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外伝105.6話《雪灯》

 窓の外は、細かな雪が静かに落ちていた。

 王都の冬はいつも冷たいけれど、今日はそれに少しだけ、ざわざわした落ち着かなさが混じっている気がした。


 馬車が停まる振動が、足元から伝わってくる。

 御者の声がして、扉が開いた。


「アニシアお嬢様、到着いたしました」


「ありがとう」


 わたくしはドレスの裾を少しだけつまみ、深呼吸をひとつした。

 父様と母様は、向かいの席に座ったまま、いつも通りの穏やかな笑みを浮かべている。

 兄様は、少しだけ面倒くさそうに窓の外を眺めていた。


「アニシア、ナユ嬢に失礼のないようにな」


「分かっておりますわ、兄様」


 でも、胸の中は少し落ち着かなかった。

 今日は「よく分からない会」に招かれているからだ。


 ナユの屋敷で開かれる、謎の「クリスマス」という会。

 文字にするとどこか美しいけれど、意味はさっぱり分からない。

 父様も母様も、最初に招待状を見た時、そろって首を傾げていた。


「……クリスマス、とは何だ?」


「存じませんわね……ハルメリア家の新しい行事、かしら」


「ナユ嬢の考えそうな事だな」


 そう言って笑ったのは兄様だ。

 わたくしも、思わず小さく笑ってしまった。


 ナユなら、確かに言いそうだ。

 意味が分からなくても、楽しそうだからやるのです、と。


 馬車を降りると、ハルメリア家の屋敷が、白い吐息の向こうに見えた。

 荘厳でありながら、どこか温かい門構え。

 何度か訪れた事のある場所なのに、今日はなぜか違って見える。


 門をくぐると、セバスチャンが出迎えてくれた。


「アニシアお嬢様、ご家族の皆様、本日はようこそお越しくださいました」


「お招きありがとうございます、セバスチャン」


 母様が優雅に会釈を返す。

 セバスチャンはいつも通りの穏やかな笑みを浮かべているけれど、その目の奥に「色々あったのだろうな」という苦労の色が見えた気がした。


「ナユは」


「はい。お嬢様は、飾り付けの最終確認をしておられます。……かなり、張り切っておられまして」


「でしょうね」


 父様の小さなため息に、セバスチャンがわずかに肩をすくめる。

 その仕草に、わたくしの胸の中で何かが少し弾んだ。


(また、ナユに振り回されているのですね)


 セバスチャンに案内され、私達は屋敷の中へと足を踏み入れた。

 扉が閉まった瞬間、外の冷え切った空気とはまるで違う、やわらかな温もりが頬に触れる。

 暖炉の火の匂い。

 わずかに甘い焼き菓子の香り。

 屋敷の奥から、楽しげな足音と小さな声が聞こえてきた。


「こっちは、もう少し雪を増やした方がいいのです!」


「お嬢様、廊下まで飾る必要はございますか……?」


「あります!絶対にありますなのです!」


 聞き覚えのある声。

 思わず、私は足を止めてしまった。


「……ふふ」


 胸の奥が、きゅっと温かくなる。


(やっぱり……ナユ)


