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第51章~第55章

          51


「南野さん……ですか?」

 問い返す貴史の顔には、はっきりと困惑の色が表れている。

「もう六年目じゃろう? ちぃと異常じゃゆぅて思うての……」

「前線狙撃手統括の?」

 山村は、ずずっと最後の一口を飲み終え、ポットからカップに、お代わりを注ぎ始めた。やや色が濃くなっているのを見て、ミルクに視線をやる。

「ああ。高橋は二年しか保たんかった……今まで一番保ったヤツで、四年……六年はちぃと長すぎる。普通の人間は、あがぁな地位、三年でもう十分じゃゆぅて思うじゃろう……南野は、どこかに何か異常を来しとるんかも知れん……と」

「別にこれと言って変わりはありませんけど……あ、僕が組織に入ってからの話ですけどね」

 カップを干し、別にお代わりを注ぐでもなく、貴史は手を組み合わせた。

「ふーん……まぁ、最初組織に来た時から、嫌な目をしとるたぁ思うとったが……何っちゅうか……まぁこがぁな表現が許されるんなら……血も涙もない、っちゅう感じがしたの」

 言えてるかも知れない、と、冷め始めた紅茶をすすりながら、哲也は内心で考えた。南野から直接に命令を受けたことはないが、美夏の部屋からの帰りになど、何度かすれ違ったことならある。その時の言いようのない圧迫感や、チラリと視線が合っただけでさえ、凍りついてしまうほど冷たい目は、忌々しいほどくっきりと脳裏に焼きつけられている。

 ……あの日の記憶ほど、鮮烈ではないとしても。

 全く、なんであの人が『ブラッディ・エンジェル』にいるんだろう?

 まぁ組織の名称からすれば、あの人みたいな人間こそお似合いなんだけど。

 頭のてっぺんまで血に浸かったって、平気で笑っていそうだ。

 ……あの人が笑うならの話だけれど。

 思考世界に潜っている哲也を置いて、貴史と山村は話を続けている。

「それなら最初から異常を来しているんじゃないんですか?」

「まぁ、そう言われりゃぁそうじゃが、前田は南野の話をしたがらんからな。この情報ばっかしゃぁ他の人間に頼るしかありゃぁせん」

「まぁ、触れたくないのは解りますけど……」

「まぁな」

 意味深げに言葉を切って、山村は二杯目の紅茶を飲み干した。三杯目を注ぎながら、ぼそぼそと呟く。

(あがぁなぁにとっちゃぁ南野はトラウマの根源みとぉなもんじゃけぇの)

 トラウマ、の単語に、哲也は思わず反応しかけた。が、どうにか抑えた。

 チン、と高い音をさせて、砂糖を混ぜていたスプーンをソーサーに置く。

 その音が合図であったかのように、貴史は話を切りだした。

「ろくな情報が提供できなくて申し訳ありませんが、本当に何も知らないので……そろそろあの二人の過去について、話を聞かせていただけますか?」

 冷めた紅茶を一気に干すと、山村は少し悲しそうに目を細め、それから立ち上がって孫娘を呼んだ。

 やって来た百合に片づけを頼み、二人には後についてくるように言った。

 教会の一階の奥の奥。そこを左に曲がって、二人は、この教会が隣の診療所とつながっていることを知った。


 医院の中に入り、山村は、今度は地下へと下り始めた。質問を発することもできず、二人はただ黙って、その後についていった。

 階段の底の扉を開け、灯りを点けると、意外なほど広い地下室が現れた。

 見たこともない奇妙で大きな機械。医学書の山。変わった形の長椅子。部屋の隅のデスクの上には、コンピューターが載せられている。その隣の壁には、スチール製の鍵付き戸棚が据えつけられていた。中に何が入っているのか見えないタイプだ。

