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ピノの旅 ─rephycofagesp(レフィコファゲスプ)─

作者: おだた

 ESE細胞という万能細胞の発明により、人体のほとんどの器官を、再生、治療することができるようになった近未来。ESE細胞と時を同じくして発明された、ナノマシンと、ナノデバイスによって、どんな重症患者でも治療が可能になった。

 それにより、遺伝子解析が急速に進み、冷凍マンモスの再生をはじめ、絶滅種の再現が可能になった。その副産物として、未知のウイルスが誕生。ESE細胞を持っている人間は発症しないが、それ以外の人間は、死滅していった。いつしか、ESE細胞によって治療を受けた人は、自らを(ネオ)人類(ヒユーマン)と呼び、死滅していく人間を(オールド)人類(ヒユーマン)と蔑んだ。

 人類は衰退し、人口爆発によって、急激な温暖化へ向かっていた地球の気候は、急激な人口減と合わせ、振り子が元へ戻るかのように、急激に寒冷化した。

 ウイルスの脅威は無くなったが、ESE細胞を持った人同士の間から生まれるのは、ESE細胞を持たない人間。つまり、(オールド)人類(ヒユーマン)だ。しかし、ESE細胞を持っているというだけで、自らを(ネオ)人類(ヒユーマン)と呼び、死滅していく人間を(オールド)人類(ヒユーマン)と蔑んだ歴史的軋轢から、お互い、相容れない存在となり、(オールド)人類(ヒユーマン)は、(ネオ)人類(ヒユーマン)ESE(エセ)人類(ヒユーマン)と逆に蔑んで、両者は争うようになった。

 そして、数百年後。

 空は、青く澄んでいる。大地は起伏に富み、遠くに山や丘、立ち枯れた木々は見えるが、今、ピノの歩いている雪原は平坦で、積もっている雪も浅く、砂のように滑らかだ。

 ピノは、いわゆる女子高校の制服を着ている。吐く息は白いが、それより厚く下に着込んでいる様子は無い。背にリュックを背負っている以外に荷物は無く、黒く長いストレートヘアを、時々吹く風になびかせ、汗を流すわけでもなく、寒さに身震いするわけでもなく、淡々と歩みを進めていた。

 遠くを、ケナガマンモス、十頭ほどの群れが、悠然と歩いていた。南へ向かっているようだ。訪れる冬に備え、南へ渡っているのだろう。

「ふう」

 ピノは、ちょっとだけ息をついて、歩みを止めた。マンモスの群れが、雪原に反射する太陽の向こうへ去って行く様を見届けた。白く眩しい、普通の人間であれば、網膜を焼かれて失明する光景を、ピノは平然と見送った。

 それから程なく、遠く山の峰に、たち昇る一筋の煙を見つけた。それは、数年ぶりに見る光景。人が住む証だ。山火事ではあのように、筋だって煙は昇らない。煙突からの排煙に違いない。ピノは歩みを速めた。

 峠を越えると、渓谷を取り囲む、小さな街に出た。街の外れに、大きな煙突が立っていて、天辺からモクモクと黒煙を吐き出していた。街に点在する家屋は、風雪や極寒から耐えられる構造であり、痛みもなく、道の雪が均らされているところから、人が住んでいるのは間違いない。ピノは嬉しくなって、ほとんど崖のような峠を転げ落ちるように、降りて行った。

 山肌を滑り降り、最初の民家の前に立った。遠慮ぎみにノックする。しかし、返事は無い。ドアや窓越しに中を覗きこむ。人の気配がする。

「こんにちは」

 声を掛け、今一度、ノックをする。しかし、応答は無い。

 他の家をめざし小走りにちかよって、同様にノックをする。

「こんにちは!」

 さっきよりも大きな声で呼んでみる。しかし、返事は無い。しかし、人の気配はする。

 民家の集まる、街の中心へ歩みを進めながら、ピノは人を呼び続けた。

「こんにちは! どなたか、いらっしゃいませんか?」

 返事は無いが、彼女のカンが人の気配を察していた。

「ふう」

 と、白い吐息を漏した瞬間、彼女の姿は地に消えた。

 薄暗い部屋の上に、丸い穴が青く空いていた。痛みはあったが、大怪我はしていないようだと、ピノは自分の体を自己分析した。上から漏れる光りは、常人からすれば淡く儚いが、犬の様に光るピノの目には、満月より明るい。

 部屋は、深さ十メートル、直径二メートルほどの筒状になっている。底は土。どうやら、昔の井戸跡らしい。

「落っこちたのか…」

 しかし、ピノはその認識をすぐに改めた。井戸の底には、ピノと同時に落ちてきたと思われる、割れた薄い板が四散し、板は雪片でカモフラージュされていた。

 おもむろに起きあがると、淡い光りに、蠢く影が差した。

 穴を覗きこむ、数人の影があった。

「おい!」

 野太い男の声が、古井戸の中に響く。

「おい! 生きてるか?」

「はい」

 ピノは明瞭な声で答えた。

「ほほう。この高さから落ちて生きていたか」

 意味のよくわからない問いかけだ。

「登ってこれるか?」

 これまた、意味のよくわからない問いかけだったが、ピノは正直に答えた。

「はい」

 言われるまま、ピノは壁に手をついた。凍ってはいるが、積み上げた煉瓦の凸凹がある。靴と靴下を脱ぎ、それをバッグにしまうと、凸凹に手と足の指を掛けた。指先の皮膚細胞を棘のように変化させ、ガラス面を登るヤモリのように、古井戸の壁を登って行った。

 登り切る直前。壁の頂上に手をかけようとした時、手がさしのべられた。ピノはその手を掴み、地上に引き上げられた。ピノを引き上げたのは、五十歳ぐらいの男だった。同時に、握った掌の細胞を通して、男の身体情報が伝わってきた。一瞬、男を見つめたが、男は目をそらした。

 ピノの周りには、数人が輪を作ってピノを取り囲んでいた。

 男は、ピノの手を振り払いながら言った。「ようこそ、ユウバリの街へ」

 他の人たちが、こわばった笑顔で男の言葉に呼応する。

「どうも」

 ピノは、軽くお辞儀をする。

「あんたが街に近づいて来たのは見えていたんだが、うちらはよそ者を嫌う。誰も住んでいないはずの、北からやって来たんだからなおさらだ。悪気は無かったんだが、ちょっと試させてもらった。許してくれ」

