1
あの少女へ捧ぐ
-悪路神の火が灯る。
この中学校3年生という忙しい時期に妖どもは何してくれんだい、と千年世は思った。
部活帰りの帰路、彼女はその手に持つスマートフォンの画面にデカデカと現れた『WARNING』の文字を見ながら、ため息をひとつ。本日も『時止めの時間』か…って、こうしている場合じゃない!と言わんばかりに頭を振る。
千年世は赤く点滅する文字から目を離し、「リンナ!」と叫んだ。
しかしわざわざその名を呼ぶ必要は無かったようだ。千年世はその仰々しい…というか図々しい雰囲気を感知したのか、ショートボブの髪と紺色のセーラー服を風になびかせ、素早く振り返る。
其処には、鬼が居た。
鬼は桜の樹の枝に腰掛け、千年世を見下ろしている。春風に吹かれ散っていく花びらの中に佇んで。
「こっちの準備は万端だぜ、嬢ちゃんよぉ。俺は鼻が利くんだ」鬼は口を開く。黒の甲冑から伸びる手足は紫色、その色は鬼の肌全体に及び、金色の長い髪から伸びる角は長く、色は赤、青、黄色-三原色を立派に揃えた上に様々な色もプラスされている。
鬼と言えば真っ赤な顔と体に棍棒という古来からのセオリーを無視した-申し訳程度に甲冑には赤い装飾が施されてはいるが-その鬼は、高い鼻と大きな瞳という、外国人を想起させるほりの深い顔立ちであった。端正な顔から不敵な笑みを浮かべ、鋭い牙を覗かせる。鬼が樹から飛び降りたその刹那、その口が大きく開かれる。
「あんた!まだ正体現すんじゃないよ!みんなに見られたらどぉすんの!」
千年世は極彩色の鬼の角を思いっきり引っ張り言い放つ。
リンナと呼ばれた鬼は、大口を開けながらジタバタと抵抗し、「何しやがるこの小娘!切り刻まれてぇのか!?その気になれば俺はいつでもよ…」と言葉を続けようとする。が、その時、子供の喧嘩の仲裁に入るかのような静かな声が二人に向かう。その声は何故か、愉快さも併せ持っていた。
目を突き合わせ火花を散らす二人は、一時休戦というかのようにフン、と鼻を鳴らしながら同時にそっぽを向く。喧嘩をするほど何とやら、肩を並べて腕組み、同じポーズをしているという事実に二人は気づかない。
「WARNING…通知に気づかないはず、ないよね?千年世、リンナ。お前たちが戦わなければこの現し世は黄泉へ様変わり、だろうね。此処から向かうよ、もう」
「兄貴!あたし、まだ制服着たまんまだよ」
お前みたいな貧相な娘が見た目なぞ気にするとは生意気だ、と呟くリンナの頭を小突く千年世。その様子に笑いをこらえるのに必死なのか、『兄貴』と呼ばれた男は顔を俯け肩を小刻みに震わせて居る。だが直ぐに神妙な面持ちを取り戻し、「千年世、もう慣れた事だろう。着替えている時間はない、行くぞ」と告げた。そして己が足元を指し、「シロ丸だっているしね」と付け加える。
兄貴と呼ばれた男は、真っ白な狩袴に真っ赤な狩衣姿。神職に携わる者だと誰もが容易に予想出来るだろう。
しかし、その予想が予想で終わってしまうかもしれない理由を、この男は持っている。ロン毛流行全盛期の男どもが真っ青になってしまうほどに長く伸びた髪。一応結ってはいるが、それだけでは『予想』の範疇から出ることはないだろう。何故ならばその髪は、銀色に染まっているのだ。下手したらコスプレイヤーの態で語られる。
しかしこの千乃樹町では、もはやこの神主の奇妙な出で立ちは常識となっている。ここまでの長髪が似合う男などそうそういないが、困った事にこの神主は、一瞬女かと見まごう程の美男なのである。
その美男の下に居るのはこれまた可愛らしい犬である。『イケメン神主のお散歩にはシロ丸ちゃん』というのが此処千乃樹町の名物であり、例によってお姉さま方の目の保養となっている。
シロ丸と呼ばれた犬にはこれまた不思議な事に額に三つの斑点が、宿るかのようにくっついている。…いや、前足に二つ、後ろ足に同じく二つ、そして尻尾の付け根辺りに一つ…合計八つの斑点だ。まるで誰かにデザインされたかのように配置された斑点は、何かを示唆するかのように思える。そんな考察をされている当のシロ丸は、知ったこっちゃないというように、耳をピンと立て元気よく尻尾を振っている。
「ほら、シロ丸もやる気満々。僕も狩衣だし、動き易いことこの上なし!」
「…蹴鞠でもしてろよ、てめぇにゃちょうどいいだろ生臭神主様よ」
リンナは鎖に繋がれたシロ丸を見ながら毒づいた。
その瞬間、日常が崩れ去った。『あくまで日常』なのだが…。
