第76章~第80章
前田さんの荒みきった十代の頃。BRの相○光子的なイメージで書いていた……ような気がする。別名「悪女時代」。
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単に火傷の痕を消すだけではなく、顔を変えようと思ったのは、人に破滅をもたらす要因が、この顔にあるからではないかと思ったのもあった。
私の身体の性機能は、男の方も女の方も未分化。子どもを持てない身体だ。子孫の分まで集めた美しさ、と言われたことがある。その表現が適当かどうかは知らないし、知ろうとも思わないが。
自分で自分のことを美しいと言ったら、ナルシストだと思われるかも知れない。しかし私は、客観的な事実を述べているつもりだ。私の顔を見た、十人が十人……いや、百人が百人とも、私の顔を美しいと言った。だからこう
言っているだけのこと。
私はいつも、そこにいるだけで騒動の種になった。身体は女性的だったし、六歳以降、父にずっと女装を強いられていたせいで、誰もが私を女だと信じて疑わなかった。今思うと吐き気がするほど、散々男にまとわりつかれた。
こんなことがあった。ただ店の隅に座っていただけなのに、私を口説こうとする……私に言わせれば物好きな……男がやってきて、拒絶された腹いせから派手な騒ぎが起こったことがあった。そのおかげで、私は何も悪いことをしていなかったのに、その店の主人から出入り禁止にされた。たしかに、私がそこに顔を出すたび、酔った連中がひと騒ぎ起こしていたのは事実だった。だが、私自身が、何か積極的に行動したことは、一度だってなかったのだ。
美しさは罪だ、と誰かが言った。よく冗談で口にする人間がいるが、これを最初に言った人間は、血を吐く思いだったんじゃないのだろうか、と思う。
何も積極的に悪事を行わなくても、自分が生まれ持った美貌が騒動を(言い換えるなら事件を)巻き起こす。自分の責任ではないのに。
「お前は存在そのものが罪なんだ」
店にくると騒動の火種になる私に、主人は苦々しげに言った。
自分の存在そのものを否定されたようで、私はひどく傷ついた。自分が何か生きていてはいけないものだと決めつけられたようで、悲しく、苦しかった。
あの日、初めて、私は父に逃げ場を求めた。
その頃父は、もうすっかり「おかしく」なっていて、私を自分の妻だと完全に思い込んでいた。だから夜になると(ひどい日は昼間からだったが)、私を抱いた。私はそれが嫌で苦しくて、また気持ち悪くてたまらなかったのだが、あの日は何故か、自分から父を求めていた。
今から分析してみると、直感的に、こんなことを感じ取っていたのだろう。
周囲の人間たちは、私の存在そのものを認めていないが、父は少なくとも、私のフィジカルな存在は認めてくれている、と。
全部を否定されることに比べれば、たとえ身体だけでも、存在を認められている方がマシだと考えたのだろう。
私がいよいよ本格的に狂い始めたのは、その日からかもしれない。
全てを否定されるよりは、たとえ身体だけであっても、誰かに必要とされたかった。寂しさに私は狂った。江波に出会うまでの生活は、思い返すだけでも吐き気がする。十代前半のガキとは思えないほど不健全な生活だった。
十四歳の六月。その日も、昼間っから繁華街を歩いて、適当な相手を探していた。あの当時の私にとって、男は消耗品でしかなかった。目を合わせて、小さく笑いかけてやるだけで、面白いほど落ちた。私を独占しようとする人間も何人かいた。寂しかったくせに、私は妙なところで強情だった。
「アクセサリーとして私を独占したいのなら、絶対にお断り」
それでもしつこくまとわりついてきて、かつ私の人格を認めているようには見えなかった場合は、強硬手段に出たこともある。単純で、しかも自分の手は汚れない。他に引っ掛けた男を使って、そいつを叩きのめさせるだけだ。
雨がぱらついてきたので、私は適当に雨宿りできそうな所を探して走った。
そこで、何の悪戯か、江波にぶつかったのだ。
一度軽く観察してから、彼にしようと決めた。奇妙な緊張の糸を張り巡らせているのが気になったが、別に構わないだろうと見当をつけた。
「すみません」
そう言いながら、私は江波と向かい合って、視線を合わせた。彼はこちらが赤面するほど、まじまじと私の顔を見つめ、それから尋ねてきた。
「三原浩美さん?」
私は嫌な予感が、背筋を這い上がっていくのを感じた。が、開き直って頷いてやった。もうどうにでもなれ、という気持ちが、私の中にあった。私がどうなったって、父は「私」のために悲しんでくれなどしない。父が悲しむのは、自分の妻である「浩美」のためだ。誰も「私」なんか必要としてない。「私」が消えていなくなったって、悲しむ人間なんかいない。
私の嫌な予感を裏切って、彼はうれしそうに笑った。
「良かった。探していたんです」
とても綺麗な子だから、見つけるのは造作もない、って言われていたんですけど……それでもこの人ごみですからね、ちょっと諦めかけていたんです。
そう続けて、彼は紺のチェックの傘を広げた。
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傘の下に入った時、奇妙に安心したのは何故だろうか?ただ何故か、やっと自分を本当に守ってくれる人を見つけた気がした。もちろん、それは単なる私の独りよがりだったのだけれど。
彼が私を捜していた理由が、別のものであったなら、もう少し事態はマシになっていただろうか?
