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「いきなり煙草をくゆらせご登場とは、相変わらずロックだねえ」
「そちらこそ、お変わりないようで…コスプレ神主サマ」
水桜と成子のご対面だ。
初めの挨拶からもう既に二人の間には火花が散っている。…いや。
火花を散らしているのは桂木成子警部補だけ、というのがこの場合正解かもしれない。神主、穂積水桜は何処か人をからかうような微笑を浮かべ、いつもの調子で軽口を叩いているだけだ。
相変わらずの水桜に対し成子はふう、と息を吐く。
千年世とは全く違う類の『無邪気さ』を持っているのだ、この男は。兄妹の共通点を挙げればその無邪気さになるのだが、水桜は邪気に邪気を重ねているのにそれを自覚していない類の…そうね、これは一種の『天然』と呼んでもいいんじゃないかと、目の前に佇み微笑を絶やさない男に対し成子はそう感じている。
「ロックは素晴らしいよ。だけど、煙草はもうやめたら?ほら、一応警察官なんだし」
「生憎、警察だって人間よ。…神じゃないわ。勿論街中での喫煙は控えている。というか、一応って何よ。いつもの嫌味?あなたの得意とする、ね」
水桜の物真似をしているのだろうか。成子は大げさに肩をすくめ、目を細めて笑う。だがこの成子の嫌味に『天然』水桜は気づかない。
「いやいやとんでもない、嫌味じゃないよ。成子君も意地悪だなあ、僕はただ、幼馴染の君が立派に職務を果たしている事に感心してるんだ。うんでも、やっぱり、煙草は良くないな。うん」
「…はいはい、解りました」呆れたように成子は言い、しゃがみこんで地に煙草を押し付けて火を消し、携帯灰皿に吸殻を入れる。「これでよござんして?」
問われた水桜はウンウンと頷いている。そして、
「禁煙の第一歩だね!成子君!僕がトレーナーになってあげよう!」とドヤ顔を成子に向ける。
「ご勘弁願うわ、穂積さん」
成子は敢えて苗字で水桜の事を呼んだ。そして言葉を続ける。
「今日は世間話をしに来た訳じゃない…まあ、用がなければあなたの元へなんてこないけど」
「いつもの行方不明者の居場所を探す…その手伝いを頼みに来た訳でもない。そうだね?」
「…よく解ったわね。そうよ、昨夜ひき逃げされたと思わしき女生徒の死体が発見された。検視に回しても、不可解な点が残っている」
「どう不可解なんだい?詳しく聞かせて頂こう」水桜の声色が、いつものおちゃらけから一変、真面目そのものになる。成子は答える。
「死因は車に引かれた事による轢死。それは間違いないの。ただ…」
「ただ?」
「心臓がくり抜かれていた。猛獣の牙のようなものでね…としか言えないわ。どんな凶器と照合してみても、型が合わないのよ。そしていったいどんな術を使ったのか…血液が抜かれていたわ、多量にね。これは総て、彼女が死亡してから起こった出来事。それしか検視ではわからなかった」
「…なる程、ね」
-遂にこの日が訪れたか-
水桜は成子に悟られないよう、腕組みをして思案にふけるフリをする。その実、少し震えているのだが。
「以上よ。あなたが前から頼んでいた怪異譚。奇妙な出来事が起こった時は直ぐに知らせてくれ-だったわね。…手助けされているんですもの、約束くらい守るわ」
穂積水桜という神主は、実は秘密裏に警察に手を貸している。
主に、というかほとんどが行方不明者の捜索の手伝いだ。水桜の神降ろしの力を借り、家出、失踪、迷子など、届け出があり警察や消防での捜索が行き詰まり打ち切りという所まで来た時、千樹宮の神主水桜の出番だ。
馬鹿馬鹿しい話だと成子は思う。…が、この神主が神を通じ示す彼らの行方は、恐るべき事に百発百中なのである。-死体と化した人間も含め。
