別話 奇妙な訪問者2(クルビス視点)
彼女が何と言ったのかわからなかった。
とりあえず、聞き返してみるか。
「もう一度言ってくれないか?」
彼女が表情を強張らせてこちらを見ている。
先程までの何かを期待するような雰囲気は霧散していた。
何故だ?どうして泣きそうな目をするんだ。
…まさか、言葉がわからないのかっ。
最悪の予想が頭をよぎり、慌てて彼女の魔素に注意を払う。
…何てことだ。どうしたらこんな状態になるんだっ。
彼女の魔素は、枯渇寸前だった。
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とにかく、すぐに治療しなくてはいけない。
ここ迄の魔素切れは初めて見た。リードに見せるにしても、街までもつか?
…無理だな。
なら、少し乱暴だが仕方ない。何せ時間が無い。
俺は一方的に決めると、彼女を担いで森の出口まで急いだ。
幸いなことに、彼女は暴れたりしなかった。
…弱ってるせいかもしれんな。急ぐか。
出口に出ると、橋の所でタージャが出迎えてくれた。
遠目で見えてたのか、俺の姿は確認してたようだ。
「隊長っ。どうなさったんですかっ。それっ。」
俺が担いでいる彼女を見て、ギョッとした顔をする。
遠目では、荷物を担いでいるように見えてたんだろう。
「急病だ。魔素切れを起こしてる。俺が補給しながら行くから、医務局に連絡しておいてくれ。」
「っ。わかりましたっ。」
俺が簡単に今の状況を説明して、医務局への連絡を頼むと、タージャが了解して礼をとった。
すぐにその場を離れて、ミューシェ広場に着くと彼女をそっと降ろした。
…軽いな。ちゃんと食べてるのか?
そのせいで魔素切れを起こしたりしてないよな?
彼女のあまりの軽さにギョッとしながらも、顔には出さずに、なるべくゆっくりと、衝撃を与えないように地面に足をつけさせた。
手を離した途端、彼女がフラついた。
「おい、大丈夫かっ!」
とっさに彼女の腕をつかんで支える。
「€、€☆%$☆。♪€#☆¥%♪$°。」
すると、彼女が歯をむき出して何か言ってきた。
っ。威嚇?怖がらせたか?
やはり、いきなり担いだから、攫われたと思ったのか?
違うっ。そうじゃないっ。だが説明出来ない…。
どうしたものか悩んでいたが、彼女がキョトンとこちらを見ているのに気付いた。
…もしかして、威嚇じゃないのか?
種族によって動作の意味が違う、と聞いたことがある。
俺が見たこと無い種族だから、かなり遠方から来たのかもしれない。
それに、先程も、やはり彼女の言葉はわからなかった。
…時間が無いな。
しかし、このままでは、医務局にたどり着く前に魔素が無くなってしまう。
この状態では、転移も使えない。
…俺が魔素を補給しながら、ゆっくり歩いて行くしかないな。
素早く対応を決めると、彼女に声をかけて手を取った。
「ついて来い。」
言葉がわからないだろうから、端的に述べる。
あまりごちゃごちゃ言っても、尚更通じないだろう。
彼女の左手を俺の右手の上に置く。手の平が重なるようにしてから、魔素の補給を始めた。
…みるみる魔素が吸われていく。間違いなく魔素切れだ。
急いだ方がいいな。
だが、補給しながらだと手を離せない。
…仕方ないとは言え、まだるっこしい。
俺は、彼女の様子を観察しながら、つないだ手を引いて、ゆっくりと歩き始めた。
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街を歩いて行くと、まばらだったが、開いている店が増えていた。
シードに聞いた街の様子より、シーリード族の店が増えてるな。
良い傾向だ。
通りには、談笑している隊士の姿がある。朝1番で巡回に出した第1班のやつらだな。休憩中か。
シードが本部に戻してくれたんだろう。
これなら、他も通常通りに戻ったな。
…術士部隊は1日駆り出されるだろうが、仕方ない。
キィだけじゃなくて、術士部隊にも後で何かしてやろう。
キーファに相談するか。
そんなことを頭の隅で考えながらも、彼女の様子は注意深く見ていた。
彼女を急かさないように、意識してゆっくり歩く。
今は魔素を無駄に出来ない。少しでも負担をかけないようにしなくては。
幸い、彼女はルシェモモの街が珍しいらしく、広場の噴水や通りにある店など、あちこちをキラキラした瞳で眺めていた。
楽しむことは良いことだ。魔素が安定する。
…たまに表情が固まっているが、初めて見るものに驚いているんだろう。来たばかりの住民はよく驚いている。
もうすぐ本部だ。
彼女のこの様子なら、リードの所までもつだろう。
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本部に着くと、視線が一斉に集まる。
巡回から帰ったやつらだな。
…まだまだ元気そうだな。明日も大丈夫そうだ。