何故南野は、ずっとほったらかしにしていた私を、いきなり探し始めたのだろうか?
今の父親とは、血が繋がっていないこと。私の本当の父親に頼まれて、私を捜していたということ。一から説明してくれた。自分の所属している組織のことも。復讐代行専門の風変わりな組織。
適当に逃げることで諦めていたのに、何故そんなことを切り出したのかは、今でもまだ解らない。
私は江波に、血の繋がらぬ父の殺害を依頼した。
ひょっとすると、私の中に流れるあの男の血の蠢動によるのかもしれない。
現に今、私の命はあの男に握られている。彼がその気になりさえすれば、私は今すぐにでも、冷たい屍となれる。ただ一つの反撃は、私が自ら命を絶つということ。それだけは彼にも止められない。
<私が自ら死ぬということは、私が自ら罪を償うことと同じだ>
<何故なら、私は存在していること自体が、既に罪であるのだから>
だが死ねない。それを知っているから、彼は私をあざ笑う。
私が今日まで生き抜いてきたのは、単に私が臆病であったからに過ぎない。
死ぬのが恐いから、全力を尽くして生き抜いてきただけ。死ぬのが恐くないのなら、とうの昔に私はいなくなっている。
幸恵は私を逃げ上手だと、半ば非難の意を込めて評する。
逃げなければ、私は完全に崩壊してしまう。ただそれだけのことなのに。
強い幸恵には解らないだろう。
私のような弱い人間の心など。
それとも私は、本当に人間ではないのだろうか?
<何故、ルシファーは天から堕ちたのだろう?>
結局、全てが神の予定ならば、私は……ルシファーは、堕ちるべく定められ生まれた天使だ。そして滅ぼされるべく生み出された。
<何のために、私は生まれてきたのだろう?>
死ぬべきものとして、私は存在する。その虚しさが、さらに私を狂わせる。
私の狂気の為した全てのことの結果として、いくつの命が消えたのか。
私を呑み込みつつある狂気の暗黒。
それから逃れようとして、それから逃れるただ一つの道標として、江波に縋っていた私を、人は愚かだというだろうか。
……いつだって、第三者はそんなもの。
苦しくて苦しくて、叫びたくて叫びたくて堪らないのに、何一つできない。
寂しさも孤独も苦しさも痛みも、言葉に表せなくて、自分の周囲全てをただひたすら壊していく。
言葉なんて無力なものだ。本当に本当に叫びたいことは、言葉になんて出来やしない。その言葉に縋るしかない人間は、さぞかし滑稽なものだろう。
言葉の無力を知りながら、尚それ以外に縋るものがない。莫迦莫迦しくなるほど、滑稽な道化。
誰にも悲しみを理解されないまま、ただ嘲弄され、侮蔑混じりの笑いを浴びせかけられ、叫ぶことさえ許されないまま、ただ生きていくしかない。
何故こんなにも私は無力なのだろう。
どうして私は、いつも最悪の選択しかできないまま、ずるずると生き続けているのだろう。
いっそ死んでしまえればと、何度考えたことか。
ただし、考えるだけで、そこから先には一歩も進めない。
それを本当に嘲笑える存在は、自ら命を絶った者の亡霊と、神だけだろう。
死にたい。でも死にたくない。
どんなにみじめな生にでも縋ろうとしている自分が、どれだけ浅ましいかなど、言われなくても知っている。
ただ。
今一度、彼に……江波に会いたい。
自分の手で死ねない臆病者の私。
彼の手で殺されたいと願うのは、やはりわがままなのだろうか?
