12.(続) あの子が恋をしない理由
ご機嫌ななめの王子様襲来後、本格的に営業妨害し始めた二人組を問答無用で店の外に追い出した。「うるさいから、しばらく客寄せパンダにでもなってなさい!」という一言を添えて。
坂田の、「いや、ちょ、ペコちゃん!俺まだ本当の用事済んでないんだけど!」という必死な声も、野上のなにか物言いたげな威圧的な視線も全部無視してやった。
「杏ちゃん杏ちゃん、野上くんが女の子に囲まれちゃってるわよ」
「うん。いつものことじゃない」
「ま!つめたい!かわいくない!ヤキモチくらい妬いてあげなさいよう、野上くん拗ねちゃうわよー」
「なんでよ…」
そうして、お母さんとお店番を交代する頃には見事なハーレム状態を作っていた二人組を遠目で見遣る。あんな寒空の下、待たせるのは酷だったかなというわたしの心配は要らぬ世話だったかも。あれだけ人に囲まれていれば、寒くはないだろう。…すごいな、イケメンって怖いものなしだなあ。
「杏ちゃん、お昼休憩とってきていいわよ」
「うん。ありがとう」
「ほらほらー、のんびりしないで!早く野上くんのところに行かなきゃ取られちゃうわよ!」
「いや…別にどうでもいいよ…」
「何言ってるの!お洋服も着替えなきゃだめよ!こんな普段着で!」
「普段着で充分です」
変な対抗心を見せるお母さんに背中を押されるがままに、扉を開ける。エプロンを外した代わりに慌てて掴んできた紺色のダッフルコートを着込む。女の子たちのはしゃいだ声がなんだか耳に痛い。
「お待たせー…」
恐る恐る小さく声をかけてみる。店の外に設置してある簡素なベンチに座っている背中が、同時に振り向いた。片方は、疲れきった顔で。もう片方はいつもの無表情で。
声をかけたわたしは、その二人を取り巻く女性陣に多種多様な目で一斉に見られてしまい顔を引き攣らせた。
「ペコちゃん遅え!俺らを凍え死にさせる気か!」
「ご、ごめん」
「野上には弁当横取りされるし、客寄せパンダにされるし…もう散々だ…つーか、腹減った」
「うん、本当ごめん坂田。あとでなんか食べ物あげるね」
げんなりと肩を落とす坂田の隣には、他人のお弁当をちゃっかりと完食させた野上が何を考えているのか分からない表情で、わたしをじっと見上げている。その口元には、間抜けにご飯粒がくっついたままである。こどもかよ。
「野上、ご飯粒ついてる」
「うん。じゃあ、取って?」
「は?なんで?いやだよ、自分で取りなよ」
「……いつもは取ってくれるくせに」
「誤解を招く言い方しないでよ…そんなことしたことないです」
「ちっ」
「こら、舌打ちすんな」
野上と話せば話すほど、周りの視線が刺々しくなってくるのが分かる。ああ、面倒くさい。しかも今日は坂田までいるから、2割増しである。そんな居心地の悪い中、中心にいるはずの二人はまるで他人事のように振る舞うから手に負えない。わたしの重いため息は冬の冷気を含む風にかき消されていく。
「白雪、いつまで突っ立ってんの。こっち、座れば」
「休憩なんだろ?座って話そーぜ、ペコちゃん」
坂田がヒラヒラと手招きをして、野上がわたしの腕をやんわりと掴んで引っ張ってくる。抵抗する気もなくなって、されるがままに二人の間に座らされる。…いやいや、ちょっと待って。なんでまた真ん中!?こいつら、わざとやってるんじゃないだろうか。右に座る坂田を見ると、不思議そうに首をかしげられる。違う、坂田のこれは天然の犯行だった。
反対側に座る野上をちらりと見る。天然タラシ坂田と同じように首をかわいらしく傾げているが、口元がわざとらしくニヤニヤしていた。やっぱり、わざとかこのヤロウ。