皆の何時もの調子に安心すると同時に、視線に含むものを感じる。
理由はわかっている。
彼女が黒を持っているからだ。
俺たち単色は総じて強い個体だ。しかし、その強さに比例して子が出来にくい。
一時期は、どの一族も数を減らす一方だったが、深緑の森の一族との協力により、体色関係無く、異種族と子を成せるようになった。
さらには、同じ体色を持つ者同士だと子が出来やすい、ということまでわかったそうだ。
以来、自分の伴侶を探すのに種族は問題ではなくなったが、相手に自分の色があることを求められるようになった…らしい。
…数の増えた今では、お互いに色を持たなくても伴侶になるし、同性で番ったりもするけどな。
しかし、それでも未だに、色は相手を選ぶ基準ではある。
俺は全身が黒一色だ。
そのため、伴侶には黒が多ければ多いほど良いと思われている。
黒を持つと、身体の動きが良くなり、力の強い個体になると言われ、単色以外では、この黒を体色に持っている者がモテる。
ほとんどの者は一部分にしか黒を持たないのだが…。
彼女の髪と目は違う。黒一色だ。
俺と同じだ。
…聞いたことがないぞ。
俺の親族にも、体色の大半が黒の者は幾つかいるが、俺のような全てが黒一色の個体は1つもいない。
体色は個体の魔素の質と量によって決まるのであって、両親から引き継ぐものではないからだ。
黒一色の俺が、同じく黒一色の彼女を連れてきた。
何事かと思うだろう。
隊士たちの好奇の視線も頷ける。
…だが、声をかけてくるやつはいない。
俺が細心の注意を払って、彼女を誘導しているのがわかるからだ。
ここの床は滑るからな。気を付けないと。
事務局まで真っ直ぐに進むと、隊士たちが道をあけてくれた。
医療部隊は彼女の状態に気付いたようだな。表情が固くなってる。
事務局までたどり着くと、中にはシードがいた。
「よお、どうした?そんな土産持ってきて。」
何時もの軽い口調だが、目が真剣だ。
只事じゃないのがわかるんだろう。目で、何があった、と聞いてくる。
俺もそれに端的に答える。
「急患だ。リードは医務局にいるか?」
「いるはずだぜ。さっき、リカルドが食器を取りに行ってたからな。」
「そうか。ありがとう。
後、病室のカギをくれ。…個室は空いてるだろう?」
「ああ。あいよっ。」
シードが放り投げたカギを受け取り、慎重に階段の方へ行く。階段に着いたら、彼女が肩の力を抜いたのがわかった。
やはり、歩きにくかったか。
そのまま慎重に階段を登り、医務室のドアを叩いた。
「はい。どうぞ入って下さい。」
リードが入室を促す。彼女を連れて中に入った。
中にいたリードが、彼女を見て驚いている。
黒一色の髪なんて初めて見ただろうな。
「そちらの方ですか?クルビス。…さあ、こちらへどうぞ?」
「☆、☆¥%…。$°♪¥#。☆$%、£☆%£€☆%♪¥#…。」
リードが俺に確認して、彼女を招く。
俺が彼女のことを言う前に、先に彼女がしゃべった。
言葉が通じないことを言ったんだろうな。
リードはそれを聞き、俺と彼女の繋いだ手を見て、すぐに事態を察したようだった。
「私はポム茶をいれてきます。クルビス、しばらく補給は続けて下さい。
…こちらへ座って下さい。」
リードは俺に指示を出し、彼女にイスを手振りで示してから、隣の部屋に行った。
隣には確か命の水があったな。
あれでポム茶をいれれば、とりあえず命は助かる。
彼女をイスの方に誘導すると、すぐに座った。
疲れただろうな。今まで歩けただけでも奇跡的だ。
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しばらくして、リードがポム茶を持って戻ってきた。
彼女がポム茶を飲んで、ようやく言葉がわかるようになる。
…良かった。これで一命は取り留めた。
「あの。どうして急に言葉がわかるようになったのでしょうか?」
しばらく、言葉がわかるようになったことに安心したようだったが、落ち着いてきたのか、リードに自分に起こったことを尋ね始めた。
普通、きちんと食べられる生活をしていたら、魔素の補給と消費は釣り合う。病気になってもまずこんな状態にはならないし、彼女も見たことがないんだろう。
いきなりこんな事になって不安なはずなのに、取り乱しもしない。
…気丈な女性だ。
「命の水…ですか?」
「ええ。この世界の全てのものには、存在するためのエネルギーが含まれています。我々はそれを『魔素』と呼んでいます。」
リードが穏やかに答えていくと、彼女は命の水について尋ねてきた。…命の水を知らないなら、この辺りの出身ではないな。
それを察して、リードが魔素のことから丁寧に説明し始める。
こういうことはリードの得意分野だ。任せよう。
俺は話に耳を傾けながら、魔素の補給に集中することにした。