でも、何故、三年前のあの日、私にとどめを刺さなかったのだろう?
顔は変えたし、声も変えてはいたけれど、私だと言うことは動作で解ったはずなのに、何故私を殺そうとしなかったのだろう?
ああ、でもそれならば、何故私の顔を焼くだけで、彼は消えたのか。
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ベーコンエッグにトースト、トマトとレタスのサラダに、コーンスープと、やけにホテルの朝食じみたメニューを平らげると、出発はもうそこまで近づいてきているのが、じんと身に染みる。
哲也曰く『腹の立つ猫野郎』は、やはり貴史の足下にまとわりついていた。
「好かれとるのぉ」
居間で食後のコーヒーを飲みながら、山村牧師はニヤニヤと笑った。既に毛まみれのズボンの裾を、貴史は泣き笑いに近い表情で見つめている。
「けっ飛ばしたら……冗談ですよ!」
とんでもない提案をした哲也を、百合がじろりと睨んだ。日曜礼拝開始までまだ三時間あるので、Tシャツにキュロットスカートの簡単な格好だ。ピアノの前の椅子に座って、靴下の長さだけ先の白い足を、ぷらぷらさせている。
「しかし何だって永居さんにだけまとわりつくのかなぁ?」
話題を変えたいと思って、哲也は視線をパンセから貴史に移した。
「別に、裾にマタタビまぶしたつもりはないんだけど」
「猫になつかれやすいんじゃろ」
最後の一口を飲み終えた山村は、ピアノの蓋を開けた孫娘に、音を小さくするよう小声で囁いた。百合は素直に頷いて、真ん中のペダルを踏みつけ、横のとっかかりに押し込んで、上に上がらないように固定した。
真ん中のレ、の音がまず聞こえてきた。
その後、音を確かめるように、何度も同じ音を繰り返した。
そして、本部で一度聞いたあの奇妙なメロディーが、唐突に流れ出した。
レ・ファ・ミ・ド・レー・ラー・ソ・ファ・ミ・レ・ドー
レ・ファ・ミ・ド・レー・ラー・ソ・ファ・ミ・ド・レー
ファ・ミ・レー・ドー
レ・ミ・ファ・ソ・レー・ドー
レ・ファ・ミ・ド・レー
貴史と哲也の視線がかち合う。二人の顔に浮かぶ表情は同じだった。驚愕。ただそれ一色だった。
何も気づかない百合は、今度は左手の和音を交えて、同じメロディーを繰り返して引き始めた。途中で拍子を変えたり、また調を変えたりしたが、紛れもなくあの紗希の歌っていた曲だった。
一息ついた頃を見計らって、恐る恐る、哲也は百合に声をかけた。
「その曲、なんていう名前?」
ひょいと振り返った百合は、ちょっとの間目を丸くしていたが、突然ニヤリと口元をつり上げた。
「ありませんよ」
「それが題とか言わないよね?」
哲也が、軽く笑いながら訊き返した。ありきたりのボケを言われたと、何故か思いたかった。百合の表情は真面目だった。
「いえ。本当にありません……作曲者に訊いて下さい」
「訊けるところにいるの?」
「前田さんですよ」
百合は全く何でもないような顔で、ポンと言ってのけた。
貴史の脳裏に、昨日のことが蘇る。山村の話……前田が紗希を見つけてここに連れてきたこと。他の人から聞いて知ったこと……前田が所謂普通の男ではなく、それ故に……
(ひょっとすると、カウンセリングを受けに?)