「はあ」

「とりあえず、中へどうぞ」

 ピノは、男に案内されるまま、街の中心部へ入っていった。

 街の中心には、比較的、大きな家が建ち並んでいる。その中でも一番大きな家に、ピノは招き入れられた。

 暖炉で石炭が燃えるリビングは暖かく、部屋の調度品は色彩豊か。テーブルや椅子には、この緯度地域ではめずらしく、本物の木が使われている。

 部屋に通されてから程なく、ピノと見た目、変わらない年齢の女の子が、メイド服姿にティーセットを持って入ってきた。彼女は黙々と紅茶を淹れ、カップをピノの前にさしだした。

「どうぞ」

 ピノは、軽くお辞儀をした。

「どうもありがとう」

 その時、大きな声で、さっきの男が入ってきた。

「たいへん、お待たせしました」

 男はピノの前に悠然と座った。

「私はこのユウバリで長を務めているマサオと申します」

 これは、自己紹介の流れかと、ピノは思った。

「ピノです」

「ピノさんは、どちらから?」

「ずっと北の、さらに北の、南からです」

「さらに北の、南からとは?」

「ロサンゼルスから太平洋を海岸沿いに歩いて来ました」

 一瞬、あっけにとられたマサオだったが、次の瞬間、大笑いをした。

「まさか、旧アメリカ合衆国のロサンゼルスから、陸路を延々と歩いて来なすったと」

「はい」

「ははははっ! さすが(ネオ)人類(ヒユーマン)。それで、今回はどのようなご用件でこちらに?」

「偶然、行く先にこちらの街が見えたので」

「立ち寄ってみたと」

「はい」

「なるほど」

 ふと、なにが考え事をして、男は言った。

「ユウコ」

「はい」

 紅茶を運んできたメイドが応えた。

「妻のユウコという。(オールド)人類(ヒユーマン)だ。こいつに(ネオ)人類(ヒユーマン)であらせられるピノさんの案内をさせるのは、大変、心苦しいのだが、他に適任者もいなくてな。ユウコ!」

「はい」

「ピノさんに街を案内してさしあげなさい」

「かしこまりました」

 ユウコは部屋のドアを開けた。

「どうぞ」

 なんなことかわからないが、ここは流れに身をませるところかと、ピノは思って、ユウコの後について部屋を出て行った。

 二人を見送ったマサオが、手にスティック状の機械を握り、ニヤリとほくそ笑んだ。

 外に出れば、また凍てつく寒さに身を裂かれる。しかし、ピノは相変わらずの、女子高生の制服のままだ。ユウコは厚手のコートを羽織っている。

 しばらくの間、なんの会話も無く、淡々と真っ白な街の中を歩いていた。家がまばらになると、先の巨大煙突を突きだした、大きな工場に入った。中は、外とは打って変わって、灼熱の暑さだった。ユウコはコートを脱いだ。

「ここがこの街の要。火力発電所よ」

 石炭をくべる口が赤く光っている。その上に、何本ものレールが敷かれ、その上をトロッコが何両も走っている。炭鉱の奥から載せてきた石炭を、投入口の真上で開け、石炭を投入する。

「昔の火力発電所を、現代風に再生したの。昔の火力発電所は、火力で水を沸騰させ、その蒸気圧でタービンを回し発電していたわ。今は、熱エネルギーを直接、電気に変換する素子で発電しているから、発電効率も、当時とは段違いの良さよ」

 ピノはぼーっと見ている。

「その石炭を掘削しているのが、こっち」

 ユウコは、石炭を積んだトロッコが入って来る坑道を指した。

「ユウバリは昔、この国では有数の炭鉱だったんだって。やがてエネルギーの主流が石炭から石油に取って代わられると、ここは一度閉山された。でも、石油が輸入できなくなった今、また、石炭の発掘が盛んになったのよ」

 ユウコは呆然と、石炭を積んだトロッコが坑道の坂から上がって来るのを見て、空になったトロッコが坑道を下っていく様を見ていた。

「あたしの友達が、この奥で石炭を掘っている。(オールド)人類(ヒユーマン)だから」

 ユウコの目がかすかに潤んだ。

「なぜ?」

「なぜって、あたしと同じ(オールド)人類(ヒユーマン)だから」

「なぜ、(オールド)人類(ヒユーマン)が石炭を掘っている?」

「不思議なこと訊くのね。大概の(ネオ)人類(ヒユーマン)なら、(オールド)人類(ヒユーマン)って事だけで、納得するのに」

「納得できない」

「この街の生活は、(ネオ)人類(ヒユーマン)が実権を握り、(オールド)人類(ヒユーマン)を奴隷同然に使って石炭を掘り、火力発電で得た電力を他の街に売ることで、成り立っているの。ま、(ネオ)人類(ヒユーマン)のあなたには、わからないでしょうけど」

「あたしは、(ネオ)人類(ヒユーマン)じゃない」

「え?」

「あたしはただの、(にん)(げん)

 その言葉を聞いて、ぽかーんとしていたユウコだったが、思わず吹き出し、大笑いした。

(にん)(げん)って、大昔の2(ツー)(ディメンシヨン)映像作品に出てくる人のこと? あなたちょっと、映画(ムービー)の見過ぎよ」

 その時、マサオの持っていたスティックのスイッチが入れられた。同時に、坑道の奥で爆発音がした。

「なにかしら?」

 ユウコは不安げな顔をした。と同時に、熱風と黒煙が炭坑から吹き出した。

「なにっ?!」

「人を呼んで」

 そう言って、ピノは炭坑に飛びこんだ。

「待ってピノ! 危険よ!」

 暗い坑道。点々と続く灯りを頼りに坑道を下り降りる。坑道の奥からたち昇ってくる黒煙に視界が悪くなる。目を犬のように光らせても、黒煙では見通す事ができない。

 ピノは掌を掲げた。

「アブラコウモリ!」

 ピノの掌から、掌サイズのコウモリが飛びたち、坑道の奥へ飛んで行った。

 ピノは目を閉じ、アブラコウモリの超音波を追う。

 音波は二百メートル先で、崩れた坑道を探知。数人が下敷きになり、数人が爆風で吹き飛んだ。残念だが、致命的な傷を負って、既に息をしていない人。崩れた瓦礫に埋もれ、息をすることすらできない人。多数が確認された。だた、四肢を裂傷しても息のある人がいる。全て男性である。

