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薬師一家の落ちこぼれ  作者: 香田紗季


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2 スヴァルトル辺境伯(side:ジャスパー)

読みに来てくださってありがとうございます。

よろしくお願いいたします。

 スヴァルトル辺境伯領は高い山脈を隔てて二国と接しており、常に軍事的な緊張を抱えている土地だった。


 それだけに医師や薬師は何人いても足りないほどなのに、激務を理由にすぐ辞めてしまう者が多く、なかなか定着しないどころか、そもそも辺境という土地を嫌がって応募してくる者も少ない。


 そこで、スヴァルトル辺境伯は領内で医師や薬師を育成しようと考えた。現職で働きながらかつ指導ができ、その上長くスヴァルトル辺境伯領にいてくれるような人となると、なかなかいない。声をかけても断られる。現場で働く医師や薬師たちからは「これ以上仕事を増やすなら辞める」と言われてほとほと困っていた。


 そこにゴシェナイト家の噂がこの辺境にまで流れ着いた。辺境伯はすぐに動いた。辺境伯夫人は夫から相談を受けると、すぐに邸を手配した。同時に、娘たちの教育に携わりたいと申し出た。


「わたくしの命は、ゴシェナイト夫人が命を懸けて守ってくださったもの。母を知らずに育った子どもたちに必要なことを、わたくしの手で教えてやりたいのです」

「そういうが、実は娘の身代わりが欲しかっただけだろう」

「あら、お気づきでしたのね」


 辺境伯夫人はふふふ、と笑った。男子二人産んだ辺境伯夫人だが、実は娘の世話をすることが夢だった。可愛らしい服を着せて、髪を結って、一緒においしいお菓子を食べる。そんな夢を、自分自身ではかなえられなかった。


「ゴシェナイト夫人だって、きっとそうしたかったと思うんです。だから、彼女の分もしっかりかわいがりたい。結婚相手はスヴァルトル辺境伯家の後見がある娘として、きちんとした人物を選んであげたい。いいかしら?」

「君がそうしたいのならそうすればいい。ただし、ゴシェナイト氏と娘たちの同意が必要だ」

「もちろん、嫌がるようなことはしませんわ」

「ならば温かく迎えてやろう」

「はい。子どもたちにも言い含めましょう」


 長男のオニキスは既に23歳だが、婚約者はなかなか決まらない。軍事的緊張を抱える辺境を支える辺境伯夫人には、それなりの覚悟がいる。現在の辺境伯夫人は軍務大臣を務める宮中伯の娘で、現国王の妹であった王女が他国に嫁ぐまでの間、護衛騎士を務めていたという経験を持つ。同じような人はなかなか得難く、婚姻の打診をしても「辺境に娘をやりたくない」と断られることが続いている状態だ。父辺境伯の後継者として既に部下からの信任厚い偉丈夫だ。


 次男のオブシディアンは腕力馬鹿だが、明るい性格でみんなから好かれている。「自分はオニキスのスペアだが、頭はスペアになれない」と豪語し、騎士たちと男だけの生活を楽しんでいる21歳だ。


 三男のジャスパーは、オニキスとは全く違うタイプの子供だ。剣を持たせても弓矢を持たせてもうまく扱えず、騎士団では「できない子」扱い。最近は隣国から来た魔術師の所に出入りしており、体を使うことよりも戦術書を読むことの方が好きな15歳だ。


 辺境伯夫妻は今駐屯地にいるオブシディアン外二人に、薬師のゴシェナイト家がやってくること、二人の娘のうち、下の娘が王都で差別的な扱いを受け、王都では生活できなくなったこと、ゴシェナイト家には返しきれない恩があること、彼らがスヴァルトル辺境伯領に定着してくれればこの地の医療レベルが格段に上がると予想されることなどを話した。


「平民だが、王家でも薬を定期購入していたほどの信頼がある人物だ。どうか彼らが安心して暮らせるよう、お前たちにも協力してほしい」


 オニキスはただ「わかりました」と言った。ジャスパーは下を向いたままだった。


「ジャスパー。協力してくれるか?」

「その子たちが僕を嫌いじゃなかったら」


 ジャスパーの言葉に辺境伯夫人は「それもそうね」と言った。


「でもね、彼らは……いいえ、娘さんたちは初めての土地でとても不安だと思うの。だから、相手が心を開くのではなくて、わたくしたちの方から心を開いておきたいの。娘さんたちがわたくしたちと親しくしないことを選べばそれを尊重するし、仲良くしたいと言うのなら、仲良くしましょう、そういうことよ」

「それなら、がんばります」


 正直に言うと、ジャスパーには不安しかなかった。オニキスは顔もいいし体つきもがっしりしていて、その上賢く、さらには剣も弓矢も戦術も全部スマートにこなせる人だ。心を簡単に開く人ではないけれど、相手の娘さんたちと程よい距離を取って接することができるだろう。


 でも僕は?