いや、カウンセリングなら、本部でも受けられる。
思考世界に沈む貴史を、不思議そうな目で見つめながら、百合は言葉を付け足した。
「十四で保護された後、一年間、あの人はこの村で暮らしたんです。精神治療とか、カウンセリングを受けながら……その時、このメロディーを作ったと、祖父から聞きました」
「本当に前田さんが一から作ったんですか?」
哲也の問いに、百合はたぶん、と答えた。
「祖父の話では、あの一番最初のフレーズだけは、いきなり弾き始めたそうですけど、後はいろいろ推敲していたそうです……私、前田さんがこの村に初めに来た時の記憶、ないんですよね……生まれて間もなかったから」
あえて聞かなかったが、おそらく百合は十六、七歳。生まれていても一歳になるかならないかだ。たしかに憶えているわけなどない。
「でもどうして、この曲の名前が気になったんですか?」
尋ねてから、まずい質問だと察したらしい。気になさらないでください、と短く言って、またピアノの練習に戻り始めた。今度は件の曲ではない、普通の賛美歌を弾いている。
「あ、バッハだ」
聞き覚えのあるメロディーに、哲也は思わず口に出していった。
「バッハ?」
貴史はどうやら音楽の方面に疎いらしく、首を傾げている。
「ヨハン・セバスティアン・バッハ……バロック時代の音楽家で、音楽の父と言われている人です。今の曲は『主よ、人の望みの喜びを』っていう曲」
「へぇ……よく知ってるなぁ……」
「良い曲だと思いません?」
「思うよ……ただ、何でだろうなぁ? うれしくなるけど、どこか悲しくなる」
俺が音痴だからかな? と、貴史は笑いながら付け足した。
「悲しくもなるけど、喜びも生まれる、って、俺は形容しますけどね」
そう言いながら哲也は、それはどこか恋に似ているかも知れない、と考えていた。悲しい時もあるけれど、計り知れない喜びも生まれる。
(なぁ美夏……お前が『暗黒師団』の生み出した人間兵器だって言うんなら、どうして俺を愛そうなんて思えたんだ?紗希さんは、永居さんを殺そうとしているのに、どうして手首を切って、自分を罰してまで、俺の傍にいようとしてくれるんだ? お前を守りたいって言ったよ。だけど、それは希望に過ぎない。自分が弱い人間だってことは、痛いぐらい知ってる……お前だって、気づいてないわけじゃないだろう? どうしてそうまで、俺に?)
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「八時には出発されますか? 十時からは聖歌隊の練習が始まるんですけど」
哲也の知らない賛美歌を弾いていた百合が、ふと振り返って尋ねた。
「そう……だね。そうさせてもらいます」
ちょっと考えてから、貴史が答えた。何故か、百合はクスッと笑った。
「別に追い出してるわけじゃないんですよ?」
「解ってますよ」
そう答えながら、貴史は相変わらず足に絡みついてくるパンセを、ひょいと持ち上げて、真っ正面からその猫の顔を見た。
黒と焦げ茶の縞が、頭と背と尻尾を占めているが、ひっくり返すと真っ白。ピンピンと伸びるヒゲを、引っ張ってやりたいという誘惑に駆られるが、両手で前足を掴んでぶら下げているため、ちょっと出来そうにない。変わりに頬にそのヒゲを触れさせた。くすぐったくって思わず笑う。パンセは嫌がろうともしない。ただ喉をゴロゴロと鳴らしている。その黒々とした目を覗き込むと、自分ではない誰かが映った気がした。
「なんで永居さんだけ……」
横で哲也がブツブツと呟いている。
膝の上に載せ、背中を撫でてやりながら、ふっと山村の言葉を思い出した。
<江波にひらわれた猫じゃけぇの>
時計が八時を示す頃に、二人は山村の教会を辞した。礼拝の準備をしていた山村も、少し顔を出し、きちんと見送れないことを詫びた。丁寧に返答して、深く頭を下げると、彼は穏やかな笑みを見せて、奥へ戻っていった。服装は、最初にこの村に来た時見たのと同じ、黒の上下だった。まだTシャツとキュロットの百合は、しつこく貴史にくっつこうとするパンセを、しっかりと抱えていた。
「「すいませんね」」
百合と貴史の言葉が被る。二人は静かに笑った。
貴史が先に立って、医院の駐車場に止めて置いた車の方へ歩き始めた。後に続こうとする哲也の腕に、百合が軽く触れる。
「何か?」
そう尋ねる哲也に、百合は落ち着いた声で答えた。