「ハイイログマ!」

 ピノの体が分裂するように、ハイイログマが現れ、坑道の奥に走って行った。

 坑道を駆け下りたハイイログマは、坑道の落盤で積み上がった瓦礫を、その大きな爪でかきだした。落盤の下敷きになった人は既に息をしていない。だが、積み上がった瓦礫は、人が通れるぐらいまで削り落とす事ができた。

「ゴリラ!」

 ハイイログマが、ゴリラに変身した。ゴリラは、息のある人間を両脇に抱え、坑道の出口目がけ、走った。

 ユウコの呼びかけで、坑道の入り口に来た人たちは驚いた。真っ黒に煤汚れた人が、息も絶え絶えながら、何人も横たわっているのだ。

 その時、坑道から、人を抱えたゴリラと、人を背負ったピノが、真っ黒に煤汚れて出てきた。ユウコは駆けよる。

「どういうこと?」

「坑道で爆破による落盤があった」

「爆破? 落盤?」

「息のある者だけ、急ぎ救出した。病院は?」

「病院なんてないわ」

「怪我人を手当てできる場所は?」

「救護室ならあるけど」

「みなさん! 手分けしてここにいる人たちを救護室に運んでください」

 ピノは人を背負ったまま、歩き出した。ゴリラもその後に続く。

「早く! ユウコは救護室まで案内して」

「ええ、わかった」

 気のない返事のユウコ。集まった人たちも、手分けして怪我人を担ぐが、動作は緩慢だ。

 街にひとつしかない救護室は、人が十人も入れば満杯なってしまう、小さな物だった。治療道具も包帯と消毒用アルコールの他、簡易レントゲン撮影装置ぐらいしかない。

 重傷者を優先的にベッドや床に寝かせ、軽傷者は廊下で手当てさせられた。忙しく患者の間を飛び回って適切な手当を施すピノに対して、ユウコを含めた他の人たちは、非協力的だった。

「なにをしている? 手当を手伝って」

 冷めた顔つきでユウコは言う。

「無駄よ」

「あきらめたらそこで試合終了。手当をすれば助かる」

「そういう意味じゃないのよ!」

「?」

 そこに、マサオがやって来る。

「これはこれはピノさん。これはどういうことで?」

「怪我人の手当を」

「怪我人? 手当? ふはっはっはっは!」

「なにかおかしな事を言いましたか?」

「いやいや、(ネオ)人類(ヒユーマン)の手当ならまだしも、(オールド)人類(ヒユーマン)の手当など不要でしょう」

「同じ人間よ」

「まさか、(ネオ)人類(ヒユーマン)(オールド)人類(ヒユーマン)はまったく別の人種です」

 マサオの言葉を無視して、ピノは怪我人の手当を続ける。

「残念ですなあ。長旅でお疲れの(ネオ)人類(ヒユーマン)であらせられるピノさんに、(オールド)人類(ヒユーマン)の断末魔を馳走いたしましたのに。お気に召しませんでしたかな?」

「お気に召しませんでした」

「それは残念」

「怪我人を治療したい。一番近い病院のある街は?」

「ここから西へ五十キロほど離れた所に、サッポロという街がある」

「サッポロへの道は?」

「川が見えるだろう」

 マサオは街の中心を流れる川を指した。

「川沿いに歩いて行けば着く」

 救護室の奥で、ひとりの手をとって泣いているユウコがいた。ピノが駆けよった。ユウコが握っている手は既に冷たかった。

「彼が、お友達?」

 ユウコはコクリとうなずいた。ピノは冷たくなった手をとって、胸に重ねた。

「ユウコ、ごめんなさい。つらいのはわかるけど、手伝って欲しい」

 振り向けば、救護室の中は、足の踏み場が無いほど、人で埋めつくされていた。

 救護室から出てきてピノは言った。

「重傷者を優先してサッポロへ運ぶ。まず、内臓損傷で早急な治療を有する者を優先して…」

「ちょっと待ってください。ピノさん」

 マサオが言葉をさえぎる。

「なんでしょう?」

「この街の掟で、怪我人はすべからく、街を出て行ってもらうことになっているんです」

「重傷者を優先して運ぶだけ。後から、手当の必要な者を迎えに来る」

「ダメだ。怪我人は全員、即刻、この街から出て行ってもらう」

「今すぐ手当てしなければ、重傷者は半日も持ちません」

「サッポロまでは、常人の足でも十時間以上かかる」

 ほくそ笑むマサオ。しかし、冷静な表情のピノ。

「どうしても?」

「街ができてからの、古い掟です」

「わかりました」

 ピノが、ゴリラを呼ぶ。ピノが手をかざす。「ステゴザウルス!」

 そのとたん、ゴリラは、それよりもさらに大きなステゴザウルスに変身した。ピノは街の人に言った。

「棘が見えると思います。あの棘に歩行困難な方を結び固定してください。歩ける人はなるべく歩いて。途中、苦しくなった時は、すぐに申し出てください」

 それまで緩慢だった人たちが、ピノの指示に従い、手早く救急隊を編成した。ピノは、重傷者を救護室に並べ、ひとりひとり、首筋に手を当てた。重傷者は静かに息を引き取った。ピノはその両手を胸の上に重ねた。

 怪我人を固定したステゴザウルスと、歩いてサッポロをめざす一団が、救護室の前にできた。

「ユウコ。協力ありがとう。あとはあたしに任せて」

「あたしも行くわ」

 一団に加わろうとしたユウコの手を、マサオがつかんだ。

「待て」

「なに?」

「おまえは怪我をしていないだろう」

 ニヤリとして、ユウコは腕をまくった。肘から血が出ていた。

「さっき、手伝っている時に怪我したみたい。怪我人はすべからく、出て行くのが掟なんでしょう?」

 マサオは、苦虫をかみ潰したような顔をした。

 ユウコはピノに声をかけた。

「行きましょう」

 ユウコは、一団の先頭に立って歩き出した。一同もそれに続いて歩き出した。

 ピノがステゴザウルスの小さな頭を撫でる。ステゴザウルスは、その巨体をゆっくりと起き上げ、ユウコに続いて歩き出した。

 遠ざかる一団を見送りながら、マサオはユウコに声をかけた。

「電気代の支払時期だと、サッポロの長に言っておけ!」

 しばらく歩いて、ピノはユウコに近づいた。

「その程度の怪我なら、清流で洗い流せば自然治癒する。無理について来る必要はない」

「あなたについて行きたくなったの」

「それは、友人を失ったからか?」

「それもあるけど…」

「旦那さんを置いてきて良いのか?」

 ユウコは怒り気味に言い捨てた。

「あの街は、一夫多妻制でね。あたしなんか何号目かわかったもんじゃないわ」

「そう」

 しばらく、一団は無言でステゴザウルスの歩みと共に、川沿いの道を歩いて行った。時々、川で給水の休憩を取りながら、歩みを進めたが、さすがに疲労する人が出始めた。テーピングやマッサージで回復する者にはなるべく歩いてもらい、それでも歩けなくなった者を、ピノとユウコや、歩くのには支障が無い程度の怪我人が背負い、歩みを進めた。