 ジャスパーは胸に抱えている魔術所をぎゅっと抱きしめるようにした。15歳になってもなおジャスパーの背はあまり伸びず、子どものような姿のままだ。自信がないから話すのも苦手でいつもおどおどしてしまう。オニキスに「お前はもう少しできるはずだ」と言われても、自身がないから途中でやめてしまう。周囲から発せられるがっかりした空気に、その場を逃げ出してしまう毎日が続いている。


 きっと僕になんて興味を持たないさ。


 ジャスパーは魔術所を持ち直した。明日到着するゴシェナイト家の人たちのことは、他の人に任せればいいと、その時のジャスパーは思っていた。


★★★


 数日後、ゴシェナイト家の人々が到着した。スヴァルトル辺境伯夫妻の歓迎ぶりに若干引きながら、ジャスパーは周囲の人々を長く伸ばした前髪の隙間から観察した。ほとんどの人が、有能な薬師親子に期待のまなざしを向けている。ふと、ゴシェナイト氏と上の娘……確かクリスタルと言ったか……がきらきらとした目で周りを見ている陰に隠れるようにして、分厚い眼鏡をかけた少女が困惑し、所在なさげにうつむいているのが見えた。


 あの子も、こういう華やかなことは苦手なのか。


 そう思うと、少しだけ親近感が湧いた。クリスタルという姉の方は平民にしては美しく、気が強そうで、理知的な雰囲気を持っている。どことなく兄オニキスの雰囲気を感じさせる。それは個人の特性ではなく、長子というものが持つ特性なのだろうか。


 もう、十分だろう。


 ジャスパーはそっと建物の中に隠れた。みんなの目はゴシェナイト家の三人に注がれており、ジャスパーの動きなど気にする者などいない。玄関の窓から外を見ると、三人はまだ馬車の前から動けずにいた。


「あれ?」


 馬車とクリスタルの間に隠れるようにしていた妹……そう、オパールという名前だった……がふっと沈み込むようにしゃがんだ。ずっと馬車に座っていたのに、降りた瞬間から長時間立たされて立ち眩みを起こしたのだろう。


 ジャスパーは慌ててオパールの所に駆け寄った。オパールが自分たちの後ろにいたせいでゴシェナイト氏もクリスタルもオパールの様子に気づかず、人々はクリスタルの後ろに隠れていたオパールのことなど目に映っていなかった。


「大丈夫?」

「申し訳ありません」


 顔白い顔をしたオパールが、蚊の鳴くような細い声で謝った。


「あら、大変!」

「室内に案内すべきだったな、申し訳ない!」


 辺境伯夫妻の言葉に、人々が道を開けた。ゴシェナイト氏に抱えあげられたオパールを見送ると、ジャスパーは自室に戻ろうとしてオニキスに呼び止められた。


「お前、よく観察していたな」

「え、まあ」

「よくやった。行動こそが人間の真価を表す場だ。あそこであの子を助けたお前は、ちゃんとした人間だと証明したんだ。自信を持て」

「あ、兄上……」

「なんだ?」

「ありがとうございます」

「ああ」


 普段あまり話さないオニキスから褒められて、ジャスパーはうれしくなった。


「お前、あの子を見てやれ。お前ならあの子の気持ちが分かるかもしれない」

「どういうこと?」

「似ているように見えるから」

「はあ」

「姉の方は俺が面倒を見る」


 それが目的か! とジャスパーは目をすがめてオニキスを見た。オニキスは一目見てクリスタルが気に入ったのだろう。多分、おそらく、間違いなく。


「なんだその目は」

「いえ、別に」

「姉の方はすぐに騎士団お抱えの薬師となることが決まっている。おそらく次の交代要員として衛生兵や軍医たちと駐屯地へ向かうことになるだろう。俺もちょうどオーブと入れ替えになるから、様子を見てやれる。それだけのことだ」

「ふうん。オーブ兄さんによろしく」

「ああ」


 オニキスの後ろ姿を見ながら、オニキスはああいう勝気な娘が好みなんだろうなと思った。いかにも貴族らしく、物をはっきり言わず、すぐに泣き、弱音を吐き、贅沢をしたいとわがままを言うようなご令嬢たちでは、そもそも辺境伯夫人は務まらない。そのことをジャスパーも近くで見て学んできた。


(さて、オニキス兄さんがどうやってクリスタルさんに近づくのか、見ものだな)


 そのジャスパーに心境の変化が訪れるのは、一週間のことである。



読んでくださってありがとうございました。

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