「ここは一体、何をする場所ですか?」

 真っ先に目に入った、あの謎めいた装置を見つめながら、哲也は尋ねた。

 山村は扉を閉め、錠を下ろしてから振り向いた。

「教会の他の、わしの仕事場じゃ……今は三ヶ月に一回ほどしか使わんが」

「仕事?」

 牧師以外のな、と付け足してから、彼は告げた。

「ここが、あの二人の生まれた場所だ」


 時間が止まったかと思った。

 そして、再び動き出したその時間を支配する時計は、きっと、以前の物とは変わってしまったのだろう。


「ここで?」

 二人同時に、同じ言葉を口走っていた。

 山村は静かに頷いた。

「『香西紗希』と『川崎美夏』は、ここで『生まれ』た」




          52


 不気味なほど静かな声で、山村は語り始めた。

「あの二人を、最初にここに連れてきたなぁ、前田じゃった……よう憶えとるよ……紗希と美夏は、十ヶ月強の間を置いてここに連れてこられた……念のために付け足しておくとな……最初に紗希が連れてこられた時にゃぁ驚いた。全身血塗れで……失血と雨で体温が低下し、まったくいつ命を落としても不思議じゃないほど、危険な状態じゃったんじゃ。

 わしらぁ輸血を始め、思いつく限りの手を尽くしてから、彼女を蘇生させた……ほぃじゃが、回復したその精神状態を調べた時、とんでもないことが判ったんじゃ」

 そう言って、彼は戸棚の鍵を外した。中には、薬品の入っているらしいいくつかの瓶と、カルテらしき書類の束が見えた。

 山村は迷いの欠片もなく、二つの束を抜き出した。そのうちの片方を、二人の方に差し出し、自分はデスクの横の椅子に腰掛けた。

「二年前の紗希のカルテだ……まぁ、専門的な略号だらけの上に、わしの字は汚いけぇ、ろくな参考にゃぁならんゆぅて思うがね……」

 確かに酷い字だった。ろくろく読めない。解読はあきらめて、山村の話に集中した方が良さそうだ。

 目を上げると、そんな二人の考えを読んだのか、また彼は頷いた。

「いろいろテストを重ねてみて発覚したんじゃが、紗希の思考にゃぁ、俗に言うところの『まとも』なもんがたいがい(殆ど)見受けられんかったんじゃ。

 本人は隠し通したつもりらしかったが、テストの結果やらから見て、絶対に普通の人間じゃぁなかった。何か特殊な教育を施されでもせんにゃぁ、あがぁな芯からおかしな人間になどなるわけがなぁで」

 そこまで言ってから、彼は一度目を閉じ、そして再び開いた。その視線が、あの謎の装置に向けられているのに、二人は気づいた。

「諜報員を使って調べさせたところ、どうやら『暗黒師団ダーク・ディヴィジョン』とよばれる組織と関係があるらしいことが判った。詳細は不明じゃが、どうやら某国の秘密特殊部隊とその関係らしいっちゅう話が、今のところは一番有力じゃのぉ」

「アメリカ?」

 哲也の問いに、山村はふっと首をすくめた。

「それについちゃぁ伏せておこう……とにかく、全ての調査の結果は、紗希がそこ、もしくはそれに近い組織で、特殊な訓練を施され、『兵士』として育てられたっちゅうことを示しょぉったんじゃ。じゃが、外からの調査じゃぁ限界がある。それでわしは、紗希を催眠状態にしてから、もちぃと調べてみることにしたんじゃ」

「催眠術?」

 貴史が聞き返す。山村はまた頷いて、奥の方にある、あの奇妙な形をした長椅子を指さした。

「あそこに寝かせてな……ほぃじゃが、やった後で後悔したよ。どうやら催眠が引き金になって、故意に消しょぉった記憶が戻ったらしい。ひどい混乱状態に陥って、やむなく鎮静剤を投与したんじゃが……効かんかった。

 攻撃性が強ぉなって、手がつけらりゃぁせんぐらいになったんじゃ。仕方のぉて、強めの麻酔を打ち込んでから、もっぺん催眠をかけて、忘れさせる方法をとったんじゃ……ほぃじゃが、それで完全に忘れたっちゅうわけじゃぁなぁで。いずれ破られて、脳の奥に封じ込めた記憶が帰ってくる。ほいでそりゃぁもはや時間の問題じゃ。現に、この間の報告じゃぁ、異常な行為が頻繁に見られるようになってきた、と……」