 おもむろに、ピノはユウコに訊いた。

「皆、家の中にこもって出てこなかったが、ユウバリは、女性が多いようだけど?」

「そうよ。男はこうして、定期的に間引かれるからね」

 日が暮れ始め、あたりが薄暗くなりはじめた頃、遠くに電気の明かりによる街並みが見えた。

「あれがサッポロの街よ」

 灯が明るく連なっている。街はすぐそこだ。その時、ピノとステゴザウルスが足を止めた。疑問に思ったユウコが言った。

「どうしたの?」

 暮れなずむ街並みを凝視してピノは言った。

「なにかいる」

 ピノがステゴザウルスの頭を撫でる。ステゴザウルスはゆっくりと腰を降ろす。

「ここから先へは一旦、あたしひとりで行きます。皆さんは、安全が確認できたら、改めて迎えに来ます。それまで待っていてください」

 ステゴザウルスに結ばれていた怪我人を卸し、ピノはステゴザウルスを連れて、サッポロの街並みに向かった。

 街は大小の家屋とビルからなっていた。打ち棄てられ、風化した廃屋と、まるで線引きをするように、ある一角から、突然、明かりの灯る建物が並ぶ。その境界から、百メートル手前まで接近した時、ピノより若干、幼い感じの女の子が立っているのが見えた。ピノと同じように、防寒具も着けずに。

 ピノは歩みをそのまま進めた。動じることなく、女の子も立っている。

 互いの距離が、間合いを詰めた時、女の子が叫んだ。

「サーベルタイガー!」

 女の子から分裂するように、サーベルタイガーが具現化すると、ピノを目がけて駆け、跳ねた。サーベルタイガーの長い牙が、ピノを捕らえようとする瞬間、ピノは瞬きもせず、軽く体を屈めた。その屈んだ死角から、ステゴザウルスの尾がムチのようにしなり、先端のスパイクが、サーベルタイガーを一蹴した。

 砕かれたサーベルタイガーは、血を流すことなく、粉々になって、女の子に戻っていった。あっけにとられ、呆然とする女の子。

「いやあ、たいしたもんです」

 女の子の後ろから、ユウバリの街の長と同じ年頃の男が歩みよってきた。

「マンモスを仕留めるサーベルタイガーが、たったの一撃でやられるとは。その生物はなんですか?」

「ステゴザウルス」

「ステゴザウルス? さて、聞いたことがありませんな」

「中生代ジュラ紀後期に栄えた草食恐竜」

「ほう。恐竜を操る(ネオ)人類(ヒユーマン)とは。噂には聞いていましたが…」

 男は一瞬、狼狽の表情を露にしたが、すぐに平静を取り戻した。

「ユウバリから来なすったかな?」

「はい」

「怪我人を連れて?」

「はい」

 ピノはじっと男を見つめる。

「そのご質問から推察して、こちらの事情は既にご存じのようですが?」

「ええ」

「早速、手当を願えますか?」

 男は一瞬、間を開ける。

「おい! 皆の者」

 後ろから、男ばかりの集団がやって来た。

「ユウバリから客人の到着だ。手当てしてやれ」

「「「はい!」」」

 男たちは、離れて待っていたユウバリの怪我人を、担架に乗せたり、背負ったりして、街の中まで運んだ。その様子に異常が無いか、ピノは見届けた。

 全ての怪我人が運びこまれるのを見送りながら、ユウコと一緒に、男に近づいた。男の隣には、さっきの女の子もいる。

「先ほどの無礼はお詫びします。なにせ、ユウバリからの来客には乱暴者が多くって。大変失礼しました。私はサッポロの街を束ねている、ショウと申します。こちらの女性は、既にご覧のとおり、あなたと同類。(ネオ)人類(ヒユーマン)でナノデバイス保有者です」

「アルファです」

「あたしはピノ」

 ショウがユウコを見る。

「女性はひとりだけですか? 早速、手当を」

「あたしは大丈夫よ」

「そうですか。日も暮れました。ここは寒い。中へどうぞ」

「ちょっと待って」

「なんでしょう?」

「ユウバリの長から伝言よ。そろそろ電気代の支払時期だ」

「そうですか…。了解しました」

 一同は建物の中に入った。

 風呂で炭を洗い流し、この街の衣服を借りたピノは、アルファの部屋に案内された。アルファの部屋は、いろいろな生き物のぬいぐるみで埋めつくされ、色鮮やかだった。

 入って来たピノの手を取って、アルファは言った。

「あの、その、はじめまして」

「はじめまして」

「あたし、自分以外のナノデバイス保有者と会ったの初めてで…。しかも、突然、あんな巨大で未知の生き物を具現化できちゃうなんて、なんか、すごい…」

「ここは?」

「あたしの部屋」

「いろんな生き物がいる」

「そう! みんなあたしの友達。具現化はできないけど…」

「あたしも、こんなにはできない」

「ねえ、教えて欲しいの」

「?」

「あれの出し方」

「それは、人に教えられてできるものじゃない」

「じゃあ、あなたはどうやってできるようになったの?」

「自分DNAに問いかけた」

「DNAに問いかける?」

「あなたが、サーベルタイガーを出した時と同じ事をすればいい」

「よくわからない」

「サーベルタイガー以外に出せる生き物は?」

 アルファは、フルフルと首を振った。

「じゃあ、それで良い」

「え?」

「サーベルタイガーだけ出せば良い」

「それは嫌。今まで、いろんな生き物を出そうとしたけど、できない。あなたは、ステゴ…、なんだっけ?」

「ステゴザウルス」

「そう、それ以外にも出せるんでしょう?」

「ええ」

「あたしも出せるようになりたい!」

「なぜ?」

「なぜって、ナノデバイスを持っているのに、もったいないじゃん」

「もったいない?」

「そう! ESE細胞とナノデバイスを組みあわせれば、過去から現在まで、全ての生き物を具現化できるのよ。理論的には。すばらしいことじゃない! あなたも、そう思うでしょう?」

