外伝105.5話《聖夜》【後編】
雪は、夜更けと共に静かに積もり続けていた。
王都の片隅にあった、あの冷え切った孤児院は――もう、そこにはなかった。
神父は捕らえられ、建物は王城の管理下に入った。
崩れかけた壁も、割れた窓も、数日のうちにすべて修復された。
新しく張り替えられた板の床は、もう冷気を吸い上げない。
子供達は最初、それを信じられなかった。
「……なんで、あったかいの」
小さな誰かが呟いた。
吐く息が白くならない。
凍える指先が、じんわりと熱を思い出している。
毛布が一人に一枚。
温かいスープが、順番に配られる。
それだけで、泣き出す子がいた。
エルナも、その一人だった。
あの夜。
ナユとセバスチャンが去った後、エルナは眠れなかった。
怖かったからではない。
夢のようで、目を閉じたら消えてしまいそうだったから。
――でも、朝になっても、温かさは消えなかった。
「……いる」
本当に、助けてくれた人がいる。
数日後。
新しい大人達が、孤児院にやって来た。
医師、料理人、世話役、警備の兵士。
そして最後に、小さな少女が一人、雪の中を歩いて来た。
白い息を吐きながら、少し照れたように言った。
「今日から、ここは“ハルメリア孤児院”なのです」
子供達は、ぽかんとした。
「……はる、めりあ?」
「わたしの名前なのです」
ナユはにこっと笑った。
「ここは、もう寒くもないし、叩かれないし、悪い大人も来ないのです」
「……どうして?」
エルナが、震える声で聞いた。
ナユは一瞬だけ黙り、それから、いつも通りの調子で答えた。
「だって、嫌な事は、嫌なのです」
それは、あまりにも単純で、あまりにも強い言葉だった。
エルナの目から、ぽろぽろと涙がこぼれた。
その夜。
孤児院では、久しぶりに“灯り”がともった。
ろうそくではない。
ナユが小さく指先を振って生み出した、柔らかな光だった。
皆で囲む、初めての温かい食事。
スープの湯気。
パンの匂い。
誰も怒鳴らない夜。
「……ねえ」
エルナが、ナユの袖をつまんだ。
「あなた、なんなの」
ナユは少し考えて、
「えっと……」
「……奇跡の子」
エルナが、そう言った。
その言葉に、ナユは目を丸くした。
「えっ!?ちがうのです!」
「だって、あの夜、全部変わった」
エルナは、ぎゅっと拳を握った。
「寒くて、暗くて、怖くて……それだけだったのに」
「あなたが来て、あったかくなった」
「だから、奇跡」
ナユは、困ったように笑った。
「……ええと」
「奇跡じゃなくて、願いなのです」
でも、エルナには、その違いが分からなかった。
ただ、確かだったのは――
この夜が、彼女の人生で初めての“聖夜”だったという事だけ。
雪は静かに降り続けている。
けれど、もう寒くはない。
小さな願いが、確かに世界を変えた夜だった。
「今日の記録:孤児院が新しくなったのです。ハルメリア孤児院なのです。皆あったかそうで、笑ってくれました。エルナちゃんが、奇跡って言いました。奇跡じゃなくて、願いなのです。――でも、ちょっとだけ嬉しかったのです。日報完了」