 山村は深いため息をついた。

「そんな人間を、何故幹部候補生として本部へ送ったんです?」

 非難混じりの哲也の言葉に、山村は鋭い一瞥をくれた。

「精神にゃぁ確かに問題があったが、その能力は惜しかったんじゃ。それで、防御策の一つとして、強攻策を採ってみることにした……それが、あれだ」

 山村の目が、あの装置に真っ直ぐに向いた。

「今となっちゃぁ、人体実験をしたと責められても仕方がないが、他に方法を思いつかんかった」

「何なんですか、あれは?」

 哲也が訊いた。貴史は口は開かず、ただ眉間にしわを寄せた。

「洗脳装置じゃ……もっとも、わしらぁ再教育装置と呼びょぉるがね」

「洗脳装置……?」

 あまりに意外な答えだったのか、哲也は言葉をそのまま返していた。

 山村は、何故か微笑みを浮かべた。

「ああ。かつて冷戦時代に、某共産圏の国が試験的に開発を始めたもんじゃ。ソ連解体の影響でその情報は一部が闇に流れ出た。わしらの研究機関はそれを拾い、一応の完成を見た。その試作第一号がこれだ。組織が所有しとるなぁ二台。残るもう一台は、本部の地下に据えられとる」

 あまりにも話が荒唐無稽だからか、貴史はただじっと、その『洗脳装置』を見つめていた。が、やがて口を開いた。

「これは、人間の人格に、どんな影響を与える装置なんですか? 装置にかけられた人間の既存の人格を破壊して、新しい人格を作り出すんですか?」

 山村は首を振った。

「『一応』の完成じゃ言ぅたんじゃろ? そがぁな力はこの装置にゃぁなぁで。こりゃぁ未発達な良心の形成を促すもんさ。言い方を悪くするんじゃったら、暴走を止めるために、行動の禁止条項を刷り込む装置じゃ」

「どういうことですか?」

 哲也の問いに、山村は考えるように目を閉じた。

「そうじゃのぉ……ようするに、今までの教育の中じゃぁ、一般で禁止されとる行動も認められとった。殺人やら、そがぁな行動じゃ。そういうことを否定する人格を、新たに作り出してから、先に作られた人格を抑制するんじゃ」

「故意に二重人格化するんですか?」

 貴史の言葉を、山村は肯定した。

「まぁ、強いてゆぅならほうかな」




          53


「だから紗希は、あんなに葛藤していたんですか?」

「葛藤?」

 貴史の目を、山村はいぶかしげに見つめ返した。

 貴史は上着を脱ぎ、隠していた包帯を見せた。紗希に切られた傷の。

「切られたんか?」

「はい」

「いつ?」

「二日前に……部屋に来て、自分を殺せと言ったんです。このままでは自分は僕を殺してしまうから、その前に自分を殺してくれ、と」

「で、なんでわれの手首に傷がつく? われの力なら、白旗を揚げとる紗希なら簡単に殺せるはずじゃろう?」

 白旗を揚げている紗希なら、という表現が引っかかったが、無視した。

「紗希はこうも言いました。僕の血が欲しくてたまらない……と、僕は紗希を殺したくなかった……それで、自分の手首を切って、血をやったんです」

「いかん!」

 思わず身をすくめるほど、厳しい声が飛んだ。

「前田さんにも言われました……でも、一体何がいけないんですか?」

 問い返す貴史に、哲也も加わった。

「そうです……だいたい血なら、紗希さん既に飲んでいたはずです……医局の尾崎さんから、輸血用のパックをもらってたんですよ?」

 山村は手を振った。

「輸血用の血にゃぁ害はない……あるなぁ創傷からの生き血だけじゃ」

「害って何ですか?」

 貴史の声に、少し刺が混ざったように、哲也は感じた。

 山村には動じる様子もない。

「紗希はな、『暗黒師団ダーク・ディヴィジョン』時代から、血に異常なまでに執着する性質じゃった……血と、生首と……じゃけぇ、サロメなどと呼ばれとったんじゃろうが……実を言ぅと、紗希が追われて瀕死の状態で保護される羽目になった理由もそこにある……まぁそれは後々教えるとして……

