別話 回想6 (フェラリーデ視点)
単語解説
エンピ…炭の粉を細い棒状に固めて、紙を巻き付けた筆記具。紙を剥がして芯を出し、先を削って書きやすいようにして使う。つまり鉛筆のこと。
トカゲの一族…シーリード族(爬虫類系の種族)のうちの1つ。トカゲの特徴を持った一族。そのまんま。ようはリザードマンのこと。
「電気」…危険な雷を利用する技術とは、ハルカさんの故郷はずいぶん高度な技術を持っているようです。
そしてその力で「腕時計」が動いている…。どのように「電気」の力を留めているのでしょう?
さらに話を聞いていくと、ハルカさんの故郷の国は長い歴史があって、他にも様々な技術が伝わっているということでした。…どのような技術なのでしょう?
「…他にも、和紙という紙やこちらの箸という木を加工した食器など、さまざまな技術が伝わっています。」
ハルカさんが話しながら、黒い袋から次々と珍しい品物を出していきます。
艶やかな生地の袋に、紙の束、何か細い棒のようなものが入った布の入れ物。
出しながら、それぞれの品について説明してくれます。…袋や紙はともかく、食器も持ち歩いているのですか?変わった習慣です。
「あ、よろしければ、手にとって見てください。」
珍しい品を観察していると、ハルカさんから触れる許可をもらいました。
「よろしいのですか?」
気になってハルカさんに確認します。
どの品も高い技術で作られているのがわかります。
特に、「ちりめん」でしたか、この布など金まで使われています。とても高価なのではないでしょうか。
「ええ。別にたいしたものではありませんし。」
ハルカさんは何でも無い事のように答えます。
これは…本当にたいしたものではないと思っているようです。
ハルカさんの故郷では、このような品物は一般的な物なのでしょうか?
…そういえば、トイレの使い方を説明した時も、質問も無くむしろ安心していました。ルシェモモと変わらない技術を持っている可能性はあるでしょうね。
それとも、彼女は特別な階級に属しているのでしょうか?ヒト族は身分や階級といったもので差をつけたがる種族だと聞いています。
そして、上の階級に属するほど、高い技術で作られたものを持ち、知識と教養も高いのだとか…。
しかし、上の階級であればある程、派手な服装をした傲慢で高圧的な者が多いと聞きますが、ハルカさんにはそのような印象はありません。
むしろ、控えめで優しげな印象があります。そして、着ているものも仕立ては良さそうですが、こちらも控えめな…どちらかというと地味な服装です。
やはり、彼女の故郷の技術が高く、それが一般的なのだと考える方が良いようです。
せっかくなので、目の前にあった…「わし」という紙の束を手に取ります。
紙自体はこちらにもありますが、「わし」はまた違う質感ですね。
紙の質も薄くて均一です。触った感じでは、薄い割に丈夫そうです。
少しざらついていますが、インクの吸い取りは良さそうですね。にじむかもしれませんが、ペンではなくエンピなら書くのに支障はないでしょう。
1枚1枚めくっていくと、ハルカさんの故郷の文字でしょうか、見知らぬ記号が並んでいます。
数字が我々の使うものと同じなのは時計で確認済みですが、数字以外では大まかな特徴で3種類に分けられるようです。その3種類の文字を組み合わせて使っているみたいですね。
気になるのは、これらの文字とは特徴がまったく異なる文字が書かれていることです。
考えられるのは、違う体系の文字だということです。…ハルカさんは複数の文字を習得しているのでしょうか?
もしそうなら、こちらの文字もすぐに幾つか覚えてもらえるでしょう。文字は生活に必要ですから、できるだけ早く習得してもらわなくてはいけません。
長やキィに聞くまではっきりしませんが、おそらく、ハルカさんは帰れないでしょうから。
…我が一族のように。
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「…クルビスさんもどうぞ?」
声につられて見ると、クルビスが手にあの艶やかな袋を乗せられて、見ることを勧められていました。
私が避けた高価そうな「ちりめん」の袋をおっかなびっくり眺めています。
クルビスは親戚に染物の技術者がいたはずですから、私よりもあの布の価値を理解しているでしょう。
その間に、たしか食器だと紹介された細い棒を見ることにします。
確認のためにハルカさんを見ると、どうぞと言うように軽く頷いて微笑まれました。
許可をもらえたようなので、そっと袋から取り出します。
かなり固い袋ですね。出し入れには便利そうです。
よく見ると、こちらの袋に使われている布も単色ですが「ちりめん」の布に似ているような…。
ハルカさんの国では、このような布が一般的なのでしょうか?