「…」

「思わない?」

「よくわからない」

 その頃、怪我の治療を終えたユウコは、子供から大人まで、女性ばかりが一堂に会する広間に案内された。その中からひとり、年配の女性がユウコの前に立った。

「ようこそ、大奥へ」

「へ?」

「ここは、ショウが自分のお気に入りばかりを集めた側室。あなたもショウに見初められたのよ。うらやましいこと」

「ちょ、ちょっと待ってください。大奥とか、側室とか、つまり、その、そういうこと?」

「当たり。そういうこと」

「かんべんしてよ。あたしはユウバリでの愛人生活が嫌で抜け出して来たのに」

「元の木阿弥ね」

「そういえば、あたしと一緒に来た、ピノはどうしたの?」

「あの子はESE(エセ)人類(ヒユーマン)であり、ナノデバイス保有者。アルファと同じ扱いになったわ」

「ええ!?」

 同じ頃、ショウは傷の手当てを受けている、ユウバリの男たちの話を聞いていた。

「夕張の人口は?」

 手当を受けている男が答える。

「多くても千人。そのうち、七割が女性で、男の半数は子供だ」

(ネオ)人類(ヒユーマン)。いわゆる、ESE(エセ)人類(ヒユーマン)の数は?」

「全体の八割ぐらいだが、皆、ここから流された者ばかりだ」

「ナノデバイスは保有していないな?」

「蟻の子一匹、具現化することもできないよ」

「ピノとかいう、ナノデバイス保有者は?」

「流れ者だ」

「流れ者? どこから」

「詳しくは知らない。なんでも、北から来たとか」

「そうか。情報ありがとう。今夜はゆっくり休んでくれ」

 ショウは自室に戻ると、マイクのスイッチを入れた。

「全員に告ぐ。明朝0(ゼロ)6(ロク)0(ゼロ)0(ゼロ)時より、狩りに出発する。各自、明日に備えよ」

 ショウの声は街中に轟いた。それを聞いた男も女も、慌ただしく働き出したが、ユウコもピノも、なんのことかわからなかった。

「今のはなんのこと?」

「明日の朝、マンモスの狩りに出発するって」

「狩りはいつも、こうして始まるの?」

「今日はちょっと急かな。いつもはマンモスの群れの動向を追って、事前に計画が通達されるけど。それより、あたしも早く寝なくっちゃ」

「なぜ?」

「だって、あたしのサーベルタイガーがマンモス狩りの要だし」

「そう」

「ねえ、お願いがあるの」

「なに?」

「一緒に寝て欲しい」

「いいわ」

 ピノとアルファがひとつのベッドで寝る。

「ねえ、ピノ」

「なに?」

「ピノはどこから来たの?」

「ずっと北の、さらに北の、南から」

「ずっと北の、北の、南?」

「地球は丸いから、歩き続けたらそうなった」

「ふーん。どうして、そんな遠くから来たの?」

「お母さんを探して来た」

「お母さんを探して、旅をしてるの?」

「そう」

「そうなんだ…」

「あたしからも訊きたいことがある」

「なに?」

「あなたはいつ、移植手術を?」

「三年前。人工農場で作業中、農機具に巻きこまれて。右上腕開放骨折に、右肺、右腎臓、肝臓その他、骨と内臓のいろんなところが損傷したらしいです。目が覚めた時は、移植手術の後で、結果だけ後から知らされたんですけどね」

「そう…」

「会ったばかりでいきなり、デリケートなところ、突っこんで訊いてくるんですね」

「ごめんなさい」

「べつに、いいですけど」

「…」

「あたし、もう寝ます。明日早いし」

 アルファは、ピノの反対側を向いて、寝てしまった。かける言葉も無く、ピノもそのまま寝た。

 翌朝、目を覚ましたピノは、隣で寝ていたはずのアルファがいないことに気がついた。部屋の時計は午前七時を指そうとしていた。空調が整い、暖かなベッドで寝たのは年をさかのぼるほど前になる。普段、生き物の気配には敏感なはずのピノが、自分の隣で寝ていた生き物の動きを把握できなかった。窓からは朝日が眩しい。しかし、陽の暖かさを感じない。こんな感覚もひさしぶりだった。

 ドアが開き、ピノが両手に食器の載ったトレイを持って入って来た。

「おはようピノ。目が覚めた?」

「おはよう」

「朝食を持ってきたわ。一緒に食べましょ」

 ニコニコしながら、アルファはテーブルにトレイを置いた。

「あなたは…」

 アルファが語をさえぎる。

「あたしのことは、アルファって呼んで」

「そう。じゃあ、アルファ」

「はい」

「狩りのメンバーじゃなかったの?」

「そう思って、集合時刻に集合場所へ行ったんだけど、長から、おまえはピノから、ナノデバイスの扱い方を学んでこいって、帰された」

「そう…」

 ふたりはしばらく、無言のまま、朝食を食べていた。昨夜の事が気になっていたピノが言った。

「あの、昨夜の事なんだけど…」

「今日はご教授のほど、よろしくお願いします。師匠」

「師匠?」

「ナノデバイスの師匠ですから」

「師匠なんてできない」

「教えてくれないと困ります」

「ナノデバイスの扱い方は、教わるんじゃない。感じるもの」

「じゃあ、その感じ方を教えてください。師匠」

「いままでどおり、ピノでいい」

「それじゃあたしのことも、アルファって呼んでください」

「わかった」

「それでピノ。ナノデバイスの感じ方を教えてくれる?」

「もちろん。喜んで。アルファ」

 二人は微笑んだ。

 ショウを先頭にした「狩り」のメンバーは、成人男性ばかり、三千の数がユウバリをめざし行軍していた。中のひとりがつぶやいた。

「マンモスなら北だ。こっちは東。進行方向を間違えちゃいないか?」

 隣の男が言った。

「バカ! まだわからないのか。今回の進軍にアルファはいない。なにより、マンモス狩りに、こんな大人数は編成しない」

「つーと、どういう意味だ?」

「ユウバリを落とすつもりさ」

「戦争か!」

「シッ! 声が大きい」

「しかし、なんでまた、そんなことを」

「ユウバリの人口減は激しい。今、攻め落とすことができれば、火力発電所はサッポロのものだ。電気代として、食料を渡す必要もなくなる」

「ユウバリの人はどうなる?」

「長のマサオさえ殺っちまえば、戦はそれで終わり。(ネオ)人類(ヒユーマン)は、そのまま石炭掘りとして生かされるだろうが、抵抗するなら殺すことになるだろう」

「そうか…」

 ユウバリに向かう行軍は、雪に足跡を残した。

 朝食後、作業着を着せられ、農園に出されたユウコ。農園は、天井が透明の人工ドームになっていて、気温は高く日差しは眩しいくらい燦々と射しこんでいる。園内には一面、茶色く色づいた米が頭を垂れていた。

