第181章~第185章
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礼拝前に焼いたクッキーは上々の出来で、麗美は、まるで自分が一人で作ったような気分ではしゃいでいた。あまりにもポリポリつまむので、ついに百合がストップをかける事態になった。
「村のみんなの分でもあるんですよ。それ以上食べたら、麗美さんがお土産に持って帰る分がなくなっちゃいます」
麗美は名残惜しそうな顔をしてから、じっと目を閉じた。どうやら口の中に風味を再現して味わっているらしい。
「あっ」
起き抜けのボサボサ頭の紗希が、猫のように俊敏な動きで、クッキーを一枚かすめていった。そして、見事獲物を捕らえた猫のように、それをくわえた顔で振り返ると、満足そうにニマッと笑った。
「足りるかしら……」
それ以外には何も言えず、百合はまたクッキーの数を数え始めた。
「何? 食べたちゃダメだった?」
もうすでにくわえたクッキーを、真顔で戻しかける紗希を、麗美が止める。
「それは食べちゃいなさい」
紗希は一瞬、え? いいの? という表情を見せたが、すぐにヘラッと笑って、ボリボリとクッキーをかみ砕き始める。その様子が麗美には、何故か捕まえたネズミを食べる猫に重なった。ボリボリという音は、骨を砕く音。
「……礼拝出席者の状況を見てからですけど、麗美さんが持ち帰れるのは五枚だけになりそうですね」
包み分けるためのビニールの小袋を広げる百合が、計算結果を報告した。
「あ、そんだけありゃ十分よ」
その後を表情から読みとって続けるならば、さしずめ、あと四枚は食べても平気という事ね、とでもなるだろうか。
「まぁ、お土産にするにはギリギリの枚数……ってとこですかね」
百合はさりげなく釘を差しながら、手際よくモールで袋の口を縛っていく。ほう、と口を開けたまま見ている紗希に気づき、百合は妙に決まりが悪くなって顔を赤らめた。
「紗希、頭、水つけた方がいいわよ。ボサボサじゃない」
「へ?」
「……ホントに見た目に無頓着なんだから」
「だぁってぇ。綺麗にしたって限界あるもん。私がおしゃれしたって、麗美さんみたいにはなれないしぃ……」
話が違うでしょうが、と表情で言って、麗美はほとんど頭一つ下にある紗希の頭をポンと叩いた。
「せめて見苦しくない程度には気を遣いなさい。まさか礼拝にパジャマで出る気じゃないでしょうね」
「それはしない。だって百合、ブラウスとスカートだもん」
「はいはい。んじゃ、顔洗って髪梳かすよ。まったく。せっかく綺麗な髪なのに。ケアが杜撰じゃ勿体ないわ」
背中を押して廊下の方へ向かわせる。
「麗美さんの方が、サラサラでツヤツヤのストレートでしょ?」
紗希はひょいと麗美の長い髪をつまみ上げ、しげしげと眺めた。豊かで艶やかな黒髪は、それだけでも十分に美しい。ずば抜けた美貌をもつ麗美の側にいると、自分など途方もなく平凡な存在に思えてくる。
(麗美さんは、自分の顔、どう思ってるんだろう?)
ふと唐突に、そんなことを考えた。
奇妙な事だった。
今まで、他人は一体どんな風に考えているのだろうと、そんなことを思ったことなどなかったのに。
ただ、自分が何だかポカポカした気分になれるから、『アドヴァーセリ』が欲しかっただけだった。
あの時だって、貴史の考えていることは全然解らなかった。
自分を殺そうとする者は敵なのだから、殺される前に殺してしまいなさい。
ずっとそれが真理である世界で育ってきた。
だから、自分を殺そうとした人間を好きだと言って、優しく笑いかけさえした貴史の考えは、ちっとも解らなかった。
(ねぇ貴史、どうして、私を好きだと言ってくれたの?)