気を取り直して、食器を見ます。
取り出して見ると、対なのか同じ形の棒が2つありました。それぞれの片方の先端は細く、もう片方の先端は太く作られています。
どのように使うのかはわかりませんが、太い方の端には花の模様が細かく描かれています。
棒の形は2つともまったく同じに見えます。
紙も食器もかなり高い技術で仕上げられているようですね。
「ハルカさんの国の技術はとても発達しているのですね。
この…食器の細かな細工も見事ですし、紙も薄くて均一です。
私の故郷でも紙は生産されていますが、もう少し厚みがありますね。」
一通り観察した後、品物を袋にしまって置いてあった場所に戻しました。
ハルカさんは、私の感想を興味深そうに聞いています。
「こちらの布も見事だ。ここまで細やかな染めは見たことがない。」
次に、クルビスが感想を言います。クルビスが言うなら相当ですね。
ルシェリード様のところで様々な布を見ているはずですが、それらと比べてもあの「ちりめん」の技術は高いということですね。
「…こちらはまた違う布なのだな。色鮮やかで美しい。
ココの布に似ているな。」
クルビスの手を見ますと、鮮やかな黄色の布を持っていました。
そういえば、袋の中を見る許可を取っていましたね。中に入っていたもののようです。
ココの布に似ているのですか…。ではとても手間のかかる染物でしょうね。
「そちらは髪飾りですね。
…ココという布に似ているんですか?」
ハルカさんがクルビスの手元の布を見ながら答えます。髪飾りだったんですね。
…そういえば、ハルカさんも髪に同じような髪飾りを付けていますね。
「ああ。色鮮やかで様々な色を染め分ける。
内外問わず、人気の高い布だな。
だが、ココは染めの色が増えれば増えるほど地の色は薄い色になっていく。
…この布は地色も鮮やかな黄色だ。」
クルビスがココの布の説明と手元の布との差異を話してくれます。
以前、親戚の技術者に延々聞かされたと愚痴を言っていましたが、役立ちましたね。
「にじまないように、糊を使うそうです。
それもただ使うだけではダメで、高い技術が必要とされます。
…ココの布も綺麗な布なんでしょうね。
そのお話からだと、特徴がとても似ていますね。」
ハルカさんはクルビスの疑問に答えてから、布自体の説明をしてくれます。
「その布は、紅型と言いまして、沖縄という日本の南の地方の染物です。
型を使って染め分けられるそうですが、工程が多く、非常に手間がかかります。
そのような黄色の布は、昔は特別なものだったそうです。
今では、一般にも出回っていて、私も布を手に入れたので、髪飾りを作ってみました。シュシュと言います。」
話ぶりから察するに、ハルカさんは「びんがた」という布の染め付けの技術を知っているようですね。
しかし、手を見ても染料で汚れているようには見えません。綺麗な手です。
「手法も今聞いた限りでは似ているようだ。
…ハルカは染め物の技術者なのか?」
同じ疑問を抱いたのか、クルビスがハルカさんに尋ねます。
しかし、彼女から返ってきたのは思いもよらない返事でした。
「違います。
私の知識は一般に公開されているものです。」
「「公開⁉︎」」
クルビスと同時に声を上げます。ありえません。
公開など聞いたこともない。技術の流出です。
驚きのあまり二の句をつげないでいると、ハルカさんは不思議そうに、さらにありえないことを言いました。
「ええ。以前、沖縄に行ったとき、工房を見学したことがあるだけです。」
工房の見学…ですか…。この言い方では、希望すれば見ることができるようですね。
もはや何と言ったらいいのかわかりません。
しかし、ここではっきりとわかったことがあります。ハルカさんは私の知るヒト族ではありません。
一族から聞いている限りでは、ヒト族とは、強欲で知識の占有を特権としていたような種族であったそうです。何百年たとうとも、それだけは変わらなかったと長も言っていました。
そんな種族が知識や技術を一般に公開する?ありえません。
ハルカさんは自分をヒト族と言いましたが、あまりにも違い過ぎる。このことは、長に報告しないといけないでしょうね。
「…技術は財産だ。
特にこのルシェモモでは。
だから、今ハルカが言った内容は、その技術に精通しているか、技術者に知り合いがいなければ知りようがないものだ。
一般に公開されているなど、ありえない。」
クルビスがハルカさんにこちらの常識を教えます。
彼女は驚いていたようですが、納得しているようにも見えました。
「そうなんですか。では、こちらには観光向けに染め物体験とかは無いんですか?」
ハルカさんがさらに質問を投げかけてきます。
これには私がルシェモモの観光事業を思い出しながら答えます。
「体験…ですか。そうですね。
小さな布に筆や紐で好きな模様を作り、気に入った色をつける、という催しを行う工房があります。
しかし、参加者が行えるのは模様をつけるまでで、最後の染め付けは技術者が行います。
染め付けは手が汚れますから。」
私が答えた後、ハルカさんは次いで何かを聞こうとしたようです。
しかし、最初の言葉を聞いた瞬間、私は彼女の話をさえぎっていました。
「私の世界では…」
「…ハルカさんはこことは違う世界から来たと知っていらっしゃるのですか?」
今確かに「私の世界では」と言いました。間違いありません。
彼女は自分が異世界にいることを理解しています。
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「違う世界…いわゆる異世界だと知っているか、ということですよね?
