↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
30/45

第146章~第150章

          146


「もっと上手く、姿をくらます手もあったはずだった。だが私は、完全に自分を見失っていた。激情に翻弄されて、冷静になるなんてとてもできなかった」

 江波はそこで言葉を区切り、過去の自分を嘲るように小さく笑った。

「これで最後にしよう、と決めた夜、私は明かりをつけたまま、あいつを抱いた。蝋燭に灯した火であぶったナイフで、頬を焼かれたあいつをね……抵抗はしなかった……彼は私の居場所を無邪気に浸食してはいたけれど、全てを私に預けていたのだから……彼は私の命令なら、自分の命だって絶っただろう……だがそれは、あの男の許すことじゃなかった……私はまだ、あの男に刃向かうだけの力はなかった……私には、あいつを殺すことは許されていなかった」


 何故か、その様が想像出来た。ただ、前田は顔を背けていたけれど。

 顔を焼かれてもなお、愛せるものだろうか?

 哲也には理解出来なかった。

 ただ、江波の言っていることが真実であるのは知っていた。

 前田が言っていたのだから。自分は今でも、彼を憎み切れていない、と。


 憎み切れていない。

 憎しみだけを感じるなんてできない。

 まだ愛しているから。

 たとえ傷つけられても。


「だから私は、彼を傷つけ、私の記憶に彼を刻むだけにしておいた……それもあの男には、耐え難いことだったのかも知れないがね……あの男が唯一執着した女の面影を、私は潰してやったのだから……そのまま姿をくらました。それが五年前」

「そして三年前……その二年後に、あの人と再会した、というわけですか」

 江波は小さく頷いた。

「逃げていく君を追ってね……一瞬誰かと思ったが……声は殆ど変わっていなかったからな……それに、私を見る目も、全く変わっていなかった……」

 哲也はさっき聞かされたばかりの、あの三年前の恐ろしい出来事の真相を思い出して、身震いした。江波はそれと気づかなかったのか、はたまたただ無視しただけなのか、何も言わずに話を続けた。

「憎んでいるのなら私を殺せ、と、彼は言った……私は殺さなかった。ただ彼の足を撃ち抜いた。二度と会いたくないと思ったから……その時は」

「今は会いたいのですか?」

 そう問い返すと、彼は寂しそうに笑った。

「正直に言えば、そうだ……だが、あの男が全て妨害するのだ……全てを知っていて、全てを妨害する……あの男は浩一を盾にとって、私に命令を下し続けた……逆らえば浩一を殺す。そう言って、私の行動を規制した……事実、あいつの命はあの男の手に握られているんだよ……」

「いくら上級幹部でも、それは不可能じゃありませんか?」

 南野が冷酷な男なのは、もう十分すぎるほど知った。だが、それだけは、いくらなんでも不可能だろうと思った。

「浩一が死んでも、誰も何故死んだのかなんて判らないだろうさ……たとえ死体を解剖したところで、誰が殺したのかなんて判りゃしない……殺されたということは判ったとしても、ね」

「どういうことですか?」

「あいつの体の中には、一風変わったカプセルが埋め込まれている……小さなものだから、解剖したとしても見つけだせるかどうかは微妙だな……そのカプセルの中には、『こっち』の方で開発した毒が仕込まれている。詳しい成分は私も知らないが、とにかく、君たちの方でそれを見つけだすのは難しいだろうということだけは言える。あの男は、その気になれば、シグナル一つ発信するだけで、浩一を殺せるんだ……カプセルを壊す信号を……」

