!」
その絶叫につられて、空を見あげた男たちが、次々に手を止めて空を見あげる。
プテラノドンの足につかまり、グライダーのように滑空しながら、戦場に降りてくるピノ。その異様な空を飛ぶ生き物に、目を奪われ、戦場は一瞬、膠着した。両団の衝突する前線にあって、先頭であるマサオの前に、ピノはふわりと着陸した。プテラノドンは、つかんでいた足からピノに吸収されて消える。ピノはマサオに面して言った。
「あなた、死ぬつもりね」
両軍とも、ピノの登場に茫然自失としている。唖然としていたマサオも、辛うじて声を出した。
「なんのことだ…」
「まず、このバカ騒ぎを止めて」
答えに窮しているマサオをさしおいて、ショウが叫んだ。
「その女もESE人類だ! ユウバリ共々、殺ってしまえ!」
サッポロの後陣から怒声が上がる。
「殺ってしまえ!」
「「「うおおー!」」」
膠着していた戦況が動き、再び剣を交わしだす。ピノは戦う男たちに弾かれ、ひざまずいた。
「止めなさいって、言ってるのよ」
静かに立ちあがって、手をかざす。
「ティラノサウル・レックス!」
ピノの体から、巨大なティラノサウルスが具現化した。ティラノサウルスが尾をなぎ払うだけで、半径、十メートルの人が吹っ飛ばされた。その巨体を見ただけで、ほとんどの男たちは戦意を喪失し、逃げ惑った。それでも向かってくる男には、大きく口を開け、叫び声をあげて威嚇し、戦場を引っかき回すように、ティラノサウルスは暴れ回った。ただ、決して人を噛んだり、踏みつぶしたりはしない。
川沿いに馬を走らせていたアルファとユウコの目の前に、信じられない光景が飛びこんできた。恐怖におののいた男どもが、我先に逃げ帰って来るのだ。
「どうしたの!?」
「怪物だ。怪物がでた」
「ぎゃー! 助けてくれ!」
口々に、同じ悲鳴を上げながら、男たちが逃げて来る。それがピノの仕業であることに、ふたりは気がついていた。
ふたりが戦場に着いた時には、戦闘は終わっていた。実際の戦闘で怪我をした男。暴れる怪物に腰を抜かしている男。その男たちを鎮圧した巨大な恐竜と、それを操るピノ。猛々しく、雄々しく、勇猛で、美しい。
ピノは戦闘を瞬時に鎮静化させた。
アルファがピノの元に駆けよる。
「殺ったの?」
「ちょっと、脅かしただけ」
ユウコが歩みよる。
「本当に、それだけ?」
「それだけ」
「そうは見えないけど」
地べたにうずくまっていたマサオが顔をあげながら言った。
「昔、人体の八十五パーセントをESE細胞で再生させた新人類がいたらしい。そいつは地球上、全ての生き物を具現化できる能力を有していたという。生き物の七大分類、
─界(regnum)、─門(phylum)、─綱(classis)、─目(ordo)、─科(familia)、─属(genus)、─種(species)。総じてrephycofagesp。名前は確か、ピノ=コ・アイ・ハザマ」
「…」
「あんたがその化け物だったのか」
「化け物じゃない。あたしはただの人間」
「アルファ。ユウコ。手伝って欲しい。今からサッポロに帰っていたら、日が暮れてしまう。怪我人を民家に集め、暖をとらせて。サッポロ軍は、野営の装備をして来ている。あたしが石炭を街の広場、中心に集めて火を焚くから、それを中心に、野営させる」
「OK!」
「わかったわ」
アルファとユウコは、街に散った。ピノは改めて、マサオと目線を合わせた。
「どうして俺が死ぬつもりだとわかった?」
「あなた、末期ガンね。最初に手を握った時、気が付いた」
「なぜ黙っていた」
「医者には守秘義務がある。あたしもそれに従っただけ」
「戦で死のうとしてたのも知っていたのか」
「あの布陣を見て、すぐ気が付いた」
「さすがだな。だったらあのまま、戦場で死なせてくれればよかったのに」
「あなたは死なない」
「バカいえ。全身に転移して、どうしようもないんだ」
「サッポロで、ESE細胞移植手術を受ければ助かる」