じっと自分の髪を見つめる紗希の、後れ毛がピンピンと立った頭を叩いて、麗美はゆっくりした口調で、囁くように言った。
「人と比べない。紗希の髪は綺麗だし、顔だって可愛い。それに何より、私よりずっと綺麗な心を持ってる……」
途端、キュウッと胸を締めつけられるような感覚に襲われた。
「私、悪い子よ。大好きな人、殺そうとした、悪い子よ」
口の中に、血の味がよみがえる。貴史の与えてくれた血の味だ。今までに味わった誰の、そして何の血よりも美味しかった。
ごくりと唾を飲み込む。
同じ人間の血なのに、どうして貴史の血だけが、あんなに美味しかったのだろう?
積極的に与えてくれたからだろうか?
そうかもしれない。
血を啜っている私の頭を、ずっと優しく撫でてくれていた。『アドヴァーセリ』と話をしていた時よりずっと、温かい気分だった。
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ねぇ、こんな私でいいの?
何もしてあげることなんて出来ない、こんな私でいいの?
百合みたいに家事も上手くないし、麗美さんみたいに輝いてるわけでもないのに。
ねぇ、こんな私でもいいの?
あなたのために出来ることなんて何もない私なのに。
あなたに頼ってばっかりの私なのに。
あなたを傷つける以外に、能のない私なのに。
それでも、こんな私を、好きだと言ってくれたのは何故なの?
どうしようもない子どもの私。
泣きながら、それでも血を求めずにはいられない私。
とても自分勝手。自己中心的。
好きだと言ったその同じ口で、私はあなたの首を落としたいと言った。
それでも、そんな私を、何故好きだと抱きしめてくれたの?
ねぇ、あなたのために、私は何を償ったらいいの?
ううん、あなたのためだけじゃなくて、あなた以外の人たちのためにも。
私は何を償ったらいいの?
何も出来ない私。でも、何かせずにはいられない……
違う。何かしなくちゃいけないんだ。
でも、何をしたらいいの?
湿気を含んでしなった紗希の髪の毛に、麗美は手際よく櫛を通した。料理の時の不器用っぷりが、まるで嘘のように見える。
「短い髪は、そんな手がかからないんだから、もっとちゃんと拭きなさいよ」
「麗美さんはなんでロングなんですか?」
鏡越しに、今度は自分の髪を梳き始めた麗美を見やる。
「ん? 別に理由はないよ」
「理由もないのに、面倒な手入れしてるんですか?」
麗美は少し口ごもってから、唐突に話題を切り替えた。
「……小学校の時って、靴箱とか蓋なしのくせに、名前のシールだけはきっちり貼られててさ。学校帰りに中を見るのが、鬱陶しくてたまらなかった」
「なんでです?」
「ラブレターよ……私のことちっとも知らないくせに、好き放題に妄想膨らませて寄越しやがって……そのくせ、何の返事もしないでいると、父親がいないことを、いつまでもしつこくしつこくあげつらって……まったく……いったい何様のつもりだったのかしら? そんないちいち断りに行ける量じゃなかった。最初の頃はそうしてたけど……酷い日は下履きが埋もれてたくらいよ。ご丁寧に、先に来ていた分を全部破って、自分のだけ入れてった奴もいたわ。破って学校のゴミ箱に捨てて……そして次の日には、破ったのは私ということになってた」
フン、と小さく鼻を鳴らすのが聞こえた。
「本当に頭に来たから、そいつには会って、はっきり迷惑だと、人のいる前で宣言したの。そしたら侮辱されたと思ったのか、私いじめの急先鋒に加わったわ。どっからそんな言葉憶えてきたんだ……って思うくらい口汚く、私や私の母さんのことを罵ってきた……もちろん、そいつだけじゃなかったけどね……女子は全員が私を無視してた。体育とか家庭科とか、グループで何かをやらされる時は、いつでも苦痛でたまらなかった。声をかけたら、先生の口添えで、渋々入れてくれたこともあったけど……グループに参加すると言うことと、その一員になるというのは、同じようでいて全然別のことなのよね。結局村八分……それで私、三年生ぐらいから、全然学校に行かなくなった」