 江波の目は笑っていなかった。

「解除方法は?」

「ない」

 江波はきっぱりと、しかし絶望的な目で答えた。

「あるとすれば、あの男を殺すことだ。だが、もし南野が死ぬことによって、同時にカプセルが破壊される仕組みになっていたとしたら……」

 それ以上言う必要はない。

 江波は、長い息をついて、またカイムに水を渡すよう目で指示した。

「選択は、君たちがすればいい……長い話に付き合わせて、すまなかった」

「いいえ」

 その言葉は、自然に口をついて出た。

「何も知らないより、良かったと思いたいと、そう思います」

 その答えを聞いて、江波は穏やかに微笑んだ。

「そうか……」

 話は、それで終わりだと思った。

 だが南野は、カイムにまた何かの合図をした。彼は立ち上がり、一礼して席を外した。

「君に、頼みたいことがある」




          147


 戻ってきたカイムは、丁寧に封をされた、B5サイズの封筒を持っていた。

「一般的な形状には、都合でどうしても出来なくてね……」

 江波は、まじまじと封筒を見つめている哲也に、そう言った。

「私の、遺言状だ……君に預けようと思う」

 哲也は自分の耳を疑った。

「俺に預ける?」

「私には時間が残されていない。それは預けられる『パッシフローラ』の人間は、君だけだ……それは私の遺言状であると同時に、南野を……あの男を破滅に追いやる鍵も入っている……二年前に『DD』の研究所で調べさせた、あの男と浩一のDNAパターンに関する書類、それからあの男と三原浩美の関係を証明する書類……そういった類のものだ。それからあの男と、記憶にある限りの『パッシフローラ』のメンバーで、同時に『DD』に所属している人間たちの名簿と、その証明書類も……」

 江波の額に汗が滲んでいる。疲労の色はますます顕著になっていた。カイムの爬虫類じみた不思議な目は、より心配の色を増して、主人を見つめている。だが、江波は話を止めようとはしなかった。

「DNAと戸籍に関する書類の方は、握りつぶしてもいい……浩一がそう望むのなら……だが、あの男が『パッシフローラ』にとっての裏切り者である、という情報の方は、絶対に議長に渡してくれ……」

 哲也はじっと、カイムの大切そうに抱える封筒を見つめていた。

「何故、裏切り者のはずのあんたが、『ブラッディ・エンジェル』のために、そんなことをしてくれるんです?」

 江波は少し考え込んだようだった。

「……そうだな……一番率直に心の底をさらけ出すなら、あの男を破滅させてやりたいからだ」

 哲也を見つめる赤い目は、静かに澄んでいた。

 江波は、それから、と繋ぎ語を言って、一度大きく息を吸った。

「あの男が死ぬことは、浩一が死ぬことなのかも知れない……だが私は、これはあいつへの償いだと思っている……おそらく私のエゴだろうが、それでも」

「俺がこれを握りつぶすとは考えないんですか?」

 そう言ってみると、江波はニヤリと笑った。

「君は私の話を聞いてくれた。まぁ、もはや何も出来ない姿になり果てていることに、少しばかりの同情をくれただけかもしれないが……」

 哲也は心の奥を見透かされたような気がして、ドキリとした。

 江波は構わずに言葉を続けた。

「君だって、君の組織が知らぬ間に乗っ取られていくのを知っていて、わざとその情報を隠したりするつもりはないだろう?」

 たとえ不本意な気がしても、江波の遺言状は本部に持ち帰らなければならないのだ。『ブラッディ・エンジェル』を存続させたいと思うのなら。

 哲也は、ぎゅっと拳を握りしめて、真っ直ぐに江波の目を見据えた。

「あの男は、『DD』が一国にしか影響力を持たないので、他の国際的ネットワークを持つ組織を操ることを画策した。それも、なるべく簡単に乗っ取れそうな組織。目をつけられたのが、戦後からの歴史しかない『パッシフローラ』……つまり『ブラッディ・エンジェル』だった。短い歴史のわりには、大きなネットワークを持っていたからね……そして彼は、前線から生きて戻り、本部の中で昇進を続け、上級幹部にまでなった。あとは議長の椅子だけだ……解るだろう? 次の選挙で彼が当選するかも知れない……そうなったら、君のいる組織が、彼のいいように変えられていくのは、火を見るより明らかだろう?」

