第68話《努力》
――アニシアが屋敷を去った夜。
ミナは眠れなかった。
胸の奥が熱くて、まぶたを閉じてもあの光景が浮かんでくる。
手合わせで見たナユの姿。
柔らかな笑顔のまま、あの強さ。
そして最後に言った言葉――「アニシアを傷つけたくない」。
その時、ミナは気づいてしまった。
ナユはただ強いだけじゃない。
優しさのために強くなれる人なんだと。
(……わたしも、そんな風に仕えられる人になりたい)
その想いが、夜の中で何度も何度も浮かび上がった。
気づけば、東の空がわずかに白み始めていた。
◆
翌朝。
まだ霧が残る庭で、ミナは一人立っていた。
スカートの裾をぎゅっと握り、息を整える。
(よし……今日から、始めよう)
そこへナユが現れた。
金色の髪が朝日に透け、琥珀の瞳がやわらかく光っている。
「おはようございます、ミナ。こんな早くからどうしたのです?」
「ナユ様……!わたし、修行したいんです!ナユ様みたいに、強くて、優しい人になりたいんです!」
ナユは少し驚いたあと、笑顔を浮かべた。
「……いいですね。じゃあ、わたしの訓練に付き合いますか?」
「はいっ!」
二人は並んで芝の上に立つ。
霧が薄れ、光が差し込む。
「まずは呼吸です。吸って……吐いて……」
「すー、はーっ……すー、はーっ……」
ミナの声が小さく震えていたが、目はまっすぐ前を見ていた。
ナユが一歩踏み出すたびに、足元で金色の光が揺らめく。
魔力が身体を包み、内側から支えるように循環していた。
「これが、“身体強化魔法”です」
ミナが目を見張る。
「すごい……体が、軽そうです!」
「うん。全身に“報連相”するのです!」
「ほ、報連相!?」
「そう!“報告、連絡、相談”!体の皆さんに『今日も動くのです!』って声をかける感じ!」
ナユが真顔で言うので、ミナは思わず吹き出した。
「ふふっ……やっぱりナユ様って、ちょっと変わってます!」
「えへへ、よく言われるのです!」
二人は顔を見合わせて笑った。
やがてナユは姿勢を正し、真剣な表情になる。
「ミナ。身体強化は、“無理をしないこと”が大事です。魔力は命と同じ。焦らず、丁寧に」
「……はい」
ミナは胸の奥で魔力を探すように目を閉じる。
静かに、呼吸を合わせる。
すると、心臓の鼓動に合わせて、ほのかな熱が生まれた。
「……あっ……」
足の先から、身体がふっと軽くなった。
風が頬を撫で、髪がゆるやかに浮く。
「ミナ!今の感覚、覚えておくのです!」
「わ、わたし……出来ました!?出来たんですか!?」
「うん!初成功です!」
ミナの瞳が輝いた。
だが次の瞬間、ふらりとバランスを崩し――
「きゃあっ!」
そのままナユの胸に飛び込むように倒れた。
「うわっ!?だ、大丈夫ですか!?」
二人の顔が近づき、ミナは真っ赤になって跳ね起きた。
「す、すみませんっ!びっくりして……!」
「えへへ、でもちゃんと出来てましたよ。努力はちゃんと見てるのです」
ナユが優しく微笑む。
ミナは両手を胸に当て、強く頷いた。
「わたし……もっと頑張ります!ナユ様のような、強くて優しいご主人様に仕える、立派なメイドになります!」
「うん!わたしも、ミナに負けないように頑張ります!」
朝の風が二人の間を抜ける。
芝の露が陽の光を受けてきらめいた。
少し離れた場所で、セバスチャンが穏やかに手を組む。
「お二人とも、見事でございます。ミナ殿、その情熱を忘れずに」
「はいっ!わたくし、ナユ様のために強くなります!」
ミナの声が風に響いた。
その胸の奥では、熱い火が静かに灯っていた。
ナユは空を見上げて、少しだけ目を細める。
(努力って、誰かのためにやると、こんなに輝くんだな……)
光が彼女たちを包み込む。
小さな二人の決意が、確かにそこにあった。
「今日の記録:ミナ、身体強化初成功。転んでも笑顔。努力は、きっと力になる。――日報完了。」
詠唱には段階がある、その段階の最終地点『無詠唱』に実はミナが先程やってのけた身体強化魔法こそがそれだと、ここにいる三人は気付かない……。




