第2話 青年と女の子と
家を一通り飾り付けた次の日。
シラーの家に再び来訪者が現れた。
慎重に玄関扉を開くと、その向こうに一人の青年が姿を現す。
「どうしたんだい? そんな風に警戒して」
扉を開けた先に青年は不思議そうな表情を浮かべながらも、それをすぐに引っ込めてさわやかな笑みを浮かべる。
その顔を見て、シラーは安堵したように息をもらした。
「昨日、ちょっとした侵入者がいたのよ。それで警戒していただけ」
「侵入者? ここにかい?」
「そうです。奴は見事な手筈でやすやすと侵入し暴れるだけ暴れて勝手に帰っていきました」
「なんなんだい? その状況は?」
シラーの説明に青年は困ったような表情を浮かべる。
「説明する必要はありません」
しかし、シラーはまともに説明することなく、青年を家の中に招き入れた。
青年は彼女がいう侵入者というのが誰なのか気になったが、引っ越すと言い出さないあたり大したことはないのだろうと考えて彼女の後についていく。
「まぁやっぱりというか、なんというか……すでにきれいになってるね」
青年はシラーという人物についてよく知っていたので、引っ越してから数日と経たないうちにきれいになっている家の中を見てもあまり驚いた様子は見せない。
彼は居間に入ると、そこにおいてあったソファーに腰掛けた。
そこにシラーが二つの紅茶を乗せた盆を持って現れる。
「砂糖とミルクはご自由に」
「どうも。まぁごちゃごちゃ言っていても仕方ないから、最初から本題に入らせてもらおうか」
「まったく、相変わらずディルは気が早いですね。少しは私との話やら紅茶を楽しんだらどうですか?」
シラーの言葉にディルと呼ばれた青年は小さくため息をつく。
「こちらとしては、あまり暇じゃないんだけどね……君の新居の自慢は後日聞くことにするよ。というわけで、今度こそ本題だ」
ディルは持っていたカバンからどっさりと重みのある袋を取り出す。
どさっという音を立てて机の上に乗せられたそれを見ると、シラーは嬉々とした表情を浮かべた。
「これですよこれ。これを待っていたのですよ」
シラーはそのまま袋に手を伸ばそうとするが、ディルはそれを阻止する。
「まったく、ゆっくりしてほしいと言ったり待ち遠しかったりと言ってみたり忙しいね。まぁいいや、それでこの家の代金……と言いたいところだけど、どのぐらい値切ったの?」
「何の話ですか?」
「とぼけないでよ。シラーのことだから、どうせボクからもらえる金との差分で儲けようとでもしているんでしょ? ほら、どれだけ値切ったの?」
意外と鋭いところをついてきたディルの指摘にシラーは思わず顔をしかめてしまう。
しかし、ここで素直に半額にしましたなんて言うのはなんだか癪だ。
シラーは少しの間を置いた後、口を開く。
「……四分の三の値段にしてもらいました」
「やっぱり値切っていたのか……まったく」
計算通りである。彼はシラーの提示した四分の三という数字を信じてその分の金額だけを袋から取り出す。
これで少なくはなったもののシラーの取り分はちゃんと確保できた。次からはこの作戦で行くといいかもしれない。
そんな腹積もりをたてながらシラーはそれを悟らせないために笑みを浮かべる。
「いつも悪いですね。いろいろと」
「こちらこそ、今回はわざわざこんな大事を引き受けてくれて感謝しているよ。まぁこの家はボクからのささやかなプレゼントだと思ってくれていい。君はいい加減腰を落ち着けるべきだ」
「どうも。それでも私は旅をつづけるつもりでいますよ。もちろん、ここに帰ってこないなんてことはないですし、もしもの時に帰れる場所を作ってくれたことはとても感謝しています」
シラーの言葉を聞くと、青年は半ばあきれたように息を漏らす。
「そうかい。まぁ君らしいかもしれないね」
「えぇ。そうじゃなきゃ私が私じゃなくなりそうですからね。いっそ、旅をしても疲れないような薬でも描こうかしら?」
「そんなの描けるのかい?」
ディルの問いかけにシラーはさも当然だとでも言いたげな表情で答える。
「私を誰だと思っているのですか? 不老不死の薬ですら実現可能ですよ。まぁそんなのあったところでつまらないので作りませんが」
「つまらないモノね……ほしがる人はいくらでもいそうだけど」
ディルが疑問を述べると、シラーは分かっていないといわんばかりに両手を広げて首を振る。
「そういう人ほど実際に使って、そのデメリットに気が付いて後悔した時には遅いのよ。自分だけが生き残って、孤独になって初めて気づくの。そこからは生きているか死んでいるかわからないような生活が続くだけね。たとえ、この世界が滅びようともね」
「ふーん。まるで見てきたような物言いだね」
「さぁ? どうかしら?」
あいまいな笑みを浮かべて、シラーは紅茶を口に含む。
その様子を見る限り、まるで不老不死の人間に会ったことがあるかのようにも見えるが、実際のところよくわからない。
これぐらいの内容であれば、少し冷静になって考えてみれば、誰でもたどり着きそうな結論であるし、そもそも不死者の存在など聞いたことがない。そう考えてみると、さすがに不死者に会ったことがあるなんてことはないのかもしれない。
ディルは自分の頭の中でそこまで整理して小さく息を吐く。
自分は何を期待しているのだろうか? 仮に彼女に不老不死の知り合いがいたところでディルには何ら関係ない。会ったところで何かがあるわけでもないだろうし、会って何かをしたいわけでもない。
ただの興味本位など時間の無駄だ。
ディルは自身の中でそう結論付けた。
そんなディルをシラーは楽しそうに口元をにやつかせながら観察している。
おそらく、彼女はわざとあいまいな反応を見せてディルの様子を楽しんでいるのだろう。いや、そうに違いない。
現に彼女はコソコソとディルの行動を絵に描いて記録しているようだし、それが飛び出さないように注意を払っているところを見ると、きっちり保存するつもりでいるようだ。
「まったく、相変わらずだね」
「相変わらずとか何とか言われるほど付き合いが長いつもりはありませんけれどね……まぁいちいちそんなこと気にしませんが」
「口に出している時点で気にしていないかい?」
「気にしてませんよ。まったく」
シラーはあくまで笑顔を崩さずに答える。
それがなんだか逆に怖くて、ディルは少し背筋が冷たくなった。別に彼女が何か脅しているとかそんなことはないし、これ自体はごく普通の会話だ。なのになぜ、このような感覚を覚えるのだろうか?