紗希は、体育や家庭科がいったいどんなものなのかは解らなかったが、黙って麗美の話を聞いていた。
「全く授業を聞かなくなっても、教科書を一回読みさえしたら、私はどんな問題だって解けたし、試験はいつも満点だった。それがまた、連中の癇に障ったみたいでね……どうせカンニングしたんだろう、って……また頭に来て……」
麗美はクスクスと、自嘲気味に笑った。
「リーダー格の男子をね、階段上から突き落として、全治三ヶ月の骨折をさせちゃったんだ。家にそいつの両親が殴り込んできて……母さんは、怪我させたことに対しては謝ってた……でもそんな状況になったことについては、私を庇ってくれた……けど私は、三ヶ月の骨折なんて、今までの私の心の傷に比べたら、全然足りない怪我だと思った……治療費の三十パーセントの負担で折り合いがついて、そいつらが帰った後、私、母さんに言ったのよ……どうして謝らなきゃいけないの? ……って……」
<ごめんね、麗美>
「母さんは私にも謝ったの……解らなかった。だって、母さんは何も悪くなかったのよ。私も、何も悪いことなんかしなかった……少なくとも、あいつを階段の上から突き落とす、その寸前の瞬間まではね。何も悪いことなんてしてしてなかったのに、何故あんな目に遭わなきゃいけなかったの? 理解出来なかった……本当に腹立たしくてたまらなかったわ。それで、ますます学校から足が遠のいた。家からさえ、殆ど出なくなった……たまにお使いで外に出て、道で同じ学校の児童に出会しても、みんな私を、エボラウィルスに感染した人みたいに避けていったわ……そこで、あの事件が起こったの……」
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「何が起こったんですか?」
紗希は、感情の読み取れない、けれども真剣な目で麗美を見上げた。
「死んだのよ。私を率先していじめていた男子二人と、女子一人がね。一人はため池で溺死……一人は駅の階段から転落死……そして残る一人は、轢き逃げに遭ったの……それも、警察の判断によると、明らかに故意に轢かれてた」
紗希はじっと、遠くを見つめる麗美の目を見つめた。
「現場の遺留品から、最後には犯人は割り出せたの……川口組系の、下っ端の構成員だったみたい。よくは憶えてないけど。でも、警察が彼を犯人だと突き止めた時には、もうその男は死んでた。心臓がコチコチに固まって」
麗美の口元が緩むのを、紗希は何か不思議なものを見るような気分で見つめた。
「そっから変な噂が流れた。母さんはいわゆる水商売をしてたんだけど、実は私は、どっかの暴力団員の娘なんじゃないか、って……みんな私を見ると逃げ出すようになった。もう忌々しくって仕方なかったわ。でも今にして思えば、その噂、当たらずとも遠からず、だったのよね……」
紗希はただでさえ大きな目を真ん丸に見開いて、麗美の闇色をした切れ長の目を見つめた。父親の南野と同じ目。でも、今は不思議と恐くはなかった。
麗美の声から、感情は消えていた。
「引っ越せるものなら引っ越したかったけど、経済的な理由で、そうはいかなかった。中学も、教科書をもらうだけもらって、家の中で一人勉強するだけで終えたわ。私の噂は、近隣の同い年くらいの人間なら、みんなが知ってた……
十五の年になって、私は高校を受験するのか、それとも中卒で就職するのか悩んだ。けど、就職のあてなんてなくて、結局進学になった。授業料の安い公立高校で、なおかつ、私をいじめていた人間たちには来られないような、高いレベルの学校。そこなら、通えるかも知れないと思ったの……自転車を使えばお金はかからないと思って、思い切って、ちょっと遠いところを受験したの。内申書は最悪だったけど……でも、学校に行けなかったのは私のせいじゃないんだから、って、必死で勉強したの」