 創傷からの生き血はな、催眠術で封じた昔の記憶を呼び戻すきっかけになる確率が高いんじゃ。輸血用の血は昔の行動の記憶を引き起こすほど、強い作用は持たん。紗希の封じた記憶を見る限りゃぁ、そう考えてもえかろう。ほぃじゃが創傷からの生き血は違う。そりゃぁ、あの子の記憶の中で、もっとも強烈に根付いとる物の一つじゃ。それに触れるなぁ危険きわまりない。

 下手をすると、死者はわれ一人じゃぁ済まんかもしれん」

「そう言い切る根拠は?」

 貴史は光のない目で山村を見つめた。山村は首を振った。

「主な根拠はわしの勘だ……じゃが、こがぁなもんもある……」

 デスクの鍵付きの引き出しを開け、カセットテープを取り出した。

「最初に紗希に催眠をかけた時に取ったテープじゃ。聞く度胸があるんじゃったら聞きんさい。聞いてもまだ平静でいられるんじゃったら、そのまま任務に戻ってもえぇ」

 脅しをかけるように、山村の目が険しくなった。

 貴史は表情を変えることなく、手を伸ばしてそのテープを受け取った。

 山村は、静かにため息をつき、小さく呟いた。

「そりゃぁ、希望のないパンドラの箱を開ける鍵だ」

 少しだけ、貴史の表情が和らいだ。

「前田さんが戸川君に、殆ど同じ事を言っていたそうですよ」

「ほうか(そうか)」

 その短い答えが、広い部屋全体に波紋のように響いていった。波紋が広がりきって、水がまた静かになったのを見計らったかのように、山村は再び話し始めた。


「わしらは約三ヶ月をかけて、紗希が『正常』に生活できるように教育し直したんじゃ。ほいで、その能力を生かせるよう、本部に送った……この裏事情を知っとったなぁ、紗希を連れてきた前田以外にゃぁ、今議長をやっとる誠治、医局の尾崎幸恵……あと、万が一の事態に備えて、金城にも教えた。最初はそれだけじゃったんじゃ。

 じゃがその約半年後、今度は黒川が美夏を連れてきた。一目見て、こりゃぁ紗希と同じじゃゆぅて思うたよ。やっぱし同じように瀕死の重傷じゃった。ご丁寧に二回、車にはねられとって、死んでいない方がいなげな(不思議な)くらいじゃったんじゃ。

 蘇生した美夏は、殆ど完全な記憶喪失になりょぉったんじゃ。前回の失敗を踏まえて、記憶を呼び出す催眠は使わんかったよ。どっちかゆぅたら、二度と思い出すことがないように使った……尾崎からの報告じゃぁ、時々記憶を戻したい言っとったそうじゃが……」





          54


 山村は一度、首を振った。それが何を意味するのかは解らなかった。


「自分から耐えきれんとぉに(耐えきれずに)封じた記憶だ……ようやっと落ち着いた今、それを掘り起こすんはいかんじゃろう……

 紗希の時と同じようにしてから、美夏もあの装置を使って、二重人格化したんじゃ。美夏は紗希ほど手こずらんかった。わりとすんなりと、こちらのルールに慣れてったよ。ほいでその行動基準が、こちらのルールと一致したところで、記憶の一部を修正してから、また本部に送ったんじゃ。

 じゃけぇ、裏事情を知っとる人間が、前田、誠治、尾崎、金城の他に増えることになった。美夏を連れてきた黒川と、直接監視できる立場から、澤村がこの秘密を知ることになったんじゃ。

 誠治を除く五人は、毎月一回、わしの所に報告をくれた。人目につくといけんから言って、屋上からのぉ。最初は順調じゃった……じゃが、十ヶ月くらい前から、紗希に異常が現れ始めた」


 無許可の死体解剖。

 そして、その死体の首の切断。

 研究室や、部屋のゴミ箱に捨てられていた、首の落ちかけたマウスの死体には、その血を啜った痕跡が見られた。

 血液への異常な執着。


「ほいでから、美夏にもな」


 突発的なリストカット。

 明らかに不審な発作。


「原因は一つしか考えられんかった……記憶……身体に染みついた行動の記憶が、徐々に戻って来つつある……それ以外にゃぁあり得ん。

 あがぁなぁら(あいつら)の受けた教育の中にゃぁ、何本かの柱があるんじゃ……一つ、上からの命令にゃぁ絶対に服従すること。一つ、絶対に人を信用せんこと。一つ、絶対に人を愛さんこと……じゃけぇ、愛っちゅうもんを罪だゆぅて考えとった。悪いことじゃ、と。人を殺すために作り出された兵器みとぉなもんじゃけぇな……