まさか、自分も結局のところ彼女に何かしらの形で恐怖を……
「ねぇディル」
「……えっ? なんだい?」
考え事のせいで若干反応が遅くなってしまった。
しかし、彼女はそんなこと気にする様子もなく体を少し震えさせながらディルの方を指差した。
「なんで……なんでさっきから、後ろに氷を出して背筋を冷やしているのに何も反応してくれないのですか?」
「へっ?」
彼女に言われて後ろを覗いてみると確かに大きな氷がでかでかと置いてある。
いつの間に持ってきたのか? という疑問はシラー・メアという人物の前では愚問にすぎない。
現に彼女はひたすら筆を動かしていたし、その中で氷の絵を描いてディルの背後に出現させることぐらいは容易なはずだ。
まったく、彼女のいたずら好きにも困ったものだ。
いずれにせよ、先ほどの背筋が凍るような感覚の正体はあっさりと見つけられたわけである。
ディルはこらえきれなくて笑い声を上げ始めたシラーを見て、小さく息を吐く。
「シラー。君はそのいたずら好きを直した方がいい」
「直す気はないですよ。だって、楽しいもの」
「そうかい。知らないよ?」
彼女のいたずらが度が過ぎるというわけでもない。
しかし、一応こういうことははっきりさせた方がいいだろう。まして、彼女はすでに幼い子供ではないのだ。
「大丈夫です。引き際ぐらい心得ていますよ。ある程度の一線は超えないように気を付けていますから」
「本当に大丈夫なのかい?」
「大丈夫です」
本人がそう主張するのなら問題はないのかもしれない。
そんなことを考えていたとき、ふいに誰かが扉をノックした。
「……シラー。来客みたいだよ」
「わかってますよ。ちょっと出てきます」
シラーは紅茶が入ったカップを机の上において玄関の方に歩いていく。
その背中を見送りながらディルはこんな辺鄙な場所に建つ家にも訪問者がいたりするのだななどと考えながら紅茶を口に含む。
その後、数分の間をおいてドンと何かをぶつけるような音の後に子供の足音が聞こえてくる。
「ディル! その侵入者捕まえて!」
玄関につながろう廊下から幼い子供が飛び出してきたのはその直後だった。
状況はよくわからないが、ディルは紅茶のカップを置いて子供の方に向かう。
部屋の入り口から走ってきた女の子は近くにあった木箱の上に飛び乗って、そこからさらに飛んでディルの頭を踏んで飛び越える。
「痛っ」
「昨日に次いですばしっこいですね。どうしてくれましょうか」
「えっ昨日の侵入者ってこの子なの?」
「そうです! というわけでとっとと捕まえてください!」
シラーがそういうころには、子供は窓際に立ってこちらの出方をうかがっていた。
その表情は警戒というよりも余裕の色の方が強い。
シラーの言動も含めて考えてみれば、恐らく昨日は相当苦労させられたのだろう。
「しかし、完全になめられてるよ。ボクら」
先ほどから女の子は移動する様子もなく、ずっとこちらを見ている。
その様子からは確かに余裕というか油断が感じられる。
今、とびかかれば勝てるのではないかとすら思えるのだが、恐らくそれをしたところで無駄になるだけだろう。
ディルは小さく息を吐いてシラーの方を向く。
「それで? どうするつもり?」
「捕まえるにきまっているじゃないですか。鍵をかけていて勝手に侵入するとは思えませんが、それでも家を空けるのが不安になるので」
「あーなるほどね……まぁわからなくもない。さて、それじゃさっそく行くとしようか」
シラーは筆を構え、ディルはとりあえず近くにあった縄を手に取る。
会話からこちらが動き出すとわかったのか、女の子も迎撃態勢を整えた。
「ディル! その縄で縛ってしないなさい!」
シラーのその声を合図にするように三者が一気に動き始める。
ディルが縄で捕縛しようとするのを彼に避けて、女の子はシラーの方へ向かう。
「飛んで火にいるなんとやらっていうやつですね! 覚悟なさい!」
「そんな簡単に捕まらないよ!」
筆で縄を描いてそれを女の子の周りに出現させるも、彼女はそれをやすやすと避けて逃れてしまう。
彼女は勢いそのままに廊下に出ようとするが、その行動は数分ほど前シラーがこっそりと出現させておいた透明な壁に激突することで阻まれる。
「痛っ! なんで出られないの!」