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「しばらくしたら、また言葉が通じなくなるのでしょうか?」
「いいえ。このお茶は魔素を体内に留まらせるための薬湯です。命の水を使いましたので、ひと口でも充分に効果があります。もう大丈夫ですよ。」
ひと通り説明した後、まだ不安そうな彼女にリードが安心させるように穏やかに答える。
さすが医療部隊の隊長だ。患者の気持ちを荒立てないように気遣いながら話している。
俺では無理だな。
「…大丈夫、というのはどういうことでしょうか?言葉が通じるようになったのはありがたいのですが…。」
しかし、リードの答えを聞いて、かえって不安が増した顔で彼女が聞いてくる。
…ポム茶についても知らないようだな……魔素についての知識が全くないのか…。
命の水は知らなくても仕方ないが、ルシェモモに来る技術者ならば、基本知識として持っているはずの知識が無い…。
どうも彼女はチグハグだ。落ち着いた言動と話す内容が噛み合わない。
「…先程、魔素は生きているだけで消費されると申し上げましたね?魔素が枯渇した状態が続くと、その個体が世界に存在し続けることは出来なくなります。つまり、存在の消失ですね。」
リードも気付いたようだが、あくまで彼女の質問に丁寧に答えていた。
…彼女はまだポム茶をひと口飲んだだけだ。命を取り留めただけで、危険な状態には変わりないからな。
まずは、彼女の不安を取り除いて、安定させなければ…。
感情的になって魔素が散ったら意味がない。
「言葉が通じなくなる程に魔素が枯渇した状態は、限りなくゼロに近い危険な状態です。あなたは、存在の消失、その一歩手前だったんですよ。」
彼女の顔色が変わる。マズいっ。
…彼女の魔素に変化はなかった。良かった…。
リードが視線で俺に確認してくる。
今の彼女の状態では、魔素の変化が視認出来ないからだろう。
俺は軽く首を振り、問題ないと伝えた。
リードもホッとしたようだ。俺も焦った。
まあ、彼女のこれ迄の様子から、リードも事実を告げることにしたんだろうが…。
彼女は先程から、ポム茶をひと口飲んだだけだ。
できるなら、早急に今の状態を把握し、魔素の補給の必要性を理解して欲しい。
俺の補給はただの補助だ。
しかし、驚き過ぎたり、最悪、泣き出したりしたらもっとマズい。
慎重にいかなくては…。
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「…助けていただき、ありがとうございました。知らぬ間に大変お世話になったようで、何とお礼を申し上げればよいか…。」
俺たちが視線で確認しあっていると、突然彼女が頭を突き出してきた。
ギョッとして身体を引きそうになるが、彼女と繋いだままの右手を思い出し、そのまま留まる。
…あれは、この辺りでは戦うための姿勢だ。
今までの様子から考えて、知らずにやったんだろう。…わかっていても、身体が反応してしまう。
クスッ
「クルビス、大丈夫ですよ。彼女は感謝を表してくれているだけです。威嚇ではありません。」
リードが可笑しそうに笑いながら話す。
やはり、意味が違うのか。リードの知ってる種族なのか?
「…あの、威嚇とは何のことでしょうか?」
彼女が困惑しきった顔で聞いてくる。
やはり、知らないのか。
「こちらの彼の種族では、先程のような頭を突き出す行為は威嚇を表してしまい、戦闘態勢に入ることを意味します。」
リードが簡単に彼女に説明する。
すると、驚いた顔でこちらを向いた。
「すみませんっ。そんなつもりはありませんでした。…私の国では、感謝や謝罪するときに頭を下げるんです。」
ああっ。そんなに感情を揺らすなっ。
魔素が散ってしまうだろうっ。
「…大丈夫だ。こちらこそ、取り乱してすまなかった。さあ、お茶を飲むといい。まだ回復はしていないだろう?」
平静を装って気にしてないと伝える。
とにかく、ポム茶を飲ませなくては。
リードに確認するように話を向けると、理解したらしく頷いた。
「ええ。最悪の状態を脱しただけです。…さあ、お茶をどうぞ。片手が塞がっていて不便でしょうが、我慢してくださいね。今、手の平を通して魔素をあなたに補給しているんです。」
…そういや、俺が魔素を補給していることを言ってなかったな。
当たり前過ぎて忘れていた。
彼女の知識の無さなら、何故なのかわからないはずだ。
もしや、ずっと片手のままだから、警戒してポム茶を飲んでなかったのか?
…早く気付くべきだった。助かったぞリード。
「手の平から…ですか?…先程のお話だと、体内に取り込まなければ魔素は得られないと思ったんですが…。」
リードの説明に、疑問を返しながらもポム茶を飲んでくれた。
良かった。理解してくれたようだ。
…もうここ迄くればわかっている。
彼女はルシェモモに来た技術者ではない。




