第60話《帰還》
夜と朝のあいだを、やわらかな橙が満たしていく。
塔の影は薄れ、王都に小鳥の声が戻ってきた。
冷たい空気に、パン屋の甘い匂いが混じる。
石畳を滑る車輪の音が、門前で止まった。
御者席のセバスチャンが手綱を引く。
車内では、布にくるまれた小さな鼓動が、確かに生きていた。
その隣で、ミナが両手をぎゅっと合わせ、祈るように目を閉じている。
「……涙は、仕舞っておきなさい」
低い声は、叱るのでも慰めるのでもなく、ただまっすぐだった。
門が開く。
風が一歩、屋敷に入る。
母が駆け出し、父がつまずきそうになりながら追う。
「ナユ……!」
呼ぶ声が震えた。
腕に戻る重さは、たったひとりの重さだった。
母の指先が、迷子だった温もりに触れる。
頬に当てる。
吸い込む。
胸の奥で、固くなっていた何かが、ぽろぽろと崩れていった。
「もう大丈夫。もう離さないからね」
父は膝をついた。
額を地に近づけ、言葉を探すように唇を震わせる。
「ありがとう……本当に……ありがとう」
セバスチャンは深く一礼し、ただ一言だけ置いた。
「お嬢様、おかえりなさいませ」
その横で、ミナが立ち尽くす。
小さな肩が、朝の光の中でこわばっていた。
母が気づき、そっと抱きしめる。
「あなたも、よく頑張ったね。もう大丈夫」
短い言葉が、長い夜をほどいた。
ミナの喉から、ひゅっと小さな音が漏れる。
こらえていた涙が、ようやく道を見つけた。
◆
寝室に陽が差す。
白い天蓋が、湖面のようにゆらいだ。
柔らかな寝具に沈みながら、ナユはゆっくり瞬きをする。
見慣れた梁、父の足音、母の手の温かさ。
ぜんぶが戻ってきた。
母の指が、髪を梳く。
父の掌が、小さな手を包む。
鼓動が三つ、同じ速さになる。
――守れた。
――帰れた。
胸の奥で、小さな灯がふっと明るくなる。
それは約束の灯。
世界と明日を結ぶ、細い糸の結び目。
「今日の記録:帰還。母の手、父の手、あたたかい。ミナの涙は透明。風が“おかえり”って言った気がする。ここが、家。……日報完了。」
◆
玄関先。
セバスチャンは一人、空を仰いで目を細めた。
夜の冷たさはもうなく、朝だけが残っている。
彼は深く息を吸い込み、静かに背筋を正した。
扉の向こうには、守るべき日常がある。
それで十分だった。
そして屋敷の影で、ミナが小さく頭を下げる。
まだ罪は消えない。
それでも、やり直す場所は与えられた。
彼女の胸にも、ほんの少しの朝が灯る。
◆
その後、王様がお忍びで会いに来てくださったり、その時願いで、腰痛と疲労を治してあげました。
嬉しかったのはアニシアが来てくれた事で、凄くウルウルとした瞳で心配してくれた。
でも俺が笑顔を見せたら、アニシアも笑顔になって、ホッとした。
話せるようになったらアニシアとは良い友達になれそうだ。
まぁ、相手は公爵令嬢だから、そう簡単には会えないけどね。
それにしても、転生してから色々あった。
それはとても目まぐるしくて、サラリーマンだった時とはまた違った大変さで。
でも、楽しいな!
俺はこの世界が大好きです。
神様、願いをありがとうございます!
第一章、終。
そして、物語は第二章へ……。