「さんざん旧人類を殺してきた俺が、旧人類の街、サッポロが助けてくれるはずがない」
ふたりの会話に、ショウが割り込む。
「ずいぶんと弱気になったもんだな。マサオ」「ショウ…」
ショウが、マサオに歩みよる。
「凍傷をESE細胞で治し、新人類としてユウバリに行った時が、つい昨日のようだ」
「三十年以上前の話だ」
「その三十年間、ずっと自分を責め続けたんだろう」
「そうさ! 俺は、ESE人類になんかなりたくなかった。人類を絶滅の縁に追い込んだ、ESE人類なんかに…」
「その点に関しては同感だ。だから、ESE人類を根絶し、サッポロの電源確保のため、こうして起った」
ピノが会話に割り込む。
「昔話は怪我人の手当と、野営の準備が整ってからにして」
夜。ユウバリの中心にある広場に、石炭で火が焚かれた。野営のテントが、火を囲んで敷かれ、ピノが火の番について、人々の行動を監視した。
夜明け。遠くから、人工的な金属音が近づいて来る。不審に思ったピノが、ユウバリの入り口で出迎える。朝日を受けて、金属が眩しく光る、電気自動車が列をなして近づいてきた。その光景を注意深く観察していたピノに、ショウが歩みよる。
「そう身構えるな。俺の救援隊だよ」
「電気自動車」
「人工農園を運営し、高度医療設備を整えた街だ。あれぐらい整備済みさ」
「…」
「そう恐い顔でにらむなよ。あれに戦闘装備は無い。怪我人を運ぶよ。あんたの恐竜。あれ、なんつったっけかな? ステマ…。ステタ…」
「ステゴザウルス」
「そう、それ。あんただけじゃ運びきれないだろ」
電気自動車と、戦闘意欲を失った人々が、互いに協力して、怪我人と共にサッポロへ向かった。ユウバリには、発電所維持に必要な人員だけが残された。人選は、ピノによる、旧人類と新人類の混成チームになった。全てが、男である。
サッポロに集められた旧人類と新人類は、ピノが組織した政権下で、とりあえず動き出した。半年に及ぶ闘病の末、マサオが回復する頃、長い冬が終わり、サッポロの街に春が訪れようとしていた。この頃には、旧人類と新人類の垣根は、一応、和らいでいた。ピノは政権を、ユウバリを含めた、サッポロ政府樹立委員会に譲った。
旅じたくを整えたピノは、ひとり、静かに、サッポロの街を出ようとしていた。
建物を出てすぐに、後ろから、ふたりの女の子が、ピノに声をかけた。
「ひとりで行くつもり?」
「まさか、あたしたちを置いて行くつもりじゃないでしょうね」
ピノは振り返ることなく、答えた。
「あたしは元の生活に戻るだけ」
「それって、永遠に地球上を彷徨うこと?」
「違う」
「じゃあ、目的は?」
「あたしを産んでくれた、母に会うため」
ピノが振り返ると、ピノと同じ旅じたくを整えたユウコとアルファ。その後ろにマサオ、ショウがいた。
「あたしも行くわ」
「もちろん、あたしもです」
「ダメ。これはあたし、個人の問題」
「そう、それはあなた個人の問題。正直、あたしたちは、それほど深い興味は無い」
「浅い興味ならある」
キッと、ユウコはアルファをにらむ。
「あたしたちが興味あるのは、外の世界」
「そう! 外の世界を見てみたい!」
「あたしたちが旅起つには、ピノと一緒の方が、なにかと都合が良い。だから、一緒に行くの」
「そう! 一緒に行きたいの」
再びユウコが、キッと、アルファをにらむ。
ショウが言う。
「連れてけよ。まあ、嫌だと言っても、後を着いて行くだろうけどな」
少し、考えて、ピノはあきらめたように言った。
「わかった」
「やったー!」
飛び跳ねて喜ぶアルファは、ピノに駆けよった。
ピノは、ショウとマサオに頭を下げた。
「お世話になりました」
「お礼を言うのはこっちさ」
「ありがとよ」
歩み去ろうとしたピノに、マサオが声をかけた。
「最後にひとつだけ教えてくれ。あんた、rephycofagespだったんだろ?」
ピノはニコッと笑みを浮かべて答えた。
「ただの、人間」
白い大地に、点々と足跡を残して遠ざかる三人の先に、北へ帰るケナガマンモスの群れが行進していた。