03.首都の地下より
ソフィーリアがその名を口にした瞬間、イェーバー将軍の眉間に深い皺が刻まれた。
「議長、本気で仰っておられるのですか。彼らを……『猟犬』を起用なさるなど、正気の沙汰とは思えません」
『猟犬』
それは、独立機動部隊の通称であった。
表向きは、特殊任務を担う精鋭部隊とされているが、その実態は、軍規違反の常習者や、命令不服従を繰り返す問題児たちを収容する、いわば懲罰部隊だ。
しかし、皮肉なことに、その戦闘能力……特にゲリラ戦や破壊工作といった、非正規戦闘における能力は共和国軍の中でも突出している。
「正気よ、マルクス。そして、彼ら以上にこの任務に適した者たちがいないことも、あなたが一番よく分かっているはず」
ソフィーリアの瞳は、一切の揺らぎを見せなかった。イェーバーは、ぐっと言葉に詰まる。
確かに、ソフィーリアの言う通りだった。常識外れの作戦には、常識外れの部隊が必要なのだ。
「……分かりました。ですが、あの男が素直に議長の命令を聞くとは思えません。レオ・ラウス……一筋縄ではいかない男です」
「ええ、分かっているわ。だから、私が直接会いに行く」
そう言ったソフィーリアは、立案した者の責任を果たすため地下へと歩みを進めるのだった。
◇
首都の地下深くに設けられた、独立機動部隊の待機室は、地上のにぎわいとは対照的に、冷たく静まり返っていた。
湿った空気と、微かに漂う硝煙の匂い。その中央で、一人の男が、黙々とナイフを研いでいる。
レオ・ラウス。
それが彼の名だった。
無造作に伸ばされた黒髪が、その顔に影を落としている。
鋭い眼光は、獲物を狙う肉食獣を思わせた。彼こそが、誰もが恐れ、そして同時に、その能力を認めざるを得ない『猟犬』の隊長である。
「……何の用だ。お偉いさんが、こんな掃き溜めにまで来るとはな」
ソフィーリアが部屋に入ると、レオは顔も上げずに、低い声で言った。その声には、あからさまな敵意が込められている。
「あなたに、仕事の依頼があって来たの。レオ・ラウス大尉」
ソフィアは、彼の無礼な態度にも臆することなく、毅然とした態度で答えた。
「仕事、だと? 俺たちは、あんたたちの都合のいい鉄砲玉じゃない。それに、俺は今、停職中の身のはずだが?」
「その停職は、今、この瞬間をもって解除するわ。そして、これは命令ではなく、依頼。あなた個人の意志で、受けるか受けないかを決めてほしい」
その言葉に、レオは初めて手を止め、顔を上げた。その瞳が、値踏みするようにソフィーリアを見つめる。
「……ほう。面白いことを言う。で、その依頼とやらは、どんな内容だ?」
「帝国軍の補給路を断ってもらう。場所は、世界の背骨山脈の隘路。成功すれば、あなたは英雄。失敗すれば……」
「犬死にか。悪くない賭けだ」
レオは、にやりと口の端を吊り上げた。その不遜な笑みに、ソフィアは眉をひそめる。
「あなたにとっては、賭け事かもしれない。でも、この作戦には、共和国の未来がかかっているの」
「未来、ね。あんたが演説でぶち上げている、あのキラキラした未来か。自由だの、平等だの、反吐が出る。戦場にそんなものがあるかよ。あるのは、殺すか殺されるか、その二つだけだ」
レオは、吐き捨てるように言った。彼の言葉は、ソフィーリアが掲げる理想を、真っ向から否定するものだった。
「……それでも、私は信じたい。血を流すだけの戦争の先に、何かがあると。そのために私は戦っている」
ソフィーリアは、静かに、しかし力強く答えた。
その翠色の瞳の奥に宿る、純粋であまりにも真っ直ぐな光。レオは、その光から思わず目を逸らす。
「……あんたみたいな人間が、一番厄介なんだよ」
レオはソフィーリアが、何もできない小娘ではないことをよく知っていた。
甘い理想を掲げながらも、現実では国を守るために、敵の命を摘むこともあるのだ。
彼は、悪態をつきながらも立ち上がった。そして、壁にかけてあった年季の入ったライフルを手に取る。
「いいだろう。その依頼、引き受けてやる。ただし、勘違いするな。俺は、あんたの言う『未来』のためなんかに戦うんじゃない。ただ、帝国軍の奴らをぶちのめすのが、純粋に楽しい。それだけだ」
「……それでいいわ。あなたたちの力が必要なの」
「報酬は弾むんだろうな、ソフィーリア閣下殿」
「ええ、望むだけのものを」
ソフィーリアが皮肉めいた呼び名に反応せずにそう言うと、レオは初めて、楽しそうな笑い声を上げた。
その笑い声は、暗く冷たい地下室に、不気味に響き渡る。
「その言葉、忘れんなよ」
そう言ってレオは、楽しそうに部屋を後にするのだった。
翌日。『猟犬』の異名を持つ独立機動部隊は、誰にも知られることなく、首都から姿を消した。
彼らが目指すは、険しい世界の背骨山脈を超えた先にある、帝国軍の生命線。
共和国の未来を賭けた、無謀な作戦が、今、静かに始まろうとしていた。




