第90話 治療 (クルビス視点)
近くに親はいないようだ。
納得がいかないが、生き物の気配が周囲に全くない以上、そうとしか判断出来ないだろう。
ドラゴンの魔素に怯えて逃げたか。まあ、野生の獣ならそれが普通の反応だ。
子育て中のセパの雌は子供を傍から離さないものだが、ドラゴン相手では本能の方が勝ったんだろう。
当分戻ってはこないだろう。もしかすると、ヒナのことは諦めるかもしれないな。
「あの、この子、死んじゃうんでしょうか?」
ハルカが泣きそうな顔で俺に聞いてくる。
魔素も不安定に揺れている。このヒナのためか?とにかく、安心させよう。
「いや。大丈夫だ。強い魔素に充てられて気絶しているだけだな。」
俺が答えると彼女はホッとした様子でヒナを見る。
だが、彼女の魔素は不安定なままだ。
女性は小さい生き物に弱いからな。可哀そうだと思っているんだろうか。
それにしては、魔素が不安定過ぎる。彼女の目に映っているのは…恐怖?
何故…もしかして、自分に重ねているのか?
…ありえなくはないか。ハルカも消えてしまう一歩手前だったしな。
それに、ハルカはこのヒナが元気に動いているところを見たと言っていた。
ハルカがこちらに来て接触した者は少ない。このヒナに対する思い入れは強いはずだ。
このまま魔素が不安定なのはマズいな。
セパのヒナもこのままというわけにはいかないし。
…共鳴してみるか。
伴侶同士の共鳴はあらゆる生き物の魔素の安定に効果がある。セパの飼育に使われることもあったはずだ。
「ハルカ。今から治療してみる。そのままヒナを支えていてくれ。」
ハルカの両手を包み込むように持ちながら、協力を願う。
彼女にはまだ共鳴の話はしていなかったはずだ。怪しまれずに触れるには言い訳がいる。
しかし、治療になるのは確かだから嘘ではないが、どうもだましているようで気が引ける。
だが、まあ、現状では仕方のないことだ。
妙に居心地の悪い思いを抱きながらも、彼女の魔素に干渉し始める。
彼女の魔素からも干渉が返ってきて、それをまた俺が返して…と、数回繰り返すうちに彼女の魔素と俺の魔素が共鳴し始める。
早いな。それだけ、彼女が俺を信頼してくれてるということだ。
嬉しくなって口元が緩んでくるが必死で引き締める。治療を行っているのに笑っていたらおかしいからな。
お互いに響きあって共鳴が一定のリズムを取りだすと、それで手の中にあるヒナを包み始める。
ヒナへの影響が少ないように、最初は手の平の周囲だけ魔素の量を少な目に。
少しずつ手の平に魔素を集めていき、最後はヒナを包むようにする。
…今のところ、ヒナの容体が悪化することも拒絶反応も無い。すでに魔素も安定してきている。
生まれたてだからというのもあるだろう。まだ、親の魔素に包まれて過ごす時期だから、安定した魔素の傍はゆりかごと同じだ。
ただ、ここまで効果が早いのは、このヒナがセパのヒナだったからだろうな。
他の獣では、ヒナは早々に親の魔素を覚えてしまい、親の魔素以外は拒絶するためこの方法だと干渉が難しい。
だが、セパは自ら魔素を安定させるものに近寄り、より良い魔素の影響を受けようとする性質があるため、外部からの魔素による干渉が他の獣よりかなり容易い。
それを利用して、飼いならしたセパを荷物の運搬や移動の際の乗り物に利用しているが、このヒナも外部からの魔素を拒絶も抵抗も無しに受け入れた。
野生のセパだが、連れ帰って飼育出来るだろう。俺が認識出来る範囲にいまだに親の気配がないということは、もう戻っては来ないということだ。
親がいないなら、どの道、放っておけば消えてしまうだけだしな。
それなら、連れ帰って優秀なセパに育て上げる方が良い。
しばらくすると、ヒナが目を開け、俺たちを見上げてきた。
不思議そうに俺とハルカを交互に見ている。
すると、途端にハルカの魔素の響きが強くなる。安堵。喜び。感謝。
共鳴している魔素から彼女の感情が流れ込んでくる。
もう彼女の魔素に不安定なところはない。
「よかったっ。クルビスさん、ありがとうございますっ。」
輝く笑顔と礼をもらい、そのまぶしさに彼女に見惚れる。
よかった。これで彼女もヒナも大丈夫だ。
俺もホッとしながら彼女に微笑みを返す。
「ああ。よかった。」
本当によかった。
彼女は自分を抑える術を持っているが、魔素を自在に操れるわけではないからな。
大きく不安定になると、そのまま魔素を制御出来なくなる可能性が高い。
彼女の魔素の強さでそうなったら、彼女だけでなく、周囲にもかなりの被害が及ぶに違いない。
ハルカはここへ来たばかりだから、不安なことの方が多いだろう。今後も気を付ける必要があるな。
リードにも報告して、場合によっては制御装置が必要になると伝えよう。彼女の身の安全が最優先だ。