 哲也は、ふと感じた疑問を、そのまま口に出した。

「何故、こんなにかかったんです? もっと早く、自分でやれば良かったじゃないですか」

「私が本部に近づけば、あの男は浩一を殺す!」

 土気色に近くなっていた頬に、一瞬赤みが差した。

「裏切り者のリストに入れられている人間や、その息のかかった人間が、あの本部に近づけると? 君は、あそこにいる連中がそこまで間抜けだと思うのか? 違うだろう? 本部に近づきたい。でも、近づく手がない。そうして堂々巡りになりかけていた考えに、ようやく蹴りがついたのは、二年前……私の肺に、癌細胞が巣喰っているのが見つかった時だ」

 哲也は思わず、ぐっと奥歯をかみしめた。まるで何かの衝撃に耐えるかのように。

「医者は、手術が不可能な部位にあると言った……見つかった時には、もう手遅れだった……もう長くないのだと知って、一気に覚悟を決めたんだ……諜報員の前にわざと姿を現して、本部に通報させ、狙撃手を送り込ませるように。あの男は、私を消そうと躍起になっているはずだったしな。『DD』の研究所で、あいつと浩一のDNAを調べたという情報を手に入れてからは……それまでは、私のことも、それなりに使える駒と考えていたようだがね……」

「何も言えないうちに、殺されるとは思わなかったんですか?」

「思ったさ」




          148


 江波は平然として答えた。無論、顔色はこれ以上ないほど悪く、声は相変わらずかすれてはいたが。

「何も話せないうちに殺される可能性も、ちゃんと考えた。だからカイムを先にやって、話を聞くよう説得させる気だった。それがはねつけられたら、机の引き出しの鍵を外して、その封筒が目に付くようにしてやるつもりだったよ。何も知らなくても、中に何が書かれているのかは気になるだろう? そしてその中を見たら、本部に持っていかざるを得なくなる」

 そう言って、少し得意そうに、彼はまたにやりと笑った。哲也も微笑んだ。

「完璧ですね……でも、何故、南野の息のかかった人間が送られてくる可能性は、考慮しなかったんですか?」

「そっちも考えた」

 江波は、少し目を閉じた。

「だから、本部のコンピューターシステムに侵入して、遺書のファイルをこっそりいくつかのコンピューターにばらまいておいた。三段階のパスワードを要求するようになってるがね……それぞれ、二回まで打ち直しが可能だ。三回目の入力を失敗したら、自動的に消滅する……」

「そのパスワードは?」

「一つ目が"win"、二つ目が"archenemy"、三つ目が"Scarlet"、だ」

 それから彼は、全部の単語、特に二番目の単語のスペルを、慎重に教えた。

「全部小文字ですね?」

 手近にあったペンと紙で、メモを取りながら、哲也は確認した。

「最後の『スカーレット』だけは、頭が大文字だ」

「解りました……ええ、全部憶えました」

 そう答えた時、哲也は、この敵だったはずの男の遺書を、本部に持ち帰ることに、完全に同意している自分を見つけた。

 江波は、穏やかに微笑んだ。

「ヒントになる情報は、この入力の順番で、先に本部のコンピューターに表示しておいた……気づいてくれるよう、途中からは表示を英語に切り替えたが、一番最初のは日本語で表示してしまった……時制を間違えて入力するかもしれないな……まぁ、打ち直しはきくが……」

 そう呟いた彼は、やっと肩の荷が下りたというように、静かに目を閉じた。

「ありがとう」

 小さな声で、だがはっきりと、彼は言った。

 哲也は何も答えられなかった。



 この男は兄を殺した。兄はこの男に殺された。だが、兄は殺されても仕方のないようなことを、実はしていたのだ。ミカちゃんがいなくなったのは、兄のせいだったのだ。

 ミカ?

 ……思い出した……思い出した。行方不明になった女の子の名前。

 坂井美佳……だ。


<妹がね……その復讐の依頼から……この組織と関わり合いになって……>


 坂井祐輔の妹!