 普通は本部の人間にも、護身のためにある程度の戦闘訓練が課される。じゃが、わしは誠治に言って、議長命令であの二人の戦闘訓練のプログラムを全て消させた。記憶が戻ってくるきっかけとなるもなぁ、すべて排除させるつもりじゃったんじゃ。

 ほぃじゃが、どうしても紗希の身辺から削れんかったもんがある……それが血じゃ。危険性は解っとったが、紗希を生かすためにゃぁ血が必要じゃった。いなげな(奇妙な)ことに、あがぁなぁは年になんべんか血液を摂取せんと、身体に異常を来してしまうんじゃ。なんでかは解らんが、尾崎の話だと月経と関係があるらしい。どがぁな仕組みになっとるんか、いっこも判らんがね。最初のうちゃぁ輸血で補っとったがね……体外に多量の血液が排出されたけぇ言ぅて、別の血液を飲んだところで、それで補えるわけがないはずなんじゃが……そのうち飲む言って聞かのぉなってな……尾崎の話だと、こちらの危惧通り、要求する血液の量は増加しとるそうだ」

「何故生かすんですか?」

 哲也は思わず、口に出して言った。

 貴史が非難するような視線を向けたが、構わなかった。

 山村は、どこか悲しそうな目で、哲也を見つめた。

「嫌な話じゃが、『暗黒師団ダーク・ディヴィジョン』があの二人に施した教育は、技術や知識ゆぅた、精神面にあまり関わりのないところじゃぁ、確かにぶち優れとる……切り捨てるにゃぁ、あまりに惜し過ぎるんだ。

 じゃけぇ、ちぃとの異常にゃぁ目をつぶる……それ以上の人材が見つからんけぇの……あぁ、言わんでもえかろぉゆぅて思うんじゃが、それ以上の人材が見つかったけぇゆって、即あの二人を殺すわけじゃぁないがね」


 哲也は、奇妙な気持ち悪さを感じた。

 おそらく今朝、説教壇に立って、神の愛について講釈していたであろう人間が、今は平然と殺すなどと言う言葉を口にしている。

 そう考えると、吐きたくなった。


「じゃあ、何があったら殺すんですか?」

 尋ねる哲也の声は、感情を抑えつけたために、妙に低くなっていた。

「ほうじゃのぉ……」

 山村は、机に肘をつき、しばらく考えるようなポーズを取っていた。

「死人が出て、もう抑えようがなくなりゃぁ、殺すことになるかのぉ……」

 貴史がぐっと唇をかんだのが見えた。

 そして半ば叫ぶように、彼はしゃべり出した。

「自分たちに都合のいいように使っておきながら、用済みになったら殺すんですか?」

 山村は何も答えなかった。

「それじゃ本当に、あの二人はただの機械じゃありませんか!」

 その言葉が終わるか終わらないかのうちに、山村が答えた。

「ただの機械で終わらせとぉないなぁ、わしも一緒じゃ!」

 厳しい声に、貴史は一瞬怯んだ。山村の言葉は続く。

「紗希と美夏が、ただの機械人形のままで死んでいくことになるか、それともきしゃっとした『人間』になって、『人間らしい』死を迎えられるかは、われらにかかっとるんじゃ!」

「何故?」

 反射的に、哲也は尋ねていた。

 山村の目に、形容しがたい類の冷たさが浮かんだ。

「あがぁなぁらの精神世界の柱は、今二本あるんじゃ。『暗黒師団』の連中が植えつけた分と、わしらが植えた分と。前者はだいぶ崩れてきとるが、まだ一番大きな部分は生きとる……それが、あの二人にとっちゃぁタブーじゃった、『愛情』に関することじゃ。

