第96話《試練》
夜明け前の庭は、ひんやりとした空気に包まれていた。
白い息が上がる。
静けさの中で、杖の音だけが響く。
バルドランが立つ。
老いたその瞳には、A級冒険者《極星の旅団》の魔導士として数多くの冒険をしてきた男の鋭い光が宿っていた。
「――これが卒業試験じゃ。ナユ、覚悟は出来ておるか」
「はい、お願いします!」
ナユは深く一礼し、芝の上に立つ。
その背後には白銀の狼ハクと黒狼クロ。
今日は二匹は黙って見守るだけ。
――この戦いは、ナユ一人の試練だ。
『魔力循環、安定。心拍正常値。問題なし』
胸の奥でミラの声が落ち着いて響く。
ナユは軽く頷き、両手を前に出した。
バルドランが杖を地に叩く。
茶色の魔法陣が地を走り、石の輪が足元を囲む。
芝生が大地のフィールドと化す。
「第二階梯。足場固定、完了じゃ」
そして杖先が赤く光る。
次の瞬間、炎の矢が放たれた。
「まずは小手調べじゃ!炎よ!!第一階梯!」
詠唱短縮され、空気を切り裂く轟音。
ナユは即座に詠唱する。
「《プロテクト・サークル》!」
光の結界が張られ、炎が弾けた。
熱が頬を掠めたが、視線は前から離れない。
『防御成功。損耗率、軽微』
バルドランは唇を吊り上げ、杖を構え直す。
「では、これはどうじゃ。炎槍よ穿て!第二階梯!」
炎が槍の形をとり、まっすぐ突き出される。
ナユは結界を再展開し、光を収束させた。
「《レイ・エッジ》!」
光の刃が炎槍とぶつかり、爆風が弾ける。
芝が焦げ、熱風が頬を撫でた。
「ふむ、押し返せはせぬか。やはり光だけでは軽いのう」
「まだ、やれるのです!」
ナユは前に出るが、炎の壁が立ちはだかった。
バルドランが杖を振る。
「攻防一体!!燃やし、守れ!第三階梯!」
燃え上がる炎が渦を巻き、彼の前を覆う。
熱波が押し寄せ、空気が歪む。
ナユは光刃を放ち、斬り込む。
「《レイ・エッジ》!」
だが、刃は炎の層に弾かれ、届かない。
炎壁の奥で、バルドランが穏やかに笑う。
「光はまっすぐ過ぎる。相手の“形”を見ずに突っ込めば、すぐ燃やされるのじゃ」
「……っ!」
『温度上昇。距離を取ってください』
「いいえ、下がらないのです!」
ナユは足を踏み出す。
その瞬間、炎が地面を走り、渦を巻き始めた。
「これは受けるとただでは済まんぞ!!炎よ、嵐と成りて、我が眼前を赤に染めよ!!第六階梯!《フレア・トルネード》――!!!」
赤い渦が天へ伸び、轟音を響かせる。
熱が一気に押し寄せ、庭の空気が揺らめいた。
「すごい……これが第六階梯……!」
『魔力圧:限界値付近。防御を最優先に!』
「《プロテクト・サークル》!六重展開!」
光の結界が幾重にも重なり、炎を受け止める。
だが外層が焼け、ひびが走る。
視界の赤が強くなり、肌が焼けるように熱い。
その中で、ナユは目を閉じた。
(……わたしの光は届かない。でも――)
心の奥で、あの夜の声が響く。
闇ちゃんの、静かな囁き。
(なら、一緒に行こう。光と闇で、ひとつの刃に)
「うん、そうなのです」
ナユの両手に白と黒が宿る。
二つの魔力が螺旋を描いて融合する。
熱風が弾け、風が収束する。
「――これが、わたし達の力!光よ、闇よ……比翼の刃となりて、連ね、断ち、斬り伏せよ!!!」
ナユが両手を振り抜く。
「《ツイン・スラッシュ》!!」
光と闇の刃が走り、炎の竜巻を貫いた。
轟音が爆ぜ、空気が裂け、炎の渦が一瞬で吹き飛ぶ。
閃光が夜明けを呼び、空が金色に染まった。
風が止み、静寂。
ナユは膝をつき、息を荒げながらも笑った。
「……やりました……先生……!」
バルドランが杖を肩に担ぎ、ゆっくりと頷いた。
そして穏やかに笑う。
「――合格じゃ、ナユ。光と闇、どちらにも呑まれず、それを自分の意志で使いこなした。しかも、融合魔法のような二つの属性を合わせた魔法まで……これ以上の証明はない。おぬしはもう、一人前の魔導士じゃ」
その言葉に、ナユの目が輝いた。
胸の奥に、温かい光が広がる。
「……ありがとうございます、先生……!」
朝日が昇り、二人の影が長く伸びる。
その間に、確かな“弟子と師”の絆が光っていた。
「今日の記録:先生との卒業試験が終わりました。すごく熱くて、途中で負けそうだったけど……光と闇、どっちも信じて戦ったら勝てたのです。先生に“合格”って言われた時、ちょっと泣きそうでした。これからは、一人前の魔導士として、もっと強くなるのです。……まだ四歳にもなってないんだけどね……日報完了」