「で、合格したんですか?」
麗美は、ちょっと照れくさそうに笑った。
「全教科満点でね……その時、二番で合格してたのが、達紀だった」
<君かァ、満点取ったってのは……てっきり僕が一番だと思ってたのになァ>
「達紀は噂のことは知らなかった。その学校の人間は、殆どだったんだけど。でもそれが吉と出たの。本当に良かったわ。いったいどんな勉強をしていたのかと訊かれて、私は正直に答えたわ。ずっと家で、自分で勉強してたって」
<君って天才だな。努力する天才だ。本物だよ>
「家で勉強してた理由も、何ヶ月か経ってから話したわ……それで、その時にやっと、何故自分があんな目にあったのかが解ったの。私が綺麗だったからだって、達紀は言った」
<美しいことは罪だ、って言葉があるのを知ってるか? 美しい人間は、そこにただ存在するだけで、往々にして揉め事の火種になっちまうんだ。たぶん君のケースは、典型的な例だろうな。でも、綺麗なのは悪いことじゃない。欲しがって手に入るものでも、あまりないからね……>
<ねえ、じゃあ、変なことを訊くけど、私のどこを一番綺麗だと思う?>
<うーん、そうだな……髪の毛かな?>
<髪の毛? 顔じゃなくて?>
<顔も綺麗だけどさ、光浴びてキラキラ光って見える時の髪の毛って、この世のものかと思うくらい綺麗だなぁ、って僕は思うな。特に君のは、触り心地が抜群にイイ。末摘花の髪もかくや、だね>
<それって褒めてんの? それとも貶してんの?>
<褒めてんだよ。末摘花って言ったら、源氏物語の中で、一番髪の毛の綺麗なお姫様じゃん>
<そして、一番不細工よね、たしか>
<でも心は綺麗だったと思うな……僕の妄想だけどさ……>
<私は、六条御息所が好きなんだけどな>
<えー? あの人恐くない? 自分の好きな人の付き合う女、片っ端から呪ってるじゃん。葵の上はとり殺すし、紫の上や女三宮にも憑くし、夕顔を殺したのだって、あの人なんだろ?>
<でも、彼女は誰よりも深く、源氏を『愛して』たんじゃないかしら? 誰にも渡したくなかった……自分だけを愛して欲しかったのよ>
「達紀に会えて良かった。そう思う……たぶんきっと、それは紗希、あなたと一緒よ。貴史に会えて良かった。そう思うでしょう?」
紗希は黙って頷いた。
(でも、悪い子……私はとても悪い子……貴史になんて釣り合わない。貴史はあんなに優しい人なのに……)
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「で、結局、なんで髪を伸ばしたんですか?」
元の話題を蒸し返すと、面白いほど麗美の顔が赤らんだ。
「達紀がね、私のことを綺麗って言ってくれた時にね、どこが一番綺麗かって訊いてみたの……そしたら、髪の毛だって……」
ゴニョゴニョと、尻尾の方はずいぶん不明瞭な声である。紗希はさっきまで考えていたことも忘れて、ニンマリ笑った。
「うわ、麗美さん、乙女ー!」
「オダマリ……服着替えるわよ。まぁた絵の具まみれになって……」
「昨日付いた分ですーぅ」
「はいはいはい。とにかくパジャマで礼拝はダメよ……で、何着るつもり?」
「百合のブラウスとスカート」
借り物ばかりである。
麗美は思わず苦笑したが、紗希の目を見てそれを引っ込めた。
(頭は大人、心は子ども……『私たち』はみんなそう。だけど紗希が、いちばん子ども……それも、歪んだ……)
大きな黒い目が、置いてきぼりにされた子どものように、麗美を見上げる。
(でも、たぶん、いちばん純粋で……透き通ってる)
<水晶は、歪むのではなく歪められる。そして歪められてもなお、透明なまま成長し続ける……ほら、途中から折れ曲がってるけど、でもキレイだろ?>
「黒川、紗希」
山村の声が、階段の方から聞こえてきた。目をやると、廊下の方に首を出して、手招きをしている。