「あ、そうだ白雪。これ返すね。借りっぱなしだったの忘れてた」
「へ?」
「俺の肌であたためておきましたー」
そう言いながら、野上がおもむろに自分の巻いていたマフラーをほどいてわたしの首に巻き付けた。よく見ると、いつか野上に奪われたわたしの愛用のマフラーだった。適当に巻かれたマフラーのあったかさに呆気に取られていると、野上が強気に鼻で笑う。その姿にハッとして野上の胸元の服をぐっと引っ張った。
「なに?」
「なんでよりによってこのタイミングで返すのよ!」
「楽しそうだったから」
「あのねえ…」
「それより白雪、肩かして。ねむくなってきた」
「って、話きけ!この自由人!」
女の子たちのピリピリした空気すらも、あくびひとつで跳ね返す姿。宣言通り、わたしの肩にこてんと頭を預けて目を瞑ってしまう自由気ままな野上に、脱力感。右側から、吹き出すような笑い声が聞こえてきて、恨めしげに睨む。
「随分、仲良しなことで。ぶふっ」
「笑いごとじゃないよ…もう…疲れる」
「白雪、肉付きいいな。すっごく寝やすい」
「…野上、落とすよ?」
「ふっ、ウソウソ。ぷにぷにしてて柔らかくてあったかいです」
「それ言い方かえてるだけでしょ!」
「ぶはっ、もうやめてお前ら!笑わせんなよー!」
遠慮なく擦り寄ってくるこども体温に、楽しげに笑い声をあげる呑気な笑顔に、なんだかこっちまで気持ちがほどけていく感覚。この二人は、変わらないなあ。三人して笑いだす頃には、いつの間にか女の子たちはいなくなっていた。
*
「おやおや、両手に花じゃないですか!杏子もスミにおけないなあ〜」
しばらく坂田と話し込んでいると、からかいを含む賑やかな声がわたしたちの肩をぽんと叩いた。その懐かしい声に迷うことなく顔をあげると、予想通りの凛としたネコ目の彼女が嬉しそうに笑っていた。
「ウメちゃん!?」
「久しぶり、杏子。そんでもって、待たせたなおまけのイケメン1号、2号!」
「梅田、やっと来た。ってか、俺らおまけかよ」
「当たり梅田のクラッカーだよ。わたしの本命はいつだって杏子なの」
ドット柄パンツがよく似合う高身長なウメちゃんとは、野上たちと同じく高校生のときからの付き合いである。どうやら坂田がウメちゃんを呼び出してくれたらしい。最近はお互い忙しくてなかなか会えなかったから、話すのは本当に久しぶりだ。思わず立ち上がろうとしたわたしだったけど、左肩の重みに気がついて大人しく座り直す。ウメちゃんも、わたしの隣に座って能天気に眠る野上に気付いたのか分かりやすく眉間に皺を寄せている。
「王子様は相変わらず杏子にベッタリか。畜生、羨ましい!ちょっと野上そこ代われ!」
「やだ」
「起きてんのかよ!」
「ぐうぐう」
「おい、狸寝入りはやめろヘタレ王子」
「ウメちゃん、別にいいから。野上も疲れてるんだよ、多分」
「また杏子は、そうやって甘やかす!そんな無防備だから、こういう輩につけこまれるんだよ!もー!」
ウメちゃんが寝ている野上の頭を容赦なくビシバシ叩いている。それでも微動だにしない野上を見て、坂田がなぜか大爆笑している。こういう光景を眺めていると、なんだか高校生のときに戻ったみたいだ。
「ちょっとした同窓会みたいだね」
自然と出たセリフだった。なんの意味もなく呟いたはずだったのに、それを聞いたウメちゃんと坂田は話すのを中断して、二人いっしょに顔を見合わせて「あー!」と叫んだ。びっくりするわたしに詰め寄ってきて、また二人いっしょに話し出す。
「そうだペコちゃん、その話だった!こないだ梅田が送ったメール見た!?」
