第87話《光刃》
光と闇がぶつかり合い、森が震えていた。
腐敗霧の中で、ナユの結界が軋む音を立てる。
『……限界です、ナユ。防御層、残り十パーセント』
「まだ……まだいけるのです!!」
声が震えていた。
けれどその瞳は、まっすぐに闇を見据えていた。
サバリネがゆっくりと歩み寄る。
黒衣の裾から滴る霧が、地面を溶かしながら広がっていく。
「ふふ……見事なものだ。人間がここまで光を操るとは」
「黙るのです……あなたのせいで、みんなが傷ついてるのです!」
ナユの身体に走る痛みは、すでに限界を超えていた。
十二重の《ブースト》が筋肉を焼き、骨を軋ませる。
けれど、止まらなかった。
「……《レイ・エッジ》ッ!!」
閃光が奔る。
斬撃が霧を裂き、サバリネの腕をかすめた。
腐敗した血が蒸気を上げて消える。
サバリネの唇が吊り上がる。
「悪くはない。だが――“そこまで”だ」
その瞬間、濃霧が爆ぜた。
視界が奪われ、耳が軋む。
ナユの結界が破裂音を立て、仲間達の悲鳴が響く。
「くっ……!」
魔力が底を尽きかけていた。
膝が折れ、光が消える。
その隙を逃さず、サバリネが手を翳す。
「終わりだ――光の子」
腐敗の奔流がナユを包もうとした。
その時。
ナユの左手が、反射的に動いた。
《アイテムボックス――アクセス!!》
空間が裂け、光の瓶が飛び出す。
中に宿る液体が、ナユの掌に触れた瞬間――全身が金色に輝いた。
『……《エリクサー》、使用完了。状態:完全回復』
ミラの声が淡々と響く。
サバリネの笑みが止まった。
「な……何をした……!?」
「わたしは!!こんな所で立ち止まる訳にはいかないのです!!!」
ナユの魔力が再び膨張する。
光が収束し、空気が震えた。
『解析不能……新たな構造式検出。進化発動。名称:《レイ・ブレード》』
ミラの報告と同時に、ナユの手に光の剣が顕現する。
それは刃の形を取り、輝きを宿した“意志ある光”。
「これが……わたしの――光なのです!!」
斬撃が走る。
轟音とともに、闇が裂け、腐敗霧が吹き飛ぶ。
サバリネの体が斜めに裂け、地面に叩きつけられた。
「ぐ、あああああっ!!」
その叫びが森を震わせる。
ナユは肩で息をしながら、剣を握りしめた。
「これで……終わり、なのです!」
サバリネの口元が歪んだ。
霧が再び体を包み込み、傷口を覆う。
「ククク……面白い……実に面白い……」
その赤い瞳がナユを射抜いた。
「覚えておけ、小娘。お前の家族も、あの執事も――皆、腐らせてやる、惨たらしく縊り殺してやるからな!!」
――一瞬、世界が凍った。
ナユの脳裏に、父と母の笑顔。
ミナの穏やかな声。
そして、セバスチャンの静かな背中。
それが、霧に飲まれる光景に変わった。
「……っ!」
心臓の奥から、何かが弾ける。
光の瞳が、赤黒く滲んだ。
空気が震え、地が軋む。
『ナユ、危険。出力異常――!』
ミラの声が警告を発する。
だがもう遅い。
《条件成立、必須条件①魔力ランクSS、②属性適正闇潜在、―――魔王覇気を取得しました、殺意の対象が存在するので自動発動します―――》
ナユの身体から、純粋な“殺気”が吹き出した。
それは光ではなく、闇の色を帯びた圧。
サバリネが息を詰まらせる。
「な、なんだ、この気配は……魔王陛下の……いや、それ以上……!」
「二度と、わたしの家族に近付くな……!!」
その声は、まるで別人のように低く響いた。
刹那、闇に怯えたサバリネが霧と共に消える。
残されたのは、白く焦げた地面と、倒れ込むナユの小さな身体。
『……危険は去りました。……ナユ、あなたは――』
ミラの声がわずかに揺れた。
月明かりの下、ナユの頬を伝う涙が、光に溶けて、意識が闇の中に遠退いていく。