太陽の光差す朗らかな町並みは一瞬にして灰色に包まれ、充満する黒い霧は公園で遊ぶ子供達の笑い声も民家から届く夕飯の香りも消し去ってしまう。
充分に景色がモノクロ化した時、シロ丸の首に下げられた鈴から男の声が響いた。そうそう、お姉さま方はこうも言っていた。『ワンちゃんに鈴ってのも、何だか不思議と萌えちゃうわよねえ』
「穂積君、標的の位置を確認した。やはり、その近くに居たらしい。其処から右手に向かってくれ」
「始まったみたいだね。流石利田君、仕事が早い」
「水桜兄貴とは違うね」
リンナに倣うかのように神主-水桜を毒づく千年世。
ハルキよろしく、目を瞑り『やれやれ』と肩をすくめせてみせる。そしてその目が開かれた時がスタート、と言わんばかりに、水桜の瞳が静謐かつ…鋭い者へと変化する。
「千年世、リンナ、右手に向かうぞ!」
放たれた凛々しき水桜の言葉を号令に、千年世とリンナは道票へと駆ける。
気合は十分。その気持ちはリンナに負ける事はないが、『あくまで人間』である千年世の足では、鬼であるリンナの速さに付いて行く事は出来ない。
リンナは千年世へ振り返り、ニヤリと牙を覗かせながら「体育の成績が悪いんじゃねぇかあ?あ、言い忘れるところだった。発育も悪いもんなあ!所謂!…保健体育ってやつよ」と、からかうように言った。
「堪忍袋の緒が切れたぁ!」
千年世はそう叫び、憎き鬼を最大限に睨みつける。モノクロに染まった田園風景を力いっぱい駆け抜ける…が、やはり鬼には勝てない。
畜生、このセクハラ鬼がぁ!と、息も絶え絶えの中怒りに打ち震えるが、走って走って、走って、もはや怒りも原動力にできなくなった体が、ふらりと傾いた時だった。リンナはその姿を見て、笑う。
此処ではお前は自由だぜ…ヤツフサ。
「ああっ、ちょっと待ってせめて鈴っていうか鎖っていうか首輪を」
水桜が言い終わらぬ内に、小型のトランシーバーを隠した鈴は地に落ちた。
心配しなくともトランシーバーは壊れてはいないだろうが、水桜が案じているのはちぎれた鎖や首輪をまた元に戻す作業の事だった。
これが毎回の事であるならば、対応策くらい考えておけばいいものを。
「小娘の世話は性に合わんがな」
気がつけば、傾き倒れる千年世のからだをすくい上げ、その背に乗せた者の姿があった。
「…シロ丸…」
「ハハッ!ロクに発育出来てねぇからだだもんなあ、お前さんが乗せてる姫様はよぉ」
そりゃ気も乗らねぇってもんだ、とセクハラを続けようとする鬼に突きつけられるのは、千年世が持つ名の無い刀だ。
可愛らしいシロ丸、の姿はもう無かった。神主さまがお連れになっているワンちゃん、という姿に萌えを抱くこの町のお姉さま方が一斉に卒倒するくらいの大きさ-人間3人位は軽く背に乗せられるだろうか-と、牙を剥き出しにした猛き表情。…狼。
いや、『山犬』だ。
千年世を乗せたその山犬は、リンナの頭上を高く飛び、再び地面に足をつけ走り出す。
「おいヤツフサぁ、いつの間にお前はその嬢ちゃんの乗騎になり下がったんだぁ?」追い抜かれたリンナは、彼がヤツフサと呼ぶ-『シロ丸』の後ろ姿にそう声をかける。シロ丸は振り返る事もなく答える。
「とうの昔の名で呼ぶな、鬼八よ」
「シロ丸の言う通り!くっだんない言い争いは、今は無し!とっとと終わらせるよ…リンナ」
千年世の言葉に、ハッ、と吐き捨てるように言い、リンナは空中へと舞い上がった。
田園地帯を真っ直ぐに駆け抜ける千年世とシロ丸を見下ろし呟く。「懐かしい名で呼びやがってよ…俺に皮肉とは、おもしれぇな」
目の前に広がる『蟲』どもの群れも、おもしれぇ事この上ないね!
◎用語解説◎
・悪路神の火
火の玉に属する。この火が灯る時疫病が起こるとされた。
作中でも古代都市ではこの火が灯り、それから『蟲』と呼ばれる病が都市を襲った。
現代パートでは蟲/妖が出現する際に灯る。それを合図に主人公達は戦闘に入ります。
・『時止』『時のない世界』
主人公達に協力する科学者、利田が研究開発したオーバーテクノロジー。
妖発生時に起動され、妖と共に主人公達も送り込まれる世界を『時止』と呼ぶ。
戦闘で一般市民に被害が及ばないよう開発された。しかしいかんせん、時間を止めるというオーバーテクノロジーで危うい化学装置なので、制限時間付きです。
・蟲/妖
古代での呼び名は蟲、現代では妖と呼ばれます。
妖の討伐が主人公達の主目的です。
専門用語が多く、わかりにくくてごめんなさい。
なるべく作中で説明出来るよう努めて参ります。 9/21 佐久良