第121章~第125章
この寒いダジャレのためだけにキャラ名を考えたのだ!
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「Be careful. "Archenemy" has been among you...?」
コンピューターに送り込まれたメッセージを、蒲原が達紀に見せる。
「気をつけろ。『敵』はお前たちの中にいる……ですかね、和訳したら」
蒲原は、どこか投げやりな笑いを浮かべながら、ディスプレイを見つめる。
「敵というか、大敵、だな……アークエネミーだと」
エンジェルの上はアークエンジェル、ビショップ(僧正)の上に、アークがつくと、意味は「大僧正」になる。
「発音は『アーツ』の方が近いんでしょうけどね」
「そうすると、後半は『エネミー』じゃなくて『エヌァミィ』になるな」
「『江波』ですか?」
蒲原の放った洒落が、あまりにも都合の良いものだったので、達紀は思わず口を開けた。
「澤村さん?」
意外な反応を示した達紀に、蒲原は不審そうな目を向ける。
「いや……なんか当たってるなぁと思ってさ……」
『敵(enemy)』……江波?
だがもし、このメッセージを送りつけてきた人間が、自分の推測通り、江波であるとすれば。
彼はここにはいない。
だが、誰かがこの中にいる。
誰だ?
答えは半分出ているようなもの。ただ、確たる証拠が出てこないだけだ。
(南野……か)
麗美の言を借りれば「めちゃくちゃ酷い男」だということは分かるが、一体どういう目的で動いているのかが、皆目掴めない。江波は南野の手駒として、『暗黒師団』へ「移動」したのか。しかしそれならば何故、あの幹部総会で、彼はあれほどまでに江波を攻撃したのか。
(本当に、南野は組織を裏切っているんだろうか?)
組織の外にいる人間なら、真っ先に「処刑」のリストに入れられてもおかしくないようなことをやっているのは確か。そう……『スコープ』の叩き出した結果と、秀二の結論が当たっていたら。
(真意が掴めない……)
あの男は何故この組織にいる?
あの男は何故江波を殺そうと躍起になる?
そのくせ……五年前の一件では、江波を庇い立てした……
五年前、江波が組織を裏切るまでに、一体何があったのだ?
あの二人の間に、どういうやりとりがあったのだ?
……判らない。
少なくともそれを突き止めるまでは、誰にも話すことは出来ないだろう……麗美を除けば。
麗美が南野の娘だと言うことを、湯浅は知っている。彼のデータベースから盗んできた情報なのだから、当然だ。そして湯浅が知っているのなら、南野も知っているはず。それなのに、麗美に対する干渉がないのは、考えてみれば不気味な話だ。
純粋に能力によって、麗美は組織に組み込まれたのだろうか? あの男の手駒となるためにではなく。
では、前田は?
前田は何故、組織に入った?
血のつながらない父親を殺し、江波に「保護」されて……
全て計算ずくで行われたのか?
前田は、南野に操られているのか?
それとも、別の「利用方法」があるのだろうか?
(ダメだ……疑問が山積みになるばっかりで、何も答えが出ない)
南野が某国にいた時の事を、内密に調べる手はあるだろうか?その時、本当に『暗黒師団』と接触がなかったのかどうかを。
達紀の脳に、ふっと一つの案が浮かんだ。
(あると言えば……あるけど……実行するには、自分一人じゃ難しい)
幸いなことに『JFW』……『ジャスティス・フォー・ザ・ウィーク(弱者のための正義)』……の人間と接触する権限は与えられている。だが、調査を依頼するとなると、上級幹部以上の人間の承認が必要になる。
(議長に……いや、無理だろう……博士の方から説得してもらうか?)