「何ですか?」
麗美が尋ねる。
いつもならすでに黒い礼拝用の服を着ているのだが、今日の山村は、まだ薄灰色のシャツだけである。どうも地下に行っていたらしい。
「報せがあってな、今日の夜、永居と戸川の二人が、ここに来るらしい」
「え?」
「南野を告発する文書を、江波から託されたと」
麗美は目を見開いた。
「聞かせていいんですか、紗希に、そんな話を……」
「いい」
紗希は断言した。
「『モロク』。『アドヴァーセリ』の父親。本部が躍起になって追いかけてた一人。元『十三人会議』の一員。二十年以上前に、同じ『会議』のメンバーだった『ベローナ』と一緒に、某国政府からの離反を画策して、失敗した」
「紗希?」
「でも今は協定が成立してる……『ダーク・ディヴィジョン』は、再び統合された。『モロク』は、何か大きな『利益』を、『DD』にもたらすという約束で、某国ともう一回手を結び直した」
山村が驚いたように、紗希を見つめている。紗希の目線は固定され、口調はまるで辞書の文句でも読み上げるように、淡々としている。
「どこでそれを?」
山村の問いに、紗希はまた淡々と答えた。
「『アドヴァーセリ』から聞いた話と、私の昔の記憶をつなぎ合わせただけです……あそこは閉鎖社会だから、何かあればすぐ噂になって広がります。もちろん、機密情報は別ですけれど……人間関係に関しては、あそこほど隠し事の出来ないところは、少ないと思います」
「げにほうじゃろうの。われの言うたとおりのことが、永居からの連絡にあった……南野圭司はわしらが『暗黒師団』と呼ぶ『DD』の中でも、上位の人間だと……『モロク』……それがあがぁなぁの『名前』じゃと」
束の間の沈黙を破って、麗美は山村に尋ねた。
「他に、本部に送り込まれている『DD』のメンバーはいますか?」
「諜報員統括の湯浅だ。アガリアレプト……地獄帝国の家老の名前じゃ。宮廷や会議の秘密に詳しく、人間の間に憎しみや不信を起こすのが得意な魔神」
「モロクは?」
「涙の国の君主で、子どもを生け贄に要求する凶悪な魔神じゃ」
麗美は柳眉を顰め、半ば吐き捨てるように言った。
「ぴったりだわ……」
「危険じゃありません?」
唐突に紗希が言い出した。
「何がじゃ?」
「本部で、南野や湯浅の正体を知っている人がいたら……貴史や哲也君が無事本部にたどり着けば、議長命令であの二人は即刻処刑されるでしょう。でも、もしあの二人が『妨害され』たら、少なくともモロクは、何か理由をつけて、自分の正体を知っていると思しき人間を粛正すると思います……ひょっとすると、達紀さん、危ないかもしれない」
麗美の顔が青ざめる。
「紗希!」
「私にボロが出た。美夏にもボロが出るかも知れない。そしたら、美夏に命令を下せる存在は、モロクとアガリアレプトの二人以外にいない。美夏は遺伝子的に欠陥がない分、私より強い……」
痛いほどの沈黙が訪れた。それを破ったのは、壁の向こうから聞こえてきたピアノの音だった。
レ・ファ・ミ・ド・レー・ラー・ソ・ファ・ミ・レ・ドー
レ・ファ・ミ・ド・レー・ラー・ソ・ファ・ミ・ド・レー
レ・ファ・ミ・ド・レー・ラー・ソ・ファ・ミ・レ・ドー
レ・ファ・ミ・ド・レー・ラー・ソ・ファ・ミ・ド・レー
ファ・ミ・レー・ドー
レ・ミ・ファ・ソ・レー・ドー レ・ファ・ミ・ド・レー
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レ・ファ・ミ・ド・レー・ラー・ソ・ファ・ミ・レ・ドー
レ・ファ・ミ・ド・レー・ラー・ソ・ファ・ミ・ド・レー
レ・ファ・ミ・ド・レー・ラー・ソ・ファ・ミ・レ・ドー
レ・ファ・ミ・ド・レー・ラー・ソ・ファ・ミ・ド・レー
「ここにいる 私を 認めて そして できれば 愛して
誰にも 知られず かなしむ なら 死ぬことさえ できないから」