 その柱を崩せるなぁ、われらしかおらん……これでもまだ解らんか?」




          55


 地下室を、張りつめた沈黙が支配した。

 それを破って、哲也はまた尋ねた。知りたがり、と内心で己を罵りながら。

「何故、前田さんや黒川さんはここに来られたんですか?」

 山村は手を挙げ、それを制止した。

「答える必要はなかろう……そりゃぁわれらの尋ねたいことたぁ無関係じゃ。関係のあることで、他に質問はないか?」

 答えたのは貴史だった。

「今は……テープを聴いた後で、また何かできるかもしれません」

「ふーん……どうやら、今夜はここに泊まることになりそうじゃのぉ」

 え? と目を見開いた二人に構うことなく、山村は一人、何かぶつぶつ呟いている。

 不意に、哲也は尋ねてみた。

「あの、美夏のことに関するテープとかは、残っていないんですね?」

「ない」

「後もう一つ……あの二人の名前、本名ではありませんよね?」

「もちろんじゃ。最も、本名っちゅうもんがあるんか怪しいがのぉ……紗希は『サロメ』と呼ばれとった。こりゃぁ本人から聞いとる。美夏はどうやら『シンシア』と呼ばれとったらしい。どうしてそがぁな名前なんか、見当もつかんがのぉ……」

「『シンシア』って、たしか月の女神ですよね」

 そう言った哲也の顔を、貴史がまじまじと見つめる。なんでお前はこんなにマニアックなことを知っているんだ?とでも言いたげな顔だ。

「日本語じゃ、その場合は『キュンティア』言うがね」

「月は女、純潔……無節操、迷いの象徴……三日月は成長だけど……」

 苦笑しながら、山村は続けるように言った。

「そして人を狂わせるもの、と考えられてきた。『moony』には『夢見るような、物憂げな、気が狂った』っちゅう意味があるし、『lunatic』には『精神異常の、常軌を逸した』……名詞じゃと『狂人』の意味がある」

 貴史が聞きながら顔をしかめた。

 山村は重い空気を払うように、ははっと声を出して笑った。

「まぁわしとしちゃぁ『lunar』の『青白い』が当たっとるんじゃないか

ゆぅて思うがね……」

 哲也も少しだけ笑った。

「そうですね。たしか『弱々しい』の意味もありましたっけ? 当たってます」

「ついてけないよ。そんな単語まで知らない」

 貴史がどこかわざとらしくため息をついた。

「知っとったけぇゆぅて、別に特をする単語でもないがのぉ」

 慰めるように、山村はわずかに笑った。

「百合に言うて、泊まる準備させとくけぇ、庭でも見ときんさい……まだあの花の季節には早いがのぉ」

「あの花?」

 首を傾げた二人に、山村はぽつっと言った。

「われらが上級幹部に昇進したら判るさ……」


 地上に戻ると、日光が目をまともに攻撃してきた。思わず手で目を押さえた哲也の先を、開いているのか開いていないのか判らないほど目を細めて、山村と貴史が歩いていく。哲也がようやっと薄目を開けられるぐらいになった時には、二人とも既にいつもの大きさの目になっていた。

「永居さん、器用すぎる……」

「君が不器用なの」

 先にすたすたと歩いていた山村は、孫娘を捕まえて部屋の準備を指示した。百合は文句も言わず、素直に頷いて引っ込んだ。

「そういえば、何故この村、組織の元トップがたくさん住んでいるのか、何も聞いてませんでしたね」

 哲也は貴史に言ったつもりだったが、答えたのは山村だった。

「それを知りたいんなら、この組織の歴史を一から勉強せにゃぁいけんよ」

「じゃ、教えて下さるんですか?」

「軽々しゅう口外せんのならな」

 黒い牧師の上着を脱いで、肩を伸ばしながら、山村は答えた。

「大丈夫ですよ」

「ほうか……それにしても、わりゃぁ知りたがりじゃのぉ」

 自分でも思っていたことを言われて、哲也は少し戸惑った。

 山村はクスクス笑って、上着の下に着ていた白いカッターの第一ボタンを、ひょいと外した。






山村議長の苗字が、井戸から出てくるあの人から取られたというのは、永遠の内緒話……

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