「流石だね、百戦錬磨の神主サマは。まるでこの話をわたしが持ってくる事を予期してたかのよう」
「そりゃあ、解るよ。だっていつものお米袋、下げてないじゃない。ただの世間話するときでも、うちはお米、大歓迎!だよ」
昔からの慣わしとして、祈祷をお願いする際にはお米が必要なんだそうだ。
成子は無神論者ではあるが、こういった風習を無下に扱う事はしない。だからこそ、水桜は彼女の事を気にいってるのだろう。一方通行気味な気がするが。
「じゃあ今度米焼酎持って来てあげるわよ。一升瓶」
「やったー!いつでもうちは大歓迎、だからね!」
「…そうそう来ないと思うけどね」
そりゃあないよ成子君…とあからさまに肩を落とす水桜。
ゲンキンなヤツ…昔から、ちっとも変わりゃしないのね。あの頃からちっとも…。
でも、あんたも千年世を29という年で、しかも、兄という立場で育てているんだもんね。その苦労は、わたしにはわからない。
「千年世に会いには来るわ…だらしない長髪に銀の色を染めた型破りもいいとこの神主さまの背を見て育つあの子が心配だもの」
「そりゃありがたい!千年世も喜ぶよ、嗚呼、あの頃みたいだねえ…懐かしき青春…」
「やめて頂戴」成子は水桜が続けようとする言葉を制止した。目を輝かせ、両手を組んで少女漫画のヒロインのように恍惚としていた水桜は、そのポーズのまま成子へと目をやる。その視線の先、待っていたのは腕組みし、冷めた瞳を注ぐ女王様の姿。
「勘違いしないでよ、何もあんたとヨリを戻すって言う訳じゃ…」
「成子君、それをツンデレと世間では呼ぶのだよ。ウン、ウン」
目を瞑り口角を上げ一人満足そうに頷いているそのスキに、成子は水桜に背を向け歩き出す。境内に敷かれた砂利を踏みしめる音が水桜の瞳をこじ開けさせた。
「成子君、何度も言うようだけど煙草はやめた方がいいよ。君がいつか愛する人と結ばれ子をその身に宿した時の事を考えると、禁煙活動も大変だろうと心配しているんだ」
「あら、それも『ツンデレ』ってやつかしら」成子は振り返ろうともせず歩を進める。
「いや、これは幼馴染としての憂慮だよ。ツンもデレもなく純粋に」
血管が切れる音が聞こえるようよ、ブチッ、ブチッ、てね。
何故この男に対しここまでの怒りを抱かなければならないのか、そして何故、青春時代こんな男と交際していたのだろうか。神主様に是非訊いてみたいものだわ、『あの頃のわたしは何故あんなにも盲目だったのでしょうか?』…とね。帰ってくる言葉は解っている。『それは恋だね!』
カルシウムを溢れるほど摂取してから来るべきだった。
そう成子は後悔した。
「成子君、ありがとう。君のおかげでやっと…動き出せそうだ」
成子が千樹宮から去ったあと、お礼の言葉を口にする。しかしその感謝の言葉を受け取る者はもう此処には居ない。水桜という男は、不器用であるのだろうか?
否。
この男は恐らく、何も考えていない。勿論、女心というやつも。
「雲行きが怪しいね、色々と」
水桜は灰色の雲が泳ぐ空を仰いだ。
昨夜も雨だった。小雨ではあったが-「今日はこのまま、お天道様を拝める一日になると思ったのにな…さて、準備を始めるとするか」
水桜は支度を始める為、玄関へと戻った。待っていたのは無垢な瞳を輝かせ、行儀よくお座りをするシロ丸の姿だった。水桜は微笑む。
「行きたいんだね、『彼』の元に。わかっているよ、シロ丸。一緒に行こうか」
「ワン!」
元気よく返事するシロ丸の隣に座り、額を撫でる。
願いに応えてやりたいがまずは、あの人に報告しなければならない。…神社丁特別室長から紹介された、あの科学者のもとに…。