 弾かれたように、哲也は目を見開いた。カイムが、警戒するように身をこわばらせたのが判った。だが、哲也にはそれに気を回す余裕など無かった。


 何故……何故忘れていたんだろう……そうだ、俺は祐さんを知っていたんだ……小学校の上級生だったじゃないか……そうだ……思い出してきた……美佳ちゃんは三年生と四年生の時、俺のクラスメートだった……すごく元気で可愛い子だった……何で忘れていたんだろう?……でも、四年生の冬、インフルエンザで一週間欠席したんだ……その時、五年生だった祐さんは、毎日連絡帳を届けに、俺のクラスに顔を見せていた……どうして思い出せなかったんだ?

 ……思い出せなかった理由なんて、簡単じゃないか……兄貴が死んでから、俺は自分の過去を捨てようと、躍起になっていたんだから……でも、結局過去からは逃げられずに、報復殺人の代行に手を染めるようになって……

 そうだ……兄貴のせいで、祐さんは『ブラッディ・エンジェル』に入ることになったんだ……もっと普通の生活が送れていたかも知れなかったのに。



 ぐっと顔をしかめた哲也を、カイムは不安そうに見つめる。江波は、不思議そうな目をして、哲也を見上げるばかりだった。

「何でもありません……兄が……憎いと思っただけなんです……」

 江波は何も答えず、遺書の入った封筒を哲也に渡すよう、カイムに目で指示した。差し出された封筒を、哲也は受け取った。受け取る時、何か胸の中が、焼けつくような、痛むような、そんな変な感じがした。

「よろしくお願いします」

 カイムが、真っ直ぐに哲也の目を見つめながら、言った。その血管の浮き上がった、黄みがかった苔色の目を、哲也は初めてきれいだと思った。

 封筒を渡すが早いか、彼は、もはや力を使い尽くしたかのように、ぐったりしている主人を、また元のように寝かせた。唯一昔の面影を残す目が閉じられた今の江波は、誰か、自分は何も知らない別人のようにさえ見えた。

 カイムは目で、哲也に部屋を出るように言った。彼は大人しく部屋を出た。出際に、ちらりと寝台の方を振り返った。カイムの目から、涙が一筋、流れ落ちていくところだった。


 下に降りると、ジンが応接間のソファに腰をかけて、スポーツ新聞を一心に読んでいた。下りてきた哲也に気づくと、彼は慌ててそれを隠した。

「隠さなくてもいいでしょう?」

 二階での出来事とのギャップに、少し戸惑いながら、哲也は言った。ジンはふるふると首を振った。

「カイムにばれたらどやされる……ほら、下りてきた……」

 そう言いながら、彼はあたふたと、新聞を小さなカバンの中に押し込んだ。

 間一髪で、カイムが顔を出す。涙はもう拭われていた。

 カイムはじろりと、ジンに厳しい視線を投げかける。睨まれたジンは、明らかに何かを隠しているような顔で、視線を逸らした。カイムは小さく鼻を鳴らすと、今度は哲也に向かって口を開いた。

「もう一つ、頼みがある」




          149


「このまま病院での治療を拒否し続けていたら、保って一月だろう……」

 カイムは、本当に寂しそうな目で、その言葉を紡いだ。

「あの方は、延命治療を嫌っておられる……あなたに伝えるべき言葉は、全て伝えた……もう、心残りなどないのだ……浩一様のこと以外には……」

 哲也はずきりと、胸が痛むのを感じた。

「あの方は、この話が終わった後に、私に毒を打つようお命じになった。だが私には、そんなことなど出来ない……たとえあの方自身が望まれたことでも」

「だから、俺に、代わりに毒を打て、と?」

 哲也は、封筒を握る自分の手が、じっとりと汗ばんでくるのを感じた。

「そうしなければ、本部への報告書が作れないだろう、と、あの方は仰っていた……何も気にしなくていい……あんたがあの方に毒を打ったら、私もすぐに自分で死ぬ……ただそれだけだ。早いか遅いか……あの方が苦しんでいるのに何も出来ないというのは、私にとってとてもつらい。だが、だからといって、あの方を手にかけるなど出来ない……」