「時計草の花言葉は、聖なる愛……そして、信仰の象徴です。だからきっと、加藤牧師は、この花を組織の中枢の象徴にしようとしたんだと思います」
訳が解らなさそうに、首を傾げる哲也に、ちょっと言いたかっただけです、とだけ言って、百合はパンセを抱え直した。
助手席に乗り込んだ哲也が、窓を開ける。
別れの挨拶をする二人に向かって、百合はまた声をかけた。
「祖父からの伝言です。願わくは主のお導きにより、また再び会わんことを」
明るい笑顔でそう言うと、抱き抱えられていたパンセがニャーと鳴いた。
哲也は思わず笑顔を返した。
そのまま窓は閉まって、車は、現在江波が住んでいるという、大阪へ向かう道を進み始めた。
これからまた、血なまぐさい『自分たちの日常』へと帰っていくのだ。
「なぁ……」
人気のない道を進みながら、先に口を開いたのは貴史だった。
「何ですか?」
窓から吹き込む風に、短い髪を軽くなびかせていた哲也が答えた。
「俺さ……紗希と一緒に、あの村に住みたいと思った。神様のことなんて何も解らないけどさ……なんて言うか、落ち着くんだ。あの村は」
哲也は何も答えなかった。
貴史は言葉を続けた。
「俺って現金だから、困った時にしか……しかも何でもいいからとにかく神様助けて、っていうような人間なんだよね……悪いことをした人間をとにかく罰するっていうイメージしかなかった……でも、なんか違うって思うんだよ……少なくともあの村にいた『神』ってのはさ、罰するんじゃないんだ。最後まで許すんだよ。少なくとも俺はそう感じた……だから、あの村でなら、俺は人間として生きていけそうな気がするんだ。こんな堕天使じゃなくって」
「何を言いたいんですか?」
「別に……ただ思ったこと。今度のが片付いたら、紗希を連れてあの村にまた帰りたい」
「結婚して?」
「できればね。紗希が望んでくれるのなら……そして、上層部が許してくれるのなら、そうしたい……許してくれるとは思えないけどね……特に三課の鷹野さんとか狙撃手統括の南野さんあたり。議長は……うんともすんとも言わないような気がする」
何故か納得できてしまって、哲也は思わずクスッと笑った。
貴史はちょっとの間、視線を哲也の方にずらした。
「思うんだけどさ……お前と前田さんが似てるってところだけど……容姿とかじゃないのは確かだよ……お前は、どっちかっていうと『格好良い』の部類。前田さんは……今は『渋い』だけど、昔は『美しい』だったな……思い返すだに手術したのが惜しい……ってくらいの人だった」
「じゃ、どこが似てるんですか?」
ちょっとつっけんどんになってしまったかもしれない、と、口を挟んだ後で少し後悔した。
容姿をほめられるのは悪い気分じゃないが、だいぶ聞き飽きた。特に、情報収拾のために不本意ながら、ちょいと女の子を引っかけてみたりとかすると、必ずと言っていいほどカッコイイだのなんだの言われる。中身を無視して入れ物だけほめられても、あまりうれしくない。ほめられるほど中身が入っているとは、ちょっと胸を張って言う気にはなれないけれど。
貴史は別に気にする風もない。
「雰囲気……っていうのかな? 『ギリギリ』……限界線のちょうど上を歩いているみたいな、そんな危なっかしさだよ」
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じっと貴史の横顔を見つめる。
ハンサムというわけではないけれど、人の良さが現れた顔は、傍にいるだけで、荒れた心を静めてくれる。静かな海のような人。
「放っておけば、そのまんま破滅に突っ走りかねない危険なオーラ……そんな辺りが前田さんに似てる……もっともあの人、自分と一緒に江波も巻き込んで破滅させちゃったわけだけどさ……」
そう。貴史の言われたとおり、自分は限界線の上を歩いている。
それは精神的な限界線。
望みと現実と空想の境界が曖昧になって、痛み苦しみ、悲しみだけが自分の心に残って……叫びだしたいのに、一言も発せない。この胸をえぐっても、何も出て来はしない。それでもえぐらずにはいられない。気持ち悪くて壊れてしまいそうで。何かの熱で、この全てを焼き尽くせればいいのに。
そう。この気味の悪い闇から逃げ出したい。
炎が欲しい。
闇を追い払い、胸に巣喰う化け物を焼き払い、自分を浄化してくれる炎。
焼き尽くして欲しい。
だから、守れないと心のどこかで感じているのに、美夏に執着するのか?
