3.お弁当冷ましますか?
恋?愛?そんなの、もう興味ないよ。清く正しいレンアイを勉強するくらいなら、わたしはおいしいスープ作る研究をするよ。
かわいくて甘くて、どこまでもマシュマロみたいなやわらかいしあわせがつづくレンアイを夢みるなら、少女まんがだけで充分だ。
だって、現実は全然甘ったるくない。痛いことばっかりで、想ってばかりで、報われなくて、いつだってわたしの一方通行なのだから。もううんざりなのだ。ひとを好きになるのも、片想いするのも、眠れなくなるくらいに胸が締め付けられる感情も。わたしは、恋に恋してる男女を他人事のように見つめている傍観者で充分なのだ。
だから、わたしを巻き込まないでよ。
「杏ちゃん、ねえ、聞いてんの!?」
「うん。もうかれこれ1時間45分くらい聞いてるよ」
恋愛にそっぽ向いて関係ないよって顔してるわたしの目の前には今日も今日とて、恋に恋してる女の子たちが涙を流し、怒りをあらわにしてお店のドアを開いてやってきた。ほらね、さっそく巻き込まれた。
ため息しかでないわたしの肩を、ぐらんぐらんと力強く揺らすのは最近お店によく顔を出してくれていた女の子(名前は知らない)である。銀色のお星さまのピアスを耳にキラキラと飾っているその派手目な印象の女の子の後ろには、目を真っ赤に腫らして涙を流しているふわふわロングヘアーの、大人しそうな印象の女の子が立っている。この子も、最近よくこのお店に来てくれていたお客様のひとりだ。
「あのですねお客様、何度も言いますけど、ここは弁当屋であって、お客様たちの恋愛相談室じゃないんですけど」
「何言ってんの杏ちゃん!お客様は神様でしょ。きちんと最後まで聞いてよっ」
「だって、わたしには関係ないですもん」
「関係あるわよっ。あの子の恋をいっしょに応援するって三週間前、あたしと誓ったじゃん」
「誓ってません。わたしはただお客様たちの恋バナを三週間前から聞かされていただけです」
お星さまピアスの女の子が、さっきからぐすぐすと泣いている後ろの女の子をびしりと指さした。この子が、今回の恋の被害者。だれに恋をしてしまったのか。そんなの、ひとりしかいない。あの飄々とした、掴み所のない笑顔のあいつしか思い浮かばない。
いつからだろう。このどこにでもある弁当屋が、“王子様が通いつめている・かなりの高確率で王子様に会えるお弁当屋さん”として、ある一部の女の子たちからひそかに有名になりはじめたのは。わたしにとっては、いい迷惑だ。あいつのせいで、わたしはこうして頻繁に、王子様に恋に落ちてしまった女の子たちのリアルな色恋沙汰を聞かされて、相談される羽目になっているのだから。
「だって、仲いいんでしょ?トモダチなんでしょ?だったら、恋のキューピッドになってよ」とよく言われるが、べつに仲よくないし、ただの腐れ縁なだけ。あいつの住んでいるアパートとわたしん家の弁当屋が近所なだけ。
だから、わたしは恋のキューピッドになんかなってやんないよ。関係ないもん。
「ところでお客様、ご注文は?今日のオススメはチーズたっぷりハンバーグ弁当ですよ」
「ところで杏ちゃん、あの男は?今日はまだ来てないわけ?」
「まさか…あいつが来るまで待つ気じゃないですよね?」
「は?待つに決まってんでしょ。あのニセ王子が来た瞬間に、一発ぶん殴るに決まってんでしょ」
「ぶん殴るのはおおいに結構なんですけど、一先ず注文聞いてもいいですかね?」
いつまでたってもお弁当を買う気がない二人組。とりあえず店内に設置されている長椅子に座ってもらうことにした。レジの前に立っていたわたしも、なぜかその二人組のあいだに座らされる。いやいや、だから関係のないわたしを囲まないでよ!まだ仕事中なんですけど!
常連のサラリーマンが、今日も人気者だねって苦笑いしながら、お弁当片手にお店を出ていく。わたしは愛想笑いしかできない。あれもこれもそれも、全部あの男のせいだ。
「お。今日もうまそうなにおい〜」
ちりんちりん、とお店のドアの鈴がなった。その音と共にひょっこりと現れたのは、噂の王子様。ざっくり編みのニットカーディガンをかわいらしく着こなして、くんくんと鼻を動かしている姿を見て無性にイラッとした。この無駄な完璧オーラが、天然なわけがない。
「白雪、なに堂々とサボってんの?ちゃんと接客しろよなー」
「誰のせいだと思ってんのよ」
お店を入ってすぐにわたしたちのところまでのらりくらりと歩いてきた野上は、わたしの両脇に座る真逆の反応を見せている女の子たちには目もくれず、壁に貼ってあるメニューと呑気に見つめ合いはじめてしまう。ついに痺れを切らしたお星さまピアスの女の子がゆらりと立ち上がって野上を睨んだ。そこでやっと、女の子たちの存在に気付いたらしい野上は、「えーっと、こんばんは?」と首を傾げた。
「ちょっと…あんたに話があるんだけど」
「はあ…なんすか?俺、腹減ってるんで用があるなら手短に頼みます。あ、白雪、チーズハンバーグ弁当ひとつヨロシクなー」
真ん中に座るわたしの前に立って、あくびしながら話す野上に向かって、大きく振りかぶられる右手が見えた。その伸びる影を見逃さなかった野上の腕が、わたしの手首を素早くぐいっと掴んだ。なにがなんだか分からずに引っ張られて野上の前へと立ち上がった瞬間、左の頬っぺたにバチンと激痛が走った。瞬きを繰り返しながら、痛みの残る頬っぺたに触れる。今、なにが起こったんだ?
「ふう。危ねえ」
わたしの背中越しから、野上のそんな声が聞こえてくる。「いやあああっ。杏ちゃん、ごめんっ!野上、逃げてんじゃないわよっ!間違えて杏ちゃんぶっちゃったじゃん!」お星さまピアスをシャランと揺らして怒鳴る女の子と、わたしの背中から顔を出している野上を見て、やっと状況を把握する。…野上のやつ、わたしを盾につかいやがった。
「白雪、助かった。俺痛いことするのは好きなんだけど、されるのは嫌いなんで」
「わたしだって痛いのは嫌いだよ!普通、女の子を身代わりにするか!?」
「嘘つき。白雪、ほんとはイタイの好きなくせに」
「まるでわたしが真性のMみたいな言い方やめてくれる!?」
「だからごめんって。…痛かった?」
ただでさえヒリヒリしている頬っぺたを、野上が容赦なく柔くつねってくるから、笑いをこらえているその肩を力の出ないグーで殴ってやる。意外と簡単にふらついた野上の胸ぐらを掴んだのは、先程わたしに誤って力のこもった平手打ちを繰りだしたピアスの子だった。
もうちょい、続きます。