「ウチのメール届いた!?参加の返事いつまでたっても返事こないから心配したんだよー!?」
「ええ?なんの話?」
キョトンとするわたしたち。話が噛み合わない。ウメちゃんと坂田が首を捻りながら、交互に説明をしてくれる。
「だから、今度高校3年のクラスメンバーで」
「プチ同窓会しようって話だよ」
「え。初耳なんだけど」
「嘘!?メール見てない?」
「ごめん、今携帯壊れてて…」
「あ?そうなん?」
ウメちゃんの携帯電話から、改めてメールの内容を確認させてもらう。“クリスマス前夜祭パーティーだよ!元3年2組全員強制集合しなさい!場所は文化祭の打ち上げで行ったお好み焼き屋。(当日はコスプレ必須です)”…全面的に愉快な文字が並んでいる。
この間、野上が言っていた例のメールとは多分このクラス会のお知らせのことだろう。思わせ振りな言い方しやがって。隣でぐうすか眠る野上を睨んだ。
「男子の幹事が坂田で、女子の幹事がウチなのよ」
「俺、野上にペコちゃんにも伝えとけって話したんだけどなー。聞いてなかった?」
「いや、うん、かなり遠回しに言われてたのを今思い出した…」
ただの、杞憂だったのだろうか。野上が意味ありげな言い方をするから、なにか悪い予感というか嫌な不安感に襲われていたけど、メールのことも分かってようやくガチガチだった肩の力が抜けていった。…あのメロディーが頭から消えないのも、きっとなんの意味もないのだ。
「もちろん参加するよね、杏子!」
「ノーとは言わせないぜ、ペコちゃん!」
「まあ、別に予定もないし…。みんな結構来るんだ?」
「おう!なんてったって、“強制集合”だからな!」
「やっぱり強制なんじゃん」
「あ、それからさー、スズッチも来てくれるって!我らが元担任!」
「え?」
「いやー、楽しみだなあ!パーティー!ねっ、杏子!」
「……」
ウメちゃんが嬉しそうにはにかんでいるのに、わたしはうまく笑えなかった。ウメちゃんが言った、たったひとりの愛称のことで頭がいっぱいになった。
スズッチ。…鈴村先生は、高校時代の担任の先生だ。誰にでもやさしくて、ちょっと抜けたところもあったけど生徒のことをきちんと考えてくれてる頼りになるひとだった。
鈴村先生はいつだって笑っていた。
「杏子?どうしたの?」
「ペコちゃん?」
鳴り出すのは、雨の中落ちていったあのメロディー。溢れてくる、あの頃の気持ち。だめだ、止まらなくなる。制服を着た高校生のときの自分が、遠くのほうで何かを一生懸命に叫んでいる。
先生。せんせい。鈴村先生。
ただひたすらに、先生の名前を呼ぶ記憶のなかのわたし。泣きながら、気持ちを溢れさせているあの頃の幼いわたし。走っていくこともできずに、崩れ落ちていく先生への想いをわたしは、あのとき投げ出すこともできなかった。
「ペコちゃん、顔色悪くね?」
「杏子、もしかして体調悪い!?」
友人たちの心配する声。大丈夫だよ、って言おうとして口を手で覆った。気持ち悪くなってきた。グラグラする思考に、嫌気がさす。名前をきいただけで、こんなにも弱くなる。わたし、まだなんにも変わってない。
「白雪、参加するってさ。パーティー」
そんなとき、あくび混じりな間の抜けた声。寝ていたはずの野上が、まだ少しだけ眠そうな目をしてわたしの頭の上に腕を乗せていた。
ポカンとするわたしを一度だけチラッと見て、さらに体重をかけてくる。わたしの頭は腕置きじゃない。
「は?つか、何?おまえ起きてたの?いつから?」
「ん?白雪が泣きそうになってたあたりから?」
「!!、な、泣くわけな、ムゴッ」
