第75話《初使》
朝の陽射しが窓をくすぐり、屋敷の食堂にのんびりとした空気が流れていた。
パンの香りが漂う中、バルドランが新聞のような魔道紙をたたみながら言った。
「今日は授業を休みにする。ナユ、買い出しを頼む」
「おつかい、なのです!?任せてくださいなのです!」
椅子から飛び上がったナユの声が響く。
その元気さに、リカリーネがうんざりとため息をついた。
「おつかいって……子供じゃないんだから」
「子供じゃないのです!もう三歳と半年なのです!」
「十分子供よ!」
横でミナがくすっと笑い、淡い緑の髪を揺らした。
「リカリーネ様、護衛兼監督としてご同行をお願いします」
「なんで私が!?」
「お嬢様を一人にするのは危険ですので」
「……ちょっと、言い方が地味に刺さる!」
◆
王都南区の市場。
露店が並び、香辛料と焼き菓子の匂いが風に混ざる。
その中をナユ、リカリーネ、ミナの三人が歩く。
「見てくださいリカちゃん!果物がきらきらしてるのです!」
「磨かれてるだけよ!」
「リカちゃん、ツッコミ上手なのです!」
「褒めてない!」
ミナは冷静にメモを見ながら歩く。
「目的は食料と魔導紙、それに調合用のハーブ……」
「はーい!ぜんぶ買うのです!」
「ぜんぶはやめて!」
ナユのテンションは市場のテンポを上回り、店主達が思わず笑顔を見せる。
だが――
「すみませーん、こちらもお願いできますか?ちょっと重くてねえ」
親切そうな店主が渡したのは、麻袋に詰まったジャガの山。
リカリーネの腕がぷるぷる震える。
「……ちょっと!?これ、冗談でしょ!?」
「リカちゃん、がんばるのです!」
「アンタは他人事みたいに言わないで!!」
ミナが心配そうに見守る中、リカリーネはついにギブアップ。
「もう無理!腰が死ぬ!」
そこでナユが一歩前へ出た。
手を合わせ、にこっと笑う。
「仕方ないのです。見ててくださいなのです――!」
彼女の足元に光陣が六重に展開された。
空気がびりっと震える。
「《ブースト》!《ブースト》!《ブースト》!《ブースト》!《ブースト》!《ブースト》!」
光がはじけ、ナユの小さな体が一瞬だけ神々しく輝く。
彼女はそのまま――袋をひょい。
「軽いのです!!」
周囲の商人がざわつく。
「ろ、六重強化!?」
「あの子、手ぇ震えてないぞ!?」
リカリーネは口をぱくぱくさせる。
「アンタ……それ、普通の魔導士でも気絶するやつよ!?」
「だいじょうぶなのです!朝のストレッチなのです!」
「ストレッチじゃないわ!!!」
ミナが肩をすくめて笑う。
「お二人とも、そろそろ帰りましょう。お菓子が溶けます」
「お菓子!?早く帰るのです!!」
「単純か!!」
◆
屋敷に帰ると、バルドランが扉の前で腕を組んで待っていた。
「ふむ、無事戻ったか。よくやった」
「完璧なのです!」
リカリーネはため息をつきながら答える。
「……もう二度と付き添わない」
「また一緒に行くのです!」
「絶対に行かない!」
「ふふ、仲良き事は美しきかな」とミナ。
◆
「今日の記録:初めてのおつかいに行ったのです!リカちゃんとミナさんが一緒で、とても楽しかったのです!荷物が重くてリカちゃんが大変そうだったので、身体強化を六重詠唱でやってみたら軽かったのですでも、あとでちょっと足がプルプルしたのです!……日報完了!」