紗希がメロディーに合わせて口ずさんだ。
「Please see me in front of you. And please love me if you can love. If no-one knows me, that is tragedy for me. So I'll never be able to die.」
歌詞が英語に変わった。言っていることは同じだ。
「そんな歌詞があったの?」
紗希はこっくりと頷いた。
「『アドヴァーセリ』が、時々歌ってました……彼の母親が作ったそうです。そして、『ルシファー』が歌詞をつけたと」
「ルシファー?」
麗美がおうむ返しに言った。
「よく知りません……ただ、『アドヴァーセリ』にとって、とても大切な存在だったということしか……」
途端、山村と麗美の目が合った。
「前田浩一?」
「ほいじゃが、ルシファーは地獄帝国の皇帝……もしそれが『DD』のコードネームなら、トップに立っとるはずじゃが」
「愛称じゃないんですか?」
紗希の言葉に、二人はえっ?という視線を返した。
「私は『DD』の一員としての『モロク』に会ったことはありません。でも、本部で会った南野圭司の性格から、勝手に推測してもいいのなら、彼はとても力を欲する人間です……それも他者の運命を玩ぶような力を……自分の思い通りになる存在を、地獄の最高権力者の名前で呼ぶことは、彼にとって、楽しいお遊びなんじゃないんでしょうか?」
ハァーッと、麗美が長いため息をついた。
「幼稚ね」
「だって彼、子どもですもん。恐ろしく頭の切れる子どもですけど……まぁ、私もそうなんでしょうけど」
「解ってて子どもっぽい行動を取ってるの?」
あきれているように見える麗美の目を、紗希は平然と見返した。
「あれ『も』私の地なんです」
麗美の眉間に三本のしわが寄った。
「感覚で解らなかったら、絶対解りませんよ……んじゃ、着替えてきまぁす」
山村の横をササッとすり抜け、足音もなく軽快に上っていく。
「パンセに似てきたたぁ、思わんか?」
外れたままだった第一ボタンを留めながら、山村が言った。
「思います」
少しだけ笑って、それからまた麗美は厳しい表情になった。
「本部に戻るか?」
「戻った方が、いいと思います……達紀は南野の正体について、詳しく知っているわけじゃありませんし……それに、広崎君も危険です」
「広崎にゃあ、澤村から伝えさせりゃあえぇ……わりゃ、電波より早う動けるわけじゃあなかろうが……」
「でも、現時点で本部の方へ通信を行うのは危険です……いくらここが聖域と言っても、あの男にとってそうであるとは限らない」
山村は考える目をした。
麗美は、一刻も早く、本部に戻らなければならないような気がしていた。
(生きている達紀に、触れたい……)
機械越しの冷たい接触では、不安感は拭えない。
「好きにしんさい……わしゃあここを離れられんけぇ……」
「はい……紗希を、よろしくお願いします」
「解っとる……」
そう言って、山村はスッと麗美の肩に手を置いた。
「願わくは、主の御加護の、汝にあらんことを」
「アーメン」
言ってから照れくさくなって、麗美は少し笑った。
「五分後には出発します」
「気ィつけてな」
「はい」
紗希とは反対に、バタバタと派手に足音を立てながら上がっていく。
山村は時計を見た。後十分で十時だ。そろそろ聖歌隊のメンバーが、教会にやってくるはずだ。まだ着替えていなかったことを思い出して、彼もあわてて階段を上がる。
(しかし、間に合うんか? ここから本部まで、だいたい五時間かかるが……)
本部に着くのは、おおよそ午後の三時といったところか。
それまでに何事もないことを祈るのみだ。
百合の弾くピアノの音が止まった。
作中の曲は自作の鼻歌なんですが、後々に岸和田のだんじり祭りのDVDを見たら、エンディングにきわめてよく似たメロディが入っていて驚愕した。




