8.どうやらこの恋は重症のようです。
相も変わらず、空回る王子様の恋の道。
きみが足りない。
午後18時過ぎ。名前も顔もうろ覚えな女の子たちに街中で捕まって、適当に話を受け流していたらいつの間にか、喫茶店でコーヒーをご馳走になっていた。もちろん俺の腹は、まだ満たされるわけもない。ついでに言うと、女の子たちの会話にも興味が持てるわけもない。違う、俺が今一番聞きたいのは、こんな計算されたどろどろの甘えた声なんかじゃない。
「ねえ、野上くん」
「なんすか」
「携帯の番号、教えてほしいな?またこうやっておはなししたいし」
「はあ、別にいいですが」
その場で適当に考えたアドレスを教えると、目の前に座る女の子たちは甲高い声を出して喜んでいる。楽しそうでいいですね、俺はあんたたちといても全く楽しくありませんが。うっかりぺろっと言いそうになってしまった本音を、飲み込んだ。余計な事言って、引き止められても面倒だし、何より俺ははやく、弁当が食べたいのだ。というか、白雪をからかいた…ごほん、会いに行きたいんだけどなあ。
「んで、用はそれだけ?じゃあ俺はこれで」
「ええー?もう行っちゃうの?」
「そうだよー、もうちょっと遊ぼうよー」
立ち上がった俺の腕に、ひとりの女の子が絡んでくる。目と目が合うと、“お願い”とその子のぷるんとした唇がゆっくりと動いたのが見えた。…悪いけど、俺には通用しないよその攻撃。
「…そんな、困った顔しないで」
「え…」
「電話、待ってるから」
「……っ」
にっこりと笑って、彼女にだけ聞こえないような音量で耳打ちする。へなりと彼女の手の力が抜けて、掴まれていた腕がほどけるのを確認する。そのまま、バイバイと手を振れば、女の子たちは何か言いたそうにしていたが、追い掛けてくる仕草は見せなかった。
……あー、しんどかった。
外はもう大分暗く、夜の温度になっていた。まさか、あんなところで足止めを食らうとは思わなかった。でもそうか、とも納得もした。近頃、やけに女の子たちにいつも以上に声を掛けられると思っていたのだ。
…昨日届いたメールを読み返して、ぱたんとケータイを閉じた。
「クリスマス、かあ」
冬のイベントのひとつ、男女がここぞとばかりに理由をつけては無駄にイチャイチャする浮ついたあの日が、もうすぐやってくるからだ。といっても、1ヶ月近くあるからまだ先のはなしだけれど。
ナルホド、みんな一生懸命ナンデスネー。
「…俺は年中一生懸命ナンデスケドネー」
ハハハッとひとりで愚痴ってみて、こっそりと肩を落とした。「やだあのひと、かっこいい!王子様みたい」と、すれ違った女子高生の囁きが耳に痛いくらいにはいってくる。…そんなわけねーだろ、この俺のどこ見て王子様なんて言ってんの?
王子様なんて、思われなくてもいい。…ただひとりの女の子に、想われたいだけなのに。
「野上〜〜、見てたぞ〜。お前、相変わらずモテモテだよなあ〜」
…ひとがせっかく真面目に考え事してたってのに。
今日はよくも悪くも、足止めを食らう日らしい。聞こえないふりをして歩くと、背後からは慌てた声が近付いてきた。
「おいって!シカトすんなよ、つかお前、足速すぎじゃね?急いでんの?」
しつこい声の主は、同じゼミの合コンだいすき男だった。息を切らせながら、早足で歩く俺の隣をばたばたと靴音を鳴らしながら着いてくる。こいつの思惑なんて、手に取るように分かる。十中八九、女の子のはなしに決まっているのだ。
がっつくのもいいけど、たまには引いてみるのもひとつのテクニックなんじゃねーの?……まあ、坂田曰く、万年片思い野郎の俺がアドバイスしても、ちっとも参考にはならないと思いますが。
「野上!俺に、さっきの女の子たち紹介して!」
「無理。面倒。邪魔」
「邪魔ってなんだよ!俺の存在か!俺のこと言ってんのか!」
「うん、正解。よくできましたー」
「うれしくねーし!」
予想は的中だった。こいつの頭の中は、女の子のことしかはいっていないんじゃないだろうか。ケータイを開くと、時刻は19時15分。こんなうざったい肉食系の無駄話に、付き合っていたらキリがない。ただでさえ腹減ってイライラしてんのに。
「そもそも俺、紹介できるような女の子自体いないからね?女友達だって、数えるくらいしかいないし。あの女の子たちだって、全然知らない子だったし」
「はあ?嘘だろ!あんだけモテてんのに、女友達少ないとかありえねえって!」
「だって俺、女の子は好きな子以外興味持てないもん」
全部ほんとうのはなし。今だって、俺の頭のなかはひとりの女の子で手一杯なのだ。振り回すのも振り回されるのも、あの子だけで十分。…だからいい加減、俺を早く目的地に着かせてくれよ。しかし、目の前の奴は、俺の不機嫌オーラに全く気付くことはない。
「その好きなやつってのも、ひとりじゃないんだろ?何人も予備の女の子はべらせてんじゃねーのかよ?勿体ぶってないで、ひとりぐらい俺に恵んでくれても…」
この減らず口が。ちっ、と低く舌打ちをする。ぺちゃくちゃと喋っている脳内ピンク野郎の胸ぐらをゆっくりと、確実にググッと掴んだ。
「……しつっこいな。くだらない妄想ばっかしてんじゃねーよ、こっちは急いでんだよ。そんなに女と絡みたいなら、そこら辺のデパートのタイムセールに紛れて主婦たちの群れに揉まれてハアハアしてきなよ」
「い、いや…俺熟女好きじゃねーし…」
「どうでもいいんだよ、お前の女の趣味なんて。……俺の邪魔すんなって言ってんの。…言ってること、分かるよな?」
モブキャラ面のさえない顔がみるみるうちに青くなっていく。黙ってコクコクと頷いたのをゆらりと見下ろして、掴んでいた胸ぐらを離した。
「分かればよろしい。…行ってよし」
「お、おう。じゃ、じゃあな…」
先程同様、慌ただしく逃げるようにして走り去っていった奴を確認して、くるりと背を向けて歩きだす。なんなんだよ今日はまじで、厄日?
無駄な体力の浪費にげっそりしていたら、容赦なく鳴り響いたケータイの着信音。…無言で電話に出た俺に、お構い無く話し掛けてきたのは、色ボケ野郎の坂田だった。
『野上、あのさー』
「……」
『俺も今度いっしょにペコちゃん家の弁当屋行ってもいい?なんかさー、お前のさっきの話聞いてたら無性に弁当食いたくなったわ。それに俺、ペコちゃんに聞かなきゃいけないこともあるし。お前もメール読んだろ?ほら、今度の……』
「うるさい。来んな。お前は早く振られて死ね」
『はあっ!?てめっ野上、今のもっぺん言ってみ、』
問答無用で電話を切る。だから何度も言わせないでよ、俺が聞きたいのは暑苦しい色ボケばかの声でもなければ、鬱陶しいモテない男の叫びでもない。
あの子の声だけが聞きたい。顔が見たい。話したい。触れたい。…足りない。白雪が足りなすぎて、イライラする。
空腹の合図と共に、欲求不満な俺の足は、進む速度をはやめた。
好きなひとのことになると、余裕がなくなるよねっておはなし。