第205話《再召》
昼下がりの王立学園都市レリティアは、陽光に包まれて穏やかなざわめきを保っていた。
中庭では生徒達が昼食を広げ、談笑し、風に揺れる木々がその声をやさしく受け止めている。
何も変わらぬ、平和な学園の日常だった。
――ただ一人、ナユの胸の奥だけが、ずっと落ち着かなかった。
ベンチに腰を下ろし、ナユはスープの入った小さな器を両手で持ったまま、じっと中庭の奥を見つめていた。
視線の先には、騎士科の校舎がある方角。
そこから、時折“何か”がこちらを覗いている気がしてならない。
風が吹く。
木の葉が揺れる。
周囲の笑い声は、今日も変わらず賑やかだった。
(……やっぱり、変なのです)
理由は分からない。
気配も掴めない。
でも、確実に――見られている。
「ナユさん、スープ冷めますよ」
ティトが心配そうに声を掛ける。
「う、うん……飲むのです」
そう答えながらも、ナユは結局ほとんど口を付けなかった。
(……こういう時は、直接聞くのが一番なのです)
ナユはそっとベンチから立ち上がった。
人目を避けるように、中庭の端にある木陰へと歩いていく。
昼の光が葉の隙間からまだらに落ち、足元に不規則な影を落としていた。
ナユは小さく息を吸い、両手を胸の前で合わせる。
指先に、わずかな魔力が集まる感覚。
「オルランド、ちょっと来るのです」
それはあまりにも軽い呼び方だった。
まるで近所の知り合いを呼ぶような、何の緊張感もない声。
次の瞬間。
ナユの足元の影が、ふわりと盛り上がった。
黒い水面のように揺らぎ、静かに裂ける。
影の奥から、一人の男が歩み出る。
黒衣を纏った、魔王オルランドその人だった。
「……昼から呼び出すとは、いい度胸だ」
「静かになのです、周りに人がいるのです」
ナユは慌てて小声になる。
オルランドは周囲を一瞥する。
だが誰一人、突然現れた魔王の存在に気付いていない。
認識阻害は、完全に機能していた。
「それで、何があった」
「ずっと、見られてる気がするのです」
ナユは胸を押さえながら言った。
「誰かに、ずーっと、じーっとなのです」
オルランドの視線が、すっと細くなる。
ほんの一瞬、周囲の空気がわずかに張り詰めた。
「……なるほど」
「やっぱり気のせいじゃないのです?」
「気のせいではないな」
オルランドは騎士科の方角へ、静かに視線を向けた。
「かなりの実力者が潜んでいるな」
「えっ」
「殺気は無い。だが隠密が深い。監視に長けた者だ」
「それって……敵なのです?」
「まだ分からん」
オルランドは腕を組み、少し考え込むように沈黙した。
「今は観察だ。向こうもこちらを見ている」
「うーん……嫌なのです」
ナユはむにゃっと口をすぼめる。
「見られるの、落ち着かないのです」
「だが、今は何もしない方がいい」
「むぅ……」
不満そうな顔をしながらも、ナユは小さく頷いた。
「分かったのです。じゃあ、今日はこういう事で」
「呼び出しておいて、それか」
「だって昼休み終わっちゃうのです」
「理不尽極まりない」
そう言いながらも、オルランドは再び足元の影へと沈んでいく。
「今宵は呼ぶな。仕事が立て込んでいる」
「やっぱり社長なのです」
「その呼び方をやめろ」
黒い気配が静かに消え、木陰には再び昼の光だけが戻った。
ナユは小さく息を吐く。
(……でも、少し安心したのです)
遠くから、ルゥの笑い声が聞こえる。
ティトとメリアの軽い言い合う声も、いつも通りだ。
平和な昼休み。
だがその裏で、“観察する者”は、確かに存在していた。
そしてそれを知る者は、今のところ――ナユと魔王だけだった。
「今日の記録:ずっと見られてる気がしてオルランドを呼んだのです。本当にすごい人が隠れてるって言われたのです。敵かどうかはまだ分からないのです。少し怖いけど、ちょっとだけ安心したのです。今度からは昼休みに呼ばないようにするのです。日報完了」




