第73話《詠唱》
朝の稽古場に白い靄が漂い、地面の霜が煌めいていた。
バルドランは杖を地に突き、低く響く声で始まりを告げる。
「今日は“詠唱”の稽古だ。言葉が魔法の形を作る――しっかり覚えておけ」
「はいなのです!」
「了解。さっさとやるわ」
老魔法使いは穏やかに頷く。
「まずは“完全詠唱”。術の構造を丁寧に組み上げる、最も安定した形だ」
「光よ、我が言葉に応え、小さき灯となれ――《ライト》」
掌に柔らかな光が宿り、空気がふっと緩む。
「次が“詠唱短縮”。必要最低限の言葉だけで、心の中に残りを描く」
「光、灯れ――《ライト》」
先ほどより早く、光が濃く生まれた。
リカリーネが小さく笑う。
「この辺りなら朝飯前よ」
「なら今日は――“魔法名だけで発動する”段階まで進む。短縮の次の段階だ。これが出来れば一人前と言える」
その言葉に、二人の表情が一瞬引き締まった。
「では私から。――《ライト》」
光が瞬く。
詠唱が名だけになった事で発動までの間が、ほとんどなくなる。
その速度にナユが目を丸くした。
「すごいのです!もう言葉ほとんど無しで発動したのです!」
「安定させるのは難しい。魔法名だけで形を思い描ける者は少ない」
バルドランが目を細める。
「さあ、やってみろ」
「やってやるわ!――《フレアアロー》!」
紅の矢が鋭く放たれ、的の端を焦がした。
「……いいわね、この感じ。もう一発! 《フレアアロー》!」
二射目は完璧に中心を貫いた。
その隣でナユも構える。
「《レイ・エッジ》」
光の刃が地を走り、紅の矢の軌跡をなぞるように止まった。
「流石に早いわね……」
リカリーネが苦笑しながらも、横目でナユの動きを観察する。
バルドランが静かに言葉を続けた。
「言葉を削るほど、心の中で形を明確にせねばならん。“詠唱短縮”とは、心で構築する訓練でもあるのだ」
「心で……思い描くのです」
ナユは両手を胸の前に重ね、目を閉じる。
呼吸をひとつ。
その瞬間――ふわりと、光が漏れ出した。
「えっ……?」
ナユはまだ何も言っていない。
しかし指の先に、小さな白い灯が生まれていた。
「……今、詠唱したか?」
「してないのです。ただ、“灯れ”って思っただけで……」
リカリーネが息を呑み、目を細める。
「もしや、無詠唱!?」
「……ずるい」
「リカちゃん?」
「なんでもない!」
リカリーネは杖を強く握りしめた。
「やってやるわ! 《フレアアロー》――っ!」
だが――火が暴れた。
矢が形を成す前に、赤い爆ぜ音が響き、土煙が上がる。
「熱っ!?う、うそ……!」
ナユが駆け寄り、バルドランが杖を振って炎を鎮める。
「心が乱れた。言葉は呪ではない、“導き”だ。焦ると魔法は暴れる」
「……分かってる」
リカリーネは俯きながら、唇を噛んだ。
その横でナユが、小さく首を傾げる。
「ごめんなさい、わたしのせいなのです……?」
「違う!あんたのせいじゃないわよ!」
叫んだ声のあと、彼女は顔を背けた。
静かな風が、二人の間を抜けていく。
バルドランは空を見上げ、ゆっくりと呟いた。
「今日の課題はここまで。――次は、“二人で放つ術”だ」
◆
「今日の記録:詠唱の練習。完全詠唱、詠唱短縮、魔法名のみの発動を実施。わたしは《レイ・エッジ》を早く出せるようになったのです!無詠唱、いつか出来るようになりたいな……リカちゃん、少し怒ってたのです。明日は仲直りしたいのです。日報完了。」