「ここはなに?」

 ユウコ世話係の女性が言う。

「人工農場よ」

「ここでなにをするの?」

「収穫よ」

 女性がクワを渡した。

「もしかして、昼は農作業。夜は長のお相手。というパターンの繰り返しですか?」

「だいたいあってる」

「はあ」

 ユウコは大きく肩を落とした。

 その時、遠い先、ドームのドアが開き、中からピノと、アルファが出てきた。ユウコは思わず手を振った。

「ピノ!」

 しかし、気がつかない。ユウコは、ピノに向かって駆け出した。世話係の女が言った。

「おい待て。おまえの仕事はこっちだ」

 ユウコは彼女の言葉を無視して駆けて行った。

 農園に出てきたピノとアルファ。

「ピノ。言われたとおり、広いところに来たわよ」

「じゃあ、生き物を具現化する練習をする。いきなり大きな生き物は難しいから、小さい生き物から」

「それで、どうするの?」

「まず、基本から復習。あたしたちは失った器官を、ESE細胞を移植して再生した。ESE細胞は、原始的なシアノバクテリアのDNAを元に創られた。原始のDNAを組み込んだことで、あらゆる生き物のDNAになじむ。その特性から"Earth Stage Everybady Cell(地球上に登場した全ての生物細胞)" 、いわゆるESE細胞と名付けられた。ESE細胞は万能細胞だけど、それだけでは、どの器官に再生するかわからない。ナノマシンで正確性を補う。ナノデバイスは、ナノマシン制御装置。ここまではわかった?」

「はい」

「ナノマシンは、あくまでも機械(マシン)だから、生きている細胞と違って、自己複製能力は無い。ESE細胞治療中は、デバイスと一緒に、外部から供給され続け、治療が終われば供給を止める。普通、この時点でナノマシン、ナノデバイスは、体内から消滅する。あたしたちは、消滅していない状態」

「原因は?」

「わからない。ナノデバイス自身が、細胞の自己複製機能を獲得した、という説があった。真偽は不明」

「そうなんだ…」

「ここからが本題。無意識にやっている、原始DNAの検索と、そこから発生するDNAの予測変換。イメージした生き物を、ESE細胞上に再現すること。あなたが、サーベルタイガーを出す時にしていること」

「意識したことないけど」

「無意識にやっていること。それを意識的にできるようになれば、どんな生き物も具現化できる」

「ホント!?」

「少なくとも、あたしはそうやってる」

「そう」

「まず、無意識にやっているDNA検索を意識するところからはじめてみる。目を閉じて」

「はい」

「サーベルタイガーを出す時と同じように、DNAを検索してみて」

「はい」

「DNAは見つかった?」

「はい。見つかりました」

「今回は、サーベルタイガーとは違うDNAを予測して」

「なにがいいですか?」

「なんでもいい」

「なんでもいいと、何が何だかわかりません」

「じゃあ、ニホンノウサギ」

「ニホンノウサギ?」

「ウサギの姿、形は知ってるでしょう。そのとおりDNAをトレースして」

「ウサギ。ウサギ。ウサギ…」

 そこに、ユウコがやって来た。

「ピノ!」

 ピノは人差し指を口に当てて、静かにしてと、合図を送った。

「どう? うまくウサギのDNAをトレースできた?」

 アルファは、両手を広げ叫んだ。

「ニホンノウサギ!」

 掌から、茶色い野ウサギが跳びだした。

「やった! できたよピノ!」

「良かった」

 ユウコが近づいてくる。

「すごい。これが噂に聞いた、ナノデバイス・テクノロジーって奴?」

「そう」

「ユウバリで見た、生き物を具現化する能力」

「現化した生き物は、あたしたちのESE細胞をナノデバイスで一時的に具現化しただけだから、長時間、具現化しているのは、かなり疲れる。アルファ、ウサギを戻して、別の生き物に挑戦してみて」

 ウサギは霧のようになって、アルファの掌に帰った。再び目を閉じ、ゴニョゴニョ呟く。

「カワラバト!」

 アルファの手からハトが飛びたった。

「良い。その調子」

 そこに、ユウコの教育係が歩いて来る。

「お気楽なこった」

「ユウバリからの友人を見つけたので、つい。すいません。今、農作業に戻ります」

 ユウコは頭をさげた。

「違うよ」

「はい?」

「私は、そっちのESE(エセ)人類(ヒユーマン)に言ったのさ」

 女は顎でピノを指した。

「なんのことでしょう?」

「あんた、ユウバリから来た流れ者だって?」

「そうですが?」

「今朝、起ったのは、ユウバリ討伐隊さ」

「戦ですか」

「そう。今、ユウバリの人口は少ないからね。あんたみたいなナノデバイス保有のESE(エセ)人類(ヒユーマン)もいないし、発電所を奪うチャンスなのさ」

 ピノは弾かれたように、ドームのドアに向かって走った。ドアに手を着くが、開かない。ドアの開閉スイッチに手をかざすが、開かない。

「無駄よ、ピノ」

 背後からユウコが声をかける。

「ここの出入りは厳しく制限されてる。認められた者しか出入りできないわ」

「あたしなら、出入り自由ですけどね」

 アルファが得意気にほくそ笑む。

「アルファ。お願い。開けて」

「良いですよ」

「ありがとう」

「あたしもユウバリに連れて行ってくれるなら。ですけど」

「それは無理」

「なんで!?」

「危険な場所に、アルファは連れて行けない」

「じゃあ、このドアは開けられませんね」

「アルファ、だっけ?」

「はい」

「そのままピノを止めといて」

 ユウコは元、来た場所へ走って行った。防寒具を持って戻ってきたユウコを見て、アルファはドアに手をかざした。ドアは静かに開いた。

 外に出たとたん、三人の息が白くなる。ユウコは持ってきた防寒具を着込む。

「ひゃー。外は寒いね」

 ピノは冷静に雪原の跡を追う。

「東へ向かっている」

「マンモスを狩るなら、北の水場へ行くはず。東のユウバリに向かったのね」

「歩いていたんじゃ、追いつけない」

 ピノは大きく手を広げた。

「エクウス・カバッルス!」

 手から黒毛の馬が現れた。ピノは跳び乗る。

「ふたりはドームに戻って」

 アルファも、手を振るわせ大声をあげた。

「エクウス・カバッルス!」

 アルファは、現れた馬に跳び乗ると、ユウコの手をとって後ろに乗せた。

「さあ! 行きましょう」

 雪原を蹴って、二頭の馬が東に向かって走り出した。

 ユウバリの街は、いつもどおり静かだった。やがて遠くから、軍勢の足音が、かすかに響いてくる。部屋で酒を飲んでいたマサオは、飲んでいたグラスをテーブルに叩きつけた。「やっと来たか」

