第66話《手合》
午後の陽光が傾き、庭の木々が長い影を落としていた。
アニシアは紅茶のカップを見つめながら、小さく息を吐く。
「……ねえ、ナユ様」
少しだけ震える声。
「私、強くなりたいの」
「強く、って……身体の事ですか?それとも心の?」
「どちらも、ですわ。礼法も勉強も稽古も……頑張っているつもりなのに、いつも“まだ足りない”って言われて。どれだけ努力しても、届かない気がして」
ナユは少し考えてから、真剣に頷いた。
「分かります。誰かの期待を応えるだけじゃ、疲れちゃいますよね」
「あなたは、そういう時どうしてますの?」
「ひとまず、出来た事を数えてみます。“昨日よりちょっと進んだ”って思えば、少しは元気出ますから」
アニシアが笑う。
「……あなた、年齢の割にずいぶん落ち着いてますわね」
横で聞いていたセバスチャンが、ゆるく咳払いした。
「――お二人。一つ、提案がございます」
「提案?」
「言葉だけでは伝わらぬ時もございます。力で確かめ合うのはいかがでしょう――“手合わせ”です」
「えっ!?二歳も下の子と!?」
アニシアが目を丸くする。
だがナユは笑顔で立ち上がった。
「いいですよ!お稽古の成果を見せます!」
セバスチャンは軽く頷いた。
「では、庭をお使いください。結界はわたくしが張りますので」
◆
緑の芝が光を受け、柔らかな風が吹いた。
向かい合う二人。
アニシアの黒髪が風に舞い、灰の瞳がまっすぐにナユを見つめる。
「いきます!」
「お願いします!」
セバスチャンの手が振り下ろされ――
「――始め!」
アニシアの詠唱が響く。
「“影に宿りて夜を裂け――第二階梯!”」
黒い霧が広がり、視界が閉ざされる。
その中でナユが一歩踏み出す。
「光よ、道を――《ライト》!」
短い詠唱と同時に、閃光が霧を切り裂いた。
風が弾け、アニシアが目を細める。
「は、速い……!詠唱が、短い!」
「詠唱短縮の練習中です!」
ナユが前へ跳ぶ。
掌に光を集め、声を響かせた。
「光よ刃となれ!《レイ・エッジ》!」
白い刃が空を走り、地面を削る。
アニシアは防御陣を展開。
「“闇よ、我を護れ――第二階梯!”」
衝突音が響き、光と影が弾けた。
アニシアの靴が一歩、後ろに滑る。
「くっ……ここまで差があるなんて!」
「まだまだ、練習あるのみですよ!」
ナユが一気に距離を詰め、手の中の光を消した。
戦闘の構えをほどき、軽く微笑む。
「これで終わりです」
アニシアは一瞬きょとんとして――
次の瞬間、ふっと笑った。
「……完敗ですわ」
セバスチャンが近づき、二人を見渡す。
「お見事でございました」
そして静かに、ナユを見た。
「――ナユ様、本気を出されなかったのですね」
ナユは少し照れたように笑った。
「だって……本気を出したら、アニシアを傷つけちゃいますから、わたし、アニシアを傷つけたくない!アニシアの事が大好きだから!!」
アニシアは驚いたように目を見開き、それから笑顔で頷いた。
少し頬が赤くなってるのは気のせい。
「つ、次は、私、負けませんわ。きっと追いついてみせます」
「楽しみにしてます!」
光と影が重なり、二人の笑い声が風に乗る。
その背を、セバスチャンが静かに見守っていた。
「今日の記録:アニシアと手合わせ。詠唱短縮、成功。光と影の競演。勝負あり。けれど、どちらも笑顔。日報完了。」