麗美と二人だけで事を進めるのは難しい。とりあえず麗美に話してから、他の人間……尾崎や金城に話そう。前田は除外した方がいいだろう。何を考えているのか判らない。ひょっとすると、南野に操られている可能性もある。そうすると、うっかり口を滑らせるのは危険きわまりない。
とにかく『JFW』の人間と接触して、南野の身辺調査を依頼出来れば、何かが判るに違いない。そうすれば、彼の真意を読めるかもしれない。
「澤村さん?」
じっと考え込む達紀を、蒲原が不思議そうに見つめる。
「どうかしたんですか?」
「いや……ちょっと、考え事をしていたんだよ」
「麗美さんのことですか?」
「まぁ、だいたいそんなところかな」
まずは麗美に話そう。真意を掴めないまま、ずるずると振り回されるような状況に、すでに陥っているのかもしれない。そうでなければいいが、もしそうだとしても、そのままいいようにあしらわれ続けるつもりはない。
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達紀は自分の考えを麗美に話すと、とりあえず警備員室から金城を引っ張り出した。南野がどうも怪しいこと、そしてその身辺調査のため、某国にネットワークを持つ、『ブラッディ・エンジェル』の姉妹組織、『JFW』の人間と接触出来ないかという話をしてみる。
「無理じゃろ……単独で接触は」
金城はひょいひょいと、扇ぐように手を振った。
「解ってます。だから、どうにか博士をたきつけて、議長から許可を下ろしてもらおうと考えているんですよ」
「ふーん……ほいじゃが、手遅れになりそうな気もするがのぉ……手間が掛かるったらありゃあせん」
「とりあえず、前田さんには伏せて進めたいと思っているんです」
「何故じゃ?」
達紀は言葉に詰まった。伏せる理由を金城に教えるには、前田と南野との血のつながりについて言及する必要がある。
何も答えられないまま歩を進める達紀を、金城は不審そうに見つめる。
答えたのは麗美だった。
「あの人は、南野圭司の子どもなんです」
「何じゃとぉ?」
金城が素っ頓狂な声を上げた。達紀は慌てて、シィーッと言いながら人差し指を立てる。
「事実か?」
「薬科三の広崎君が『スコープ』を使えるということが、偶然判って、それで調べてもらったんです……ほぼ間違いなく、親子だそうです」
麗美は、自分のことは伏せていた。達紀も話す気はない。それを話せば、話がこじれるのは火を見るより明らかだ。
「じゃあ、わしらの今までの動きも、ひょっとすると……?」
「可能性としては、ありますね」
達紀が呟くように言った。
「ありえんな」
「何故ですか?」
「ほんじゃあ、こっちから訊くがのぉ。今まで妨害が入らんかったんは、何故なんじゃ? わしらぁ自由意志で行動しとったじゃろう?」
「じゃあお訊きしますがね、今まで僕らがやってきたことで、直接南野にとって不利なものはありましたか? 僕らが議長……そして博士から任されていたのは、紗希と美夏の監視だった……南野本人とはなんの関係もないんです。それが、尾崎さんの指示で、僕が湯浅さんのデータベースに侵入したことから、話がこじれてきた……前田さんと南野との関係が」
「ちょお待ちィ。さっきわりゃあ『広崎に「スコープ」を使わして判った』っちゅったじゃろうが」
達紀はもどかしげに手を振った。
「それらしい情報を見つけたので、確認を取ったんです……で、あの二人の関係が判った。今までの行動はともかく、僕のこの案では、下手をすると南野は『処刑』されるかもしれない……」
金城はため息をついて、達紀を見下ろした。
「何を確かめたいんじゃ?」
「江波と、南野との間に、五年前、いったいどんなやりとりがあったのか」
「それと『JFW』と接触することに、何の関係が……」
そこまで言ってから、金城ははたと気がついた。
現在江波が逃げ込んでいる組織は『暗黒師団』。
「待ちィ。南野は江波処刑強行派じゃぞ?」
達紀は出来れば出したくなかった切り札を、出さざるを得なくなった。
「中央情報処理室に、この間誰かが侵入してきました」
金城は言葉を失った。
「侵入者は二回、こちらのコンピューターにメッセージを残しました……一つは『私の勝ちだ』……そしてもう一つ……こちらは英語だったんですが、和訳すると『気をつけろ。敵はお前たちの中にいる』となります」
「それを真に受ける自分にも問題があるたぁ思わんか? それが誰かの策じゃという考えは浮かばんかったのか?」
あ、と麗美が口を開いた。
達紀はきっぱりと首を振った。
「それも考えてみました……でもですね、それにしちゃ被害がないんですよ。もし危害を加える気があるのなら、システムを徹底的に破壊することだって、きっと出来たでしょう。これだけ防御の固いところに入れるんですから。ところがやっていない……妙じゃありません?」