 部屋のマイクを手にし、スイッチを入れた。

「敵襲! 敵襲!」

 外に出ていた女、子供は家に逃げ戸に鍵をかけた。男たちは、手に弓矢や剣などの武器を携えて出て来た。街の入り口に構えるユウバリの男たち。その先頭にマサオの姿がある。

 攻め入るサッポロ一団は、陣の中心にショウを置き、槍の前哨。剣と弓の中堅。

 ショウが威勢良く言い放つ。

「今こそ、忌々しいESE(エセ)人類(ヒユーマン)を殲滅する時だ!」

 一団が怒号をあげる。

「おー!」

 それを合図に、ショウの一団から、弓が放たれる。弓は大きく弧を描いて、ユウバリの一団に降りかかる。マサオが声をあげる。

「我に続け!」

「おー!」

 マサオを先頭に、ユウバリの一団が、降りそそぐ弓矢の中を突破して、サッポロの前哨に突進する。

 足跡を追って、東に馬を走らせた。途中から足跡は、川の手前から南へ進路を変えている。ピノとユウコが、ユウバリから来た道だ。正面の小高い山を川沿いに迂回すれば、ユウバリに着く。ピノは馬を止めた。

「あたしは山を越えていく。その方が早い。アルファは足跡を追って」

「じゃあ、あたしも山を越えて行く」

「アルファはダメ」

「なんで!?」

「雪の斜面は足下が悪い。正確なナノデバイスの制御が必要」

「それなら、あたしにだって」

「ダメ。あなたは今さっき、馬を具現化できたばかり」

「これより小さなサーベルタイガーを制御できたわ」

「滑落してもアルファなら助かる」

「なら…」

「ユウコは助からない」

「!」

「ユウコは任せた」

 ピノは馬を蹴って、川を一気に跳び越すと、山の斜面を登っていった。

 落ち込んでいるアルファに、一瞬、同情しそうになったが、ユウコはアルファの肩を叩いた。

「任せたよ。アルファ」

 覇気を取り戻し、アルファは足跡を追って馬を蹴った。

 雪の斜面を駆け上がり、峠に近づくと、その向こうから、大勢の怒声が響いてきた。峠を越え、ユウバリの街を見下ろした時、怒声が戦闘のそれであることに気がつく。

 ピノは冷静に戦況を分析する。想像はしていたが、大群のサッポロ一団に、少数のユウバリ一団は劣勢だった。それにしても、一方的すぎると、戦況の違和感はすぐに納得した。このような白兵戦では普通、大将を中心に陣を敷く。ユウバリ側は大将のマサオ自信が、先頭に立って、敵の前哨と剣を交わしていた。

 ピノは馬から跳び降りて、手を高くかざす。

「プテラノドン!」

 馬は、翼竜のプテラノドンに変わり、峠を滑空して下る。ピノはその足をつかんだ。

 戦場で、ひとりの男が、空から舞い降りてくる大きな鳥の姿を見て、絶叫した。

「なんだ! あれは!」

 その絶叫につられて、空を見あげた男たちが、次々に手を止めて空を見あげる。

 プテラノドンの足につかまり、グライダーのように滑空しながら、戦場に降りてくるピノ。その異様な空を飛ぶ生き物に、目を奪われ、戦場は一瞬、膠着した。両団の衝突する前線にあって、先頭であるマサオの前に、ピノはふわりと着陸した。プテラノドンは、つかんでいた足からピノに吸収されて消える。ピノはマサオに面して言った。

「あなた、死ぬつもりね」

 両軍とも、ピノの登場に茫然自失としている。唖然としていたマサオも、辛うじて声を出した。

「なんのことだ…」

「まず、このバカ騒ぎを止めて」

 答えに窮しているマサオをさしおいて、ショウが叫んだ。

「その女もESE(エセ)人類(ヒユーマン)だ! ユウバリ共々、殺ってしまえ!」

 サッポロの後陣から怒声が上がる。

「殺ってしまえ!」

「「「うおおー!」」」

 膠着していた戦況が動き、再び剣を交わしだす。ピノは戦う男たちに弾かれ、ひざまずいた。

「止めなさいって、言ってるのよ」

 静かに立ちあがって、手をかざす。

「ティラノサウル・レックス!」

 ピノの体から、巨大なティラノサウルスが具現化した。ティラノサウルスが尾をなぎ払うだけで、半径、十メートルの人が吹っ飛ばされた。その巨体を見ただけで、ほとんどの男たちは戦意を喪失し、逃げ惑った。それでも向かってくる男には、大きく口を開け、叫び声をあげて威嚇し、戦場を引っかき回すように、ティラノサウルスは暴れ回った。ただ、決して人を噛んだり、踏みつぶしたりはしない。

 川沿いに馬を走らせていたアルファとユウコの目の前に、信じられない光景が飛びこんできた。恐怖におののいた男どもが、我先に逃げ帰って来るのだ。

「どうしたの!?」

「怪物だ。怪物がでた」

「ぎゃー! 助けてくれ!」

 口々に、同じ悲鳴を上げながら、男たちが逃げて来る。それがピノの仕業であることに、ふたりは気がついていた。

 ふたりが戦場に着いた時には、戦闘は終わっていた。実際の戦闘で怪我をした男。暴れる怪物に腰を抜かしている男。その男たちを鎮圧した巨大な恐竜と、それを操るピノ。猛々しく、雄々しく、勇猛で、美しい。

 ピノは戦闘を瞬時に鎮静化させた。

 アルファがピノの元に駆けよる。

「殺ったの?」

「ちょっと、脅かしただけ」

 ユウコが歩みよる。

「本当に、それだけ?」

「それだけ」

「そうは見えないけど」

 地べたにうずくまっていたマサオが顔をあげながら言った。

「昔、人体の八十五パーセントをESE細胞で再生させた(ネオ)人類(ヒユーマン)がいたらしい。そいつは地球上、全ての生き物を具現化できる能力を有していたという。生き物の七大分類、