ええ。知ってますよ。
空の色が違いますから。」
私の緊張をよそに、ハルカさんは当たり前のことのように答えてくれました。
空の色が違う…それならすでに知っていて当然でしたね。彼女は朝からポムの小道を歩いていたのですから。
「空の色が…。そうですか、それで…。
先程から、『我々が知るはずが無い』という前提で話しておられるようだったので、気になっていました。
そこに先程の言葉です。」
ハルカさんに確認した理由を説明していきます。
彼女は頷きながら理解しているようでした。
これまで様子を見てきましたが、この落ち着きと聡明さなら、こちらの世界でのヒト族についても話せそうですね。
少しでも早く、自分は特異な存在なのだと理解してもらう方が良いですからね。彼女のためには。
クルビスも察したのか、彼女の様子を見守っています。
何かあったらすぐに対処するつもりのようです。お願いしますね。
「また、ハルカさんの種族はヒト族とのことでしたが、ヒト族という種族はこちらには存在しません。
そして、ハルカさんのような特徴を持つ種族もいません。」
私の話を聞いた後、彼女は驚いたように目を見開き、魔素が大きく揺れました。大丈夫でしょうか?
しかし、目をつぶってすぐに感情の揺れを治め、次に目を開けた時にはまっすぐ私を見てきたのです。
「…そうですか。
では、私の処遇はどうなるのでしょうか。」
あまりに見事な対処でした。
突然見知らぬ場所に放り出されたというのに…。稀有な女性ですね。
さて、彼女に聞かれたからには、彼女の処遇について答えなくては。
正直、ここまで話が上手くいくとは思っていませんでしたから、彼女をなだめることばかり考えていました。
とりあえず、ここの医務局で身柄をあずかることになっていますが、正式な決定ではありません。
長には報告するとしても、深緑の森の一族であずかって彼女にもしものことがあれば…。
我が一族はヒト族に狙われ続けました。まれに友好的な者もいたようですが、ほとんどのヒト族は略奪を目的としていたそうです。奴隷にされたこともあったらしく、すぐに助け出された者もいましたが、ずいぶん酷い目にあった者もいたとか。
そのような者たちはヒト族である彼女の保護に反対するかもしれません。
いっそ、ルシェリード様に事情を話して、彼女の保護をお願いしましょうか。
そうすれば、我が一族はたとえ不満があろうとも手出しは出来なくなります。
いえ、むしろ、積極的に彼女を守ろうとするでしょうね。
リーーンリリンリーーンリリン
彼女への対応に関して頭を悩ませていると、不思議な音が聞こえてきました。
魔素の音ですか?しかし聞いたことのない音…。
「…大丈夫だ。ここにはいろいろな種族が集まる。
だから、見知らぬ種族がいて当たり前だし、誰もそれを問題にしない。
俺もハルカのことを別の地方から来た技術者だと思っていた。」
視線を上げると、クルビスがハルカさんを励ましていました。
音は目の前から聞こえてきます。
リーーンリリンリーーンリリン
これは…2つの魔素が共鳴しあって…なんと澄んだ音でしょう。
心地よい音に耳を傾けつつも、クルビスの言った言葉の意味を考えます。
「大丈夫だ。」
クルビスはトカゲの一族の次の長です。これは確定しています。
彼ほど強い個体はいません。誰もが認める次代殿です。
その彼がハルカさんに味方するつもりでいる…。
少なくとも、トカゲの一族はハルカさんの味方につくでしょう。
「ええ。クルビスの言う通りです。
ルシェモモは技術都市ですから、その技術を学ぶために常に移住者がいます。
種族も様々ですから、生活する上でそのことについて特別に聞かれることもありませんし、差別もされません。
それがこの街で技術を学ぶための条件でもあります。」
ハルカさんを安心させるためにクルビスの言葉を引き継ぎながら説明します。
しかし、頭の中では動き出した状況に対する対応を目まぐるしく考えます。
クルビスはルシェリード様の唯一の孫です。
ルシェリード様は初孫であるクルビスにとても甘い。
クルビスは何ひとつ強請ったりしないそうですから余計でしょうね。
クルビスがハルカさんに味方するなら、ルシェリード様も味方になって下さるでしょう。
そうなれば…我が一族も芋づる式に味方につけることが出来ます。
クルビスは自分の影響力を良く理解しています。
ですが、その彼が動くことを決めた。…ならば、私も。
「もしもそのようなことをする者がいたら、周りが咎めますし、目に余るものは罪に問われます。
ですから、種族のことに関しては大丈夫だと思います。
安心して下さい。」
リーーンリリンリーーンリリン
心地よい音を耳にしつつ、ハルカさんを守る覚悟を決めます。
ハルカさん、この音を響かせられるあなたなら、クルビスを…たった1つで生きようとしている友を、救ってくれるかもしれません。




