第8話:月光の森
月光が編んだ金の糸が、木々の梢を静かに撫でていた。
空に浮かぶ満月は、まるで森を導く灯火のように、淡く、優しく、地上を照らしている。
「キレイな満月ですね」
「えぇ、そうね……」
「何か不思議な力を感じませんか?」
「うん。そうだね……」
アーヤはミラにそっけない受け答えしかできない。
ミラとの満月の話しは、いまのアーヤにとっては少し重たい気持ちになるものだった。
ーー紅い満月
アーヤは夢の中のそれを思い出してしまう。
森の奥へと続く道に歩みを進めながら、高鳴る鼓動を抑えるように何度も深く息を吸い込んだ。
ミラはアーヤの気持ちを察したのか、少しバツの悪い感じで言った。
「ほんとうに……ここが、“ルーナ・グローヴ”なんですね」
湿り気を含んだ冷たい空気には、土と草……
そして、いつもとは違う、特別な夜の香りが混じっていた。
「……月光の森なんて、昔話でしか聞いたことなかったのに」
「俺も実際に足を踏み入れるのは初めてだ」
アーヤの言葉にグレイが低く応えた。
「何がでてきてもおかしくないところだな」
「えぇ、注意したほうがよさそうですね」
グレイは、神殿に伝わる神の力が宿ると言われる聖剣の柄にそっと手を添えながら、警戒心を隠さずに森の奥を睨んでいる。
神殿の巫女服の裾を押さえながら、ちょこちょこと小走りでついてくるミラは、その好奇心旺盛な性格のせいか、目を輝かせながら辺りを見回している。
「ちょっと、これ見てくださいよぉ……ほらこの植物。夜なのにこんなに花が咲いている!」
「ホントね。不思議だわ」
「それは、夜光草。満月の夜にだけ咲くと言われる植物だ。花は薬草としても使われるらしいぞ」
「へぇーー。さすが副長は物知りですね」
「何かの本で読んだことがあるだけだ。本の受け売りだよ」
「しかし、この森は静かすぎるわ。音がどこかに吸い込まれているよう……」
アーヤは、二人の会話を気にしながらも、森の静けさに不安を感じていた。
風の音、虫の声、葉のさざめき……
すべてがどこかに集音されていくかのような感覚。
辺りを照らす月の光と自分自身の鼓動だけが世界に残されたような、奇妙な錯覚に陥るのだった。
「でも、怖くはないです」
ミラがふわりと微笑んだ。
「むしろ、あたたかい。見えない誰かが……ずっとここにいるみたいな」
その瞬間だった。
3人の後ろ側から、突然風が吹き抜けた。
これまで静かだった木々の枝葉が音を立ててざわめく。
(バサバサッ!)
3人の視界の先にモヤのような白い塊が浮かび、森の奥、木々の間から、ひとすじの光がこちらを誘うように流れていた。
「……見えるか?」
「えぇ……」
アーヤが頷くと、ミラもそっと彼女の腕を掴んだ。
「……何?あれ……」
すると、モヤのほうから何か囁きのような声が聞こえ、差し込む光の先にひとりの“少女”のような姿が現れた。
「うふふ……あなたたち、森の夢を踏みに来たのね」
その声は水音のようにクリアで、耳元に直接触れてくるようなミステリアスかつ不思議な響きを持っていた。
「だれ?誰なの!?」
アーヤは咄嗟に叫んだ。
「気をつけろ。少し距離をとるんだ!」
そういってグレイはアーヤとミラとの距離とった。
「オレが前に出る!お前らは後ろに下がってろ!」
「……副長」
アーヤは声にならないまま、ただモヤを見つめていた。
「アレ、浮いてるわ」
枝葉を編んだような薄緑色の衣は、まるで森そのものがモヤの一部であるかのように自然で、ふわりと浮かび上がらせている。
ーーとても神秘的だった
はっきりとしない半透明の髪は、夜の霧のようにゆらゆらと揺れている。
うっすらと見える瞳には、無数の星の輝きが閉じ込められているようで、瞬きをするたびに、微かな月の光と合わさって降り注いだ。
「キレイ……妖…精?」
ミラはその美しさに見惚れ、つい心の声が漏れてしまった。
少女のようなモヤはふと首をかしげると、ゆるりとした笑みを浮かべた。
「なにか、懐かしい匂いがするわ……静かに乾いた月の花の香り……それとも……焼いた栗の皮、かしら?」
「……え?」
ミラがぽかんとした顔で小声を漏らした。
「え、いま……栗の皮って……?」
グレイが半眼でそっとミラに「黙っておけ」と言いたげに目配せをするが、モヤはそのまま言葉を続けた。
「あなた、面白い心をしてるのね。少し眺めさせて……。まるで、星の落し物みたい」
それは奇妙で、美しくて、どこか少し可笑しい――
まさに“月と森”が生んだ精霊の名にふさわしい、最初の出会いだった。
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Z.P.ILY