激情を誰かにぶつけていないと、すぐにでも崩壊しそうな気がする。
全てをぶちまけられる相手なら、美夏じゃない他の誰でも良いんじゃないんだろうか?
違う。
美夏でなければ嫌だ。
それは何故?
解らない。
理由なんてどうでも良いような気がする。
好きだから。
その一言で片づけてはいけないと言う理由がこの世の何処にあるんだ?
美夏に焼き尽くされたい。
めちゃくちゃにされた、闇の化け物にぼろぼろに喰われたこの身体を焼いて浄化して欲しい。
エジプト神話に出てくる不死鳥は、六百年生きると、炎になって燃え、また生まれ変わるという。
自分は人間だけれど、美夏の炎でなら、生まれ変われそうな気がする。
愛を知らなかった美夏。
その美夏に頼るしか道を見いだせない自分。
愚かだと、何も知らない人は笑うだろうか?
でも、人間には、今見えている世界だけが全てなんだ。
兄が殺され、仲間が殺されたあの時から、頼るものは自分以外になかった。
自分の世界を構成していたのは自分だけだった。
そこに、美夏が現れた。
初めて出会ったのは、組織に新たに所属するメンバーの顔合わせの時。既に本部に入って、仕事の内容を教えられていた美夏は、不慣れな自分にいろいろ教えてくれた。
好きになったきっかけなんて解らない。気がついたら好きになっていた。
最初の任務を終えて、本部に帰ってきた時、すれ違い様に「お帰りなさい」と言ってくれた。その時の笑顔が、干涸らび乾ききった大地に水が吸い込まれていくように、自分の心に染み込んできたのを憶えている。
好きだと自覚したのはその時。
そうだ……自分はずっと、美夏に守られてきたんだ。
だから、このままでは嫌なのかも知れない。
あるいは、美夏に負担をかけすぎていることを、意に介さずにはいられないのかも知れない……いや、そんなことだけじゃない。
組織の中での地位だけじゃない。自分は、全てにおいて美夏と対等の位置になど立ってはいないのだ。
対等になりたい。
美夏は自分の心を生き返らせてくれた。
だから、美夏が完全に人間になるために、自分は……美夏を受け入れる。
たとえ、訳の解らない連中に作り出された人間兵器だとしても。
ああでも何故、美夏は自分を受け入れてくれたのだろう?
愛など知らないで育ったはずなのに。
愛とは人間の本能のようなものなのだろうか?
前田と自分が似ている……
自分自身が、常にどこかで破滅に走りたがっているのは知っている。
でも、美夏を巻き込んでそうなりたいと思っているだろうか?
長い沈黙のあと、哲也はやっと口を開いた。
「俺は、美夏を巻き込むつもりはありませんよ」
貴史は何故か笑った。憮然として見やって、哲也は言葉を失った。あまりにも寂しそうな笑みだったから。
「巻き込みたいと思って、相手を滅ぼすんじゃないよ……前田さんは江波に、あまりにも依存しすぎてた……自分が江波にとって重荷になっているってことさえ、自覚できなかった。まさに盲目的だった……その結果があれだ」
「何が言いたいんです?」
「だから……美夏が君に依存してるなら、君が死んだ時が美夏の死ぬ時だ……ある意味で一心同体なんだよ。片方が死んだら、もう片方は生きていけない」
心はそうかも知れない、と、哲也は思った。
だが同時に、美夏が死んでも、自分の身体は生き続けるだろうとも思った。
兄やみんなが死んだ時に、自分の心は死んだけど、身体は生き続けたから。
「さーてと」
沈んだ顔の哲也に向かって、貴史は極力明るい声で話しかけた。
「大阪に着いたら何したい?」
「たこ焼き食べたい」
ぼそっと告げられた言葉に、貴史は派手に吹き出した。
「OK」