「野上、近い!杏子から離れて、ウチと代われ!」
「やだ」
寝起きのくせに、しっかりとわたしの口を手で塞いでくる。このばか力め!背中をバシッと叩くと、片手で頭をぐしゃぐしゃと撫でられた。…なんだよ、いつもなら4倍返しで叩いてくるくせに。
「ほら、白雪も行きたいって頷いてるデショ?」
「あんたが無理矢理頷かせてるようにしか見えないけどね。…クソッ、べたべた触りやがって羨ましい!」
「梅田、怒るところそこなの?」
「杏子のマシュマロボディは誰にも渡さない」
「ウメウメは相変わらずヘンタイだなー?」
「野上にだけは言われたくないわ。ウメウメって呼ぶなドヘンタイ」
わたしが話せないことをいいことに野上が勝手に話をすすめていく。口が解放されるころには、話はまとまっていた。問答無用でわたしも参加させられるらしい。…客寄せパンダした仕返しかよ。
「はーっ、なんか杏子と久々話したらスッキリした!杏子、これからまたお店?」
「うん」
「しょーがないかー。よし、イケメン共、これからバイキングに行くぞ奢りなさい!杏子、また近々遊ぼうねー!」
「なんでだよ!でも、俺も腹減ったわー。野上に弁当全部食われたせいで」
「ごちになりました」
「お前ほんとに謝る気ないのな!」
賑やかな声がだんだん離れていくなか、動かないやつがひとり。ムッとして顔を背けようとしたら、頬っぺたを両手で挟まれるようにして固定された。その手の冷たさに、ひえっと間抜けな声が出た。
「なによ」
「そんな顔で店戻るの?」
「…わたし今どんな顔してる?」
「分かってるくせにー」
「分かんないよ」
「ふーん。教えてほしい?」
野上の顔が、ふっと真面目な表情に引き締まる。…でも、すぐにその口元は意地悪っ子のようにニマニマと笑みを浮かべた。
「“スズッチ先生のことがまだ忘れられません、まだだいすきー”、って顔してる」
「し!してない!ばか!」
「ほら。またその顔。やめてくんない、それ。…イライラするからさー」
「いっ!?」
頬っぺたから手がはなれたと思ったら、首筋に違和感。…噛みやがったこいつ!ゆっくりとわたしの首に埋めていた顔を上げた野上は、おもしろくなさそうに口を尖らせていた。不機嫌モード、復活か?そもそも、いつ野上が機嫌悪くなる場面があった!?わたしのほうが怒鳴りたい気分だ。
「なにすんの!」
「マーキング」
「はあ!?」
「歯形、つけなかっただけ有り難く思ってね?」
そう言って、野上は坂田たちを追いかけていった。嫌なヤツ!
首筋を撫でながら、わたしは野上に言われた言葉を思い出す。それから、鈴村先生のことを思い出す。ああ、もう。
「思い出したくなかったなあー…」
お店の扉を開きながら、誰にも気づかれないようにゴシゴシと目を擦った。
◎おまけのウメちゃん
「彼氏が欲しい」
「そういえば、梅田のタイプってどんなの?」
「……坂田、ごめん。ウチ坂田のことはイイヤツだと思ってるけどそれ以上の感情はないわ」
「俺だってねーよ。妙な勘違いすんな」
「ウメウメは一般的イケメンには興味ないよねー」
「特に、王子様的な顔面なヤツとかねー」
「……」
「……」
「お前らこんなとこでケンカすんなよ、みっともないから」
「で?ウメウメのタイプって?」
「力士」
「は?」
「最低でも80キロ以上はほしいよね。それに包まれたい」
「ヘエー」
「坂田たちの友達にそんなひといない!?いたら紹介してほしい!」
「いない、かな…?」
「チッ、使えないな!これだからイケメンは!!」
ウメちゃんはぷにぷにしててふっくらなやわらかいものがお好き。