─界(regnum)、─門(phylum)、─綱(classis)、─目(ordo)、─科(familia)、─属(genus)、─種(species)。総じてrephycofagesp(レフィコファゲスプ)。名前は確か、ピノ=コ・アイ・ハザマ」

「…」

「あんたがその化け物だったのか」

「化け物じゃない。あたしはただの(にん)(げん)

「アルファ。ユウコ。手伝って欲しい。今からサッポロに帰っていたら、日が暮れてしまう。怪我人を民家に集め、暖をとらせて。サッポロ軍は、野営の装備をして来ている。あたしが石炭を街の広場、中心に集めて火を焚くから、それを中心に、野営させる」

「OK!」

「わかったわ」

 アルファとユウコは、街に散った。ピノは改めて、マサオと目線を合わせた。

「どうして俺が死ぬつもりだとわかった?」

「あなた、末期ガンね。最初に手を握った時、気が付いた」

「なぜ黙っていた」

「医者には守秘義務がある。あたしもそれに従っただけ」

「戦で死のうとしてたのも知っていたのか」

「あの布陣を見て、すぐ気が付いた」

「さすがだな。だったらあのまま、戦場で死なせてくれればよかったのに」

「あなたは死なない」

「バカいえ。全身に転移して、どうしようもないんだ」

「サッポロで、ESE細胞移植手術を受ければ助かる」

「さんざん(オールド)人類(ヒユーマン)を殺してきた俺が、(オールド)人類(ヒユーマン)の街、サッポロが助けてくれるはずがない」

 ふたりの会話に、ショウが割り込む。

「ずいぶんと弱気になったもんだな。マサオ」「ショウ…」

 ショウが、マサオに歩みよる。

「凍傷をESE細胞で治し、(ネオ)人類(ヒユーマン)としてユウバリに行った時が、つい昨日のようだ」

「三十年以上前の話だ」

「その三十年間、ずっと自分を責め続けたんだろう」

「そうさ! 俺は、ESE(エセ)人類(ヒユーマン)になんかなりたくなかった。人類を絶滅の縁に追い込んだ、ESE(エセ)人類(ヒユーマン)なんかに…」

「その点に関しては同感だ。だから、ESE(エセ)人類(ヒユーマン)を根絶し、サッポロの電源確保のため、こうして起った」

 ピノが会話に割り込む。

「昔話は怪我人の手当と、野営の準備が整ってからにして」

 夜。ユウバリの中心にある広場に、石炭で火が焚かれた。野営のテントが、火を囲んで敷かれ、ピノが火の番について、人々の行動を監視した。

 夜明け。遠くから、人工的な金属音が近づいて来る。不審に思ったピノが、ユウバリの入り口で出迎える。朝日を受けて、金属が眩しく光る、電気自動車(エレクトリツクカー)が列をなして近づいてきた。その光景を注意深く観察していたピノに、ショウが歩みよる。

「そう身構えるな。俺の救援隊だよ」

電気自動車(エレクトリツクカー)

「人工農園を運営し、高度医療設備を整えた街だ。あれぐらい整備済みさ」

「…」

「そう恐い顔でにらむなよ。あれに戦闘装備は無い。怪我人を運ぶよ。あんたの恐竜。あれ、なんつったっけかな? ステマ…。ステタ…」

「ステゴザウルス」

「そう、それ。あんただけじゃ運びきれないだろ」

 電気自動車(エレクトリツクカー)と、戦闘意欲を失った人々が、互いに協力して、怪我人と共にサッポロへ向かった。ユウバリには、発電所維持に必要な人員だけが残された。人選は、ピノによる、(オールド)人類(ヒユーマン)(ネオ)人類(ヒユーマン)の混成チームになった。全てが、男である。

 サッポロに集められた(オールド)人類(ヒユーマン)(ネオ)人類(ヒユーマン)は、ピノが組織した政権下で、とりあえず動き出した。半年に及ぶ闘病の末、マサオが回復する頃、長い冬が終わり、サッポロの街に春が訪れようとしていた。この頃には、(オールド)人類(ヒユーマン)(ネオ)人類(ヒユーマン)の垣根は、一応、和らいでいた。ピノは政権を、ユウバリを含めた、サッポロ政府樹立委員会に譲った。

 旅じたくを整えたピノは、ひとり、静かに、サッポロの街を出ようとしていた。

 建物を出てすぐに、後ろから、ふたりの女の子が、ピノに声をかけた。

「ひとりで行くつもり?」

「まさか、あたしたちを置いて行くつもりじゃないでしょうね」

 ピノは振り返ることなく、答えた。

「あたしは元の生活に戻るだけ」

「それって、永遠に地球上を彷徨うこと?」

「違う」

「じゃあ、目的は?」

「あたしを産んでくれた、母に会うため」

 ピノが振り返ると、ピノと同じ旅じたくを整えたユウコとアルファ。その後ろにマサオ、ショウがいた。

「あたしも行くわ」

「もちろん、あたしもです」

「ダメ。これはあたし、個人の問題」

「そう、それはあなた個人の問題。正直、あたしたちは、それほど深い興味は無い」

「浅い興味ならある」

 キッと、ユウコはアルファをにらむ。

「あたしたちが興味あるのは、外の世界」

「そう! 外の世界を見てみたい!」

「あたしたちが旅起つには、ピノと一緒の方が、なにかと都合が良い。だから、一緒に行くの」

「そう! 一緒に行きたいの」

 再びユウコが、キッと、アルファをにらむ。

 ショウが言う。

「連れてけよ。まあ、嫌だと言っても、後を着いて行くだろうけどな」

 少し、考えて、ピノはあきらめたように言った。

「わかった」

「やったー!」

 飛び跳ねて喜ぶアルファは、ピノに駆けよった。

 ピノは、ショウとマサオに頭を下げた。

「お世話になりました」

「お礼を言うのはこっちさ」

「ありがとよ」

 歩み去ろうとしたピノに、マサオが声をかけた。

「最後にひとつだけ教えてくれ。あんた、rephycofagesp(レフィコファゲスプ)だったんだろ?」

 ピノはニコッと笑みを浮かべて答えた。

「ただの、(にん)(げん)

 白い大地に、点々と足跡を残して遠ざかる三人の先に、北へ帰るケナガマンモスの群れが行進していた。


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