 返事はいつでもいい、と、彼は付け加えた。ただ、なるべく早い方がいい、とも。



 再び、ジンの運転する車で、今度は駅まで送られ、そこから歩いて『家』に戻った。太陽がやけに眩しかった。薄暗い部屋の中に、ずっといたせいだ。

 扉を開けると、貴史が驚いたような顔で迎えてくれた。

「殺ったのかい?」

 哲也は黙って首を振った。それから、しっかりと抱えてきた封筒を見せた。

「何だい、この封筒は?」

「江波の遺書だ」

 貴史は眉をひそめた。それから、哲也を促して、中に入らせた。ガチャリと鍵を落とし、チェーンをかける音が、妙に深刻に聞こえた。

 ダイニングのテーブルに、いつも話をする時のように座った。

 そして哲也は、今し方江波から聞かされた話を、貴史に聞かせた。ただし、前田の父親殺害についての話は伏せた。

 整理してみると、まとめられているようで、実はかなりノロケじみたものが混じっていたことに気づく。たしかに、歪んだ形ではあったが、あの二人は愛し合っているのだ。過去形ではない。今も。

 貴史は黙って聞いていた。いつもの茶々も入れなかった。

 話し終えた後、しばらく間を置いて、貴史はおもむろに口を開いた。

「そうだな……一つ引っかかるのは、江波が『DD』の研究所で、自分と前田さんのDNAを調べさせたと、南野が知った時に、何故信号を出さなかったのか……ということだな。南野は、その時に、前田さんを殺すことが出来たはずだ。何故そうしなかったんだろう?」

 そう言われて初めて、哲也はそれに気がついた。

「解りません」

 正直に答えると、貴史は、だめだこりゃ、とでも言うように、肩をすくめてみせた。哲也は、もう一段階読み込めたはずの問題で、不十分な解答を提出してしまったような気分になった。

「……もう一つ不思議なのは、君が……あれほど江波を憎んでいた君が、何故そんなにあっさり彼の言うことを信じたのか、ということか」

「たぶらかされたって言うんでしょうかね……」

 貴史は不審そうに目を細めた。哲也は気にせずに続けた。

「昔のあいつじゃなかった……もう本当に、いつ死んでも不思議じゃないくらい弱ってて……そんな状態になっても、人は嘘をつくもんだろうか、って……そう考えた途端、俺は、本当は兄貴のことなんて何も知らなかったってことを思い出した……それに、ミカちゃんがいなくなったのは、事実なんだ」

「ミカ?」

 貴史はよりいっそう目を細めた。頭の中で、別の漢字変換をしているらしいと覚った哲也は、美夏とは別人だと説明しなければならないと感じた。

「美しい、に、人偏に土土、で、美佳……江波の話を信じるなら、兄貴が連中に売ったんだ……俺の元同級生だよ。小学校のね……祐さんの妹だ」

 最後、ぽつりと付け加えられた言葉に、貴史は目を真ん丸にした。

「なんだってぇ!?」

「言われて初めて思い出したんだよ……美佳ちゃんがインフルエンザで休んでた時、連絡帳届けに来ていた祐さんのこと……中学はばらばらだったし、それにそこを卒業するかしないかのうちに、俺はあの町を離れたから、忘れてても仕方ないだろ? 自分のことで、ずっといっぱいいっぱいだったんだから」

 貴史はじっと、哲也の目を見つめた。凝視されるのが決まり悪くて、哲也はふいと視線を逸らした。

「まぁ、言ったら悪いけど、それは枝葉だ……」

 哲也は何も言わずに、黙って貴史の動きを観察していた。

「本当に重要なのは、上級幹部の南野が、本当に『ダブル・ディー』……『暗黒師団』のメンバーなのかどうか、だ」

 貴史は封筒に手を伸ばすと、封を調べ始めた。

(これなら、気づかれずにはがして、中を調べられるな……)




          150


「どうする気だよ?」

 哲也はじれたような声で、まるで骨董品でも鑑定するように、じっと封を調べている貴史に向かって尋ねた。

「開封して、中身を調べる……どうせ向こうも、そのくらいのことは予想しているだろう……事実なら、早急に本部に……いや、議長に知らせなきゃならない。組織始まって以来の大量処刑が実行されるかもな」