「そう思い込ませる策かも」
ストップ、と言うように、達紀は金城の顔の前に手のひらを突き出した。
「疑ってたらキリがありませんよ。とりあえず、南野のはっきりした過去さえ掴めれば、何かが引っかかってくるはずなんです」
「引っかかってこんかったら?」
達紀はふっと肩の力を抜くと、ニヤリと笑った。
「その時は、金城さん、あなたが正解の可能性が高いですね」
「ふん……で、尾崎さんには言うんか?」
「今のところはそのつもりです……今医務室に行っても、前田さんはいませんよね?」
いたらどうしても口を割らなければならなくなる。
金城は懐中時計を取り出して、うーん、としばらく唸った。
「微妙じゃのぉ。あいつぁ一応射撃教官じゃが、歩き回っている所を見ると、まともに出ているとは思えん……とりあえず、あんたら二人行きんさい。わしは『たまり場』におるけぇ。方針が決まったら、今一度来ィ」
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「複雑ね」
金城との話の中身も加え、自分の考えを全て話し終えた達紀に、尾崎はため息混じりにそう言った。
「本当に複雑だわ……でも、あなたが疑いたくなるのは解るけれど、私は浩一さんを疑おうとは思わないわよ」
「信じる信じないはあなたの自由です……でも、話さないで下さい」
「そりゃあね……あなたの信頼に応えたいとは思うけれど。でも、私には無理だわ。西村さんに話を持ちかけるなんてできない……『JFW』のメンバーと接触なんて……」
やっぱりか、と言うように、麗美はきつく拳を握りしめた。
達紀は、別に答えたふうもない。顔色一つ変わっていない。
「別に、これからやることを伝えておきたかっただけです……協力出来ないと仰るなら、僕にも手がありますから」
「何をする気なの?」
「別に。時計草の村へ行くだけです」
「博士から議長に言ってもらうつもりなの?」
いいえ、と達紀は首を振った。
「博士を通じて、直接『JFW』と接触するんです」
「現在組織に正式に所属している人間にしか、接触の権限はないはずよ?」
「向こうもね」
女二人が、何を言われているのか解らずに、顔をしかめた。
「達紀、それ、どういう意味?」
問いかけた麗美の方を振り返って、達紀はどこか嫌味な笑みを浮かべた。
「『予備軍』の人間は、一応本部の管理を殆ど受けないことになっている……それは『ブラッディ・エンジェル』も『JFW』も殆ど同じだ。本部が連絡を取れるように手配しておきさえすれば、行動は全く制限を受けないと言ってもいい……なら、元『JFW』のメンバーに、組織の伝手で、南野の過去を探らせればいい。わざわざ正式な依頼を出す必要はない」
一瞬呆気にとられていた麗美が、思わずニンマリと口の端をつり上げた。
「澤村屋……そちもワルよのぉ……」
「いえいえいえ。お代官様に比べれば、わったっくっしっめなぞ……」
それから、二人は堪えきれずに笑い出した。
「でも、ばれた場合のことを考えて、どうぞその折には西村さんにお口添えをお願い申し上げます」
今度は尾崎が吹き出した。
「時代劇から抜けてないわよ……まぁ……そうね……いいわ」
尾崎はそう言って、チラリと左手首の腕時計を眺めた。
「何か?」
そう尋ねた達紀に、尾崎は少しだけ口元を緩めた。
「そろそろ浩一さんが来るような気がしただけよ。女の勘は当たるんだから、さっさと戻った方がいいかもね」
それが勘ではなく、根拠のある事実だと言うことを、二人は口振りから察した。
「じゃ、失礼します」
そのまま、東棟の方向に向かって、再び歩き始めた。前田はいつも、西棟の方向から医務室に回ってくる。この向きに行けば、鉢合わせることはない。
江波がいなくなった今、前田が気を許している相手は、尾崎だけだ。金城にさえ警戒心を抱いているらしい。その理由は判らない。ただ一つ言えるのは、彼にとって「信じる」ことと「気を許す」ことはノットイコールだということだけだ。
きっと江波以外では、尾崎以上に前田の心を知っている人間はいない。
その尾崎でさえ、前田の本心など解らない。
取り繕ったような厳しい表情の仮面。
その下に隠れているのは、成長することを知らない……いや、成長を拒絶する子どもの顔。
固定された自分の世界の外になど、出たくはないと考えている。
<私の世界を壊すな>
柔らかな表情を浮かべた後、必ず見える暗い目。
絶えず自分を呪い続け、絶えず自らを責め続ける。
許されない命、救われない命を生きている。
あぁ、でも、彼は望んでその血を受けて生まれてきたわけではないのだ。
