第194話《深闇》
校庭を覆っていた闇が、ゆっくりと収束を始めた。
霧のように拡散していた黒が、ひとつの影へと集まり、圧縮されていく。
空気が、更に重くなる。
ナユは、その中心を見つめたまま、楽しそうに笑っていた。
「……やっぱり、まだ余裕があるのですね」
“それ”の足元で、闇が脈打つ。
先ほどまでの奔流とは、明らかに質が違っていた。
荒々しさではなく、統制された深さ。
「ここまで見せれば、凡百の存在は立ってすらいられぬ」
淡々とした声。
だが、そこに初めて、僅かな熱が混じった。
「それでも、立っているか。光の子よ」
ナユは、くるりと首を傾げる。
「むしろ、さっきより楽しくなってきたのです!」
言葉と同時に、ナユの周囲に白い光が渦を巻く。
風ではない。
純粋な魔力が、嬉しそうに踊っているだけだった。
“それ”が、初めて一歩、踏み出す。
その瞬間。
校庭の地面が、沈んだ。
ナユの足元を中心に、半径数十メートルの大地が、沼のように沈降する。
土も、岩も、城壁の基礎すらも、闇に引きずり込まれていく。
重圧。
魔力そのものが、重さとして叩きつけられた。
だが――
ナユは、沈まなかった。
足元に光が走り、沈降を踏み止める。
白い魔力が地面と噛み合い、闇を正面から押し返す。
「重たいだけなのです。これ、本気です?もっとちゃんとして欲しいのです」
無邪気な挑発。
“それ”の瞳が、細まる。
「……なるほど」
低く、静かに。
「ならば――“力”として見せよう」
次の瞬間。
闇が、形を持った。
巨大な腕。
人の比ではない、圧倒的な質量を持つ闇の塊が、空中に顕現する。
魔法ではない。
存在そのものの圧力が、形を取っただけのような代物。
それが、ゆっくりと振りかぶられ――
叩き落とされた。
轟音。
衝撃。
空気が爆ぜ、校庭の外壁がまとめて吹き飛ぶ。
だが、その中心で。
ナユは、光を凝縮した剣で、それを受け止めていた。
小さな身体に、あり得ないほどの負荷がのしかかる。
地面が砕け、沈み、それでも――ナユは前に滑る。
「……っ」
初めて、“それ”の喉から、わずかな詰まりが漏れた。
ナユは、巨腕を押し返しながら、少しずつ距離を詰めていく。
「やっぱり、ちゃんと本気なのは嬉しいのです」
楽しそうに。
本当に、嬉しそうに。
「これ、契約したら毎日出来るのですよね?」
“それ”の瞳に、初めて――明確な動揺が走った。
「……毎日、だと?」
「はいなのです」
ナユは、巨腕を押し退けながら、にっこりと笑う。
「だって、わたしの召喚獣なのですから」
一瞬の沈黙。
次の瞬間、闇の巨腕が砕け散り、黒が本体へと戻っていく。
「……召喚獣、か」
低く、含みを持った声。
「毎日それに付き合わされるとなると――」
闇が、再び静かにうねる。
「それは召喚獣ではなく、組手相手だな」
その言葉に、ナユの瞳がきらりと輝いた。
「それでもいいのです!」
白い光が、更に濃くなる。
魔力の密度が、もう一段階、跳ね上がった。
“それ”は、初めて――
完全に、面白そうに笑った。
「……なるほど」
低く、深く。
「これは確かに、本気で応じねば失礼というものだな」
校庭の空気が、再び変わった。
先ほどまでの“試し”ではない。
今度は、明確に――
魔王の本気が、ここから始まる。
ナユは、もう待ちきれない様子で、身を乗り出した。
「やっとなのです!第二形態!!」
顔いっぱいの笑顔で。
光と闇が、再び真正面からぶつかろうとした瞬間――
校庭の中心で、世界そのものが、軋み始めた。