 そう言い置いて、彼は立ちあがり、哲也の見たことのない妙な道具箱らしきものを抱えて戻ってきた。ふたを開けると、何やらごちゃごちゃとある中からいくつか奇妙な道具を取り出し、細かい作業を始めた。

「これでいけるかは微妙だけど……まぁいいか、少しくらい跡がついても」

 数分後、ぺろりと綺麗に封をはがされた封筒が、哲也の目の前にあった。

 貴史は道具をいったん片付けると、またどこから取り出してきたのか、白い手袋をはめて、封筒の中身を取り出した。

「箱の中に、もう一組手袋がある。見たかったらはめてくれ。俺たちの指紋がついていたら、後々厄介なことになるかもしれないから」

 そう言いながら、貴史はパラパラと紙の束をめくりはじめた。哲也は、貴史のはめているものよりも、やや薄汚れた感じのする手袋をつまみ上げ、それに手を通した。振り向くと、貴史が、英文と和文が交互に並んだ、やたらと数字の見える書類を差し出していた。

「DNA鑑定の結果だ……驚きだね……適合率……双子かと思うよ。ちょっと見ただけだったらね。たしかに別人のだけどさ」

 そりゃそうだろう。同じ両親の間に生まれた、姉と弟の間に生まれたのだ。

 貴史はまた別の書類に目を走らせ、思わず息を呑んだ。

「なんですか?」

 哲也の問いには答えず、小さな声で呟いた。

「ジュンイチ・ミハラ……三原純一……前田さんの、戸籍上の父親?」

 どうやってサンプルを手に入れたのかは判らない。だがそこにはたしかに、前田浩一の戸籍上の父親のDNA検査結果が載っていた。

「赤の他人だな……素人目にも」

「そうなんですか?」

 哲也には何がどう違うから赤の他人だと言えるのか、全く理解出来ない。

「ああ……本部の方でも調べ直せるだろうが……これが偽造されたものでない限り、前田……三原浩一と、戸籍上の父親である三原純一の間には、事実血縁関係は存在しなかったことになる」

「だからって強姦していいって結論にはなりませんよ」

 ちなみに相手が十三歳以下の場合、同意があっても強姦罪は成立する。

「そりゃそうだがね……」

 受け流しながら、貴史は次の紙に目を走らせ、すぐに次の紙に目を移した。

それを繰り返し、何枚かたまったところで、まとめて哲也に見せた。

「こっちに潜り込んでる、『暗黒師団』のメンバーだ」

 哲也は表情をこわばらせた。

 心なしか震えているようにも見える手で、その紙の束を受け取る。

 目を見開いたまま読み進んでいく哲也の横で、貴史が深いため息をついた。

「ビンゴ……」



 南野圭司。暗号名:Moloch

 湯浅克彦。暗号名:Agaliarept



 それから、江波と彼の母親についての分も、何故か一緒に入っていた。



 Scarlet Enami Carpenter.     Codename : Bellona

 Isaac Carpenter.(Tomohiro Enami)Codename : Adversary



「もろ……何?」

 南野の暗号名を読もうとした貴史が首を傾げ、哲也はがくりと項垂れた。

「モロク。子どもを生け贄に要求すると言われてる、セムの神」

「じゃ、このアガリアレプトって?」

「さぁ? 知らない」

 哲也は正直に答えた。貴史の口が、ほう、と言うような形を一瞬作る。

「ベローナは?」

「ローマ神話の戦争の女神」

「妙なことに、ホンットに詳しいよな、君は」

 貴史は、信じられねぇな、とでも言いたげな顔をしながら言った。

「英語の辞書を読むのが趣味だったからね。モロクもベローナも載ってるよ」

「それはたいそう結構な趣味で……それにしてもすごい偶然だな」

 そう言いながら、貴史は『アドヴァーセリ』の名が書かれた紙を叩いた。

「本当に」


 アイザック・カーペンター。江波知弘。


「俺の偽名と、江波の某国名が、ぴったり同じだったなんてね」




ちなみに江波は、自分が出たあとで入ったメンバーのことは知らない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。