<ただ、生まれてきたと言うことにおいては、私は"innocence"だ>
自分の責任ではないことのために責め続けられる命。
でも、彼は自らの意志で、罪を犯しもした。
<今はただ死刑執行を待つだけの身>
あぁ、でも、それでも……
<私の世界を壊すな>
<今でさえすでに死にかけているのに>
<私の世界を壊すな>
<最後の……最後の希望の火を消すな>
<私の世界を壊すな>
<最早虫の息の、砕け散った魂の欠片>
<私の世界を壊すな>
<この外では最早生きてなどいけない>
<私の世界を壊さないで>
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金城に計画を告げて、二人は達紀の部屋に引き上げた。
「私が、紗希の様子を見るという名目で、もう一度本部を出て、博士の所に行く……そして『JFW』の関係者との接触を、博士に頼む」
麗美が、神経質そうに指を動かしながら呟いている。
「それで、方法無しって言われたら、どうするの?」
ふっと思いついて、プラスチック製のマグカップで、紅茶を作っている達紀の方を振り返る。
「議長に働きかけてくれというお願いに切り替えるだけさ」
湯に垂らしたティーバッグを、ステンレスのスプーンでギュッギュッと押しながら、彼は何食わぬ顔で返答した。そのある意味異様な光景に、麗美はぎょっとして問いかけた。
「ちょっと! どれだけ濃いのにする気なの?」
「普通だよ、普通」
飄々と答えながら、彼の指はバッグを押し続けている。
「どこが!」
「今朝一回使ったバッグなんだよね、これ……だからちょっと押してちょうどいい具合になる」
妙にケチくさい言葉が飛んできたので、麗美は思わず吹き出した。
「いったい何回使い回す気?」
「三回だけだよ」
平然と答えて彼はようやっとバッグを湯から引き上げた。
「普通は一回で捨てるでしょ?」
「そんな勿体ないこと、僕に出来るわけがないだろう」
「ケチなのね」
「倹約家といってくれ」
「わかったわよ。松平定信もビックリの倹約家ね」
「遠回しに同じ事を言っているだろう?」
睨むような視線をよこした達紀に、麗美は唇をニィッとつり上げた。あら、ばれちゃった? とでも言いたげな顔で、マグカップを受け取る。
「渋ッ!」
一口つけてから、麗美が顔をしかめる。
「あー……出し過ぎたか」
「濃すぎよ! 砂糖ちょうだい……」
「何本?」
「二本」
ひょいひょいと、細長い袋が二つ投げ渡される。
「サンキュー……で……」
砂糖をバサッとあけながら、麗美は切れ長の目を、真っ直ぐ達紀に向けた。
「『あなたは』何をする気なの? 私は博士と接触する。尾崎さんは西村さんにいざというときには口添えする。金城さんは、まだ何もしようがないけれど、あなたまでがじっとしているわけではないでしょう?」
達紀はしっかりと頷いた。
「広崎の出した結論には、別の解答があるのに気づいたのさ。救いようのない結果にはならないかもしれない、別の答えがね……」
「それを調べるのね?」
「ああ。明日ぐらいには『魔法の箱』が答えを教えてくれるだろうよ」
「コンピューターの事ね……でも、いったいどういう推論なの?」
麗美の目をじっと見つめ、達紀は少し声を落とした。
「あのグラフを見た時、まず真っ先に、兄弟という可能性が浮上しただろう? むろん、年齢差から考えてあり得ないだろうということになったし、腹違いと言う可能性も、ミトコンドリアDNAから、否定されたように『見えた』」
「どういうこと?」
「だから、広崎が言っていただろう? ミトコンドリアのDNAは、完全な母系遺伝だって……母親が同じという場合だけじゃない。母方の祖母が同じなら、同じパターンが出るはずだ」
あ、と麗美が口を開いた。
「でも、核DNAの相似は? あれは似過ぎよ。いくらなんでも……」
「だからだな、少々厄介な組み合わせになるんだが、つまり、こういう考えもできるんじゃないのか? 南野と前田は、親子じゃなくて兄弟だ。ただし、母親は違う。そう考えないと、ずいぶん苦しい年齢差だからな……」
「元に戻ってない?」
「混ぜ返すな……で、あの二人の核DNAパターンは酷似してる。そこで僕が考えたのは、あの二人の母親の核DNAパターンが、すでに酷似してたんじゃないのか、ってことさ……ようするに……」
「南野の母親が姉で、前田さんの母親が妹……ってこと?」
「まぁそういうこと……これなら、破滅的な結果にはならないだろう?」
麗美は、フッと意味ありげなため息をついた。
「何だよ?」
「希望的観測の達人よね、達紀って」
「して悪いかい?」
どこかムッとした顔で、達紀は麗美を見下ろした。麗美の暗い目が見上げて来る。静かな声が、ぽつりと漏らされた。