「さぁ? なんででしょうね?」
部屋から出られないことに焦る女の子のすぐ背後に縄を持ったシラーが現れる。
「さぁ覚悟してください! アリア!」
シラーはそういうと、あっさりとその女の子……アリアを縛り上げてしまった。
*
「それで? 何か言うことはある?」
縛り上げられ、天井からつるされているアリアに向かってシラーが声をかける。
「……この縄を解いてください」
「違うでしょ?」
「ごめんなさい」
「はい。よろしい」
アリアの謝罪を聞いたシラーはこれまたあっさりと彼女を床に降ろす。
ディルはシラーにしては珍しい行動だと思ったのだが、その考えは直後に覆される。
「あれ? 縄は?」
「ちゃんと天井から降ろしてあげてじゃない。何か不満?」
やはり、シラーは完全に拘束を解く気はないようである。
シラーのその言葉にアリアは目を丸くする。
「なんで! なんでそうなるの!」
「そんなの決まっているじゃないですか。いろいろとじっくりねっとり話を聞くためですよ。昨日はそれどころではありませんでしたから」
シラーは縛られたまま床に寝転がるアリアの前にしゃがんで笑顔を見せる。
その光景は傍から見れば子供の目線に合わせて話す優しいお姉さんだが、子供の方を縛っている縄のせいでそうは見えない。
ディルはついにため息さえつく気がなくなり頭を抱える
「あのさ、こんな子供に何を聞きたいわけ?」
「まぁおとなしく聞いてなさいな。私としてはどうしても気になることが二点ほどあるのよ」
「ほう」
ディルが眉をひそめるが、シラーはそんなこと気にも留めずにアリアの頭に手を置いた。
「時にアリア。あなたはどこから来たわけ? あなたはお隣さんだって名乗っていたけれど、どう見てもこのあたりに民家はないはずですよね? そして、次に……この島について。この島のあなたのおすすめの場所を教えてください」
前者はともかく、後者は縛った相手に聞くような内容ではないだろう。
ディルは内心そう思ったのだが、妙な火の粉が降りかかるといやなので口をつぐむ。
「なんでそんなこと聞くの? そもそも、島のおすすめの場所を聞きたいなら縄を解いてよ」
ディルが聞かなくても普通にアリアが疑問を口にした。まぁ当然と言えば当然なのかもしれない。
しかし、アリアはそんな常識通用しないといわんばかりにふでをアリアの前に突き出した。
「あなた。自分の立場が分かっていませんね。とりあえず、この島のおすすめの場所だけでも洗いざらいはいてもらいましょうか」
「そっちが重要なの!?」
「えぇ。もちろん。まぁあなたがどこから湧いてくるのかも気になりますけれど」
なんというか、人と感性がずれてるというオーラが全開でディルもアリアも話の展開についていけない。
だが、アリアは子供ながらにこのままでは拉致が開かないと察したようで小さく唸り声をあげて考え込む。
そのまま数分が経過したのち、アリアが顔をぱっとあげた。
「そうだ! グラン火山のふもとの温泉なんてどう? あそこは名湯だって言われていて訪れる人も少なからずいる場所よ。うん。確かお母さんがそんなことを言っていた気がする」
こどもながらにそのような結論にたどり着いたアリアの表情は満足げだ。
シラーはその言葉を聞いた後、少し考え込むようなしぐさを見せてから立ち上がる。
「そうね。さっそく準備をして向かいましょうか。ディル。その子の縄解いといて」
シラーはそういうと、手をひらひらと振りながら部屋から出ていく。
「えっ! ちょっと!」
結局、質問に答えたにも関わらず縛られたまま放置されたアリアが抗議の声を上げるが、ディルがすぐにその縄を解く。
「ありがとうお兄さん!」
アリアはそうやってお礼を言うと、逃げるように玄関の方へと走り去っていった。シラーに縛り上げられたのが相当こたえてきているのだろう。
ディルはそんな彼女の背中を見送った後、残りの紅茶を飲み干して立ち上がる。
「シラー。ボクは行くところがあるからもう帰られてせてもらうよ」
ディルは二階にいるであろうシラーに聞こえるような声量で声をかけた後、玄関扉を開けて外に出る。
「また、暇だったらいらっしゃい。私がいるっていう保証はできませんけれど」
帰り際、ディルの耳に届いたのはそんな言葉であった。