 廊下の突き当たり。

 大広間へと続く扉の向こう側は、淡い光に満ちていた。

 セバスチャンが静かに扉を開ける。


「アニシアお嬢様、ご到着でございます」


 その瞬間だった。


「アニス!!」


 ぱたぱた、と小さな足音が走ってくる。

 白い飾りの付いた外套を纏ったナユが、満面の笑みで私の元へ駆け寄ってきた。


「来てくれたのです!!」


「ええ、招待されたら来ない訳にいきませんわ」


 私は屈んで、そっとナユの手を取った。

 指先が、思っていたより少しだけ冷たい。


「外、寒かったでしょう」


「でも、今日は特別なのです!」


 ナユはそう言って、私の手を引く。


「見てほしいのです!」


 大広間へと足を踏み入れた瞬間、私は息を呑んだ。

 天井からは、無数の淡い光の粒が吊るされている。

 氷の結晶のようにきらめき、ゆっくりと揺れていた。


「……これは……」


「雪を模した光の魔法で《雪灯》なのです!」


 ナユが誇らしげに胸を張る。


「外は寒くて暗いから、ここだけは、あったかくて明るい場所にしたかったのです!」


 光の粒は蝋燭ではない。

 魔法の光だ。

 けれど眩しすぎず、目に優しく、揺らぐ度に影が柔らかく床へと落ちる。


「綺麗……」


 思わず、私の口から零れた。


 広間の奥には、長いテーブル。

 そこには温かそうな料理と、甘い香りのお菓子がずらりと並べられている。

 壁際では、孤児院の子供達が、少し緊張した顔で集まっていた。


 その中央で、ひときわ小さな少女が、きょろきょろと周囲を見回している。

 淡い色の髪。

 少し痩せた頬。

 それでも、その瞳の中には――確かに灯る光があった。


 ナユは、私の手を引いたまま、その子の前へと歩いていく。


「アニス、この子がね、エルナなのです」


 エルナ、と呼ばれた少女は、びくりと肩を揺らしながら、私とナユを見上げた。


「ひ……き」


「大丈夫なのです」


 ナユは、そっとエルナの前に膝をつき、目線を合わせる。


「ここは、怖い所じゃないのです。あったかくて、おいしい所なのです」


 エルナは、ぎゅっと服の裾を握り締めたまま、少しだけ頷いた。


 その様子を見て、胸の奥が、きゅっと締めつけられる。


(……この子が……)


 アニシアもアニシアの両親や兄は知っていた。

 ナユがとある神父の悪行を晒して元あった孤児院を建て直しハルメリア孤児院として新たに作り上げた。


 しかもその後各地の孤児院や孤児達を援助しつつ、体制や子供達への教育、健康等を守る法律を陛下に直訴したのだとか。


 このエルナという少女もまたその被害者なのだろう。

 外の寒さだけのせいではない。

 もっと別の、冷たさの中にずっといたのだと、嫌でも伝わってくる。


 ナユは、ゆっくりと立ち上がり、周囲を見渡した。


「今日は、皆であったまる日なのです!」


 子供達が、少しずつざわつき始める。


「お腹いっぱい食べて、いっぱい笑って、それで……」


 ナユは、少しだけ言葉に迷った後、にこっと笑った。


「生きてるって、楽しいって思う日なのです!」


 一瞬、静寂。

 けれど次の瞬間、子供達の間から、小さな笑い声が生まれた。


「……たべて、いいの?」


 誰かが呟く。


「いいのです!」


 ナユは、両手を広げて頷いた。


「全部、ぜーんぶ用意したのです!」


 その空気が弾けたように、子供達が一斉に動き出す。

 最初はおずおずと。

 やがて、遠慮がちだった足取りが、少しずつ弾み始める。


 私は、その光景を、ただ黙って見つめていた。


(……これが、ナユの“雪灯”……)


 外は、冷たい冬。

 けれどこの場所だけは、確かに光に包まれている。


 エルナは、料理を前にして、しばらく固まったまま動かなかった。

 その背中に、ナユがそっと声を掛ける。


「エルナも、食べるのです」


「……ほんとに……?」


「ほんとなのです!」


 少し震える手で、エルナがスープを受け取る。

 一口。

 もう一口。


 そして――

 ぽろりと、涙が零れ落ちた。


 それを見た瞬間、ナユは何も言わず、そっと隣に座った。


 私の喉が、ぎゅっと詰まる。


(……ああ、ナユ、貴女は、貴女の光はまたこんなにも暖かく大きくなったのですね)


 雪の夜。

 小さな命に灯った、暖かな光。


 それは確かに――

 この冬に生まれた《雪灯》だった。


 その後これら孤児に関する事は公爵をも巻き込む事態となった。

 そのように仕向けたのはナユが……と公爵達は一瞬思ったが、まさか三歳の幼子が……とその疑念を払拭した。


 皆が帰った後、屋敷の自室でナユは思う。


(クリスマスを広めよう作戦……作戦成功なのです!!)


 ナユはナユでまったく別の作戦実行中であった……。

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