「傷をえぐる権利は誰にもないはずなのよ」
「ないだろうね」
「じゃあ、南野を切り崩す最後の切り札として、あの人を使うつもりなの?」
「『上』のゴタゴタとは関係ない……南野が純粋に『組織にとっての障害』なら、排除しなければならないと言うだけだ」
麗美は、カップの底にたまった砂糖をちろっと舐め、コトリとそれをテーブルの上に置いた。
「それにしても、一体どういうつもりなのかしらね、南野さんは……」
「それと、あのメッセージを送り込んできた奴も、何を考えているのかな?」
「江波だと思ってる?」
「たぶんな……中に詳しい人間と考える方が、やっぱり自然だから……」
「で、何故『裏切り者』が、警告をくれるのかしら?」
ふっと、達紀の頭に、とんでもない考えが浮かんだ。
「……江波は、裏切り者じゃないのかもしれない」
「何ですって?」
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南棟六階。南野の部屋。
「また『下』の方で、ごちゃごちゃ騒いでいる気配がしますね」
湯浅が静かな声で言った。
「澤村と黒川だろう……勝手に動き回らせておけばいい。どうせ国内では何も掴めはしない」
部屋の主は、気怠げな声でそう返した。
「『JFW』と接触されると、厄介ですが?」
「協力を要請するような行動は、こっちの許可を取らなければ出来ないさ……そして、許可を出してやるつもりはない」
「そうですか……」
「あいつの処理の方はどうなった?」
それが誰を指しているのか、湯浅は聞かなくても知っている。
「『ピアリ』からの報告ですと、まだ実行の前段階のようです。さっさと蹴りをつけて欲しいものですが」
「いずれ間違いなく死ぬ……というのにか?」
南野は、皮肉めいた口調で嗤った。
「早ければ早いほど良い……『カイム』が奴に忠誠を誓っているおかげで、三年間も情報を遮断されてきた。その間に、これといったことが何もなされなかったのは幸運だった……いくら本国ではないとは言っても、あの組織も知れているな……」
「『DD』は、国家間の利害に直接絡んでいますからね」
「やはり『Rネット』を把握した方がやりやすい、か……」
「とすると、次は欧州の『QPQ』ですか?」
「それもこれも、『ブラッディ・エンジェル』を押さえてからの話になるが。全く、民主主義というのは頭に来る……時々、だがね」
「この組織は裏工作が効きませんからねぇ……議長選も相互推薦制で」
自分以外の名前を紙に書き、集計を取る。過半数の票を獲得する人間がいなければ、上位二名、ないしは三名で、決選投票を行う。その際、その二人、もしくは三人は、投票権を持たない。この一風変わった方式は、組織の形態が確立された昭和四十年代から続くものだ。
「下手に動くとまずいのは解っているが、そうそういつまでも待ち続けられるものではないよ。私だって年だ。早くここを押さえないと、いつまで保つか、解ったもんじゃない」
「まぁ、焦りは禁物ですよ……釈迦に説法でしょうが」
南野は一度深く息をついてから、手のひらを組み合わせた。
「『あいつ』だけではなく……もう一人、消さねばならない人間がいるが」
彼はそこで言葉を切ってしまった。湯浅はその続きを理解した。
「消そうと思えばいつでも消せるのです……あなたの気が向いた時に」
「永遠に来なさそうだな」
どこか自嘲的な声で、南野は答えた。
「さすがのあなたも、『彼女』には甘いのですね」
「浩美は、私が愛したと言える、唯一の女だ……スカーレットは単なる同志だった……過去形にしなければならぬのは悔やまれるが」
「優秀でしたからね、彼女は」
「彼女になら『DD』を任せられる……そう思った矢先だった」
そう言いながら、南野は右のこめかみを指で押さえた。
「本当に偶然だったのだろうかと、今でも時々考えるよ……おかげで、私はこちらを押さえるだけで手一杯にされてしまった……何せ、彼女の部下たちまでが、見事に引っかかったのだからね」
「向こうの政府の介入だと?」
「彼女が異端分子だという事に、薄々感づいていたらしい節はあるからな……邪魔者は消す世界だ。スカーレットは切れすぎたがために、自ら墓穴を掘ったことになるのかもしれんな」
目を閉じれば、赤い目の才女の、自信に満ちあふれた顔が蘇る。
血管の浮き上がった、赤茶色の虹彩。
同じ目をした息子は、今、自分の手を逃れて、都会の闇の中で眠っているのだろう。
「で、結局の所、『浩一』をどうなさるつもりですか?」
「今のところはこのままにしておくさ……プログラムから外れた行動は取っていない。『いつでも消せる』のだろう?」
そういって彼は、ぞっとするほど冷酷な笑みを浮かべた。




